作品タイトル不明
イレナ・シモノヴァ 後
後(のち) にイレナとの関係が深まったのは私たち当事者の努力ゆえではない。残念ながら、現実は劇場で大当たりをとる歌劇のようにはいかない。
私が実際に仲を深めたのは彼女の兄ヤシクの方である。
皮肉なことに、こちらはさながら歌劇のような展開を辿った。日本に生まれ育ち、ノーレムリアでは純然たる文官の家に生まれた自分が、まさか銃を 撃(・) ち(・) 合(・) う(・) ことになろうとは思ってもみなかった。
皇太子ニコルスの突然の誘いをきっかけに、私は彼の 内輪(サークル) の一員となった。 入(・) 部(・) 届(・) を出したつもりはなかったが、どうやら私は皇太子殿下のお気に召したようだ。
会って飲めば大体小さな口論になるが、それでも我々は比較的仲良くやった。
解放された隷農の教育。その是非から始まった討議は、いつしかノーレムリアの学制全体に及んだ。それぞれがしかるべき貴族家の子息といえども(そのうちの一人は未来の皇帝だったが、それでも)、現段階においては何の経験も権限もない大学生に過ぎない。つまり、好きなことを好きなように、無責任に放言できる立場だ。
学制の話は究極的には国家のグランドデザインに行き着く。どのような学校を作るかということは、どのような人間を作るかと同義である。
少数のエリートを先鋭化させることを選ぶのか、あるいは平均的な大衆を底上げするのか。大きく分ければこの二つだが、さらに一歩踏み込めば無数のバリエーションがある。そのことに気づいたとき、我らが皇太子は俄然この話題に乗り気になった。
太子のサークルにおいて、ヤシクは他の者たちよりもほんの少し劣った立場に置かれていた。少々小柄な体格と柔らかい物腰は、一部の者には軟弱と映った。金の話になると俄然張り切る様も好意的には受け入れられなかった。
だが、最終的に問題になったのは「格」だろう。この言葉は本当に多様な意味を含んでいる。社会的に公認された爵位は当然のこと、親の職位も関係するし血筋もこの単語で表しうる。
ヤシクの場合、父親が子爵位を買って貴族籍を得た。よって彼はオーリフ子爵家の後継子である。さらに、彼の父親は「官房」の財務部門に籍を持つ四等官である。
ノーレムリアの官僚は十の位階に分けられており、位階は職務と給料に紐付く。
ちなみに四等官は実務部門の上層に位置する。分かりやすく言えば大手企業本社の課長職あたりだろうか。私にとってより身近な教員の例を挙げるなら、大体「学年主任」や「教務主任」あたり。その上、つまり三等官以上が教頭や校長といった管理職の面々となる。ただし、学校は実は、生徒達が通うあの校舎の中だけで完結しているものではない。学校の上には法人がある。「学校法人○○学園」のような。その規模で見るならば、四等官は系列高校の校長職程度と見なしてもよいだろう。
血筋の面で言えば、名前からも明らかなようにオーリフ家はレフ王国の出自を持つ。ノーレムリアに渡る前のことは聞いていないので分からない。一つだけ言えるのは、ノーレムリア人の「血筋」ではない、ということだ。
そして、これら全てを時々の塩梅で考慮して、つまり な(・) ん(・) と(・) な(・) く(・) の(・) 雰(・) 囲(・) 気(・) ではじき出されるのが「格」である。基本的には「血筋」に近い概念だが、支配階層に外国出自の人間が比較的多い我が国では、ノーレムリアに居を構えてからの期間のみを基準とすることはできない。血筋を中心にしつつ、〝現状〟も参照される。
総合すると、家の爵位はほどほど(子爵位は売買が許される爵位の最高位である)、父親の職位は高いが血筋としては下位に属する。つまり「格」はそれほど高くない。
となると、やっかみの的になりやすい。成り上がり者が皇太子殿下の周囲に侍っている、というわけだ。私も傍から見れば「侍っている」一人だったが、ブラーギフ家の方は十分な「格」があった。我が家は完全に純潔なノーレムリア貴族の 裔(ということになっている) であり、父は三等官であり、伯爵である。
このような面倒極まりない序列はどこの世界にもある。私がかつて生きた日本は人類の歴史上最もそれが少ない部類に入るだろうが、そうであったとしても少なからぬ数、厳然と存在した。だから、この「当たり前」は私を困惑させはしなかった。見慣れた、よくある話だ。
