軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

未来の景色とふたりの景色

「改めて自己紹介をしましょう。わたしの名前はララリエル。二十年後の世界からやってきた未来人です」

「わたしの目的は世界の滅亡を止めること。そのために原因であるサヤマタカヒロさんに会いに来たのです」

「未来は本当にひどい世界でした。人を人と思わぬようなサヤマの血を引く子どもたち。彼ら、彼女らは欲望のままにあらゆる命を踏みにじりました」

「かく言うわたしもその子どものひとりなのです。呪われたサヤマの血族、その中でも異端児と呼ばれたのがわたしであり」

「生まれ持った【時間操作】の魔法を極め、どうにか事態を収拾しようと時間遡行の実験を何度も何度も繰り返して」

「いや、あの、ちょっと」

「はい! なんでしょうか?」

「あのさ、悪いんだけど……ちょっと止めてもらっていいかな?」

「止める? 止めるとは、わたしの話のことでしょうか?」

「うん、そう。ほら、もうみんな限界っぽくて」

「あっ」

「俺も正直、話についてイケナクテ……」

最後の方は精根尽き果てて片言になってしまっていた。そんな貴大の背後にはぽかんとした顔の子どもたちが並び、その後ろでは似たような表情の大人たちが揃って石像のようになってしまっていた。

「申し訳ありません。少し話が性急過ぎましたね」

「性急というかなんというか」

「わたし、半分くらい理解できてないんだけど」

半分も理解できたコミエルは凄いと貴大は思った。自称未来人から発せられる毒電波、それに当てられた彼はもう 思考停止(フリーズ) を起こす寸前だった。

(未来から来た俺の娘。破滅が待ち受ける暗い未来、か)

どうにも眉唾な話だった。自分の子どもが世界に滅びをもたらすなんて、貴大はこれまでに考えたこともなかった。

(でも、なあ)

貴大は異世界転移というものを経験している。であれば、時間遡行というのも大いにあり得るものではないだろうか?

(うーん)

考えているだけではどうにも埒が明きそうにない。手詰まりを感じた貴大は、ララリエルなる少女に何か証拠はないのかと尋ねることにした。

「なあ、ララリエル」

「はい、なんでしょうか?」

「何かその……未来のものとか持ってない?」

「と、言いますと?」

「話だけだといまいち信用できないからさ。これが『決定的な証拠です!』ってやつをひとつ見せてくれないかなーって思って」

貴大の問いかけに周囲の者たちもうんうんとうなずいている。その光景を見たララリエルは、ふむと小さく声をもらすと、

「分かりました。破滅の未来の景色、その一端をお見せしましょう」

そう言って少女は鞄から映像水晶を取り出すのだった。

「おお……マ、マジで出てきた……」

「ど、どうすんの、タカヒロ」

「あの話がマジならヤベえんじゃねえか?」

カオルとアルティがゆさゆさと貴大の体を揺らしている。あの気丈なフランソワでさえも世界の危機と聞いて動揺を隠せていないようだ。その一方で楽しげに見つめる者もあり、フリーライフのリビングは上映前のざわめきのようなものに包まれていた。

「ではご覧ください。これがこれから訪れる未来。暗黒の時代の一場面なのです!」

そして始まる未来の風景。空中に浮かび上がる映像に映し出されていたものとは――。

『おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!』

「「「!?!?!?」」」

『お父さまはわたくしのものですわ~!』

燃え上がる王都を背景にエリザベートが高笑いを上げていた。彼女の周りには万を超える騎士がいて、彼ら、彼女らは一斉に少女にかしずいている。

「これが……破滅の未来……?」

「エリザ、あなた……」

「ちがいますわ! ちがいますわ! わ、わたくし、このようなことはいたしません!」

「いや、でもさー。ばっちり現場がうつってるじゃん」

「うううう……! それはそうなのですが……!」

映像内の女性はなおも高笑いを続けていた。その傍らには十字架にかけられた貴大がいて、彼はげっそりと頬をこけさせてしまっている。

(愛されすぎたペットみたいだ)

