軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

八女クルールとの交流

朝の気配に自然とまぶたが持ち上がった。

時計を見れば六時前、目を覚ますには少々早いような時間帯である。

(眠りが浅かったのかな)

それにしてはぐっすり眠れたような感覚がある。まだ眠いは眠かったが、頭の奥にズンとのしかかる疲れ、それはすっかり取れているように感じられた。

(昨日は大変だったのになあ)

パルフェと繰り広げた大冒険はあのあと夕方まで続けられた。日が暮れる前には家に帰すことができたんだけど、その直後にキリングに捕まり、俺は説教のような愚痴のような奇妙な晩酌に付き合わされたんだ。

オレはまだ納得していないだの、孫はお前の跡を継がせないだの、ここ数年ですっかり定番になってしまったお決まりの文句。それを長々と聞かされて、そのくせ上等な酒と肴を飲めや食えやと勧められて、

(で、いまに至るというわけか)

あのキリングの飲みからよくぞ解放されたもんだ。フォローに回ってくれたお義母さんにも感謝しつつ、俺は大きく息をつくのだった。

「ふー……」

目は覚めたがやはり眠気が残っている。体が自然と二度寝、三度寝を欲していて、俺はすぐにも再び眠りへと落ちようとしている。

(まあ……時間はあるし……)

おまけに今日の相手は相当なまでのねぼすけさんである。俺が起きてもあいつが起きるという保証はないし、だったらこのまましばらく寝てもいいはずであって、

「……ん?」

身じろぎしたところで柔らかい違和感に気がついた。このベッドの中には誰かがいる。それもかなりもふもふした存在、具体的には大型犬のような女の子だ。

「んん?」

まさぐってみると柔らかい手応えが返ってきた。やはり犬耳がついている。やはり犬のしっぽが生えている。おまけに体が小さいとなると、それはもう、ここにいるのはあの子以外にはあり得なかった。

「クルール!?」

「むにゃ……」

掛け布団をはいだところでその子の姿が露わになった。

パジャマ姿の犬獣人、淡い茶髪が目にも優しい女の子。くしくしと目をこすり、少しぼんやりと目をさまよわせた少女は――。

最後にはにこりと笑い、俺に返事をしてくるのだった。

「おはよう、ぱぁぱ♪」

舌っ足らずな声で俺をパパと呼ぶ少女。この子こそが八人姉妹の末っ子であり、あのクルミアと俺の間に生まれた子どもなのであった。

「はむ、もぐもぐ、もぐ、もぐ」

「美味いか? クルール」

「わう♪ はぷ、ん、んっ、んっ」

「……あ、少しこぼれましたよ」

「ルーちゃん、わたしが拭いてあげるね?」

「いや、わざわざ回ってくることもないだろ」

「いいから! ほら、ルーちゃん、んーってして!」

「んんー♪」

「ごしごし……はい、きれいになった!」

午前七時の朝食の席、そこには俺とクルールの姿があった。

その向かい側に座っているのはユミエル、コミエルの妖精種親子だ。水色髪が美しいハーフフェアリーたちは、しかし、互いに見惚れることもなく末っ子の動向を見守っている。

「……クルールちゃん。サラダは残さず食べられますか?」

「う、うん。がんばる」

「えらいね~♪ ルーちゃん、とってもえらいよ!」

かいぐりかいぐり妹の頭を撫でまわすコミエル。その顔はこれ以上ないほどにとろけていて、正直女の子としてはどうかと思う類のものだ。

(まあ、クルールはぶっちぎりでかわいいもんなあ)

末っ子という立場を差し引いてもみんなに愛されるだけの要素がある。それはクルールの可憐な見た目で、この子はどうしたことか、王都の中でもトップクラスに整った容姿の持ち主だった。

(おまけに……)

性格も素直で優しい飛び切りのいい子だ。その純粋さは悪霊さえも浄化してしまうほどで、それもあってかうちの娘は天使の生まれ変わりとさえ言われていた。

(完璧な少女。犬獣人の天使、クルールか)

