【コミカライズ決定】病弱な幼馴染みを優先する婚約者に「頑強なだけが取り柄」と言われたので、いっそのこと女騎士になろうとした結果
作者: たぬちゃん
本文
春の王都は穏やかだった。
侯爵令嬢カサンドーラ・ハンコークは、本来であれば婚約者との幸せな街歩きを楽しんでいるはずだった。
「すまない、カサンドーラ。
ネリネが倒れたらしいからここで解散しよう。僕は帰る」
それだけ言って立ち去ろうとするアイン・マイヤー伯爵令息を、カサンドーラは淑女らしく控えめに引き止めて尋ねた。
「またネリネ様が発作を起こされましたの?」
「ああ、彼女は病弱だからね。
頑強なだけが取り柄の君とは違う。
辻馬車乗り場はすぐそこだ。
君なら一人でも大丈夫だろう? それでは」
言い捨てるようにそう告げて、アインの背中は遠ざかって行く。
今日は、今日こそは。
学院を卒業して、これからの結婚に向けて話し合いをするはずだったのに。
前から約束をしていたのに。
取り残されたカサンドーラは黙って苦い感情を飲み下してから、小さく呟いた。
「ネリネは君とは違う――ですか」
ネリネ嬢は婚約者であるアインの病弱な幼馴染みだ。
幼い頃から体が弱く、少し無理をするとすぐに寝込んでしまうらしい。
カサンドーラ自身は一度も彼女と顔を合わせたことがないが、アイン曰く「僕がいなきゃダメなんだ」そう。
「私は頑強だけが取り柄ね……ならいっそのこと、女騎士にでもなってみようかしら」
その足で、カサンドーラは騎士団本部を訪れていた。
女騎士になるとはっきり心に決めたわけではない。
ただ、騎士採用試験の募集要項を聞くだけ聞いてみようと思ってやって来たのだった。
しかし、何やら行き違いがあったようで。
「はい!それじゃあ実技試験始めるわよー!」
「え? え?」
令嬢らしいドレス姿のままだというのに、カサンドーラは何故か訓練場の一角に立たされていた。
相対するのは華やかな化粧をして、ふさふさした長いまつ毛と立派な肩幅の――美青年。
騎士服姿はとても凛々しいが、仕草はなんだかクネクネしていて、妙に艶めかしい人だ。
彼(でいいのか?)は先程まで近くで鍛練をしていたのだが、カサンドーラが現れるやいなや、
「かーわーいーいっ!! んまぁ、採用試験?お嬢さんが?
じゃ、アタシが試験官やってあげるわ〜♡」
と手を挙げてくれたのだった。
ドレスを着ているのも、夜会で潜入調査も出来ますアピールかしら?良いわね!と褒めてくれて。
その上で、ただそれ街歩き用だから、正式採用になったらお祝いにイブニングドレスを贈らせてね♪とウインクまでいただいてしまった。
すべては誤解なのだが、どうやらこの人はとても親切で優しい人らしいと感じたカサンドーラは、その顔を立ててこのまま実技試験を受けてみることにした。
「ところで、アナタはなんで騎士になろうと思ったの?」
「ある方に……頑強なだけが取り柄と言われまして」
「あらやっだ、そうなのぉ? でも良いじゃない頑強!褒め言葉じゃなーい!」
バシィン!と肩を叩かれる。
か弱いご令嬢ならよろけてしまいそうな勢いだったが、カサンドーラは微動だにしなかった。
「あらぁ、体幹すごっ! 本当に頑強なのねえ」
「ええ。スキル《頑強》持ちです」
その言葉に周囲の騎士たちがざわつき始める。
「《頑強》だって!? 激レアスキルじゃないか!」
「最近まったく聞かないから、もう生まれてこないのかと思ってたぜ」
「あんな可憐なご令嬢が持っていたのか。見つからないわけだ」
試験官のお……ネエさんも、目をぱちぱちさせている。
「《頑強》?ホントに?あんまりにも見ないから、てっきり絶滅したんだと思ってたわ!