世界を滅ぼすほどの甘やかし、その予兆に背筋を震わせる貴大だった。

「さて、では、次の場面に移りましょうか」

「次!? 次があるのか!?」

「もちろんです。今度はフィーニスさん、あなたがもたらす災禍ですよ」

「ほほう?」

名前を呼ばれた少女が興味を示していた。絶大な力を持った混沌龍、それが暴れ回れば、確かに世界が滅びそうではあるが――。

「いいだろう。是非とも見せてくれ」

「覚悟してくださいね? 相当ショッキングな映像ですので」

ララリエルの念押しにも笑って応じる次女フィーニス。そんな少女が見つめる先で、ふたつ目の映像が浮かび上がってくるのだった。

『わああああ! わああああー!』

『き、来たぞ! 大怪獣フィーニスだ!』

『助けてくれ! 誰か! 誰か助けてくれー!』

『ぎゃおー!』

「……………………は?」

泰然としていた少女は半笑いの表情のまま固まっていた。その視線の先では山のようなサイズのぬいぐるみ、もとい混沌龍が炎を吐いて暴れている。

『がおー!』

『ひいいいいい!?』

威嚇を受けた民衆が死に物狂いで逃げ出していた。パニックを起こした老若男女を、大怪獣フィーニスは短いあんよで踏みつぶそうとして、

「ま、待ってくれ! 違う! あれは私じゃない!」

「気持ちは分かりますが、あれが未来の貴女なのですよ」

「そんなはずはないだろう!? わ、私は、あんな粗野なドラゴンでは……!?」

フィーニスは頭を抱えて黙り込んでしまった。彼女がこれほど取り乱すのは生まれて初めてのことであり、それを知っている貴大たちは次女にかける言葉さえ見つけられずにいた。

