軽量なろうリーダー

王家の秘宝で見た夢は

作者: すおう契月

本文

「うわぁぁぁっ」

アリステアは自分の叫び声で目覚めた。

全力疾走をした後のように、バクバクと心臓が脈打っている。全身にびっしょりと汗をかいていた。

酷い夢だった。

終わりは静かだったのに、あまりの内容から無意識で叫んでいた。

だが実際はたいして大きな声ではなかったのだろう。叫んだら飛んでくるはずの衛士は、様子見にすら来ない。

枕元のナイトテーブルに置かれた神器を一瞥すると、アリステアは両手で顔を覆う。

はぁぁ、と身体中の息を吐き出すように溜め息をついた。

本当に、酷い夢だった。

急に自分が年をとったように感じる。

まだ十五歳だというのに、老人になった気分だ。

いや、あの夢を現実と捉えたら、確かに自分は老人になるまでの一生を一度終えたことになる。

夢はあくまでも夢だが、その中で、自分は長の生を送っていた。

とても情けなく、侘しい人生だった。

だがそれも全て、自分の判断ミス、行動の拙さから至った結末だ。

「はぁ」

両手で顔を覆いながら、アリステアは夢を反芻した。

婚約者に引き合わされたのは、十五を過ぎた頃だった。

昔ながらの成人は初陣を飾れる十四、五の頃となる。

個人差はあるものの、体つきが大人になり、子供特有の病にはかからなくなった頃合いで、最低限の大人の付き合いができる年頃。普通の貴族家なら社交界への本格参入をもって、大人の仲間入りとなる。

実際は軍属学校へ入ったり王立学院へ入学したりで、まだまだ本当の大人とは認められないが、婚姻や婚約は社交界へデビューした辺りから結ばれるケースが多かった。

だから第一王子であるアリステアも、そろそろという気配はあったし、両親から話を振られても驚かなかった。

自分の婚姻は政治と切り離せない。否を言うこともなく候補の何人かと顔合わせをした。

本来なら王宮での面会となるはずだが、アリステアの見合いは訪問の形を取った。

内定しているのは一人だったが、派閥や力関係を考慮して複数の候補者が立てられていた。王子妃になれずとも、王子が屋敷へ訪問したとあれば、それぞれの家の体面は保たれる。そのための訪問の形だった。

断る前提の候補者との面談は無難に終わり、最後に、宮廷が選んだ内定済みの候補者との顔合わせに行ったアリステアは、そこで対面した婚約者にも文句はなかった。

劇的に惹かれることもなく、逆に嫌悪もない。

だが好感は持ったし、向こうもそうだろうと思われた。

相手は公爵令嬢だった。

優秀な教師をつけていたのだろう、所作も言葉使いも綺麗この上なく、頭の回転も早い。将来の王妃にふさわしい外見的美しさと、内面的資質を備えていた。

正式に婚約を結んだ後は、公爵家を訪れ、王宮へ招き、義務からの逢瀬を重ねた。

いつからだろう、その逢瀬に彼女の妹が同席するようになったのは。

はじめは不思議に思ったが、いずれ義理の家族になる相手だ、無碍にもできない。穏やかに相手をするうち、妹の同席がいつものことになっていた。

彼女は明るい性格で、話も上手く、愛嬌があった。

静かな雰囲気でどこか近寄りがたい美しさを持つ姉と、無邪気で愛らしい妹。

婚約者との逢瀬は、なぜか次第に会話の中心が妹となっており、それをアリステアは全く気にしていなかった。

十六になり、王立学院へ入学したアリステアと婚約者は、それぞれの学びや課せられた公務を優先して、あまり共に過ごせていなかった。

ただ昼食だけは共にとるようにしていた。

二人きりにはなれないため、彼女の兄が同席していたが、彼はほとんど会話に参加せず、一歩引いて二人の時間としてくれた。和やかに食事をする、そんな穏やかな時間。

それが変わったのは、一年遅れで妹が入学してからだ。

このランチにも同席するようになった妹は、必ずアリステアのとなりに座った。婚約者は以前からの習慣でいつも対面に座っていた。

一度なぜ姉のとなりへ行かないのかと問うたら、姉とよく話したいから顔の見える斜め向かいがいい、とのことだった。

だがそのうちにどうしてか、婚約者がランチに同席しなくなっていった。

徐々に減らされたためアリステアは気づいていなかったが、いつしか共に食事をするのは婚約者の妹と、卒業後は側近に内定した彼女達の兄だけとなっていた。

寂しくはあったが、婚約者も忙しい身だ。昼の休憩時間を他に充てたいのだろう、とアリステアが口を出すことは、終ぞなかった。

学院生活と公務で毎日は慌ただしく過ぎてゆき、王宮へ婚約者が来る回数は減っていた。時間を見つけてアリステアが公爵家へ訪れても、対応するのはなぜか彼女の妹ばかり。

王子妃のための勉学に励んでいるといわれれば無理を押すこともできず。妹がとなりにいることに違和感を抱かなくなっていたのもあり、いつしか婚約者の不在を気にしなくなっていた。

そんなある日だ。

唐突に、婚約者が妹を害した。

アリステアが訪れていた時だった。

久々に二人でいるところへやって来た妹を、テーブル上にあったナイフで切りつけたのだ。

食事用のナイフはたいして切れない。ドレスを切り裂いただけで身体に傷はつかなかった。

だが王族の前での暴挙だ。

相手が家族とはいえ、問題にならないはずがない。

その時にわかったことだが、いずれ王族か高位の貴族家へ嫁ぐ身として幼い頃から厳しく育てられた姉に比べて、末子の妹は母親からかなり甘やかされて育っていた。父親もそれを黙認していたと。

一方姉の方は、アリステアの婚約者に決まってから、なおのこと厳格に指導を受けていた。

愛情からではあったのだろうが、将来王族となる身に不足があってはならないと、褒められることもなく、やればやるだけその上を要求されて、生活も厳しく管理されていたようだ。