だが、その先に待っていたのは全く未知の光景だった。
例の決闘事件は、そこに登場する人物が後年の視点から見れば 比(・) 較(・) 的(・) 豪(・) 華(・) だったこともあり変に尾ひれが付いているが、実際のところは当時のノーレムリアにおいて よ(・) く(・) あ(・) る(・) 小火に過ぎない。ゆえに未知とは〝日本に生きた〟私にとっての未知であって、ブラーギフ家の男子としてのそれではない。
ある侯爵家の次男が、ある子爵家の長男——ヤシクにケチを付けた。彼が喉元に巻いた〝大判布〟を 女(・) 々(・) し(・) い(・) 、と。
確かに当時は黒地に刺繍したものが流行っていたから、ヤシクの真っ白な、花模様が編み込まれたそれは、彼自身の小柄で幾分か繊細な容姿と相まって女性的な雰囲気を醸し出していたことは否定できない。
私は事情を知っていた。それはイレナが兄に贈ったものであり、妹をかわいがって止まない兄としては、多少の流行外れを無視しても身につけたかったのだろう。だが残念なことに、相手がそんな事情を知るよしもない。
侯爵家の次男——アレクシス・セルギィ・カリヨランは大学内では少々変わった人間と目されていた。
武官職の名門カリヨラン家の人間ながら士官学校に進まず、文官養成機関たる恩賜大学に籍を置いている事実が一点。さらに、ノーレムリア史上屈指の(我が家のような自称ではなく、本物の)名門に生まれながら、いささか無謀で考えなしな、要するに荒々しい振る舞いが二点目。最後に、綿の粗末な上着を纏い、髪を梳らず髭も整えぬ、あたかも庶民のごとき装いが加わる。あまりの奇矯ぶりに士官学校を放り出され、已むなく大学に転がり込んできたらしいと噂されていた。
つまり、彼こそがニコルス開明帝の偉大な治世を支えた宰相、〝官房の主〟カリヨラン侯爵、その若き姿である。
◆
「女の趣味が悪いんだよ、おまえは!」
アレクシスが酒で割れた喉を鳴らしてヤシクに吐き捨てる。
女性が男性に〝大判布〟を贈る習慣は当時も今も変わらない。特に恋人(この単語にも無数の意味がある。それは〝正式な〟婚約者かもしれず、酒場で出会った庶民の女かもしれない)の間柄では重要だ。趣味の良さが試される。女にとっては自身の、男にとっては女の選び方の、である。
日本でも似たようなことはあった。女が恋人に鞄や財布、ネクタイをプレゼントするようなものだ。贈り物には感性と知性が表れる。相手の性格や生活環境を理解した上で、そこに溶け込むものを上手く選ぶ必要がある。そして、それが上手い女性と交際する男は「いい人と付き合っている」と見なされる(特に 周(・) 囲(・) の(・) 女(・) 性(・) に。男は大体気づきもしない)。逆もまた然りだが、日本の場合、女性は男性の趣味の良さに期待する度合いがいささか低いので、「これがほしい」とストレートに要求する方が多いかもしれない。
当たり前の事ながら、若きアレクシスのふっかけた因縁は筋の通らぬものであり、弁護の余地は皆無だ。だが、ここにもまた常識のズレが顔を出す。日本とノーレムリアの、ではない。私が生きた世代と 君(・) た(・) ち(・) が生きている世代の、だ。
当時、決闘は一種の娯楽だった。
若者は何かにつけて喧嘩をふっかけ、ふっかけられて、それをする。ただし殴り合いではない。撃ち合いだ。命知らずと勇気は同義であり、勇気は貴族の男にとって最大の美徳であった。だが、それらの建前の下にある本音は「目立つ」ことにある。
嬉々として愚かな行為をひけらかすのは人類の男、特に若い者たちの習性と言ってもよい。いつの時代にもどんな場所にも同様の事例はある。ただ、殺し合いまでエスカレートする場合、そこには何らかの社会的動因があるだろう。
ようするに、当時は 平(・) 和(・) す(・) ぎ(・) た(・) のだ。日常に何も起こらないからこそ、あえて非日常を生み出そうとする。非日常の度合いは日常の退屈さに反比例する。もちろんこの推測には何の学問的裏付けもない。統計を取ったわけでもないが、大きく見当外れでもないだろう。根拠はある。
