軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ボリス・イリイチ 後

私、ボリス・イリイチ・ブラーギフは客観的に見て、順風満帆な生涯を送ってきた。いや、それは余りにも控えめに過ぎる物言いだ。より正確には、とんでもない幸運の元に生きた。

官僚を目指す中流貴族の定番進路であるニコビルグ恩賜大学で、私、つまり若きボリスは あ(・) る(・) 青(・) 年(・) と友人になった。彼は豊かな赤毛をなびかせて、学友とも家臣ともつかぬ数人の取り巻きと構内を闊歩していた。

私の将来は既に定まっていた。 ノ(・) ー(・) レ(・) ム(・) リ(・) ア(・) に(・) お(・) け(・) る(・) 父(・) であるイリヤ・ニコライエフは私に示唆など与えはしなかった。遙か記憶の向こう、かつて 日(・) 本(・) の(・) 父(・) が私にくれた金言など、一つも。イリヤ氏は内務官房の実務職を任ぜられた男だ。秩序と規律こそが人生の柱であるような類型の。つまり、私には 職(・) 業(・) 選(・) 択(・) の(・) 自(・) 由(・) など存在しなかった。

ノーレムリア帝国の官僚機構——官房において出世を狙う以上、大学で学ぶべきことも定まっていた。法と政治と歴史。この三つがあればよい。それ以外の技量は実務の中で磨かれる。私は奇をてらうタイプの人間ではない。反骨精神があるわけでもない。命を賭すべき理想も。よってそれぞれのジャンルにおいて定番の講座に出席することにした。

ノーレムリアの大学を想像するに、日本のそれを念頭に置いて考えることはできない。ここにはサークルもなければ飲み会もない。面倒な必修科目の体育もない。大教室にすし詰めにされる一般教養講義もない。あるのは教授一人と学生たち十人程度の小集団。つまり、 ゼ(・) ミ(・) の(・) よ(・) う(・) な(・) も(・) の(・) しかない。

なぜ「ようなもの」とあえて表現するかと言えば、日本の、特に私が学んだ文学部のゼミに必須の あ(・) る(・) 要(・) 素(・) が完全に抜け落ちているからだ。

それは女性である。

ノーレムリアの大学は女性に門戸を開かない。よって居ない。ただし構内に、物理的にということであれば、確かに女性は居る。学生の誰かが気まぐれに連れてくる恋人の類いである。

恋人!

とても情趣を感じさせる呼び名だ。実際のところは男が情を交わした酒場の給仕や劇場の踊り子を指す。私はそのような相手を持たなかったが、知人が「恋人」を連れて構内を練り歩く姿を見たことは何度かあるし、話したこともある。

「まぁ! こちらがブラーギフ様? お目にかかれて光栄ですわ。ごきげんよう」

〝彼氏〟に私を紹介された女たちは一様に上品な挨拶をする。私も仕来り通り丁寧な挨拶を返す。男と女は腕を組み、互いの「真心」を周囲に見せつける。

こういう場面に遭遇したとき、決まって私は自分を呪う。私の頭の中に巣くう「常識」を。私がもし真っ当な若者——ノーレムリア貴族の若君——であったならば、こんな苦悩はなかったはずだから。

私には、目の前で仲睦まじく身体を寄せ合うサンテネリ仕草(西方の大国サンテネリは中央大陸文化の中心点、流行の発信源である。そこでは男も女も肉体的な接触を為すことが親愛の証として好まれる。つまり、ノーレムリアでその仕草をアピールするとは、若者にありがちな〝西方かぶれ〟に他ならない)が、かなりグロテスクなものに感じられるのだ。

あたかも貴婦人のごとく「ごきげんよう」と語りかけ、華麗な笑みを浮かべる女の 日(・) 常(・) がどのようなものであるか容易に想像が付く。誇らしげに脇でその様を眺める男子学生が大学卒業後——あるいは二ヶ月後でも——に彼女をどのように扱うかも。要するに高貴なお坊ちゃんの火遊びに過ぎない。