あ、ちなみに学院での成績はどうだったの?」
「首席で卒業したばかりです」
「すっっっごいじゃなーい!文武両道!才女よ才女っ」
それからふと何かを思い出したように、カサンドーラの顔を見つめて確認する。
「それじゃあアナタは、ハンコーク侯爵家のご令嬢ってことかしら?」
「はい。ハンコーク侯爵の娘の、カサンドーラと申します」
「カサンドーラちゃんね! アタシはバファールよ。バファりん♡って呼んでね」
「バファりん様ですね」
なぜ学院の首席卒業生がハンコーク家の娘だと知っているのか疑問に思ったが、まさかの愛称呼びに意識を持っていかれてしまった。
「すげえ、本当に呼んだぞ」
「バファりん様♡って」
「半分は優しさ?」
「もう半分は適当さだな」
「ところであの方は、どこまで本気でおネエなんだ?」
とヒソヒソ言葉を交わしていた騎士たちは、バファール試験官が咳払いの後、ある方向を指差すとギョッとした様子で静かになった。
「じゃあ試験開始よ。カサンドーラちゃん、あのアスレチックコースをサクッと攻略してみてくれる?」
カサンドーラは小首を傾げる。
それは、とても大きくて広いアスレチックだった。
水濠に乱雑に立つ丸太群。
太い綱で上から吊られて、揺れ動く無数の足場。
魔石動力で回転し続ける巨大な装置。
そして最後の関門は見上げるほどの――反り立つ壁。
障害物走とはあまり採用試験向きではないように感じるが、行けと言われれば行くのが騎士なのだろう。
「承知しました。参りますっ」
二、三度屈伸してから、カサンドーラは疾風のごとく駆け出した。
丸太を次々飛び移る。
揺れて不安定な足場も一気に渡り切り、片足よりも細い通路は走らず大きく飛び越えた。
回転する棒を跳んで避け、移動する出っ張りはヒールの靴のまま上に立って器用に飛び降りる。
最後は崖を模した壁を軽やかに駆け上がり、指一本でぶら下がると数度懸垂し、反動をつけてドンッ。
難なくクリア出来て安心しながらゴールを告げると、固まっていた騎士たちが復活して騒ぎ出した。
「嘘だろおい!特殊訓練用の設備だぞ!」
「速っ……タイムどうだった!?」
「オレたちの知ってるご令嬢じゃない。ドレス着てるけど絶対違う」
待っても続く指示がないので、カサンドーラは自分から尋ねる。
「それで、このアスレチックはあと何周すればよろしいですか?」
――静寂。
「持久力の試験ですよね?」
「……はい、そこまで!オッケー!合格ぅぅぅ!!」
「え? もうですか?」
「ええ、もうですよぉ。もう勘弁してあげて。うちの騎士たちが自信無くしちゃうわ」
ぱちぱちぱちぱち、と拍手のバファール試験官は、しかし何故か苦笑いをしている。
その後ろに控える騎士たちも同じく。
カサンドーラはよくわからないながらも、合格をもらえたようなので、その場で 淑女礼(カーテシー) をして受け入れた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それにしても授かったスキルを極限まで磨き上げているなんて、本当に偉いわぁ。努力家なのね。
でもこの研鑽、ただの女騎士じゃあ流石にもったいないかしら?」
バファール試験官は腕を組み、うーんと唸った。
「そうだ!アタシの弟のお嫁さんとかどう?
富・名声・権力すべて揃ってて、顔もまあまあ良いわよぉ」
「えっ」
「いや、先に兄上が結婚してください。そうやってすぐ私に子を作らせて、養子に取ろうとするのは悪い癖ですよ」
後ろから冷静な声が飛んで来た。
振り返るといつの間にか見覚えのある御方が立っていて、カサンドーラは息をのむ。
間違いない、学院の卒業式に来賓として臨席していた王弟殿下だった。
「ちゃんと世継ぎを作ってください。王様でしょ」
「アタシはもういいのよぉ!もう諦めたのー!
可愛くて綺麗な女のコの格好したいだけで、女のコになりたいわけじゃない。
恋愛対象は女性だって何度も言ってるのに、だーれも信じてくれないんだもの!