噂によると貴族の子弟さえダース単位で一目惚れさせたのだとか。そんな稀代の美少女は、そんなことも知らずにはむはむとプリンを食べているのだった。

「ふー。わたしはもうごちそうさま!」

「もういいのか? キッシュの余りがまだあるけど」

「今日は学校があるからね。あんまし食べると眠くなるの」

「じゃあこれ、弁当にでもしようかな」

「……バスケットを用意しておきますね」

ユミエルがいそいそと物置の方へと向かっていく。それに合わせて食器をまとめ、俺は皿洗いでもしようと台所の中に移ろうとして、

「あ、ああっ!?」

「どうした?」

「み、見て、お父さん! ルーちゃんが、ルーちゃんが」

「んん?」

「眠ってる~~~……!」

娘は口元を押さえて歓喜の感情に震えていた。その視線の先にはすやすやと眠るクルールの姿があり、それをコミエルは眼福とばかりに非常に熱心に見入っている。

「お腹がいっぱいになったんだねえ」

「だろうな」

「座ったまま器用に寝ているねえ」

「だな」

ひそひそ声で話し合う俺たち。かわいいものは誰にとってもかわいいのか、あのユミエルでさえもリビングに戻ってくるなり動きを止めた。

「ほら、お母さん。ルーちゃん寝てるよ」

「……ええ。あどけない表情ですね」

「このままずっと見ていたいよー」

「……わたしもそのような気持ちです」

ふふっと笑う俺たち親子。自然と生まれた温かな時間は、それからも長く続いていくように思われて――。

「って、ああー!? もうこんな時間!」

「えっ?」

「遅刻する! 遅刻するーっ!」

ふと時計を見上げたコミエルが急にドタバタと騒ぎ始めた。通学鞄をひっつかんだかと思うと、すぐにそれを下ろして中の教科書などを確認している。

一方のユミエルも店の準備が残っていたようで、珍しくも焦った様子を見せ、急いで事務所の方へと消えていってしまった。

「手伝おうか?」

「いや! いいから! もうそんな余裕もないから!」

「……こちらも大丈夫です。ご主人さまはクルールちゃんのそばにいてあげてください」

「いいのか?」

「……ええ。今日はあの子の日ですから」

顔を出した俺をユミエルは優しく追い返した。直後に「いってきます!」の声が上がり、うちの長女が家の外へと飛び出していく。

「馬車には気をつけてなー」

小さな背中に声をかけ、娘の登校を見送った俺は――。

言われた通りにリビングへ戻り、末っ子のそばへと近づくのだった。

「すう……すう……すう……」

我が家の天使は穏やかな寝息を立てていた。椅子の上でうつむくように顔を下げ、そのままの姿勢でズレ落ちることなく眠っている。

(今日はちょっと寝不足なのかな?)

少しそう思ったが、まあ、十中八九そんなことはないだろう。この子は寝ること自体が何より好きで、一日の大半は寝て過ごすような筋金入りのスリーパーなんだ。

ゆうべは誰よりも早く夢の世界に旅立ったはずで、俺のベッドに潜り込んだのもトイレに起きた束の間の出来事のはずだった。

「クルール。クルール。座ったまま寝ちゃダメだぞ」

「ん、んう」

「ほら、」

「んー」

寝ぼけた娘が両手を伸ばして抱きついてきた。それを俺はよいしょと抱え、リビングの一角、畳敷きの小上がりへと運ぼうとする。

「ちょっとお父さん、洗い物とか済ませるからな?」

「ん、んーん」

「んーんじゃないの。ほら、ここで横になってな」

甘える娘をなるべく優しく引きはがしてやる。小上がりには出しっぱなしの炬燵があって、そこには先客の黒猫獣人の姿もあった。

「ニャディア。ちょっとだけクルールを見ててくれ」

夜勤明けの運び屋にそれだけ言い残して娘を渡す。少し不機嫌そうにも見えた女は、それでも炬燵のスペースを空け、うちの末っ子をするりと中へと入れるのだった。

「すう……すう……すう……」

「くう……くう……くう……」

(大丈夫そうだな)