「まさか娘があのようになるとはな」

「何がどうなったらああなるんだろうね?」

白黒コンビはのん気に話をしていたが――。

世界の破滅となると冗談では済まされない。いよいよ緊張を高めてきた一同に、しかし、ララリエルは容赦なく未来を提示するのだった。

「これはコミエルさんの未来。あなたは稀代の扇動者になります」

「うそっ!?」

「これはフウカさんの未来。あなたは静寂の世界を作ろうとします」

「え、えええ……!?」

「これはパルフェさんの未来。あなたは荒くれを率いて大いに暴れ」

「ふーん?」

「末っ子のクルールさん。あなたは動物が支配する地域の王となります」

「わ、わう」

めくりめく映し出される破滅の未来。それを統合すれば確かに世界の危機だと言えて、むしろ滅んでないのが不思議なくらいだと貴大が思うほどだった。

「もはや事態は収拾不可能、世界は混迷の一途をたどっています」

「俺は? いや、俺たちは?」

「……子どもが暴走する前に大人が止めているのでは?」

「先ほどの映像にもあったでしょう。お父様は虜囚の身となり、他の方々も邪魔者として幽閉されてしまっていますよ」

「マジかよ……」

そこに至るまでの道筋が見出せないが――。

きっと何かがあったのだろう。そう推察して、貴大は「毒電波」と決めつけていた話を受け止めるのだった。

「分かった。もう分かったよ。ララリエルはあれを止めるためにタイムスリップをしてきたんだな?」

「ええ。あの未来だけは止めなくてはならない。そう思ってわたしは時間遡行の魔法を鍛えてきたのです!」

「なんか苦労をかけたな……」

「苦労など。世界を救うためならどんな苦労も厭いませんよ」

「ララリエル……」

儚げに微笑む少女。彼女は浮かびかけた涙を拭うと、気持ちを切り替えるようにパンと両手を合わせていた。

「さて! 湿っぽい話はここまでにしましょう。これからは破滅の回避のため、具体的な話を進められたらと思っています」

「具体的な話? みんなが気をつけるだけじゃ駄目なのか?」

「駄目なのです。そもそもはお父様、あなたが子どもを作り過ぎた結果、ひとりひとりがなおざりになったことが原因ですので」

「ふむふむ」

「これ以上、子どもを増やさないのが解決策となりますね」

「言われなくても増やさない、ってか、神々の封印で増やせないようになってるんだけど?」

「ひとりの母親につきひとりの子ども、という制限ですね? ですがわたしの存在からも分かるように、お父様は多くの女性に手を出されたので……」

「タカヒロ?」

「うっ!?」

またカオルが怖い目をしてこちらを見ていた。顔を青ざめさせた貴大に対し、ララリエルは更に自分の考えを述べていく。

「要は子どもを増やさなければいいのですよ」

「そ、そうか。うん、気をつけるよ」

「いえ、それだけでは駄目です。気をつけるだけでは不十分です」

「とか言われても……どうすりゃいいんだ?」

「簡単な話ですよ。お父様を去勢してしまえばいいのです」

「ふーん。ふん!?」

「お父様のアレを取り除きます。それで事件は解決なのです!」

「ちょっ、おま……!?」

ララリエルが真面目な顔でとんでもないことを言い始めた。貴大の大事な部分を取り除く、それは俗にパイプカットと呼ばれる処置だった。

(いや、それより悪いぞ!?)

あの言い方からして丸ごと全部取り除かれるかもしれない。三十年あまり苦楽を共にした貴大の分身、それがこの世から消えてなくなろうとしているのだ。

「待った! 待った待った! それはちょっと勘弁してほしい!」

貴大は当然のように待ったをかけたのだが、意外や意外、彼の周りにはそれに同調する者はひとりもいなかった。

「もうちょん切ってもらったら?」

「その方がよっぽどすっきりするだろうな」

カオルとアルティは去勢に賛成のようだった。浮気性な夫に対し、いよいよ本格的に対処をしようと考えたのだ。

「あんな未来が来たら困るからねえ」

クルミアも悩みながら賛成に一票を投じていた。うーんと声を上げながら、彼女は、いや、彼女たちは貴大を壁へと追い詰めていく。

「安心してください。魔法を使うので痛みは一瞬です」

「止めろ! おい、止めてくれ!」

「おい、タカヒロ!」

「もう年貢の納め時だよ……?」

(ひ、ひいいいいいいいいいいい!?)

心の中で叫び声を上げる貴大。しかしララリエルの動きは止まらず、彼女の手には怪しげな紋章さえも浮かび上がっていき――。

「その辺でいいだろう」

「……エルゥ?」

「なかなか面白い茶番ではあったけどね」

「いい加減、本当のことを話したらいいんじゃない?」

「ノエル? メリッサ? それに……アリシア!?」

援軍は思わぬところからやってきた。ララリエルの動きを止めたエルフの親子、そして聖女の親子が間に割って入ってくる。

「な、何をするのですか!? わたしはただ、未来を救うためだけに!」

「ウソはいけないと思うよ?」

「ララリエル君。君は私たちをペテンにかけようとしていたね?」

「「「ええっ!?」」」

「鑑定装置を誤魔化したり、映像を作ったりしたのは良かったのだが」

「所どころ、隠し切れない穴があったね」

「ううっ!?」

エルゥとメリッサの指摘を受け、ララリエルは途端に冷や汗を浮かべた。まさかあの話は全部嘘だと言うのだろうか? 貴大たちが見守る中、理知的なエルゥたちは丁寧に未来人のペテンについてを暴いていった。

「まずおかしいなって思ったのは、映像に他の子どもたちが映らなかったっていうこと」

「話から察するに、他にもタカヒロ君の子はいるわけだよね?」

「なのにここにいる面々しか映っていない」

「すでに知られていた八人姉妹、その未来についての映像しかないんだ」

「その映像もなんだか微妙だったよね~?」

「私たちの特徴を中途半端に増幅させたかのようだった」

「多分、子どもたちを知ってはいるが、よくは知らないんじゃないかな?」

「本人が『あり得ない』と叫んでいる時点で私は嘘だと気づいていたよ」

淡々と畳みかけていく女たち。ララリエルの顔は血の気が失せたように真っ白になってしまっている。それでも何かを言おうとする少女に対し、エルゥは決定的な指摘をさらりと口にするのだった。