咄嗟に妹を庇ったアリステアへ、婚約者は「これで私は婚約解消され、妹が新たな婚約者となるでしょう。殿下のお望みが叶いますね」と言って静かに嗤った。

アリステアは愕然とした。

妹を婚約者に望んだことなど一度もない。

それなのに、婚約者本人も周りも、なぜかアリステアが望んでいただろうと言う。いくら身に覚えがないと主張しても、誰も信じなかった。

それだけ、信頼を失っていたのだろう。

くわえて、元婚約者が王族の前で刃傷沙汰に及んだのは覆せない事実。

その時点で彼女は王子妃となる資格を失ったのだ。婚約を元に戻すことは不可能。だから王子の気持ちが真実どうであれ、周りは頓着しなかった。

元々政略的な結びつきなのだ。個人の意見など斟酌されない。

今更婚約者を愛していると言ったところで、誰も耳を貸さなかった。

アリステアが混乱して手を打てずにいる間に婚約者は公爵家から勘当され、妹が新たな婚約者に据えられていた。

アリステアは婚約者を愛していた。

一目惚れこそしなかったが、妹がでしゃばってくる前に重ねた逢瀬で、この女性と生涯をともにする、そのことを喜ぶほどには婚約者を想うようになっていた。

相手がこの人であることを喜び、夫婦になれることを待ち望んでいたのだ。

学院を卒業せぬまま平民となった元婚約者は、流行り病であっという間に亡くなった。

貴族なら罹らない、罹っても薬を飲めば治る病で。

平民には薬を手に入れる手段がなく、家から出されても上の妹を気にかけていた兄が気づいた時には、すでに手遅れなほど進行していたという。

アリステアは側近である彼に願って彼女の墓を訪れた。

どうして、どうして、と譫言のように呟くアリステアに、彼女の兄は、貴方の望んだことでしょう、と言った。

婚約者としての逢瀬の場で、学院での対応で、ずっと婚約者は苦しんでいたと。妹を望む殿下に、自分がいなくなればいいと言って上の妹はあの傷害沙汰を起こしたのだと。

アリステアは自分の対応が全てを招いたと、第三者の視点から語られてやっと理解した。

その足で修道院へ駆け込み、俗世を捨てた。

そしてそのまま、元婚約者の魂の安寧を願いながら、己の不徳を悔やみながら、神に祈りを捧げて一生を終えた。

ただただ後悔と、伴侶になる前に失った半身の不在を悲しむ生涯だった。

結婚直前で捨てられた形の妹はどうなったのか。継ぐはずだった王位はどうなったのか。

俗世を捨てた身だからと、生を終えるまで心も耳も閉ざし、遂に知ることはなかった。

莫迦じゃないのか。

婚約者とその妹と、二人の女性を不幸にして。実はいたらしい妹の婚約者の人生設計を台無しにして。彼女達の家族や自分の家族王族に迷惑をかけて、何も成さないどころかマイナスを積んだ人生だった。