だが、ここではそれが「普通」なのだ。男も女も納得尽くの関係。もちろん日本にも似たような関係性はあっただろうが、そこには「建前」もまた、あった。金の有無や職業の違いはあれど本質的に両者は同等の人間であるという。ノーレムリアにはそれがない。男だけが「人間」である。それを当然のことと見なしながら、男も女も「恋人」の仮装を楽しんでいる。残念なことに、私にはそれが魅力的とは感じられなかった。理屈ではない。感情が忌避した。

結果として、私の学内における評判は「潔癖な、遊び心のないつまらない男」といった辺りに落ち着いた。特に異論はない。真実——日本などという不気味な〝空想世界〟の設定を精神の隅から隅まで染みこませた異常者——よりも、その世評の方がよほどマシだろう。

私が 彼(・) と知己を得た政策学講義がまさに、このような「ゼミ」であった。

彼は二十代の青年としては立派な風采を備え、ごく真っ当で理性的な性格の男だった。彼が何者であるかをあらかじめ知っていた——たとえ知らずとも周囲の態度を観察すればすぐに察しが付く——私は、自身の狭量な偏見を恥じた。彼のような立場の若者にとって、 そ(・) う(・) 在(・) る(・) こ(・) と(・) は一つの偉業である。

大学に所属して二年を経た十月のある日。その日の政策学講義は少々緊迫したものとなった。というのも、議論のテーマが問題だった。

『ニコルス一世の諸改革とその影響』

このテーマは 我が国(ノーレムリア) において最重要のものである。中央大陸に冠たる(と自称する)帝国ノーレムリアは明白に、ニコルス一世の西方化政策にその礎を持つ。私がかつて生きた日本の近代が、あるいは現代が、その源流の多くを明治維新に負うのと同様に。

当(・) 然(・) の(・) こ(・) と(・) ながら、彼はニコルス大帝の事績を褒め称えた。

北海への出口たるニコビルグの創建、戸税から人頭税への切り替え、貴族の軍役常勤と南方蛮地の征服。その全ては現在のノーレムリアをかくのごとくあらしめるものだ。徹底した皇帝専制とその源泉たる安定した常備軍。古き良き、ならぬ、古き悪しき封建制の 頸城(くびき) から力強く抜け出したノーレムリアは、それゆえに、この途方もない大都市ニコビルグの創造を企図しえた。

さらに、有史以来我らを悩ませ続けた南方の蛮地に勢力圏を打ち立て、「内海」へのアクセス路を手にすることができた。中央大陸極東の凍てついた森林地帯にひっそりと棲み着いた我が部族は、一躍 世(・) 界(・) へ(・) 、つまり海へ乗り出した。

赤毛の青年が発する台詞は半ば演説のそれに近いものだった。格式高い帝国公用語(面白いことに、我が国の最もフォーマルな言葉は母語ノーレムリア語ではなく、西方の大国サンテネリの言葉である)は柔らかい音韻を持つ、歌のような言語だが、彼が発するそれはなんとも雄々しく響いた。

教授が何を思ってこのテーマを設定したのか、私にはその意図がいまいち掴めなかった。一人の優秀な学生が先行研究を要領よくまとめ、発表した。本来であれば、それはたたき台に過ぎない。ここから討論が為されるべきだろう。だが、決して忘れてはならないことがある。ここノーレムリアは皇室を戴く専制国家であり、学問も真実も体制に奉仕することを義務付けられている。ゆえに 討(・) 論(・) は(・) あ(・) り(・) え(・) な(・) い(・) 。

ノーレムリアの政治研究——日本の学問分類からすればそれは恐らく政治哲学と名付けるべきだが——をリードする泰斗ジリコフ教授。分厚い眼鏡がその瞳を小さく見せる、背の曲がった老人ながら、若かりし頃は騎兵連隊の将校として活躍した経歴も持つこの学者が何を狙ってこの授業を展開しようと思ったのか、私には分からない。一人の前途ある立派な若者を気持ちよくさせるためだけに企画されたショーなのか。