例(・) の(・) 戦(・) 争(・) の後、決闘趣味は完全に姿を消した。砲弾と銃弾の雨が貴賤を問わず全ての兵士に降り注ぐ戦いを経験した後では、半ば儀式めいた拳銃の撃ち合いなどお行儀の良いママゴトとすら感じられるようになったのだ。
ともかく、始まりはこのようなものだった。
最初ヤシクはこの蛮行に巻き込まれるのを避けようとした。決闘はいわゆる「派手な男」の趣味であり、彼はそのタイプではなかった。ゆえに自身の首に巻いた大判布の出所を説明した。妹からの贈り物である、と。
その後の展開は今にして思えばアレクシスの本質を見事に表していたように思われる。
彼はすかさず怒鳴り返した。
「大判布の素晴らしさに比して、本体の方が見合わん! 他所の女から大判布一枚も贈られぬ、その無様な姿よ!」
彼は見知らぬヤシクの妹を罵りはしなかった。大判布自体は褒めたのだ。皮肉ではなく。
ここの差配を違えると決闘は〝若気の至りの馬鹿騒ぎ〟の域を超えてしまう。しかるべき身分の女性に対する侮辱は非常に 格(・) 好(・) 悪(・) い(・) ものである。ゆえにそれを為した者 個(・) 人(・) の評判を著しく毀損する。加えて、その女性の「持ち主」である家自体への攻撃として、個人の話ではなくなってしまう。決闘は個人の純粋な勇気を示すものだ(と考えられていた)。
ゆえにアレクシスはあくまで標的をヤシク個人に絞った。大判布を贈ってくれる恋人——それは婚約者と同義ではない。遊女か、あるいは取るに足らぬ身分の女性、つまり遊んでも問題のない相手——を一人も捕まえられず、妹から貰った大判布を身につけているヤシクの魅力不足を彼は責めた。
後に深く知り合う中で私は彼の本質を知った。
ようするに真っ当な常識人なのだ。だからこそ、目立ちたいと思ったときには上手くやれる。自分が無意識に持っている真っ当さの逆をやればよいのだから。この辺りのさじ加減はとても難しい。常識や「建前」を知らぬ人間が意識的に目立とうとすると、あっけないほど簡単に破滅する。
「建前」の部分を多少逸脱する程度ならば社会は寛容だ。特に大学生あたりに対しては。しかし、「本音」の部分に土足で踏み入ったとき、その足は冷酷に切り落とされる。
長じたアレクシス——その頃はもう一端の政治家だった——に当時の奇行を聞いたことがある。普段傲然と広げた肩を微かにすぼめて、これも普段の大声を二段も三段も落として答えた。
「一端の男になりたかった愚かな若者を、笑ってくれるな」と。
◆
その後の展開を簡潔に記そう。
もはやこれまでとヤシクは決闘を申し込んだ。アレクシスの胸を強く押し宣言する。そういう作法だ。もっとも、アレクシスの巨体は彼の細腕ではびくともしなかったが。
一週間の準備期間を経て、それは行われる。
行われるはずだった。
だが、本当に間の悪いことに、ヤシクが流行の感冒にかかり寝込んでしまったのだ。このような場合、落とし所は難しい。相手が 本(・) 当(・) に(・) 病に伏せっているのであれば話は早い。弱った者をいたぶるが如き行為はとても「格好良い」とは言えない。ゆえに相手は引き下がる。一方で、逃げの方便——仮病も十分にありうる。
日本においてこのような状況に到った場合、本気で確かめようと思えばやり方はいくらでもある。医師の診断書を出させてもいいし、見舞いに赴きその目で相手の状態を確かめてもいい。
だが、ここノーレムリアにおいてはどちらも至難の業だ。まず医師の言が信頼できない。日本とは異なり、医師は権威と信用を備えた存在ではなかった。買収してしまえばなんとでもなる。では見舞いに赴けばよいかというと、これもまた難しい。
風邪は 移(・) る(・) 。それが風邪であればまだよいが、もし風邪以外のやっかいな病であった場合、接触した人間も生命の危険にさらされることになる。ちなみに、近年中央大陸の医学界で研究が進む「 微黴(びび) 」——日本でいうところの細菌——は当時まだ見つかっていない。病が人から人へ伝播するという事実だけが経験則として知られていただけだ。
運悪く決闘申し込みの場に居合わせた私は、なし崩し的に見届け人的立場に置かれていた。よって、オーリフ家の遣いから状況を聞いた私が事情をアレクシスに伝えた。連絡に新たな遣いの者を介せば事は家と家の問題になる。大学生同士、若気の至りの段階を超えぬよう、大学構内で彼を捕まえて直接話すしかなかった。決闘の中止、あるいは延期について。