そんな夢を見て、寝覚めが最悪だったのは当然だろう。

重い身体を起こして、アリステアはベッドから出た。

いつもならベッドサイドに水差しが置いてあるが、今夜は特別な夜で、定位置には別の物が置いてある。

そのため、少し離れたチェストの上に水差しが置いてあった。

グラスに水を注いで飲み干したアリステアは、身体中の空気を吐き出すように、再び大きく嘆息した。

成人の儀を終えた数日後、王の継嗣は、吉日を選んで王家秘宝の神器を枕元に置いて寝るしきたりがある。

夢を見る者、見ても覚えていない者、それぞれあり、夢を語るも語らぬも自由となっている。

過去の夢であったり、未来の夢であったり、見る内容は人によって違う。

謎かけ、謎解き、示唆、それぞれに意味があるものだという。

なかには、全く何の夢も見ない、という者もいるらしい。

第一王位継承者としてそのしきたりに挑んだのが、今夜のアリステアだった。

だから今夜見た夢には、なにか意味があるはずだ。

みたび嘆息したアリステアは、そこではたと気がついた。

「明日は、婚約者との顔合わせではなかったか?」

考えてみれば、公爵家へ行って婚約者やその家族に挨拶をするのは、明日の予定だ。

夢の示唆するところはなにか。考えるまでもない。

再び眠りにつくことができなかったアリステアは、まんじりともせず、だんだん明るくなっていく空をカーテン越しにただただ眺めていた。

護衛と侍従を連れてレアード公爵のヘーゼルダイン家を訪れたのは、翌昼過ぎのことだった。

「殿下、本日はご来臨いただきまして、ありがとうございます」

にこやかな公爵に出迎えられて、アリステアは公爵家の一同が屋敷の前で礼をとるのを見つめた。

外に長く留めるのは失礼に当たると、公爵は家族の紹介を後に回して、自らアリステアを応接室へ案内する。

さすが公爵家のタウンハウス。歴史を感じさせる建物も、設えも、さり気なく置かれた美術品も見事なものだ。

だがアリステアは内心ひたすら汗をかいていた。

屋敷も、応接室も、初めて来るはずなのに見覚えがある。幾度も幾度も訪問していた――夢の中で。

やはりあの夢は未来を示したものだったのか。

あんな未来が自分の将来なのか。

アリステアはそつなく公爵家の面々と挨拶を交わしながら、非常に据わりの悪い思いを噛み締めていた。

公爵、公爵夫人、夢の世界では側近となった公爵家嫡男のオスカー、と挨拶を済ませたところで、目を伏せていた婚約者が顔を上げる。

「初めてお目もじいただきます、メレディス・ヘーゼルダインと申します」

成人後の女性らしく結い上げられた髪は艶やかなブロンズで、聡慧な眼差しの瞳は、紺青だった。

柔らかい微笑みを乗せた唇には、ほんのり紅が差されている。

アリステアがじっと見つめているのが分かったのか、頬が僅かに上気する。

夢で見た最後が余りに悲しくて、アリステアは、ようやく会えた、という心地になった。

「初めまして。アリステアだ。よろしく頼む」

表情が変わりそうになるのを堪えて、微笑みを保つ。

油断したら懐かしさと愛しさに涙してしまいそうだ。

そんな感傷に浸っていたアリステアに、公爵家最後の一人、末子のミュリエルが一歩踏み出してカーテシーをしてみせる。

直前に見ていたメレディスのカーテシーに比べてどこかぎこちない。他家の令嬢に比べれば良い方なのだろうが、その上を行く者が近くにいると劣って映る。

夢の世界ではこんな差があると気づかなかった。だが後から聞いた話を思い出す。メレディスは厳しく育てられ、ミュリエルはそうではなかったと。

なるほどこういうことか、と思った。

「ミュリエル・ヘーゼルダインです。殿下にお会いできて嬉しいです!」

屈託なく笑う姿は愛らしい。

アリステアの父が王を務めるモーズレイ王国の王族は、親しみやすさで国民に人気だ。この程度の砕けた話し方も、公爵令嬢なら許される。発言内容にも問題はない。

だがアリステアはどこか釈然としなかった。

動くたび揺れるハーフアップのサンディブロンドも、マリーゴールドの瞳も、明るい性格を映したように華やかで、どこにもおかしいところはないのに。

ミュリエルではなくメレディスに「会えて嬉しい」と言って欲しかったからかもしれない。メレディスが言うなら「お会いできて光栄です」ぐらいになるだろうが。

挨拶を終えた一同は、公爵夫人の手ずから淹れたお茶と軽食で茶話会の体を成す。供された茶菓子を食べながら、アリステアは話に耳を傾けていた。

口を開くのは専らレアード公爵で、それに公爵夫人が口添えをする。話題はメレディスのことかといえばそうでもなく、三人の子どもそれぞれに言及していた。

オスカーは側近候補のため、詳しい人となりを紹介するのは理解できる。しかし末子のミュリエルはアリステアには関係のない相手だ。

子どもを平等に扱う親としての姿を見せたいのだろうか、それとも。

アリステアはにこやかな笑みを崩さぬまま、五人の様子を観察して、この日の顔合わせは終わった。

三週間後、仕切り直しのように二度目の顔合わせをおこなった。アリステアが希望したのだ。

一度目は“お見合い”だというのに、メレディスと二人きりで話す機会がなかったためだ。

この二度目の顔合わせは概ね成功だった。

初めこそ公爵家の面々と挨拶ししばらく歓談したが、その後は誰にも邪魔されることなく二人きりで話せたし、好感触を得られた。

そうして二人は、正式に婚約を結んだ。

間を空けず三度目を、と公爵家を訪問したときだった。

予定より少し早く公爵家へ着いてしまったアリステアは、家令の案内で応接室へ入って、ひとり、メレディスが来るのを待っていた。

今日は公爵もオスカーも不在らしい。居たなら支度に時間のかからない男性陣が、相手を務めに挨拶へ出てきただろう。

せめてものもてなしとして、すかさず出されたお茶に口を付ける直前、ミュリエルが現れた。

「いらっしゃいませ、殿下!」

満面の笑みでカーテシーをした後、許しもなく近づくと、なんとアリステアのとなりに座ったのだ。

アリステアは二人がけソファにかけていた。メレディスが来たら、さり気なくとなりへ誘導するつもりで、きちんと一人分空けておいたのだ。それが徒となった。

アリステアは呆気にとられたが、表情には一切出さなかった。

これは表情を隠す訓練のいい相手だな、と思えたが、全くありがたくない。

アリステアは即座に席を立った。

「殿下?」

自分が座った途端立ち上がったアリステアに、ミュリエルは首を傾げる。

その様は、驚くほどに可愛らしい。

もしこれが“初見”なら、アリステアは絆されてそのままとなりに座らせておいただろう。

だが婚約者でもない令嬢を、二人がけのソファへ共に座らせるなど、王の継嗣としてあってはならない。

婚約者がいなければそこまで問題にはならず、多少不道徳だと教育係たる王師に叱られる程度だが。アリステアにはメレディスがいるのだ。

まさかと思っていたが、そのまさかだった。

おそらく彼女は、意識的にやっている。

無意識の行動なのかと思っていた。あまり厳しく育てられず、家族以外接する相手はほぼ目下のため、日頃の振る舞いが奔放でも咎められず、それがアリステアの前でも出てしまっているだけなのかと。

だが彼女が意図をもって動いているなら、自衛しなければ、あの夢の二の舞となる。

さいわい彼女とは“なんの関係性もない”。

単なる婚約者の家族だ。招かれない限り王宮には上がれないし、アリステアが公爵家に来なければさしあたり会うことはないだろう。

王立学院へ入学後は機会が増えるだろうが――学年が違うから、移動時に顔を合わせないよう気をつければいい。

どうしても公爵家を訪れなければならない時は、公爵が屋敷にいる時か、ミュリエルの不在を狙うようにしよう。

婚約者との定期会見は場所が定められていない。今後は王宮か、外で会うことに決めた。

あの夢を見た時は、自分のせいで彼女達が不幸になったと思っていた。

だがこうして相対してみると、メレディスの不幸は本当に自分のせいだったのだろうか、この妹の企みだったのではないかと、疑ってしまう。

まだとなりに座っただけで、疑わしいだけで、確定ではない。

ミュリエルの行動は天真爛漫さゆえで、いずれ家族になるアリステアと親しくなろうという意思があるだけで、メレディスに対する悪意はないのかもしれない。しかし。

アリステアに意図を持って近づくということは、どういった理由にせよ、王子妃の座を狙っていると受け取らざるを得ない。

それは必然的に、メレディスを追い落とすということだ。

それにしても、夢の世界での彼女の振る舞いがもし意図したものだったならば、修道院へ逃げたアリステアは、最終的には彼女の計画から逃れられた、ということだろうか。

アリステアには弟がいるから、投げ捨てた次の王位は弟が継いだだろう。

その弟は十歳近く年が離れている。さすがのミュリエルも、その妃の座へ収まるのは無理だったはずだ。

そう考えれば、あの夢の結末も、最悪の最後ではなかったのかもしれないが。

自身の婚約者と、ミュリエルの婚約者の二人の人生は狂わせたのだから、どう解釈したところで、アリステアが最低な男だったのは覆らない。

メレディスを死に追いやったことに変わりはなく、ミュリエルから逃げ切ったからなんだというのだ。

夢の中でも、出だしは真っ当だった。

気づいたときには関係性が狂っていて、どうにもできなかった。

だがあの夢のお陰で、アリステアはミュリエルの行動のおかしさを認識できた。

あるのかどうか未だ分からない、巧妙に隠された下心。それに気づけたのは、やはり夢のお陰だろう。

あの夢を見たのは、メレディスを失わないためだったとするならば。

現実では失わない。絶対に。

アリステアはぎゅっとこぶしを握った。

立ち上がったアリステアは、ミュリエルを無視してドアへと向かう。

ドアの近くにはミュリエルの侍女かメイドか、女性の使用人が慌てた様子で佇んでいたが、それも無視して廊下へ出る。足早に部屋を横切ったため、ミュリエルはまだ追いかけてこない。