ゆえに私はいやいやながら買って出た。議論には相手が必要なのだ。

黙ってやり過ごすことも出来ただろう。だが、ここでも私の特異な内面が効果を発揮した。かつて教師であった者として、間の悪い、白けた授業を見るのは辛い。自分のことではないはずなのに何やら恥ずかしさを覚えてしまう。

これも誤解を受けがちなところだが、授業というのは一方的なものでは決してない。教師が教壇から延々語りかける時代遅れな形式のそれですら、教室内には不可視の交流がある。呼応、というべきだろうか。教師と生徒は無言で相手を思いやる。生徒が困っていれば教師は助けようとするし、教師が困っていれば生徒がフォローを入れる。もちろんそう上手くはいかないこともよくあるが、少なくとも両者は相手を見ている。

つまり、私はこの「ゼミ」に充満しつつある、いたたまれぬ空気を救おうとした。

「ご説ごもっともなれど、その玉の如き思惟をさらに磨く余地はなかろうかと、愚考いたします」

私は静かに、ぎこちない笑顔を浮かべながら告げた。

あれから数十年を経た今になっても、そのときの 彼(・) の反応を私は思い出すことができる。

「……浅学非才のこの身を磨くに貴殿の指摘は得がたいものとなろう。是非聞かせてほしいものだ。そして、 余(・) の考えを、大いに磨いてくれ」

赤毛の青年は落ち着きを払い、同様の穏やかさを以てそう返した。

学友と、そう呼んで良いのか分からない他の受講生たちが、一様に私に視線を集める。静止の声はかからなかった。彼らの主人が許したのだから。私の発言を。

「申し上げましょう。ですが、どうか過度にご期待はなさいませんように。私はただ、幾つか付け加えたいだけなのです。あなた様の御説に」

「……」

巨大な深紅の一人がけソファに身を預け、足を組んだ青年が、じっと私を見ている。

実はこのとき、私は自身の置かれた状況に無頓着であった。ブラーギフ伯爵家の一人息子として随分長くこの地に生きたというのに、ここがどのような世界であるか理解していなかった。いや、実際はちゃんと分かっていた。理解した上で私は引きずられたのだ。かつて日本で慣れ親しんだ学問の流儀、若い頃は学生として、成長してからは教壇から携わった営み。「討論」の感覚に。

「ニコルス大帝の途方もない、人知を超えた偉大さは存じております。ただ、この世においてノーレムリアの 大鷲冠(たいしゅうかん) の上に存在する唯一のもの、〝神の摂理〟より振り返りみれば、大帝の偉業が我ら臣民に与えてくださった恵みの中には、いささかの不純物が含まれていることに気づきます」

「 不(・) 純(・) 物(・) か……。なるほど。評判通り、ブラーギフ殿は剛毅な方だ。——よい。申されよ」

青年は右の手を軽く振り私を促した。

彼が私の存在を認知していた事実には驚かされたが、よく考えてみれば当たり前である。評判とやらが彼のお気に召さないものであった場合、私はこの講義に出席すること自体許されていないはずだから。

「では。端的に申し上げます。〝善きは悪しきに、悪しきは善きに〟と、正教の教えにあるとおり、この世は常に流転します。大帝の偉業は断固たる意思と 力(・) ゆえ。我ら貴族が頭を垂れた理由の第一は、無論大帝陛下のご威光にあります。ですが、第二の理由はより世俗的なものでしょう。我らは領民を 完(・) 全(・) に(・) 私(・) 有(・) す(・) る(・) 権利を与えられました。そのご恩は余りにも深く、我らの心の内より、日々の糧と誇りを失う恐怖を消し去ってくださいました」

「……それは、例の勅令の?」

「はい。冬宮の勅令により」

私は少なからぬ驚きをもって青年の顔を眺める。緩やかに肩まで流れる赤毛の中、染み一つない白い肌の中に埋め込まれた茶の瞳。切れ長の瞼。強情と、傲岸とすら感じられる口元を。