最近はついに男から釣書まで来たし……失礼しちゃうわ!」
――バファール・オル・トルソニア国王陛下。
若き賢君として大陸中にその名を馳せる、いと尊き王国の太陽。
そう聞いていたのに実際は、天井で輝くミラーボールのような御方だわ……とカサンドーラは唖然とした。
「兄上って本気で女性を愛せるんですか?」
「あーいーせーまーすぅぅぅ!!
蕩けるくらい溺愛しちゃうわよ、当たり前でしょ。
可愛くない格好で日々鍛練して!
綺麗じゃない利権ばっかの政務してるんだから!
せめて隣には王妃として、可愛くて綺麗な女のコに立ってほしいに決まってるじゃなぁ〜い!!」
切実な訴えに、その場にいる全員が同時に視線を伏せる。
それはまあ、そう――そうなんだろうけれど。
化粧のまま鍛練し、ドレスを着て政務をし、おネエ言葉で社交の場に出る国王の姿に、本当の本当に王妃様いります?男の王配じゃなくていいです?という疑問は尽きないのであった。
「まぁ、アタシこうだから女のコと結婚は難しいのよねぇ。
カサンドーラちゃんだって、アタシとこの愚弟なら愚弟の方を選ぶでしょ?
あ、別に気を遣わなくてもいいわよー。慣れてるから」
「愚弟って……キングオブ愚兄にだけは言われたくないんですが」
「王様だけにキングって? やっだー親父ギャグ!」
「革命起こしてやろうか?あ?」
仲良く喧嘩している兄弟は、見た目はまるで似ていない。
兄である国王陛下は化粧をしていても騎士系の美丈夫。
一方王弟殿下は文官風の、いかにも優男といった見た目だった。
後者は少しだけ、カサンドーラの婚約者のアインに似ている。
同じ金髪だからだろうか?
あるいは表面上は優しそうな雰囲気か。どちらにしろ――
「私は、バファりん陛下の方が好ましいです」
無意識のうちにカサンドーラは言葉を発していた。
「え?」
「あっ」
予想外の出来事に自分でも驚いてしまう。
今のは一体。どうしてこんな。
混乱の中、ああ自分は思っていた以上にアインのことを、他の女性を優先してカサンドーラを蔑ろにし続ける彼のあの傲慢な振る舞いを、煩わしいと感じていたのだ――と今更ながら気がついてしまい、愕然とする。
すう。はあ。
咄嗟に淑女教育で教わった深い呼吸を繰り返し、カサンドーラは動揺を押し隠そうと試みた。
まずは落ち着いて、会話に急に口を挟んだことを謝罪しなくては。
そんなカサンドーラと、彼女の返答に驚く兄陛下とを見比べて、弟殿下はキラリとその目を光らせた。
スッと片手を挙げて臣下たちに指示を出すが、バファールはそちらを見ていない。
ただ急に顔色が悪くなったカサンドーラを静かに観察し、やがて頬に両手を当てると、わざとらしくシナを作った。
「アタシの方が良いのぉ!? やだぁ〜嬉しい!!
じゃあ早速婚約申し込んじゃおっかなー♪
……なーんてね。
こぉんなに素敵なお嬢さんなんですもの。
ハンコーク侯爵ったら、デビュタントボールまでちゃっかり隠しておくつもりだったんでしょうね。
それをアタシみたいな悪い王様に見つかって、結婚迫られちゃったら流石に可哀想よねぇー。
だから残念だけどやめとくわ!挙兵されちゃうもの」
茶目っ気たっぷりに肩を竦めてみせるバファール王は、最初に抱いた印象通りやはり優しい御方なのだろう。
ただ今度は、そのまま話を合わせるわけにもいかなかった。
「あの、バファりん陛下。実は私にはもう婚約者がおりまして。マイヤー伯爵家ご令息のアイン様という方が」
「マイヤー? 斜陽になって久しい伯爵家じゃない。どうして裕福なハンコーク侯爵家と?」
「その……王命です」
カサンドーラが答えるとバファールは渋い顔になった。
「政略結婚にしたって組み合わせ最悪よ!そんな王命出すなんて、ろくでもない国王もいたものね。いつ決まったの?」
「去年です」
「ろくでもない王様アタシだったわ……」
思わず頭を抱えるバファールを、黙って見守っていた王弟は鼻で笑った。
そこへ文官が書類を持って駆け込んで来る。
「王弟殿下! 調査結果です」
「ご苦労。早かったな。
――なるほど。兄上が『戦闘系スキル持ちの令嬢は武門の家系に嫁がせよ』と命じた結果ですか」
「あー《頑強》スキル……ぜ、善意だったのよぉ」
しおしおと萎れるバファールはしかし、王弟が続けて読み上げた内容にはひどく憤慨して吠えた。
「おやおや。マイヤー伯爵子息は常日頃、病弱な幼馴染みを優先して婚約者であるハンコーク侯爵令嬢を蔑ろにしている?