焦った様子の家令が廊下の向こうからやって来たため――おそらく誰かがミュリエルの行動を告げ慌ててフォローに来たのだろう――彼に庭で待つことを告げ、言葉通りアリステアは外へ出た。

庭師の手で整えられた花を眺め始めた数分後、メレディスがやって来た。

「お待たせいたしました、殿下。また、妹が大変失礼を働いたとのこと、ご不快な思いをおかけし、申し訳ございません」

ほんの少しだが、恐縮する様子が垣間見える。公爵もその継嗣も不在の今は、メレディスが謝るしかない。

公爵家令嬢として、王子妃候補として、表情を隠すよう指導を受けているはずだが、それでも漏れ出てしまったのだろう。

メレディスの内心が垣間見えて、逆にアリステアはほっとした。

「妹御はまだなにかと学びが必要なようだね」

「お恥ずかしい限りです」

「私の婚約者はきちんと学ばれている貴方で、安心したよ」

頭を下げていたメレディスにアリステアは笑いかける。

その声で顔を上げたメレディスは、アリステアの鮮やかな青緑の瞳が穏やかなのを見て、肩の力を抜いた。

「ありがとうございます」

「うん。妹御の学びを邪魔しては悪いから、今後は王宮か、他で会うことにしよう」

先ほど決めたことを通すべく、アリステアはメレディスに打診する。決定は公爵がするだろうが、本人へ伝えておくのは大事だ。

些細な言葉のやり取りを惜しんだからこそ、あの夢の世界ではすれ違ってしまったのだから。

頷いたメレディスをエスコートして、アリステアはメイドがお茶を用意してくれたガゼボへ向かう。

その後は和やかに、二人の時間を楽しんだ。

アリステアの希望通り、メレディスと会うのはその後、ほぼ王宮でとなった。

ごくたまに、宮殿の外にある植物園や、画商が開いているギャラリー、高位貴族向けのレストランなどへ行き、いわゆるデートをした。

メレディスがどう考えているかは分からないが、アリステアとしてはデートのつもりで連れ出している。

公務で外に出ることも多いアリステアは街の様子もよく知っているが、あまり外へ出る機会のないメレディスにとっては新鮮なようで、いつも顔には出さないながら、楽しそうにしている。

また、アリステアはメレディスとの関係を良好にするため、多少のスキンシップを取り入れていた。

妻帯者の衛士の何人かに、女性との距離の詰め方を問うたところ。

常に愛を告げる、贈り物をたくさんする、相手の話をよく聞き共感してみせる、など他にも色々出たが、さりげないスキンシップ、という案が今までおこなったことのない方法だったため、これを選んだ。

あわよくばたくさんメレディスに触れたいなどという、不埒な考えから選んだ訳ではない、決して。

デートの時はエスコートとして腕を組み、二人きりの茶話会では手を握り、王宮の庭園をそぞろ歩く時には手を繋いだ。

初めは恐縮する様子を見せたメレディスも、慣れてくると、単純に恥ずかしがるだけで、触れること自体は受け入れてくれた。

そんな風に、メレディスと順調に良好な関係を築き、油断していた頃だった。

ある日、ミュリエルが王宮に現れたのだ。

おそらく外廷へ上がった公爵に連れられてきたのだろう。

娘を連れてくる父親は他家にもいる。見学してもいい範囲を訪れる貴族令嬢は一定数いるのだ。

彼らの主な目的は良き縁談を見つけるため。宮廷勤めの官吏の中には、茶会や夜会へ参加しない者が一定数いる。違う顔ぶれに出会えるため、見学と称して王宮へ上がってくるのだ。

だがアリステアにとって、ミュリエルが来るのは問題だった。

「アリステア様、お久しぶりです! お会いしたかったですっ」

満面の笑顔でそそと寄ってくる姿はさすが公爵令嬢といえよう。だが目下の立場から声をかけるのは、あってはならない。

ましてやアリステアは、名前で呼ぶことをミュリエルに許していない。

メレディスには早いうちから名前で呼び合うことを希望し、ようやく呼称が名前で定着したところだ。それでも公式の場ではきちんと、殿下、と呼ばれる。

家族の団らんの時に公爵や公爵夫人に問われてアリステアの話をしているようだが、もしかしてその影響だろうか。

姉が呼んでいるから自分も許されると思ったのか。勘違いしたという言い訳を持って、厚顔にも名前を呼んでみたのか。

以前よりも上手くなったカーテシーを見せてから、ミュリエルはアリステアの傍に寄る。

「久方ぶりだね、ヘーゼルダイン嬢。どうしてここへ?」

内心をチラリとも漏らさず、アリステアは唇に微笑を刷いた。

礼儀知らずと礼儀正しさが混ざったミュリエルは、許しがないのに王子宮へ入り込んでいる。

外廷とは切り離されたここは、本来、許しがないと立ち入れない場所だ。

貴族家の令嬢が見学に来る場合も、基本的に許されるのは外廷と庭園のみ。王妃や王女に招かれた場合はそちらの宮や内廷の一部にも入れるが、王子宮は公務に関わる女官や宮で働くメイド以外の女性は招かれないと入れない。

例外は婚約者だけである。

案内の王宮メイドがまだ不慣れだったのが幸か不幸か。

“レアード公爵息女”と名乗ったらしく、メレディスと間違えたメイドが連れてきてしまったようだ。

当のメレディスは、王妃宮で王子妃となるための講義を受けている最中。

元より公爵令嬢としてきちんと学んでいたメレディスは、教養やマナーについて今更学ぶことがない。彼女を賞賛する王妃から、王族の立場から見たあれこれや、取るべき態度などについて教わるのみ。