この世界(中央大陸) にこの意識《私》を得て以来、私は自身が属する この国家(ノーレムリア) の体制を調べることにかなりの時間を費やした。執念と言ってもよい。

当然のことだ。なにしろ私は 異(・) 星(・) 人(・) とのコンタクトを成し遂げた最初の人類となったのだから。幸いなことに彼らはアンモニアを呼吸するケイ素の身体など持ってはいない。私たち人類と同様の肉体を備えている。その上、これは私が彼らの一員となったがゆえの僥倖だが、なんと、 言(・) 葉(・) さ(・) え(・) 通(・) じ(・) る(・) のだ。

ノーレムリアの歴史とよく似たものを、かつての職業柄、私は即座に想起できる。世界の北限近く、内陸にあり、東を巨大な山脈に隔てられた森林地帯。南には宗教を異にする幾つかの民族が跋扈し、西には同じ宗教を信じる、より文明的な諸国家が存在する。海は遙か遠く。

地理的な条件は人の歴史をある程度まで規定する。より正確に述べるならば、そこに住む人々の性格を。

私(・) は(・) ノ(・) ー(・) レ(・) ム(・) リ(・) ア(・) と(・) よ(・) く(・) 似(・) た(・) 地(・) 球(・) の(・) 国(・) 家(・) を(・) 知(・) っ(・) て(・) い(・) る(・) 。そこは貴族と農奴の世界だった。果たしてノーレムリアも同様である。証拠は直ぐに見つかった。何しろ自分の住む家——館というべき規模だが——にさえ「彼ら」がいるのだから。

正直なところ、私はこの状況が我慢ならない。

現代の価値観をもって過去を裁くがごとき行為は、倫理学や哲学の分野はいざ知らず、歴史学においては少々時代遅れである。地球においてすらそうなのに、いわんや異星人をや!

しかし、そういった諸々の「綺麗な常識」を理解しながら、なお私は我慢ならなかった。認めよう。これは私の極個人的な〝お気持ち〟に過ぎない。ゆえに上手く折り合いを付ける必要があった。

私は広義の一学者、狭義の一教師だった一個の存在として、やるべきことをやろうと考えた。鍬や棍棒、時には銃を手に「同志たち」とともに総督府の館を襲うのは畑違いだ。加えて言うならば、私という意識が宿る存在ボリス・イリイチ・ブラーギフは伯爵家の跡取り息子。つまり、襲われる側の存在であった。

ゆえに私は歴史を紐解く。そこには地球の あ(・) る(・) 国(・) と面白いほどの類似がある。

ノーレムリアにおいて、中世(この中央大陸においては〝中期〟と呼称する)の農民たちは比較的自由な存在であった。彼らは要するに武装した「自営業者」である。だが、最初は農民の親玉に過ぎなかった者たちがいつしか大公を名乗り、自身の拠点たる町を拡張する中で「権力」が生まれた。

この世界(中央大陸) の宗教である「正教」は、剥き出しの暴力を〝魔力〟という美名で覆う。人は生まれながらに〝魔力〟を備え、その量の多寡が身分を定めるという。

即席の大公たちはどうやらこの〝魔力〟をたくさん内蔵していたらしい。彼らはいつしか「自営業者」を「従業員」にした。

だが、この段階ではまだ、農民は「従業員」であった。

私が生きた日本において少なからぬ人々が自虐を込めて自分たちのことを「社畜」などと呼んでいたが、少し真面目に考えるならば、「従業員」と「社畜」はその本質を異とする。違いは明白だろう。

「従業員」は 会(・) 社(・) を(・) 辞(・) め(・) る(・) 自(・) 由(・) を持つ。家畜は 木(・) 柵(・) を(・) 越(・) え(・) る(・) 自(・) 由(・) を持たない。

中期も終わりに差し掛かった頃、大公たち、あるいは彼らに従う小領主を悩ませたのは農民の「辞職」である。農民たちはもちろん退職代行など使わない。届けなど出さない。ある日突然放浪の旅に出て、そのまま帰らないだけだ。農民が自身の土地に執着するのは世界共通の 性(さが) だが、ここノーレムリアにおいてはなんとも気軽にうち捨てられた。当時、手つかずの土地など腐るほどあったのだから。