「そもそも、君ね。彼を去勢すると君の存在も消えてしまうよ?」

「えっ? あっ? え?」

「君は何年か先に生まれる彼の子どもなのだろう? 去勢した父親から、どうして君が作られるんだい?」

「それは、その……すべて覚悟のうえの行動でして」

「その割には、言われて初めて気づいたっぽいけど?」

「ううう……!?」

「未来人というのはウソ。あの映像水晶もフェイク。タカヒロくんの子どもっていうのも、多分、口から出まかせなのかもしれないね」

うんうんとうなずくエルゥとメリッサと子どもたち。その中でも特に疑いの目を持っていたアリシアが、何やらビシッと指をさしてララリエルのことを糾弾し始めた。

「っていうか、あなた、天界関係の人だよね?」

「…………っ!?」

「声に聞き覚えがあるもん。ちょっと前に『おとぅさんのおとぅさんをもげ』って言ってきたのを覚えてる!」

「うううううう……!」

「名前はサボリエルでしたっけ?」

「面倒臭がりな人だな~って思ってたよ!」

「うあーーーーーー!?」

分身したアリシアに追い詰められ、とうとうララリエルは――いや、サボリエルは断末魔のような悲鳴を上げた。同時に変化を始める彼女の容姿。背中には純白の羽が生え、その頭上には金環がふわりと浮かび上がるのだった。

「はあ、はあ、はあ……!」

正体を見抜かれた少女は荒い息を吐き出している。かと思うとぐいと汗を手で拭い、それを払うかのような仕草をして口を開いた。

「はあ、ふう、さすがですね。まさかわたしの正体を見破るとは」

「それほど難しくはなかったけどね」

「色々雑なところがあったしね」

「うぐっ……! ぐぐぐ……!」

歯を食いしばるサボリエル。本性を隠しもしない少女に対し、唖然としていた貴大が気を取り直して声をかけた。

「な、なあ、ララリエル、じゃなくて、サボリエル、さん?」

「はい! なんですか!?」

「聞きたいことは山ほどあるけど……なんでこんなことをしたの?」

未来人に化けてまで貴大の貴大を奪おうとした。そこにはどのような意図があったのか、狙われた身としてはどうしても聞かずにはいられなかった。

(深い事情でもあるのかな?)

貴大はそのように考えていたのだが――。

「簡単な話ですよ。これ以上仕事を増やしたくなかっただけです」

「は?」

「わたし、よりによってあなたの子どもの管理担当なんです。数人ならまだしも、十人を超えてくるとさすがに作業が面倒になってきて……」

「はあああああああああああああ!?」

明かされた真実は予想の斜め上を行くようなものだった。管理が面倒臭いから、これ以上子どもを増やしてほしくない。馴染みのあるワードも含まれてはいるのだが、いざそれを聞くと頭が痛くなってくる貴大だった。

「なんなの……マジでなんなの……そんなことで俺のあそこをもぎ取ろうとしたの……?」

「なんですかその目は! 管理者に対して不敬ですよ!?」

「うるせえええええ! 何が管理者だ! お前らときたら、いつもいつも厄介なことばかり持ち込んできやがって……!」

「それはこちらの台詞ですぅー! もー、ほんとにあなたときたら、バグの塊みたいなイレギュラーで……!」

言い合いを始める貴大とサボリエル。ここぞとばかりに不満をぶちまけるふたりだったが、すぐにも貴大はにやりと笑うとサボリエルの急所を突き始めた。

「いいのか? そんな偉そうな態度を取って」

「え? な、なんです? どういうことですか?」

「どうせ独断で手抜きをしようとしてたんだろう? 誤魔化せると思ったんだろうが、俺には他にも天界に知り合いがいてなあ」

「うぐうっ!?」

「別ルートで報告が上がったら、お前、一体どうなるんだろうな?」

「ううううう~!?」

長引くと思われた戦いはあっという間に決着がついてしまった。管理者サボリエルの泣き所、それを的確に見抜いた貴大の鮮やかな勝利と言ってもいいだろう。

悔しげに貴大をにらみつけていたサボリエルだったが、「はー」と大きく息をはくと降参とばかりに肩の力を抜いていった。

「わかりました。ここはわたしの負けでいいですよ」

「負けもなにも、お前が一方的に突っかかってきただけだろうが」

「うるさいですね。細かいことを気にするとハゲますよ」

「ほんとーに口の減らないガキだな」

貴大の悪態には無視を決め込み、サボリエルはガチャガチャと音を立てて複数の映像水晶を回収していく。

(こんなもん作るくらいなら、ちゃんと仕事をすればいいのに)