しかもハンコーク侯爵家が幾度となく抗議しても、マイヤー伯爵は息子に注意すらしていない、と。いけませんねぇ」
「はああああ!? どうせ婚約破棄も解消も出来ないからって、随分と舐めた対応だこと!
ていうか、アタシの王命悪用してんじゃないわよっ!」
書類を何枚か続けてめくった王弟は眉を顰めた。
「マイヤー伯爵子息の学院の卒業試験成績は……ブービーですか。これはひどい」
「え? アイン様は二番だったと仰っていましたが」
「下からってことでしょ」
カサンドーラは目を丸くした。
アインは、どうせハンコーク侯爵家の援助で傾きかけたマイヤー伯爵家は立て直せるから、とあまり学業に力を入れていない様子だった。
それでも卒業試験だけは一生懸命頑張ったんだわ!と見直していたのに。
「ねえ、カサンドーラちゃん?
さっきの頑強なだけが取り柄って言われたって話。もしかして、言ったのはこいつ?」
「は、はい。そうです。アイン様の幼馴染みは体が弱くて、頑強なだけが取り柄の私とは違うと」
――《頑強》スキルのことすらよく理解していないとは。
バファールは深々と、それはもう地の底に沈みそうなほど重い溜め息をついた。
「……うん! マイヤー伯爵家はもうダメね。
立て直したところで無駄!無理!よって婚約も無効!以上!」
王弟の手から取り上げた書類の束を、バファールはそのまま勢いよく二つに引き裂く。
辞退することなど不可能と諦めていた王命による婚約が、今まさに綺麗に白紙となった。
カサンドーラは呆然としながらも、じわじわとこみ上げてくる喜びを感じていた。
正直なところ、このままアインと結ばれる未来はとても気が重かったのだ――。
「これで貴女は晴れて自由の身ですね。ハンコーク侯爵令嬢」
「王弟殿下。私は大変ありがたいのですが……本当に良かったのでしょうか?」
「そもそも政略結婚を命じたのはこの愚兄ですから。まあ家同士の組み合わせに関しては、下の者が決めたことですが」
ちらりとバファールを見ると、清々したわーと両手を打ち鳴らしている。
カサンドーラの視線に気がついた彼は、にっこり笑って言い切った。
「権力っていうのはね、こういう時にこそ使うものよ♪」
「それでは兄上、後は私が処理をしておきます。
ですのでハンコーク侯爵令嬢の気が変わる前に挨拶に行って、侯爵から婚約の許可をぶん取ってきてください。今すぐに」
その後、良い笑顔の王弟に問答無用で王家の馬車に押し込まれ(抵抗したバファールは蹴り込まれ)て――あっという間に、ハンコーク侯爵家へと帰り着いた。
先触れと少しでも時間を空けるべく、出来るだけ遠回りをしての帰途だったが、まあそんなもの焼け石に水でしかない。
正式な求婚、それも国王陛下からとあってはきちんと場を整えなければならず、侯爵家は今まさに使用人を総動員してバタバタと準備をしている。
それが終わるまで待つ間、カサンドーラはバファールに侯爵家自慢の庭園を案内して回っていた。
先程まではあまりに唐突な展開に、ふわふわと地に足がつかないような心持ちだったのだが、人間自分よりも焦っている者を見ると不思議と落ち着いてしまうもので。
何がどうしてこうなった!?とパニックに陥る家人を見たことで、今はどうにか平静を取り戻せたところだった。