週に一度メレディスが王宮で王妃から直に教わる、そのタイミングでミュリエルが伺候して来たのは、わざとなのか否か。

「お父様に連れてきていただいたのです! 私もお姉様の上がっている王宮を拝見したくて」

やはり公爵が伴ってきたようだ。

アリステアは傍に控えていた従僕に何事かを囁く。すぐさま動いた従僕を見送りつつ、ミュリエルを促すと外へ向けて歩き出す。

女性の速度に合わせたような、緩やかな歩調だ。アリステアの優しさと勘違いしたのか、ミュリエルは嬉しそうにとなりを歩く。

「王宮は本当に美しい場所ですね! 初めて入りましたが、とっても広いので、アリステア様にお会いできないかとちょっと心配だったんですよ」

「そうか。確かに王宮はとても広いからね」

「案内してもらえて良かったです!」

笑顔で相槌を打つアリステアに、ミュリエルは上機嫌だ。

弾む会話に乗って、アリステアにもう一歩近づこうと手を伸ばしたその時。

「ミュリエル嬢」

二人の背後へ男性の声がかけられた。

緩やかな速度で歩いていた理由がやっと来た。走らせた従僕が彼の後ろにいるのを視界の隅で認めつつ、アリステアは声をかけてきた男に向き直る。

「ああ、スコット。ちょうど良かった。彼女をエスコートしてあげてくれ。メレディスの通う王宮に興味があったらしい。レアード公爵は執務中のようだから」

「かしこまりました」

きっちりと礼をとるスコットは、夢の世界でミュリエルの婚約者だった青年だ。

アリステアの二つ年上で、伯爵家の嫡男。オスカーとは王立学院で同級だった縁で、ヘーゼルダイン家末子の嫁ぎ先に選ばれたらしい。

現実世界でも、ミュリエルと婚約予定らしく、話が進んでいるとオスカーから聞いている。

ミュリエル対策としてアリステアは、その婚約が整う前にスコットを側近として抜擢し、オスカーと共にそばに置いていた。学院へ通っている彼らから入学前に話を聞くという体で王宮へ招き、そのまま側近にしてしまった。

学院のない日や授業後には、王子宮へ来て傍に控えている。だから今も、従僕を呼びにやればすぐに来たのだ。

「スコット様……」

ミュリエルにとっては意外だったのだろう。

アリステアに会いに来たのに、婚約予定の青年がいては思い通りに動けない。その気持ちが漏れたのか、一瞬顔をしかめたが、さっと表情を改めるとスコットへもカーテシーをした。

「王宮は広いから、スコットに案内してもらうといい」

微笑みのまま告げたアリステアは、二人から離れると足早に外廷へ向かって歩き出した。

追いかけようとしたミュリエルに、殿下はお忙しい方だから、とスコットが引き留めている。

二人の婚約がどうなるかまだわからないが、ミュリエル対策として置いたスコットは意外に仕事ができたので、縁談がまとまらなくてもこのまま側近として使うつもりだ。

夢の世界では人生を狂わせてしまった相手の一人。

その償いのような気持ちもあったが、有能だったからという理由が大きい。

アリステアが望んだとおり、スコットはしっかりミュリエルを捕まえておくという仕事をしてくれた。

アリステアはその足で、レアード公爵の元へ向かう。

国王との面談を終えたレアード公爵は、王宮内の彼の執務室にいた。突然のアリステアの訪いに驚いていたが、斟酌してやるつもりはない。

簡単な挨拶を済ませると、なぜミュリエルを連れてきたのかと問うた。

「一度でいいからお城を見てみたい、お姉様はいつも行っていらっしゃるのだから私も、と言われましてな。オスカーも殿下のお側に上がっておりますし、あの子だけ王宮を見たことがないのも拙いかと、連れてきたまでですが……何かありましたか?」

やはり末子の我儘に抗えず連れてきたらしい。

おとなしくしている、と公爵とは約束していたらしいが。アリステアは一つ嘆息して見せた。

「王子宮に入り込んでいた」

「な、なんと」

王宮メイドが間違えたから入れたのだが、間違うよう誘導したのはミュリエルだとアリステアは考えている。

「さらに言えば、私の名前を勝手に呼んでいる」

「は……? そ、それは」

「私は許した覚えはないのだが?」

公爵は脂汗をかいている。しきりとハンカチーフで拭い、恐縮する様子を見せているが、アリステアはさらに追い打ちをかけた。

「公爵。ひとつ聞きたいのだが。公爵家は、娘を二人とも私の妃にするつもりなのか?」

「は? いえ、そのようなことは決してありませんが……?」

「そうか。それが確認できて良かったよ。くれぐれも、家族とその考えを共有するようにね」

アリステアの云わんとしたことが理解できたのだろう。公爵は血の気の引いた顔で一礼すると、慌てたように従僕へ帰り支度を指示してから退室していった。

一先ず今は、ミュリエルを連れ帰ってくれればそれでいい。

王子宮へ戻ったアリステアは、間を置かずミュリエルが入り込んだ原因となったメイドを探させた。

見つかったメイドは、予想どおり、勤め始めてからの日が浅かった。

メレディスの顔を知らなかった彼女から話を聞いたところ、ヘーゼルダイン家の紋の入ったハンカチを示した上でレアード公爵令嬢と名乗ったという。

だがメイドはその時に、メレディスの名前を出して、婚約者本人かの確認を取ったと証言した。

「あの方は、メレディス様のお名前を出しても、否定されませんでした。明確にそうだとお答えいただいたわけではありませんが、微笑んで頷かれましたので、メレディス様だと思いご案内をいたしました」

メイドは一ヶ月の減給となった。

入り込んだのがもっと違う手合いならば罪は相応に重いものとなっただろう。だが相手は公爵令嬢という身分の明確な者で、王子の婚約者の家族とあっては、あまり重くもできなかった。

