軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12 行商人

今日は朝から王宮がどこかそわそわとした雰囲気に包まれていた。

キース様の執務室での勉強帰りに廊下を歩いていると、行き交う侍女たちがどこか落ち着かない様子で、ひそひそ声があちこちから聞こえてくる。

「行商人、もうすぐ到着らしいわよ」

「本当に? 前にきたときの香水、まだ大事に使ってるの」

「午後からは侍女も順番に見に行っていいって、ルーク殿下が……!」

「ええっ、本当!? 私、休憩ずらそうかな……!」

小走りに駆けていく少女たちの足音。ふわりと揺れるエプロンの端が、どこか嬉しそうに見えた。

その空気に、わたしもつられて首を傾げる。

(……行商人?)

ここ最近、ルーク兄様の誕生日が近いということで準備が進められているのは知っていたけれど、どうやら今日はその一環で、王宮にお抱えの行商人が来るらしい。

侍女たちがざわめくのも無理はない。珍しい品や国外の装飾品を扱うその商人は、毎年この時期にしか現れないという噂だ。

その様子を見ていると、なんとなく胸がそわそわしてくる。

(わたしもちょっとのぞけたりしないかな……?)

自由に使えるお金はないから、見るだけになってしまうけれど。それでも、楽しそうだ。

きっと、お兄様の生誕を祝う夜会は、大規模なものになるのだろう。

この国では十八歳は成人の証でもある。その上、いずれ王太子となり、この国の王となることが約束されたお兄様の生誕祭。特別であることは間違いない。

最近ではそうした催しに関わる機会も少なくなっていたので、すっかり頭の隅に追いやられていた記憶。多分わたしが小さい頃に一度、盛大な宴に参加したことがある気がする。

誰かの腕に抱かれていた。きっとこれは母親の記憶なのかな。

少し寂しい気持ちになりながら、侍女たちの熱気に押されるようにして廊下を進んでいたところで、背後から聞き慣れた声が追いかけてきた。

「リリーベル様。ルーク殿下がお呼びです」

振り返ると、ロザリナが少し息を弾ませながらも、ぴしっと背筋を伸ばして立っていた。

「えっ、わたしを……?」

「はい。今から執務室にお越しいただきたいとのことです」

思わず足を止めて、わたしは胸の前で手を組む。

医学を学びたいと言ってわたしがお兄様の元を訪ねたっきり、あれから顔を合わせてはいなかったのでなんだか不思議な気がする。

もしかして、離宮に戻ってもいいのかな。

いやそれとも、キース様に時間外労働を強いていることを怒られるとか……?

今日もキース様はいつもと変わりなく勉強を教えてくれた。あの勉強会がなくなってしまうのは避けたい。

「では、このままご案内いたします」

「……ええ、お願い」

ロザリナに先導されながら、わたしは心の中であれこれと妄想をめぐらせた。誕生日が近いことは分かっているし、その準備に関することなのかも……しれない。

(それにしても、お城の中がこんなに賑やかなの、初めてかも)

歩くたび、漂ってくる甘い香水の匂い。廊下には花々が飾られ、窓辺のカーテンまで、いつもよりも上等なものに替えられていた。

まるで、おとぎ話の舞踏会の前夜のよう。

――そんな浮ついた雰囲気のなか、わたしだけが緊張にぐるぐると呑まれていた。

(ルーク兄様に、何か怒られるようなこと……したかしら?)

そんな不安を抱きながら、わたしは深呼吸をひとつして、執務室へと近づく。

(あれ……? 人が替わってるような……)

ルーク兄様の執務室の扉の前にいた騎士が、ふたりとも先日の騎士ではなくなっていた。

不思議に思って見ていると、騎士と目が合う。

「これは、リリーベル殿下! どうぞ、ルーク殿下がお待ちです」

わたしとロザリナが近づいたことに気付いたその騎士は、敬礼をしてわたしを部屋へと導いた。

前回との違いに戸惑いながら、わたしは部屋の扉をそっとノックする。

「リリーベルです。ルーク兄様がお呼びとのことで参りました」

「入ってくれ」

くぐもった、けれどどこか優しげな兄様の声が返ってきた。

……こわくはない。こわくは、ないけれど。

わたしは少しだけ手に汗を握りながら、執務室の扉を押し開けた。

扉をそっと開けると、そこには――ルーク兄様と並んで、上質な紺の旅装束をまとった年配の男性が一礼していた。

一目で城の人ではないとわかる出で立ちだ。

(……あっ、あの方はきっと行商人の方ね)

整えられた髪と口元のひげは手入れが行き届いており、立ち居振る舞いには品がある。長旅の疲れなど微塵も感じさせないその姿に、思わず背筋が伸びる。

「リリーベル、急に呼び出してすまないな。彼は隣国から来てくれた商人だ。古くからこの城に出入りしている」

「……はじめまして。グーテンベルグ王国第一王女、リリーベルと申します」

わたしは丁寧にお辞儀をする。すると商人は、にこやかに頭を下げた。

「こりゃまた、可憐なお姫様で。お目にかかれて光栄でございます。私の名はヘルマンと申します」

彼の背後には、すでにいくつもの木箱が開かれ、絢爛な宝石や香油の瓶、銀細工の櫛など、目を見張るほど美しい品々が整然と並んでいた。