「あらぁ〜!ここも素敵なお庭ねぇ。薔薇がとっても良い香り」
それはバファールも同じだったらしく、なんだか一周回って開き直ってきちゃったわ……と、なんとも穏やかな様子でピンク色の薔薇を眺めている。
「本当に綺麗な薔薇。 ねぇ、カサンドーラちゃん?」
「何でしょうか?バファりん陛下」
「今ならまだ、アタシはハンコーク侯爵家に春薔薇を目当てに足を運んだってことに出来るわよ」
「え……」
何でもないことのように切り出されて、カサンドーラは心底驚いた。
結婚相手がいなくて困っているようなことを確かに言っていたのに、それでもこちらの意思を優先してくれるというのか。
どこまで優しい人なんだろう。
思わずじっと見つめると、バファールは「正直に言っても大丈夫」と示すかのように、親しみやすい笑顔で微笑んだ。
それを見てカサンドーラは――心の中に、まるで小さな薔薇が咲いたような気がした。
「……陛下は別に女性になりたいわけではなくて、ただ女性をやってみたい方なのですよね?」
「え? ええ、まぁそうね。誰も信じてくれないけどね」
「私は信じます。だから、陛下も信じていただけませんか?」
「何をかしら?」
カサンドーラはぎゅっと強く両手を握った。
「私も陛下と同じように。別に王妃になりたいわけではなくて……ただ貴方の妻をやってみたいと思いました」
「えっ? 今日初めて会ったばかりなのに?」
「いけませんか?覚悟が足りないとお思いですか?
でも私《頑強》ですよ。王妃教育も耐えられますし、暗殺も毒殺もされないと誓えます」
戸惑った様子のバファールに、ここぞとばかりにカサンドーラはグイグイ行った。
婚約者だったアインの前では、こんな風に淑女をかなぐり捨てたことなどなかったが。
なに構うことはないだろう。
だって、相手の方がずっと規格外な人なのだから。
「陛下。私は《頑強》ですから、私なら一人で大丈夫だと思いますか?」
「えぇ? 一人で平気な人間なんていないでしょ」
「そうですよね。私もそう思います。
でもそれは陛下もですからね。……私は貴方をお支えしたい」
カサンドーラは目を逸らさなかった。
視線を外した方が負けだと思ったからだ。
じりじりとした時間が過ぎ、やがて白旗を揚げたのは――負けたと引いてくれたのは、やはり優しいバファールだった。
「参ったわねぇ。一目見て可愛いコだと思って、騎士の試験をクリアしてカーテシーをした姿は綺麗だと思ったのに……カサンドーラちゃんったら、本当はすごく格好いいコだったのね」
「自分でもちょっと驚いています」
「やぁだ、そうなのー? 新しい自分発見しちゃった感じ?」
じゃあ責任は取らないとねぇ、と差し出されたエスコートの手を取って、カサンドーラは満足気に侯爵邸へと足を向けた。
「……挙兵させていただきたい」
「ざーんねーん!これでも善政敷いてるから、賛同してくれる諸侯はいませーん♡」
「うぐぐ、書きたくない!この婚約書類に名前を書きたくないっ」
葛藤するハンコーク侯爵と対峙しながら、バファールは絶好調であった。
一方、カサンドーラは父の反応を少々意外に感じていた。
慎重が服を着て歩いているような人なのに、バファりん陛下に対しては際どい冗談を言えたりもする関係なのね、と。
「どぉーしてもサインしてくれないなら、改めて王命出しちゃおうかしらぁ?