加えてメイドの失態は、明らかにミュリエルの嘘に騙されてのことだ。

メイドの罪を追及するならば、ミュリエルの罪は更に糾弾されねばならない。メレディスの失点となるのを避けるため、アリステアはこの一件を内々に収めた。

だがこの件で、ミュリエルは確信的に動いていると分かった。

アリステアに近づこうとする意思があるのは分かっていたが、メレディスへの影響までは考えが至っていないだけの可能性もあったが。

彼女は自分の意志を通すためなら、悪質な行動もとると判明した。

レアード公爵に釘は刺したものの、どこまで効くか読めない。

公爵もほどほどに甘いが、なにより公爵夫人が甘やかしていると聞く。

咎めのなかったミュリエルが、またおかしな行動に出る公算は高い。

アリステアは急遽、お目付役を置くことにした。

将来ミュリエルの小姑となる予定の、スコットの妹達だ。

双子の彼女達は、ミュリエルと同い年で、王立学院では同学年となる。

婚約者の妹ならば、そばにいても不自然さは皆無。

入学前から交流を持たせることにして、王立学院入学後は、アリステアに近づけないよう二人にミュリエルの行動を制限してもらうことにした。

指示を出すにあたって、一度王宮へ来てもらい面談したが、スコットの妹らしく彼女達も聡明だった。

王立学院で優秀な成績を修めたなら、また彼女達が望んだならば、卒業後はメレディス付きの女官にどうかとアリステアは考えている。

将来王宮勤めが叶いそうとあって、双子はかなりやる気を出しているらしい。

そんなこんなでミュリエル対策を立てながら、アリステアはメレディスと共に王立学院の一年時を無事に終えた。

夢で見た通り、昼食は一緒にとっている。

違うのは、その場にオスカーだけではなくスコットも同席していることくらい。

つつがなく、穏やかで温かな一年を過ごせた。

そうして迎えた次年度。

ミュリエルは張り切って王立学院へ入学してきた。

王立学院はその名の通り、時の国王が設立した学院で、その後の運営は王に指名された王族がおこなっている。

そんな背景もあり、生徒をまとめ、代表する立場――生徒による自治的組織の長は、王族以外から選ぶことになっている。

王族は公務もあり、忙しいため学院生活に集中できないといった理由もある。

そのためアリステアはもちろん、準王族のメレディス、王子側近のオスカー、スコットは一学院生として過ごしていた。

入学したミュリエルは、公爵令嬢とあって生徒による自治的組織、院生会の役員に声をかけられたが、アリステアもオスカーも入っていないと知り辞退したらしい。

スコット曰く、妹達二人は、院生会で忙しくさせられるのでは? という思惑があったのに、当てが外れたと零していたとか。

学年が違うため授業は絶対に重ならない。教室移動でもなるべく会わないように護衛達が経路を計算し、誘導してくれたため、遭遇は避けられていた。

やはり問題は昼食の時間だった。

学院内にサロン用の部屋はあるが、特別な時にしか使わない。

親しみやすさで国民に人気の王族としては、学院生との交流も重要だ。

明確に交流を持たずとも、同じ食堂で食事をしていた、という事実は大事で、それゆえに、アリステアは基本的に学生食堂で昼食を取るようにしている。

前年と同じく、メレディス、オスカー、スコットと共に食事をする。その場にミュリエルが入りたいと言えば、拒む理由はなかった。

兄や姉と一緒に食事を取りたい、と言われれば受け入れざるをえない。

だが同じ理由をもって、スコットの妹達も同席させることには成功した。

常にミュリエルのそばに控えている双子は、いい仕事をしている。

学生食堂で見つけた途端、アリステアめがけてやってこようとするミュリエルをいい感じに阻んでいるのだ。

アリステアの両隣は、ミュリエルが来る前に塞ぐように側近二人が座る。正面は当然メレディスの席だ。

アリステアの斜め向かいにしか座れず、いつも少し不満そうにしているミュリエルは、その表情を隠せている方だろう。

夢で一度見ていなければ、ミュリエルのそういった感情は窺い知れなかったとアリステアは痛感する。

アリステアが言い含めていることもあり、ミュリエルがアリステアに話しかけようとしても、その度、対面に座った兄か婚約者候補が彼女に話を振る。

同席していても、アリステアがミュリエルに視線をやることはない。

こうして、オスカーとスコットが卒業するまでの一年は、なんとかやり過ごすことができた。

アリステアの側近として、オスカーとスコットは、まずまずの成績で王立学院を卒業していった。

アリステアとメレディスが卒業するまでの残り二年。これをどう乗り切るか。

その答えを出す前に、中々アリステアに近づけないミュリエルが焦れて動いた。

アリステアは立場上、人から注視されるのには慣れている。

それはメレディスも同じだ。

だが、いつ頃からか、学院内で向けられる視線の温度が変わった。

アリステア自身へはあまり変わりがない。以前と違うように感じるのは、いつもメレディスが隣にいる時だった。

人の視線は意外に雄弁だ。

なにかある。

アリステアが指示を出す前に、側近二人が動いていた。

「メレディスがミュリエルに厳しく当たっている、と噂になっているようです」

随分と軟らかな表現で報告してきたのはオスカーだ。

実際はもっと酷い噂に違いない。その内容は、アリステアにも想像ができる。

姉妹格差は、神話でも戯曲でも取り上げられる普遍的なテーマの一つ。それをミュリエルが都合のいいように装飾して、双子の目を盗んで、友人達に嘆いてみせたらしい。

学院では張り付いていても、個人的に開く茶会には招待がないと参加できない。ミュリエルだけ招かれた他家の茶会も、押しかけるわけにいかない。必然、目を離す時間ができる。