貴大はそう思うのだが、楽をするためならば多少の苦労はいとわない、サボリエルとは要するにそんな少女であるのだった。

「ではでは、わたしは帰ります。みなさんどうもお騒がせしました」

風呂敷包みを背負って頭を下げるサボリエル。意外と礼儀正しい彼女は、ちらりと貴大の方を見てから話を続けた。

「正直、あなたにはまだまだ言いたいことがあるのですが」

「こっちの台詞だ!」

「まあいいでしょう。クールなわたしは素直に去りますよ」

サボリエルはふんと鼻を鳴らして浮かび上がった。そのまま転移を始めるのか、彼女の周りには淡い光の粒子が漂い始めている。

「さようなら、サヤマタカヒロとその縁者たち。願わくはあなた方一族が余計な面倒事を起こしませんように」

「ほっとけ!」

「それではみなさん、ごきげんよう」

「……っ!」

リビングに光が満ちたかと思うと、次の瞬間、サボリエルはフリーライフから消えてしまっていた。数枚の羽根だけがひらひらと舞う白昼夢のような光景に、しかし一同は何やら慣れた様子を見せるのだった。

「これで騒動もひと段落かな」

「さすがにこれ以上はない、よね?」

「はー、やれやれ。なんかドッと疲れたぜ」

「少し休憩してから解散という形にいたしましょう」

和気あいあいと穏やかな空気に包まれていく貴大たち。イクスと蓮実、新しい兄弟も加わって、佐山家はますますにぎやかな一家になりそうで、

「あ、そうだ、言い忘れていました」

「っ!?」

「伝達事項があるのです。正直言いたくないんですけどね」

「おま、変なとこから顔だけ出すな!」

空中からにゅっと出てきたサボリエルの頭に和やかな空気は四散してしまった。警戒する貴大の前で、小さな管理者はため息をついてこう告げた。

「サヤマタカヒロさん。先日、あなたに関するバグフィックスが終わりました。完全なものではありませんが、バグの遺伝はもう心配する必要はなさそうです」

「え? いや、どういうこと?」

「簡単に言いますと、もう子どもを作ってもいいということですよ。すでに制限は解除してあります。同じ相手でもまた子どもはできますよ」

「は……!?」

「あー、やだやだ、面倒臭い。絶対あんな部署異動してやる。週休6日くらいの超絶楽な仕事をどうにか探して」

「おい! おい! なんかこう、もうちょっと詳しい説明をだな!?」

「まあ、すぐに分かりますよ。それでは改めて、さようなら」

「おいーーーーーっ!?」

伸ばしたその手は虚しく空をつかむばかりだった。またもや消えてしまったサボリエルは、今度は羽根というわずかな痕跡さえも残さなかった。

いや、残されたものはあるはずだ。それは俗に爆弾発言と呼ばれるもので、それによりリビングは静かな緊張感に包まれていて、

「タカヒロ?」

「ひっ!?」

甘く控えめな声が貴大の全身を震わせた。振り返るとそこにはカオルの姿があり、彼女はなぜか恥ずかしそうな顔でもじもじと体を揺らしていた。

「あの、あのね? さっきの話、本当なのかな?」

「あ、ああ、えっと……あの噓つきの話か?」

「あれだけは本当なんじゃないかな? 同じ相手でも子どもが作れるって、あれだけは」

「いや、その、あの」

「うちにね? 二人目がいたらいいなって、ずっとそう思ってて」

「あわわわわわ……!?」

とうとう貴大の体がガタガタと震え出した。気がつくと周りは妻たちに囲まれていて、彼女らは一様に肉食獣のごとき目で夫のことを見つめていた。

「先生? 今夜、当家にいらっしゃいませんか?」

「わたしの家でも歓迎するよ!」

「もちろん、貴様は我のことを選ぶよなあ?」

「か、母さんが! オレの母さんが、男の子も欲しいなってずっと言ってて!」

(ヤバいヤバいヤバいヤバい! ヤバい!)