ハンコーク侯爵、余に其方の娘を献上せよ。ってね」
「もう勘弁してくださいよ、王命は!」
「バファりん陛下。それではまるで、歴史に残る暴君ですわ」
「娘を寄越せと言ってくる男は、どんな立場だろうと漏れなく全員暴君だ!」
世のすべての父親の想いを代弁して、ハンコーク侯爵は怨嗟の声をあげた。
マイヤー伯爵家との婚約は無効とする、すまなかった――と告げられて心から安堵した直後に、だからカサンドーラちゃんはアタシがもーらい⭐︎である。
家族思いのハンコーク侯爵の胃は死んだ。
しかしバファールは実は今、相当浮かれているので、そんなことはお構いなしに書類を完成させにかかる。
性格が優しいことと性質が容赦ないことは、残念ながら両立するのだ。
「早くサインしてよぉ パ・パ♡」
「挙兵させろォォォ!!」
ちなみに実際に内乱、あるいは他国から攻められる恐れは万にひとつもない。有り得ない。
何故ならバファールが次期国王となることは、満場一致で決定したからだ。
おネエが国王とか、周辺国に舐められたらアレじゃな〜い!アンタが王様やりなさいよぉ〜!と弟に押しつけようとした立太子前、バファールはこう返されたのだ。
「熊を素手でぶちのめせるおネエが一番怖いんですよ。
そんな王が治める国が、他国に舐められるわけないでしょうが」
ちなみにバファールが倒した熊はたいそう美味しい熊鍋になる。
同じく熊を素手で狩る《頑強》な令嬢が王妃になれば、王宮で熊鍋を食べる回数はさらに増えるだろう。
カサンドーラとの婚約を強引に押し進めた王弟の大好物が熊鍋であることと、この一件に何か関係があったのかは――知る人ぞ知る秘密である。
そんな中で。
急にアイン・マイヤー伯爵令息が来てうるさく騒いでいるという連絡を受けて、カサンドーラは中座してエントランスホールへと向かった。
「カサンドーラ、頼む!婚約無効を撤回してくれ!
王宮から使者が来たんだ、このままではマイヤー伯爵家が取り潰されてしまう!」
どうやら王弟殿下は早速動いたらしい。
しかしカサンドーラに出来ることは何もないのだが。
「もう遅いですわ。すべては国王陛下の決定ですもの。
マイヤー伯爵令息、これからはネリネ様を大切になさってくださいな」
「そんな人間はいない!ネリネなんて……病弱な幼馴染みなんて、本当はいないんだ!!」
アインの叫びに、カサンドーラはぽかんとしてしまう。
「どういうことですの?」
「君はいつだって淑女然としていて、僕への気持ちも隠してばかりいるから。
僕はただ、他に優先する女性がいるように見せることで君を、カサンドーラを嫉妬させたかっただけなんだよっ!」
目を瞬かせたカサンドーラは、己の心がどんどん冷えていくのを感じた。
「まあ、そうでしたの。それは気がつきませんでしたわ。
……私は何度も申し上げましたよね。
約束はちゃんと守ってください、と。
簡単に途中で抜け出して帰らないでください、と。
埋め合わせをすると仰ったなら実行してください、と。
でも貴方様は一度だってそうして下さらなかった。
私が求めていたのは恋の駆け引きではなく、最低限の誠実さでしたのに」
ぐっと言葉に詰まったアインは、わざとらしい上目遣いでカサンドーラを見つめた。
その目が、でも君なら助けてくれるだろう?と雄弁に語っていて実に気色が悪い。
カサンドーラはゆっくりと首を横に振った。
「お体が弱くてすぐに発作を起こし倒れてしまう、可哀想なご令嬢がいらっしゃらなかったのは本当に良かったですわ。心から安心致しました」
「君は僕を愛していて、ネリネに嫉妬してくれていたんじゃないのか……?」
「いいえ。病弱でいらっしゃるのはとてもお気の毒なことですから、ネリネ様に対しては特に何も。
ただしマイヤー伯爵令息が他の女性を優先して、婚約者であるにも関わらず蔑ろにし続けられるのは大変不愉快でした。
が、それも嫉妬ではなかったですね。その不誠実さに嫌な思いをしていたというだけです」
「そ、そんな……」
当てが外れて膝から崩れ落ちるアイン。
そこへ場違いに明るい声が飛び込んできた。
「はぁーい♪ お話し中のところ、ちょっといいかしらぁ?