わんことにゃんこは抱き合うようにして眠り始めた。それを最後まで見届けた俺は、くるりと踵を返し、改めて台所の方へと向かっていく。

皿洗いなんかは俺がパパッと片づけることが多い。やはりスキルは便利なもので、加速や分身、手数の多さを活かせば家事も別に苦にはならなかった。

(ついでに弁当も作っておくか)

パンを取り出してから何度かナイフを走らせる。あっという間に8枚切りにされた食パンは、それぞれ異なる具材が挟まれ、すでに四つ切りの状態にもなっていた。

(やっぱチートだよなあ、これ)

妙なところでそれを強く実感してしまう。そのことに苦笑しながらバスケットを取り出した俺は、家族の分まで昼の弁当を用意するのだった。

「さて、と」

そうこうしているうちにあらかた家事は終わってしまった。食器はつやつや、シンクはピカピカ、床の上にはパンくずひとつも落ちてはいない。

テーブルを拭くのも分身がすでに済ませている。つまりはこれで片づけは終了、特にやるようなことは見当たらなかったんだが、

(ちょっと早くやりすぎたか?)

クルールが寝てからまだ十分も経ってはいない。昼寝にしてはかなり短い時間になってしまい、あいつはまだまだ寝ていたいような状態だと思えた。

(新聞でも読んで時間を潰すかな?)

のんびりとした末っ子と一日じっくりと付き合うんだ。ここは相手のペースに合わせ、俺ものんびりしようかと思ったところで、

「クルール?」

当の本人が目をしょぼしょぼさせながらやってきた。半分寝ているかのような曖昧な顔、それは俺の方へと何とはなしに向けられている。

「なんだ? トイレにでも行きたいのか?」

「んーん」

「じゃあ牛乳でも飲みたいのか?」

「んーん」

ふるふると首を横に振るクルール。いまにも寝落ちしそうな娘は、それでも頑張ってこのようなことを言い出すのだった。

「おてつだい、する」

「え?」

「パパのおてつだい、するよー」

「クルール……!」

不覚にも涙腺が刺激されてしまった。寝ることが三度の飯より好きな子ども、それが昼寝よりも親の手伝いを優先しようとしてくれているんだ。まだまだ寝足りない年頃だろうに、なんとまあ、健気というかいじらしいというか。

(幸せって、きっとこういうことなんだろうな)

ジーンと胸を震わせて、俺はこみ上げる感情を噛みしめるのだった。

「そうだな。なら、小上がりにクッキーでも運んでもらうか」

「わう。ルー、がんばる」

にこりと笑ってしっぽをぱたぱたと振り始める。そんな娘にボウルを渡し、俺は近くで見守りながらゆっくりとリビングを横切っていく。

「ん、しょ」

少し慎重に段差を上がり、炬燵の天板にボウルを置けば出来上がりだ。どうということはない仕事だが、6歳児は6歳児なりにやりがいや達成感を感じているみたいだった。

「偉いぞ、クルール」

「んんー♪」

嬉しそうに俺のなでなでを受け入れるクルール。どうやら眠気は去ったようで、顔はしゃっきり、両目はぱっちり、体のふらつきもすっかり消えてしまっていた。

(しばらく寝かせておこうと思ったけど)

