作品タイトル不明
08 夢
向かう先は、城の裏手に位置する離宮の一角。
お兄様が言っていたとおり、改装工事をしているみたいで建物の周囲は職人たちが行き交い、足場の組み直しや壁の塗り替えで騒がしい。
けれど、工事中なのは主に人が住むエリアだけのようだ。庭園や泉のある方角にはほとんど人影も見えない。
(……こんな時は、静かな場所に行きたい)
わたしは足元の草を踏みしめながら、しだいに人気の少なくなっていく小径を歩いていく。改装で整えられた通路を離れると、ぬかるんだ土と、少しだけ手入れの行き届いていない木々が現れる。
さらにその奥。泉は、以前と変わらないひっそりとした静けさの中にあった。
あたりにはやっぱり人気もなく、そよぐ風に木々が揺れ、かすかな水音が耳に届く。改装工事の音も遠ざかり、ここだけは時がゆるやかに流れているようだ。
陽光を受けて煌めく水面は、まるで宝石のように澄みきっていて――けれど、底が見えないほど深い色をしている。
わたしはそっと近づいて、その縁に膝をついた。草の香りと、湿った土のにおいが鼻先をくすぐる。
(……お兄様には、やっぱり断られちゃったな)
ほんの少し期待していた自分が、ちょっと悔しい。
でも、それなら、自分でやるしかない。頼れる人がいないのなら、自分の力を磨いて、できることを増やすだけ。
「そうだよ、だってリリーベルは魔法だって使えるんだし!」
これこそ、大興奮なポイントだ。
置かれた境遇は切ないけれど、魔法が使えるというのは本当にすごい。仕組みは分からないけど、あのとき確かに水魔法が使えたもの!
せっかくだから、もっと使えるようになりたい。
(魔法の訓練……って、どうやって始めればいいんだろう)
ふと目の前の泉に視線を落とす。
その澄んだ水面は、どこまでも静かで、まるで心を映す鏡のようだった。
そうだ。試してみるなら、ここがいいかもしれない。
水にまつわる魔法なら水のそばが相性がいい感じがするし、なによりここなら誰にも見られない。
わたしは泉の縁に膝をつき、ゆっくりと手のひらをかざした。
「よし、波紋を作ってみよう……!」
緊張で喉が鳴る。
イメージするのは、水切り石を投げ込んだときのような、あの感じ。
お腹の奥から、何かがふわっと浮かび上がってくるような感覚がして――それを逃さないように、そっと意識を泉の水面へと向けた。
すると。ぽたり、と。ほんのわずかに水面が揺れた。
小さな波紋が広がって、やがて泉全体にさざ波のような輪を描いてゆく。
「わあ、できた……!」
思わず口元がほころぶ。
「あれ……なにか映ってる?」
その時、水面に揺れる影の中に、ほんの一瞬だけ違和感を覚えた。
桃色の髪。わたしと同じ色の少女が浮かんで消えた気がして――
「……気のせい、かな」
そう呟いて、顔をあげる。もしかしたら自分が映り込んでいただけかもしれない。いや、そうに決まっている。そうであってほしい、こわいから!
切り替えて周囲を見渡すと、泉のまわりにはいくつかの野草が生えていた。
ふと、その中のひとつに目を留める。
「これ……見たことがある」
リリーベルは離宮で薬草を大切に育てていた。
そしてこれは、リリーベルが母親と一緒に読んだ薬草の図鑑に載っていたものだと思う。
気がつけば、わたしはしゃがみこんでいた。
「ここ……あ、あっちにも薬草が育ってる」
指先で、そっと葉の表をなでる。思ったよりも元気そうで、根も深く張っている。
周囲の草をよく見ると、いくつか雑草に埋もれている株もある。
わたしはそっと手を伸ばし、周囲の雑草を丁寧に抜いていった。
(せっかくなら、ちゃんと育ててみたいな)
自分でもよく分からない気持ちだった。けれど、ここに生えている植物たちは、まるでわたしに「ここにいるよ」と語りかけてくるようで――それに、リリーベルが育てていたのだから、わたしも大切にしたい。
「ええと、お水をあげたいけど……」
見渡しても、じょうろのようなものは見当たらない。道具はすっかり片付けられているようだ。
わたしは手のひらを見つめる。
この力を活用できたら、水まきが出来るんじゃないかな。
残念だけれど、自力で出せる水はきっと少ない。でもここには泉がある。
「……少しだけ、分けてもらうね」
手のひらをかざし、泉の水をすこしだけ浮かび上がらせるイメージで。
水魔法で小さな水の球をいくつか作って、薬草の根元にそっと降らせた。
ぽつ、ぽつ、と潤んでいく土。
静かな泉の縁に、わたしの小さな努力の跡が刻まれていく。
気がつけば、もう夕暮れが近かった。ロザリナに約束したから、ちゃんと戻らないと。
「また、来ようっと」
誰に言うでもないひとりごと。
風がふわりと頬をなで、泉の水面をかすかに揺らした。
◆◆◆
その夜、わたしは夢を見た。
揺れる草花の香り。見覚えのある、けれどどこか違う――泉のそば。
風に揺れる桃色の髪。
そこに立っていたのは、わたしだった。
けれど、それは今のわたしじゃない。
小さな肩を丸め、顔色は悪く、口元を押さえて咳き込んでいた。
『……っ、けほ、けほっ……』
乾いた音が、泉の静けさを破るように響いた。
少女――わたしによく似たその子は、息苦しそうに胸を押さえ、膝をついた。
そばには、ぐったりとした葉をつけた鉢植えの植物がいくつも並んでいる。
手入れが追いついていないのだろう。草は伸び放題で、薬草というよりもただの野草のようになっている。
少女は、そんな草たちに向かって、ぽつりと呟いた。
『……だいじょうぶ……お母様の花……まだ、咲いてくれる……』
その声はかすれていて、それでもどこか、笑っていた。
まぶたの裏が、じんわりと熱くなる。
どうしてこんなに、苦しそうな顔をしているのに、笑っていられるのだろう。
少女の周りには、誰もいなかった。
ただ、淡い夕暮れの光が、彼女の影を長く伸ばしているだけ。
(これ……わたし?)
けれど、何かが違う。
でも何が違うのか、わからない。怖いほどに胸がざわめく。
「――!」
少女がふと、泉の水に顔を映す。
その瞳がまっすぐに、こちらを見た気がして――
はっとして、目を覚ました。
窓の向こう、まだ朝にはほど遠い空が、深い青色に染まっている。
「はあっ……はあ……」
息が浅い。胸の奥に、小石を落としたみたいな重たさが残っている。
(夢だったの?)
桃色の髪に青い瞳。わたしだった。けれど、わたしじゃないような気がして。
咳き込んで、苦しそうで、それでも笑っていて。
(まるで、あれが本当のリリーベルだったみたいな……)
自分でも、わけがわからないことを考えていると思う。
でも確かに、夢の中のわたしは、誰にも気づかれないような場所で、たったひとりで薬草を育てていた。
ぎゅっと手を握りしめる。
リリーベルはああしていつも体調を崩していたのだろうか?
でも、そんな記憶はない気がして戸惑ってしまう。
なんだかひやりと冷たい現実感が胸を貫いた。まるで、未来をのぞき見てしまったような不思議な感覚。
(もし、あれがこの先のわたしだったら?)
ただ、離宮の泉の前で朽ちていくなんて――そんな結末、まっぴらだ。
やっぱりお兄様になんと言われようと、薬草の勉強はする。絶対に!