近年まれに見る窮地だった。これに比べれば時の神との戦いもお遊戯に感じられるほどのものだった。

「あ、僕はあとでいいからね?」

「あたしもー」

のんびりした者もいるにはいるが――。

言っていることは後詰めの増援のようなものだ。あのエルゥでさえも貴大の様子をうかがっていて、つまりは彼に逃げ場など存在しないようだった。

「どうすんの、バカヒロ。絶体絶命のピンチっぽいけど」

「どうするったって、お前! どうしよう!?」

「はあ。わたしが逃がしてあげようか?」

「いや、まずい! それは逆にまずい気がする!」

次元の魔女は新参者、妻たちにとってはよく分からない部外者だ。そんな相手と手を取り合って逃げ出せば、一体貴大はどう思われてしまうのか。

(状況を悪化させたくない……だが、しかし!)

悩んでいるうちにも妻たちの手が近づいてくる。イクスの時の冗談とは違う、管理者のお墨付きによる本気のアプローチ。それが蜘蛛の糸のように絡みつく前に、貴大が取った行動とは――!

「はっ! とうっ!」

「「「…………っ!?」」」

「うおおおおお! つあーーーーーっ!!」

全能力を駆使して逃亡を図る。それが貴大の選んだ結論だった。

「くっ、逃がすな! 追え!」

「セバス! セバス! 先生が逃げますよ!」

背後から追跡の始まる気配がした。シャドウドラゴン、そして侍従や護衛の者たちが動き出し、貴大は一瞬にして哀れな逃亡者と成り果てた。

このまま無事に済むのだろうか? 今夜はまともな場所で寝られるのだろうか? 心配事が次から次へと浮かんでくるが、ここで足を止めるわけにはいかなくて――。

「……ご主人さま?」

「……はっ!?」

「……あの。なぜわたしは抱えられているのでしょう?」

「しまった……! つい!」

それは防衛本能の一環なのかもしれなかった。無意識的に味方を求めた貴大は、家を出る際にひょいとユミエルを抱き挙げていたのだ。

そしてそのまま「お姫様抱っこ」の状態でふたりは逃亡を続けている。ユミエルはいつも通りの無表情だったが、わずかながらもきょとんとしているようにも見えた。

「すまん! ちょっと止まって下ろそうか!?」

「……いえ。構いませんよ。逃亡を優先してください」

「いいのか? って、うおおお!?」

煙突の影から無数の触手が飛び出してきた。それを寸でのところで回避すると、貴大は屋根から屋根へ、建物から建物へと次々に飛び移っていく。

「……警笛の音が聞こえますね。ギルドの援軍が来ますよ」

「フェルディナン家の護衛もいそうだなあ。くそ!」

「……しばらく身をひそめるのがよろしいかと」

「そう! したいのは! 山々だけ! ど!」

神がかった動きで投網や吹き矢をかわしていく貴大。彼は更に速度を上げていき、遂には城壁に飛び乗って港の方へと駆けていった。

「待てー! 待たぬか、タカヒロー!」

「タカヒロくーん! 戻ってきてー!」

「お断りしますぅ!」

遠目で見ると楽しげな追いかけっこ、近くで見れば必死の逃亡劇は更に激しさを増していくようだった。

「なんか毎回すまないな。いつもこんな感じの騒動に巻き込んじゃって」

「……平気です。むしろにぎやかで楽しいですよ」

「肝が据わってきたなあ。まあ、そういうことなら、っと!」

拘束魔法をかわして佐山貴大はまだまだ走る。その腕の中にいるユミエルに苦笑を見せて、彼は一心、どことも知れない場所へと向かっていた。

「この先、ずっとこんな調子だろうけど」

「…………」

「まだまだこれからもよろしくな?」

「……はい」

花の都のグランフェリア、ユミエルが見せたのはどんな花よりも淡く美しい笑顔だった。それを受けた貴大もまた優しく柔らかく微笑んでいる。

騒動はまだ収まらない。人はますます増えてきている。

しかし、貴大とユミエル、ふたりを中心にした奮闘記は――。

この先、何十年でも幸せに続いていくことを予感させた。