これならお出かけしても問題はないだろう。クルミアからも「なるべく外で遊ばせてね?」と言われていることだし、俺は娘を近くの公園にでも連れていくことを決めた。

「クルール。今日はさ、俺がお休みの日なんだけどさ」

「わう!?」

「ちょっと散歩にでも出かけるか? 公園に着いたらボール遊びをするのもいいな」

「わうーん♪」

今度のしっぽはまるで回転するかのように激しくぶんぶんと振られていた。そんな娘に微笑ましさを感じながら、俺は早速外行きの準備を進めることにして、

「ああ、そうだ」

「うう?」

「弁当も作ったんだ。クルミアの好きな芋とチーズのサンドイッチもあるぞ?」

「きゅん、きゅーん♪」

子犬みたいに鳴いて抱きついてきたクルールを、俺はやはり笑顔のまま、優しく柔らかく撫でてやるのだった。

「そら、取ってこーい!」

青空の下でピンクのボールが高く舞い上がった。

ここは中級区にある自然公園のひとつ、この街の住人が憩いやスポーツに使うような場所だ。俺はそこで娘といっしょに投げたり走ったりを繰り返している。

見ようによっては単純すぎる遊びではあったが、腐っても獣人ということなんだろう、意外にもクルールは体を動かすことが嫌いではなかった。

「もういっちょ、ほーい!」

「わううっ!」

短く吠えて駆け出していくクルール。幼いわんこは急いでボールを取ってきて、それを俺の元へと嬉しそうな顔をして運んでくる。周りを見れば似たようなことをしている親子は多く、広々とした芝生の上、中にはもみくちゃになって遊ぶ幼児の姿も見受けられた。

「よーしよし。偉いぞ、クルール」

「はっ、はっ、はっ、はっ……♪」

「じゃあ、もう一回ボールを投げて」

「…………!」

「そのふりをして、逃げる!」

「わうっ!」

逃げ出した俺をクルールは即座に追いかけてきた。俺は俺で娘が追いつけるように速度を緩め、最後には両手を広げて華奢な体を受け止めてみせる。

「きゃー♪」

「わーはははは!」

ごろごろと地面に転がって高らかに笑い声を上げる。そんな俺たちの頭上では、いくつかの雲がのんびりぷかぷかと空を泳いでいるのだった。

「わう。楽しい、ね?」

「ああ、だな」

「風がすずしくて……気持ちいい」

「そうだな……」

そよ吹く風には草の匂いがたっぷりと含まれていた。それさえ心地よいものだと感じ、俺とクルールは自然とまぶたを閉じていって、

『……ひそひそ』

「ん?」

何やらおかしな視線を感じてしまった。むくりと体を起こせば、俺たちの正面、道沿いのベンチから少年たちがこちらを見ているのが分かった。

(ナンパか?)