一方、困るのは雇い主である。自領から無言で去って行く「従業員」を引き留める手段は二つしかない。待遇を上げるか物理的に拘束するか。幸運なことに「人権」も「憲法」も存在しないノーレムリアにおいて、選ばれたのは当然後者であった。逃げた農民を追いかけ、捕縛し、見せしめに吊るすのだ。同業他社との賃上げ競争に突入するよりもよっぽど効率の良いやり方だろう。

しかし農民側にも対策がある。ノーレムリアの法——言うまでもなく、体系化などされない不文律だが——は、 五(・) 年(・) の(・) 間(・) 追っ手から逃げ延びた農民に自由を与える。裏を返すと、五年を超えての捜索は違法となる。

統一された国家権力の存在しない時代、強者にとって法は大した意味を持たなかった。ただし、人の手によらぬもの、「神の法」は別である。農民の逃散に関する法は不文律であり、その根拠は聖句典の一節に遡る。

〝かつて人は鳥のごとく在り、狼のごとく在った〟

神代の楽園を描いたこの 件(くだり) は、「 原(・) 理(・) 的(・) に(・) は(・) 人は根源において自由である」とする正教の教義に結実した。ただし、どの生き物が「人」と分類されるかについては長く厳しい暗闘が繰り広げられたのだが。

話を戻そう。

我らがノーレムリアの歴史に燦然と輝くニコルス一世は、偏執的ともいえる西方諸国志向のみをもって偉大なのではない。彼は誠に見事な「詐術」を心得ていた。

十七期初頭に出された冬宮の勅令は逃散農民の捜索期限を撤廃するものであった。つまり、貴族たちは逃げた「従業員」を永遠に追い続けることができるようになったのだ。

大帝の理屈は単純なものである。聖句典のどこにも「五年」なる文言はない。ゆえに、神の声を記した聖句典に余計な制約を設けることは背神行為であり、神学上の無知が引き起こした錯誤に過ぎないというのだ。

彼は用心深く、あるいは厚顔の極みとしてこう付け加えることも忘れなかった。この勅令は「捜索 の(・) み(・) 」にかかわる、と。一方で、「捕縛してはならぬ」との文言はなかった。この勅令により、貴族たちは「従業員」たちを自領に縛り付けることに成功した。

儚い期待を抱いて逃亡を図る者たちは当然存在したが、大多数は諦めた。死ぬまで逃げ続ける苦労と捕縛後の凄惨極まる処刑よりも、大人しく畜舎で生きることの方が幾分かマシであると考えたのだろう。農民たちは文字通り家畜となった。

大局的な見地からは、この改革はニコルス大帝の権力を盤石のものとする決定打となった。領地からの安定的な収入が保証された貴族たちは、皇帝が求める軍役奉仕に喜んで従った。ゆえに皇帝の南部征服は達成され、帝国は海への道を得た。

この事情を、まだ二十代前半の青年、 彼(・) が理解しているという事実には本当に驚かされた。

あらましだけ見ればそう複雑なことでもないが、この「あらまし」を作る作業こそが最大の難事であることを、歴史を学ぶ者、あるいは教える者は良く理解している。

生徒たちが気軽に落書きし、試験前にはむやみやたらに蛍光ペンを塗りたくるあの教科書がどれほど膨大な資料渉猟と批判的検討の元に作られたものであるかを、私は少なくとも理解していた。

だからだろう。

私の述べようとしたこと——目下我が帝国最大の課題であり、かつ、誰もが目をそらしたがる醜聞——〝 隷農制(シュラーヴィキ) 〟の問題について、彼が三百年近く前のその興りから全貌を把握していることを、私は心から喜んだ。

なぜなら、彼、ニコルス・ニコリヴィ・レムリスはノーレムリアの帝位継承権第一位。皇太子である。

彼はやがてこの広大な帝国の「唯一の主」となる男だ。

徹底された専制国家において、幸福とは英主を戴く幸運によってしか享受しえない。

中途半端ではあれ、歴史学徒の端くれであった私はそのことをよく理解していた。