「おまえの顔を立てて、 そ(・) う(・) し(・) て(・) や(・) っ(・) て(・) も(・) い(・) い(・) が、それにしても疑わしいなぁ! あいつのことだ、例の綺麗な大判布に隠れて震えているのではないか?」
アレクシスは癖の強い金の髪を大げさにかき上げ、これまた構内渡り廊下に響き渡る大声で答えた。私たちを遠巻きにした野次馬たちの耳にしっかりと届くように。
私としても、何も好んで人目のあるところでこんな話をしたわけではない。必要だったからだ。
ヤシクの体調不良による決闘中止、あるいは延期という事実を周知せねばならない。それが私という立会人によって作法通り通告されたことを。
しかし、半ば予想通り、やっかいごとが舞い込んできた。
〝疑わしい〟
この単語について、アレクシスは明確な対象を示さなかった。文脈からその対象がヤシクであることは分かる。だが、対象をこの私であると受けとることもできる。
私の言葉が疑わしい、つまり、私がヤシクと口裏を合わせ、彼が卑怯にも決闘から逃げる手助けをしていると受け取る 余(・) 地(・) が(・) あ(・) っ(・) た(・) 。
よって、私には 余(・) 地(・) が(・) な(・) か(・) っ(・) た(・) 。決闘を申し込むほかに。
「ヤシク・シモノフは快復の後、自らの手でその名誉を守るだろう。ゆえに彼のことはひとまず措く。——今、私は自身の名誉と、何よりも、 か(・) の(・) 見(・) 事(・) な(・) 大(・) 判(・) 布(・) の名誉を守ろう。アレクシス・セルギィ。君に決闘を申し込む」
もったいぶった歌劇調の台詞は少々気障な感じを与えるかもしれない。だが、自己弁護を許してもらえるなら、これは実際にはかなり即物的な台詞だ。
私は正確に、意図的に「 大(・) 判(・) 布(・) の(・) 名(・) 誉(・) を守る」と言った。巷間流れる大げさな〝作り話〟のように「大判布を編んだ 乙(・) 女(・) の(・) 名(・) 誉(・) 」などとは言わなかった。当時の私にはイレナを庇う義理など欠片もなかったのだから。また、それを言えば完全に「家」と「家」の問題になってしまうことも十分理解していた。ゆえに、あえて「大判布の名誉」と付け加えたのは、仄めかしであり警告だった。アレクシスがこれ以上の伊達と酔狂を通そうとするならば、事態は個人の範疇を超えるぞ、という。
かくして決闘は私とアレクシスのものとなった。
場所は大学の中庭だ。 例(・) の(・) 作(・) り(・) 話(・) のように大廊下ではなかった。
二人は背中合わせに立ち、互いに二十、歩を進め、向き直る。
決闘用に作られた短銃を向け、互いに撃ち合う。
彼の弾は私の左腕を掠め、私の弾は当たらなかった。
日本に生きたとき、私は 銃(・) を(・) 撃(・) っ(・) た(・) こ(・) と(・) が(・) あ(・) る(・) 。 市(・) 民(・) に(・) 義(・) 務(・) づ(・) け(・) ら(・) れ(・) た(・) 訓(・) 練(・) の一環として。使用されたのは主にライフルで、拳銃の経験はほとんどないが、発砲自体にまごつくことはなかった。
私が未経験だったのはつまり、他者と 撃(・) ち(・) 合(・) う(・) ことだ。私はノーレムリアで初めて人を撃った。そして撃たれた。
かつて、その経験をせずに済んだのは幸運なことだ。日本において も(・) 私は、いつそうなってもおかしくない状況——戦中の日々を生きたのだから。
◆
器用にも、彼の銃弾は左腕の表面を微かに舐めただけ。
とはいえ実際にはかなりの衝撃と痛みがあった。私は地に膝を着いた。上着の表面にまでにじみ出る血を押さえながら、それでも立ち上がる必要があった。
意識を失うところまでは行かない。視界は時折白く染まるが、それくらいのこと。身体的なダメージよりも精神のそれの方がはるかに大きかったのだろう。今にして振り返るとそうとしか思われない。
仕方の無いことだ。
私の身体があと数十センチ左にずれて在ったら、私はそのとき死んでいた。死んでいたのだから!