そんな穴を突かれた形だった。

メレディスは静かな雰囲気で、どこか近寄りがたい美しさを持つ。

一方でミュリエルは、無邪気で愛らしく、いつも笑顔をふりまいている。

どちらに感情移入しやすいかは明白。それを逆手に取られたのだ。

メレディスは憧れの存在にはなれても、共感や親近感を得られるタイプではない。

深く付き合えばそういった面も見えてくるが、噂に興じるのはたいがいある程度距離のある手合いだ。

詳しく知らない相手だからこそ、噂話に花を咲かせて楽しむことができるのだ。

大げさに嘆いてみせなくても、ちょっと笑顔を消して暗い顔をして、溜め息を吐いてみれば、どうしたのかと問われる。そこで言葉を濁しつつ、お姉様が……とやったらしい。

それをミュリエルに甘い母親の前でもやったため、公爵夫人までもが勘違いしているという。

もし他所の茶会で公爵夫人がこれを嘆けば、あっという間に事実として公認されてしまう。

オスカーはすぐさま手を打った。

事実無根でもそのようなことが公になれば、家門の恥となる。王宮内でレアード公爵を捕まえると事情を話し、無理矢理同意を得て公爵夫人を領地へと送った。

抵抗する夫人には、殿下の命である、で押し通したらしい。

可能ならばミュリエルも領地送りとしたかったが、王立学院の卒業は公爵令嬢のステータスとして必須。

レアード公爵の懇願もあり、致し方なく願いを呑んだ。

ミュリエルがやったことは、姉の評判を下げることだけで、それは法に触れるような罪ではない。

罰することができない以上、過剰に反応すると、それはそれでまたメレディスが狭量だと思われ、汚点となってしまう。

アリステアは悔しかったが、メレディスからみたらミュリエルは妹だ。どうしても憎みきれない分、甘い対処に留めるほかなかった。

とはいえ噂を放置はできない。

アリステア達は噂の火消しをおこなうことにしたが、王子が前面に出て動くと、逆に裏があるのではと勘ぐられる。

そのため、王妃に動いてもらった。

おこなうのは噂の書き換えだ。

『ミュリエルは末子としてかなり甘やかされているらしい』

『メレディスができる分、比較されて自尊心を傷つけられているらしい』

『王子妃になることが決まっている姉が羨ましいらしい』

『公爵令嬢だから下の身分の者としか付き合いがなく、マナーを注意されることに慣れていないらしい』

『王妃が賞賛するほどの淑女であるメレディスは、上の身分の人がほぼいないミュリエルにとって目障りらしい』

等々、ほぼ事実か、事実から推察できる内容を、茶会で流したり、王宮各所で宮廷雀に囀らせる。

それはすぐさま王立学院の中へも浸透した。

ミュリエルの未熟さや、メレディスに対し妬心があっても不思議はないことを印象づければ、あっという間に噂は反転する。

もうミュリエルが何を言っても、メレディスの悪評を口にすることはできなくなった。

言えば言うだけ、「そんなに姉が羨ましいのね」と嗤われるだけだから。

いつも自分を甘やかしてくれた母は、王都を離れ傍にいない。

父はミュリエルに甘いが、王子の婚約者であるメレディスには配慮せざるを得ないため、一方の肩を持つことはせず、何かと理由をつけて王宮へ逃げてしまう。

兄は妹達に公平であったが、今回のことでミュリエルへの対応は冷たいものになりつつある。

そうして肝心のメレディスは、ミュリエルに対しほぼ無反応だった。

噂を耳にしていても、動揺は見せず、学友達との関係も変わった様子はなかった。

学生食堂で同席しても、いつもどおりに振る舞い、スコットの妹達とも談笑していた。

なによりも、アリステアがいつでも寄り添い、気遣っていた。それが心強いのだと、ある時、ほんのり匂わせる形で感謝を伝えてくれた。

アリステアは内心で欣喜雀躍し、その後はさらにメレディスの気持ちへ添うようにした。

それが、ミュリエルには許容できなかった。

刃傷沙汰に及んだのは必然だったのか、否か。

夢で見た姉と妹の立場が反転したのは、奇しくも公爵家のガセボでのこと。

公爵家の庭園のピオニーが見頃だとメレディスに誘われ、公爵家を避け続けるわけにもいかず、訪問した折のことだった。

咲き誇る花々を眺めつつ、穏やかにお茶をしていた二人の元へやってきたミュリエルは、隠し持っていたナイフをメレディスへ向けた。

秘宝に見せられた夢と、姉妹の立場を逆転させて。

だが、妹のことを考えて切れないナイフを振るった姉と、自分の欲望から切れるナイフを振りかぶった妹では、大きく違う。

自分の身を犠牲にして、アリステアの気持ちを慮って婚約者の座を妹に譲るため、初めから傷つけるつもりはなく先の丸いデザートナイフを手にしたメレディスは、耐えかねてのこととはいえ、周りや自分の最後まで理解していて行動に出たように思う。

一方のミュリエルは、ただ単に、自分の個人的な欲求を満たさんがため、家族であるはずの姉を排除しようと、最悪命を落とすことも理解しながら、よく切れる刃物を握った。

その差はあまりにも大きい。

「殿下!」

ミュリエルのいつもにはない様子と、その手にある物を見て、慌ててメレディスはアリステアを庇うように立ち上がる。

同時に立ち上がっていたアリステアは、向けられる刃も構わずメレディスを引き寄せ身を入れ替えた。

「殿下っ!」

少し離れたところにいた護衛達が泡を食って駆けつける。あっという間に取り押さえられたミュリエルは、その場で跪かされた。

切り裂かれたのは、アリステアが引き寄せた時になびいた、メレディスが肩にかけていたショールと、アリステアの肩口の布のみ。

とはいえミュリエルのおこなったことは、王族の前での暴挙。ましてや刃を向けたとあれば、弑逆と見なされる行動だ。

メレディスは真っ青になっているが、当のミュリエルは怒りのためか真っ赤になっている。その対比が、アリステアには哀しかった。

この事件を公にすれば、公爵家に傷がつき、メレディスの立場も危ぶまれる。

それは望ましくない事態のため、アリステアはそのまま公爵家でミュリエルを監禁するよう指示し、一部の護衛を監視に残して王宮へ引き揚げた。

命を狙われたメレディスを同じ屋敷へ置いておく訳にはいかないと、王子宮へ伴って。

心労はいかばかりかと思ったが、メレディスが落ち着くのを待ってはいられなかったため、王宮にいた公爵と慌ただしく面会をして、今後のことを決める。

事が事のため、当然国王も交えての会談となった。

メレディスのために譲歩するアリステアへ、二人の父である公爵は平身低頭して謝罪をした。

ミュリエルの処遇に関しては聞き取りをしてから決めることとなり、その身の置き所が決まるまでは公爵の屋敷へ禁固となった。

一方のメレディスは、婚前の王子宮へ留めるのは外聞が悪いため、王妃宮で預かることが決まった。

内々に済ませるにしても、ミュリエルへの尋問等は王宮から官吏を派遣する。その対応もあり公爵は早々に屋敷へと戻っていった。

その姿を見て国王は、アリステアが王位についた時、レアード公爵は完璧な後ろ盾となるだろうと笑った。

もしアリステアがメレディスを切り捨てる考えだったならば、公爵家は反逆の咎で取り潰しもありえたのだ。

ミュリエルが犯したのは、それほどの罪だった。

そのミュリエルが尋問官に答えた内容を、後日アリステアは尋問官から直接聞いた。

曰く。

ミュリエルを見ることすらしないアリステア。

噂に全く惑わされなかったアリステア。

ミュリエルが近づきたくても決して傍に寄せようとしないアリステア。

その隣を、常にメレディスは独占している。

それが許せなかったそうだ。

ミュリエルの目を通して見れば、婚約者だから、メレディスは大事にされているに過ぎない。

いつも冷静なメレディスは冷淡に思えて、もっと笑えばいいのにと言うと、メレディス本人にやんわり否定され、それからもっと姉は冷たい人だと思うようになった。

そんな姉にアリステアは縛られていると思っていたのに、メレディスが厳しいと噂になってから、アリステアは作り笑いすら向けてこない。

「どうしてお姉様の将来が王妃で私は伯爵夫人なの?!」

ミュリエルがナイフを振るった時には、スコットとの婚約が成立していた。

アリステアとしては、ミュリエルとの婚約はスコットにとって負担でしかないのでは、と思い確認したが、アリステアの側近である立場をより強固にするためにも、オスカーと義兄弟になるのは悪くないとスコットは語った。