うちのクルールはあり得ないほどかわいい。6歳にしてローティーン程度の身長を持ち、そこにあどけなさも加わって天使のように可憐な少女に見えてしまう。

これにやられた男は十や二十じゃ済まないだろう。街を歩けば誰も彼もが振り返り、中には直接声をかけてくる者もいるくらいだ。

俺はてっきり、今回もその手のやつだと思ったんだが、

『ファンファン!』

「は?」

「あ、お巡りさん、ここです!」

「あいつです、あの男」

「やつが犬獣人の子にちょっかいをかけていて!」

「はああ!?」

公園の入り口から厳つい警邏たちが近づいてきていた。くちゃくちゃと煙草を噛んでいる先頭の男は、なぜかビシバシと自分の手のひらに極太の警棒を叩きつけている。

「すみませぇん。ちょっとよろしいですかー?」

「あなたとこの子、一体どういう関係なんですかねぇ?」

「実の親とその子どもですぅ!」

「ほんとですかぁ?」

「その割には全然似てないように見えるんですが?」

「ほっとけ!!」

疑う警邏の男たちに対し、俺は身分の証明だけして追い返すのだった。

「ったく……」

男たちが去ったあと、俺は娘を連れて木陰の方へと引っ込んでいた。

クルールはすでに安らかな寝息を立てている。その頭を優しく撫でながら、俺は先ほどの男の言葉を思い出していた。

「全然似てない、か」

寝るのが好きなところは俺の遺伝に間違いないんだけどな。そんなの他人には分かりっこないし、俺自身、容姿は似てないよなとは思っていた。

「目は俺の色だよな?」

これまた微妙なところである。まあ、そんなことを言い出せば、うちの子どもなんてほとんど母親似であるわけだけど。

「種が強いのか弱いのか分かりませんよね?」

「まったくだ」

うんうんとうなずく俺たち。隣り合ったふたりは、そのまま神妙な顔でうーんと腕を組んで考え始めて、

「って、ゴルディ!?」

「はい、ゴルディです!」

気がつくと隣に知人の姿があった。クルミアによく似た女性、髪だけは長い犬獣人は、何やら妙に懐っこい態度で驚く俺に話しかけてくる。

「やあやあ、奇遇ですね、タカヒロさん?」

「あ、ああ。そう、か?」

「そうですよう。お散歩していてたまたま見かけただけなんですから」

にこにこ笑顔でしっぽを振るわんこ。ここまでは特に怪しいところなど感じられないが、

「いや、でも、またぞろ俺を狙いに来たんじゃないか?」

「狙う? 狙うとは何のことでしょう?」

「とぼけんなって。ほら、婿だの嫁だの子どもだの」

「言っていたこともありましたっけ。ふふっ、遠い過去の出来事です」

「今年に入ってからの話なんだよなあ」

ジト目で見る俺をゴルディはからからと笑っていた。その態度にますます警戒心を高めた俺は、少し距離を取り、次の質問を重ねていくのだった。

「もう野心はないわけか? 暴走しがちな欲望は?」

「ありません。私はすでに大人の落ち着きを身につけました」

「本当か? 本当に私欲や煩悩を捨て去ったのか?」

「もちろんですとも。私も教会の関係者ですからね?」

「ふうん。で、実のところは?」

「私も子どもが欲しいです!」

「やっぱりかあ」

俺は大きな大きなため息をついた。どうやらゴルディは俺との子どもが欲しいらしく、何かにつけてはしきりにアプローチを繰り返してきていた。

「なんでそんなに子どもが欲しいの」

「理由なんてありませんよ。これは生き物としての本能なのです!」

「お婿さんなら見つけてきてあげるけど?」

「犬を見ながら言わないでください! いまの私は人間です!」

その割には動物的要素が多いように感じるんだけど――。

まあいい。これ以上は言っても無駄だ。俺の方にその気はないし、今日のところもこいつにはお引き取り願おうじゃないか。

「発情期は辛いんです、切ないんです。私にもお相手が必要なんです」

「だからって妹の旦那に手を出すなって。ほら、常識とかモラルとかそういったものがあるんだからさ」

「王都でも有数のハーレムを築いているのに?」

「うっ……!」

「クルミアには『ピー!』歳の時に手を出したのに?」

「うわ、わー! わー!?」

また警邏が鳴らすサイレンの音が聞こえるかのようだった。背中に冷たい汗を感じながら、俺はどうにかこの場を収めようと小さな頭を回し始める。

「いや、もう、そのことについてはまたあとで話そう! 今日はクルールと過ごすための日なんだ!」

「むっ!」

「お前も叔母なら邪魔してくれるな。な? 頼むよ」

「むむむっ!」

さすがのゴルディも姪への愛情はあるらしかった。少し唸って身を引いたわんこは、しばらくしてから立ち上がり、意外にも爽やかな顔を見せるのだった。