無事に婚約の書類にサインももらえたし、アタシそろそろ帰らないといけないんだけど、結婚式の衣装の確認だけしておきたいのよねー。仮縫いとか時間かかるし。
ねぇ、カサンドーラちゃん。最初はお揃いのウェディングドレスで入場してぇ、それからお色直しでお揃いのタキシードなんかどうかしら?
男装の麗人って感じで、カサンドーラちゃんなら絶対似合うと思うわぁ!」
「まぁ、素敵なアイディアですね!是非着たいですっ」
「でしょでしょ!? ん〜わかってるぅ!
これだからカサンドーラちゃん大好きよ〜♡」
キャッキャと盛り上がる二人を見ながら、アインは呆然と呟いた。
「えっ……な、なんだコイツは。
カサンドーラ、君はこんな奴と結婚するっていうのか!」
「マイヤー伯爵令息、何てことを!
この方を誰だと思っているんですかっ!?」
「ふふふ、だーれだ?⭐︎」
「いや本当に誰だよ! 知らないよ、こんな奴!」
「あらそうなのぉ?
まぁ社交界デビュー前の坊やだものね、許してあげる。アタシはね、
バファール・オル・トルソニアっていうのよ」
アインの顔色が一気に青ざめる。
「こ、国王陛下!? まさかそんなっ」
「そうよー王様よ?
アンタは明日から平民になるわけだけど、これからもこの国で生きていくならよーく覚えておきなさい。
これが、この国の王と王妃の顔よ」
バファールは満面の笑みでカサンドーラを抱き寄せる。 カサンドーラもぴったりと寄り添った。
「な、あっ、カサンドーラを返してください!!」
「ダーメ♡ このコはアンタみたいな性格おブスにはもったいないわ〜」
アインの訴えを秒で棄却するバファールに、カサンドーラは小首を傾げる。
「もしかしてネリネ様の件、聞いていらっしゃいましたか?」
「あんまり大声で叫ぶんだもの、聞こえちゃったわよぉ。 ハンコーク侯爵もブチ切れで、血圧上がってひっくり返っちゃったから今介抱されてるわ。
それにしても架空の幼馴染みねえ。
ダッッッッッサイことするわよねぇ〜」
「う、ううう……うるさい、うるさい!くそぉ黙れっ!」
我を忘れて殴りかかろうとするアインを、隠れて様子をうかがっていた侯爵家の使用人たちが飛びかかって取り押さえる。
「あら優秀。アタシが懲らしめてやろうかと思ってたのに。
それにしても最後まで無様だったわねぇ。
マイヤー伯爵家はお取り潰しで間違いなかったと、身をもって証明までしてくれちゃって」
「王弟殿下は仕事が早い方ですね」
「アイツ性格悪いからねー。人が嫌がることばっか進んでするのよぉ。特にマイヤー伯爵家みたいなタイプは蛇蝎のごとく嫌ってるから、そりゃもう嬉々として使者を立てたんでしょうよ。
ところでカサンドーラちゃん、怪我はないかしら?」
「大丈夫です。私、頑強なだけが取り柄なので」
思わず顔を見合わせて、プッと吹き出す二人。
これはしばらくの間、鉄板のネタになるかもしれない。
「ホーント、見る目のない男ってイヤよねぇ!
それしか良いトコが無いんじゃなくて、アンタが気づけてないだけよぉ!
こーんなに可愛くて綺麗で格好いい女のコなのにね。
ま、あの坊やは気づいても素直に褒めないだろうけどー?
さて、嫌な思い出はポイよポイ!そして新しい恋をするのよ〜っ!」
「ふふっ。陛下とですか?」
「当然でしょ!カサンドーラちゃんはもう、アタシの愛しい婚約者なんですからね〜♡」
こうして、
病弱な幼馴染みを優先する婚約者に「頑強なだけが取り柄」と言われたのでいっそのこと女騎士になろうとした侯爵令嬢は
一足飛びに王妃になることが決定したのだった。