公爵家側としてもスコットと縁続きになるのは派閥が強くなるという利点がある。そのため結ばれた婚約だった。

だがそこにミュリエルの意思は存在せず、公爵家と伯爵家での取り決めであった。

それもまた、ミュリエルにとっては不満だったらしい。

「お姉様さえいなければ、私がアリステア様の婚約者になれたのに!

皆に愛される私の方が王子妃に相応しいって、お母様もいつもおっしゃっていたのに!

教養だってお姉様に負けないよう身につけたのに! お姉様より私の方が美しいのに! 相応しいのは私なのに、どうしてよ!

少し早く生まれたからって、ただそれだけで! お姉様さえいなければ!」

そう尋問官に答えたという。

二人の母親は、自分と同じ色合いの髪と瞳を持つ娘を特別に可愛がっていたらしい。甘え上手の末の子が可愛くて仕方ない理由は、そんなところにもあったようだ。

貴方の方がメレディスより美しい、皆に愛されている、王子妃にふさわしいと、領地にやられるまでミュリエルに語っていたのだそうだ。

メレディスは、公爵夫人にとって姑と同じ色合いをしていた。それが心理的隔たりのきっかけを作り、厳しく育てられて冷静なメレディスの振る舞いがまた、可愛げがない、と見えたらしい。

だからといって王家と公爵家が結んだ婚約へ抗議をできるわけもなく。ミュリエルを褒めることで発散していたものがあったのだろう。

その影響がどれほどミュリエルにあるか、公爵夫人は想像しなかった。

その罪を認識するのは、知らせが送られる、これからとなる。

メレディスがいなければ。そう考えたミュリエルではあったが、メレディスを除く方法は思いつかなかった。

公爵令嬢として箱入りに育った彼女は、他者を使って姉を排除する、そこへは思い至らなかった。あるいは、思いついても命令に従う相手がいなかったか。

裏社会への伝手などあるわけがなく、ミュリエルの差し金と明らかにならぬようメレディスを消す手段がなかったのだろう。

公爵家の使用人は押し並べて公爵に雇われている。ミュリエルが脅し命じたとしても、同じく主家の令嬢であるメレディスを害す者はいない。

だから、自分自身で行動するしかなかった。

その結果が、あの刃傷沙汰だ。

欲望に忠実だった彼女は、結局ほとんどのものを失った。

持っていた公爵令嬢という立場、将来伯爵夫人になるという立場、豊かな財により手入れをされていた美しい姿も、身につけるドレスも宝飾品も、健全な肉体も、なにもかも。

処刑こそ免れたが、レアード公爵家の領地内の僻地にて、神に祈りながらつましい生活を送ることが決められた。その生活には監視がつく。

そして万が一にも逃亡したり再度メレディスを襲うことのないように、片足の腱が切られた。

これを厳しい処断ととるか、甘い処置ととるかは、人によるだろう。

アリステアとしては、夢の世界で命を落としたメレディスを思えば、これでも温いと感じたが、メレディスにとっては妹で、怪我も負わなかったのだから、これ以上を望めばアリステアの狭量さと捉えられかねない。

メレディスの気持ちを考えて、また先々のオスカーや公爵との関係を考えて、これで手打ちとした。

「婚前の一波乱が身内から起きるとは、情けない限りです」

二人の兄であるオスカーは自省していたが、ある程度予見していたアリステアでさえ、ミュリエルがナイフを手にするとは考えていなかった。

それを予測し止めるのは兄とはいえ難しかったに違いない。

王家の秘宝で見た夢は、内容こそ悪夢だった。

だがあの夢があったからこそ、アリステアはメレディスを失わずに済んだ。だからあの悪夢を見られて良かったと、心底思っている。

ミュリエルの企てを阻止できたのは、あの夢があってこそだった。

愛くるしい彼女の、巧妙な行動とその結果を、知っていたからこその、現実。

「秘宝は、まさに王家に伝わる秘めた宝だったな」

同じ人生をやり直せる人間などいない。

物語にいくら語られようとも、詩人達が歌おうとも、現実には不可能なことだ。

やり直しができるのなら、人生は神の試練とならない。容易い生ならば、人はこれほど悩み迷い後悔し、それゆえの輝きを得ることもないだろう。

一度しかない人生だからこそ、人は選択し模索し苦悩し愛し歓喜するのだ。

そういった人生であるからこそ、人は予知や予言に振り回されてしまう。

まやかしとわかっていても、重視し、占いや預言者を崇めてしまう。

「過去であれ、未来であれ、本来は見えないものを見、知れないことを知れる。だからこその、秘宝か」

本来得られないはずの“先”のことを知れたゆえに、王家の秘宝がそう伝わると今なら理解できる。

そしてアリステアの人生は救われ、歩むべき道を歩むと、心に強く刻むことができた。共に歩くべき人を失わずに済んだ。

これを秘宝と言わずしてなんと言おう。

アリステアはいずれ父の後を継いで王となる。

そしてその継嗣も、いずれあの秘宝で夢を見るのだ。

「その時はまた、救いがもたらされるのだろうな」

宝物殿へ返した秘宝を思い出しながら、アリステアは王妃宮へ向かう。そこには、未だ滞在する愛する婚約者がいるのだ。

結婚して子どもが生まれたら、いずれ、アリステアの見た夢の話をしよう。

メレディスはどう受け止めるだろうか。

そんなことを考えながら、アリステアは歩みを早めた。