軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第170話 また遠出したい

夜の闇の中、静かに船は波を切り、陸の一切見えない海原を航行していた。

空には月が浮かび、澄んだ夜空に無数の星が散りばめられている。

月明かりが甲板を銀色に染め上げ、光と影が交錯する幻想的な光景が広がっていた。

そんな中、アメリアは甲板の手すりに寄りかかり、静かに夜空を見上げていた。

「綺麗……」

ぽつりと呟く。

夜空を見上げることは屋敷でもしばしばあった。

しかし海上から見る夜空はまた違った光景にも見える。

船の動きに合わせて波がざわめき、その音が静寂に包まれた夜の海と調和する。

船上には誰の気配もなく、まるで世界が自分ひとりだけになってしまったかのような感覚がアメリアの心に染み入った。

ふと背後へ近づく気配に気がつき、振り向くと、そこにはローガンが立っていた。

「眠れないのか?」

気遣うような声が闇を溶かすように響き、アメリアは微笑みながら答えた。

「なかなか見れない光景なので、つい……」

「なるほど」

ローガンもアメリアの隣の手すりにもたれかかり、夜空を見上げた。

その静かな横顔を見つめていると、アメリアの心にさざ波が立つ。

「楽しかったか?」

「はい! 本当にとても楽しかったです!」

ローガンがふと問いかけると、アメリアは顔を輝かせた。

心に次々と蘇る、三日間の思い出。

アメリアは宝物を一つずつ取り出すように、そのひとときを語り始めた。

「クリフさんやミレーユさんは優しかったですし、もふもふな動物たちも可愛らしくて、お料理もとっても美味しかったですし……庭園に咲き誇る色とりどりの花や珍しい植物にも出会えて夢のようでした! それに、ボートに乗った時も……アクシデントも含めて、本当に楽しくて……」

楽しげに語るアメリアの様子に、ローガンは静かに微笑んだ。

「それは良かった」

「お忙しい中、連れてきてくれて本当にありがとうございます」

「どうってことない」

ぽん、とローガンの手が優しくアメリアの頭に触れる。

「アメリアの喜ぶ姿が見れて、俺は満足だ」

「……っ」

その言葉に、月明かりに照らされた微笑みに、アメリアの心臓が跳ねる。

本来なら眠い時間のはずなのに、一気に目が覚めてしまった。

そんな感情の乱れを隠すように、ふいっと海原に視線を移す。

しばし、月明かりの下での静かな時間が流れた。

ふと、アメリアはおずおずとした表情で口を開いた。

「あの……また、わがままなんですが」

「うん?」

「仕事が落ち着いたら……また、遠出したいです」

ほんのり赤みを帯びた彼女の頬に、夜風がやわらかく触れる。

ローガンの返事をじっと待つアメリア。

一方のローガンは少し間を置き、何か考えるように視線を落としてから、静かに言葉を口にした。

「……ああ、必ずな」

その返事に、アメリアはひと匙の違和感を覚えた。

ローガンの返事には何か含みがあるようで、表情もどこか影が差しているように感じる。

彼の視線は、どこか遠くを眺めているように見えた。

「ローガン様?」

アメリアが小さな声で問いかける。

ローガンは唇を引き結び、闇の海を見つめたまま、静かに言葉を紡ぎ出した。

「なあ、アメリア。もし……もしの話なんだが……」

絞り出すように、ローガンは尋ねた。

「俺がしばらくの間、遠くに行くと言っても、アメリアは許してくれるか?」

その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、アメリアは思わず息を呑んだ。

何を意味するのかが掴みきれず、胸に漠然とした不安が広がる。

(遠くに行く……仕事の関係で一時的に離れる、ことでしょうか?)

しかし、ローガンの言い方は、単なる出張のようなものとは違う、深い含意が隠れているように思えてならない。

「えっと、それはどういう……?」

アメリアが戸惑いながらも問いかけようとしたが、ローガンは首を横に振り、静かに彼女の言葉を遮った。

「いや、すまない。忘れてくれ」

ローガンはそう言って口を閉ざしてしまう。

アメリアは胸に小さな針が刺さったかのような感覚を覚えた。

同時に、昨晩のことを思い出す。

ローガンが眠りについてから片づけた際に目にした

「軍事戦略論」や「国境防衛の要諦」といった書物……。

なぜかそれが、直感めいた閃きと共に脳裏に浮かんだ。

冷たく重い響きを持つそのタイトルたちが、頭から離れない。

言葉をかけるべきか、それとも待つべきか、アメリアの心は揺れた。

しかし、いざ尋ねようとすると、どうしても言葉が喉につっかえてしまう。

もしかすると、何かが決定的に変わってしまうかもしれない――そんな予感がアメリアを引き留めた。

最終的にアメリアは小さく視線を落とし、口を閉ざした。

ローガンもそれ以上は何も言わず、ただ夜空を見上げている。

月明かりの下、真っ暗な海が無言のまま二人を包み込んでいた。

ざざん、ざざんと静かに響く波音だけが、二人の間に残された最後の音のように、夜の闇を流れていく。

──この時アメリアが抱いた『嫌な予感』は、じきに判明することになる。