アレクシスが、走り出すのをぎりぎりのところで耐えた早足で私の元に向かう姿が見えた。
ある種滑稽ですらあった。自分で撃っておいて動揺を隠せぬ素振りは。
「ボリス・イリイチ! 見事な男ぶりだぞ! 真の男だ!」
私を抱き留める巨体。
「……私に運はなかったが、勇気はあった。そう示せただろうか? アレクシス・セルギィ」
「もちろんだ! 君は勇敢に振る舞った! ——俺のことはアレクシスと、そう呼んでくれ。今後はずっと! そして君は?」
「呼びたければボリスと」
決闘が真っ当に為された後、両者は和解する。ここまでが儀式である。
一般的に、撃ち合いまでが成立する機会はまず「そこそこ」といったところ。片方が 止(・) む(・) に(・) や(・) ま(・) れ(・) ぬ(・) 事情を抱えた末に取りやめになることも多かった。
撃ち合いに到った場合でも、大方は両者が的を外す。意図的にとは言わない。だが、無意識に外そうとする。当然のことだ。ちょっとした「若気の至り」で殺人まで犯したいと思う者はそうはいないだろう。
だから、私たちのこの「若気の至り」がちょっとした噂話になったのも分からないでもない。 立(・) 派(・) に(・) 負(・) 傷(・) 者(・) を(・) 出(・) し(・) た(・) のだから。
ノーレムリアにおける付姓——父の名を変化させたミドルネーム——は、日本で言うところの「さん」や「様」「殿」を表す丁寧な呼びかけ表現である。それを省くとはつまり呼び捨て、親密さの証だろう。
私はヤシクとは穏やかな交流を通じて友になった。アレクシスとは鉛の弾を交わして友になった。
事の顛末を聞いた我らが皇太子ニコルスは散々に悔しがった。彼もまた、年相応の若者だった。その劇的な場面を是非見たかった、と。出来ることなら参加したかった、とまで言った。私とアレクシスは揃って彼の身の不幸を慰めた。ノーレムリアでただ独り、このような馬鹿騒ぎに参加することが決して許されない存在、それがニコルスだった。
正直なところ、現実の決闘はあっけないものだった。命のやりとりという究極の状況。その所要時間は三分から五分程度。カップ麺にお湯を入れて、出来上がる頃には終わっている。キッチンタイマーのアラームが鳴るように、乾いた破裂音が二回生じて、それでけりが付く。
時間が掛かるのはそこに到るまでの「仕込み」の方で、こちらは何の面白みもない。
無味乾燥な「手続き」と、呆気ない 結(・) 末(・) 。
私が後に行った仕事のほとんどが、つまり そ(・) れ(・) だ。
自身の指で直接引き金を引くことはなかったが、誰かが誰かに対して引き金を引くことを「命ずる」大量の書類にサインをしたのは私だ。言い訳などしない。
ご大層な官位と煌びやかな役職の衣を身に纏いながら、私の仕事の実態は、残念なことに、そこそこの割合で、このような 無(・) 味(・) 乾(・) 燥(・) な(・) 手(・) 続(・) き(・) の最終仕上げをすることにあった。
◆
この決闘は私に三つのものをもたらした。
一つ目はヤシクとアレクシスとの友情である。
学生の友情に理屈や打算は必要ない。私たちは三人で馬鹿なことをやった。そして友になった。
二つ目は意外なところからもたらされた。期せずして、目の詰まった黒羊毛の見事な 大判布(カルール) を贈られたのだ。
誰から? 君(・) た(・) ち(・) もよく知る女性。当時乙女であり、今も乙女のように若々しいイレナから。
三つ目の贈り物はイレナ。彼女自身だった。
ブラーギフ家とオーリフ家。両者ともに高等文官の家系であり地位も近い。それぞれの当主は官房で互いに顔見知りだ。
かくして私は婚約者を得た。
ひょっとしたら、 君(・) た(・) ち(・) は事の顛末を違った風に聞いているかもしれない。イレナから。
私たち男衆にとってはまさに若気の至りの象徴のような出来事も、彼女にはまた別の景色に見えたのだろう。彼女はよく言う。
「わたしこそが、旦那様が命を賭してその名誉を救ってくださった、かの乙女なのですからね」
ノーレムリアの正式な男女関係において劇的な出来事が介在する余地は皆無に近い。親が相手を定め、定められた相手と定型句を交わし合い、これまたしきたり通りに贈り物を交換して、正教会で式を挙げる。それが「当たり前」だ。
だが、いかに馬鹿騒ぎとはいえ、彼女と私の間には確かに劇的な出来事があった。
イレナがそれを喜び、誇りに思ってくれるのであれば、私があの日こう言ったことにしてもいいだろう。
「今、私は自身の名誉と、何よりも、 か(・) の(・) 見(・) 事(・) な(・) 大(・) 判(・) 布(・) を(・) 織(・) っ(・) た(・) 乙(・) 女(・) の名誉を守ろう」と。