「仕方ないですね。ここはタカヒロさんの言うことに従いましょう」

「ゴルディ」

「ですが、私はひとつ予言しておきますよ?」

「予言?」

「ええ。節操なしのタカヒロさんは、これから先も子どもを増やしていくのだと! なんだかんだで私にも手を出してしまうのだと!」

「え、ええ……?」

「ふふふ、その未来が楽しみですね? 私はそれまでじっくりと待たせていただいて……!」

「あー、もう。シッシッ!」

「キャインキャイン!」

ボン! と音を立ててゴルディは犬の姿へと変わってしまった。そのまま逃げていく大きなわんこを、俺は「正体がバレた妖怪みたいだな」と思いながら見送っていて、

「ぱぁぱ」

「ん? なんだ?」

いまの騒ぎで起きたのだろう、クルールは俺の隣でちょこんと女の子座りをしていた。それだけではなく、俺の袖をつかんで何やら困ったような顔をしている。

「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか?」

どうやらまさにその通りらしい。小さくこくりとうなずいた娘は、控えめながらもはっきりとした声で俺にとあることを訴えかけてきた。

「お姉ちゃんをいじめちゃだめだよ?」

「え?」

「お姉ちゃんにやさしくしてあげて?」

「そ、そっかあ」

何かと思えばそのことだったか。お姉ちゃん、つまりはゴルディを俺がいじめていたと思ったんだな?

「いや、別にいじめちゃいないけどさ」

「わう?」

「優しくしたらしたで、あいつ、めちゃくちゃ調子に乗るんだよ」

「うう? むずかしい、の?」

「ああ、難しい。本当に難しい問題なんだ……」

遠い目をしてこれまでのやらかしを振り返る。そんな俺を、クルールはきょとんとした顔で見つめているのだった。

さて、いよいよ待ちに待った夜である。

俺とクルールはうちの近所のアパートへ行き、そこで暮らしているクルミアが帰ってくるのをいっしょに待った。連絡は入れておいたから合わせることができたんだろう、程なくして階段を上がる音が聞こえ、家のドアは弾けるようにして開かれていった。

「ただいまーーーーーーー♪」

「ただいま、ただいま、ただいまー♪」

「んー、ちゅっちゅっ。タカヒロ、クルール、ちゅっちゅっ」

「いい子にしてた? 今日はお父さんと楽しめた?」

「わう! いっしょに公園で、遊んだ!」

「よかったねーーー♪ よしよし、よーし♪」

「わうん♪ わう、わうー♪」

このハイテンションな女性こそがクルミアだ。孤児院の仲間たちといくつかの事業を立ち上げた彼女は、いつも忙しく、しかし充実した毎日を過ごしていた。

「よう、おつかれさん」

「タカヒロもお疲れさま。どう? ちょっと疲れたかな?」

「それほどかな。でも、もう眠いと言えば眠くはあるな」

「そっか。じゃあ、みんなでお風呂に入って」

「わう! ねよーう!」

元気よく宣言する娘に俺とクルミアは温かな笑みを浮かべている。やはりこれが幸せの形のようで、俺たちはいっしょに食事を取り、いっしょに風呂に入り、そして最後にはいっしょのベッドで川の字のようになって転がっていた。

今夜のクルールは絵本さえも不必要なほどに嬉しがっていた。その楽しそうな顔を見ていると、俺もなんだか楽しい気分になってしまって、

『ぺろっ』

「うっ!?」

『ぺろぺろ』

「うう!?」

『ぺろぺろ、ぺろっ』

「ううう……!?」

(来たか……!)

幸せに水を差すように生温かい感触が頬をなぞった。左を見ればクルミアが、右を見ればクルールが、それぞれ無心になって俺のことを舐めようとしている。

『ぺろぺろ、ぺろん』

「うー……」

『ちゅっちゅ、ちゅー』

「ううー……」

俺も結婚してから知ったのだが、犬獣人や猫獣人は親しい人と舐めあうような習性があるらしい。もちろんそれにはキスや甘噛みも含まれていて、俺は夜な夜な、妻と娘から頬を好き放題にされてしまっていた。

『ぺろぺろ、ぺろろん』

『ぺろぺろ、ぺろっ』

「あー……」

このグルーミングはふたりが満足するまで続いてしまう。普段会えないこともあるせいか、クルミアもクルールもここぞとばかりに舐めまくってくる。

これが噂に聞くペロリストというものなのだろうか? 世の犬獣人たちはみんなこのような夜を過ごしているのだろうか?

そこまではさすがの俺にも分からなかったが、

『ぺろぺろ♪』

『ちゅっちゅっ♪』

『はむはむ♪』

『かぷっ♪』

「うあー……」

本人たちが幸せなら――。まあ良しとする俺であった。