軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

五女ノエルとの交流

かつてそこには黒髪の魔女がいたのだという。

叡智と引き換えに人の尊厳を踏みにじり、時にはいたいけな少年を悪魔の手先へと変えてしまうほどの魔女。エルフとも 死霊(レイス) とも目されるその存在は、王立図書館の地下に巣食い、夜な夜な怪しげな実験を繰り返していたのだとされている。

地の奥底から化け物の悲鳴が伝わってくる。煙突はもくもくと紫色の煙を吐き出し続ける。極めつけは見習い司書たちの目撃証言であり、彼女らは「蜘蛛のような異形を見た」「長い黒髪の怨霊を見た」と言って、その場で揃って腰を抜かしてしまっていた。

もはや王都の民に安寧の夜は訪れない。大陸の華たるグランフェリアは、その中心部からじわじわと黒く染まるかのように侵食されていく。やがて黒髪の魔女は地下から這い出し、この地上に大いなる厄災を招くとさえ言われていたが――。

そんな与太話がいつしか聞こえなくなったのはなぜだろうか?

件の王立図書館の地下、かつておどろおどろしかったはずのその場所は、今は優しい空気と柔らかな灯りによって満たされている。どこも薄暗いのは書庫の常だが、肝心要の魔女の棲み処、立ち入り禁止区画などは大きくその姿を変えてしまっていた。

(ううむ……)

辺りをうかがいながら図書館の地下を進んでいく。石造りの通路、魔石の照明、脇に並んでいる書庫の入り口……は、昔とそう変わってないんだが、

(やっぱり、ここがな……)

警備員に挨拶をして立ち入り禁止区画へと入っていく。すると景色ががらりと変わり、なんということでしょう、奥には小ぢんまりとしたホールなんかが見えてきました。

まるで図書館にある広間のようにも感じてしまいます。そんな普通の施設がここにあることに違和感を覚えつつ、俺がなおも進んでいこうとすると、

「やあ、よく来たね」

ホールの隅で本を読んでいた少女が顔を上げてこちらを見てきた。親しげに微笑む黒髪のエルフは、眼鏡をかけ、白衣を着て、いかにも博士のような恰好でたたずんでいる。

まるで図書館の魔女、エルゥのような外見を持ってはいるが、背丈だけはグッと小さい「ちびっ子博士」は――。

やはり嬉しそうに笑い、俺に声をかけてくるのだった。

「待っていたよ、父さん」

俺の五番目の子ども、ノエル・ミル・ウルルは8歳児である。

この子は俺とエルゥの……そう、あのエルゥの……あのエルゥだぞ!? 黒髪怨霊マッドサイエンティト、エルフとは名ばかりの実験モンスターは、つい最近も俺を罠にかけ、怪しげな薬で幽体離脱のような体験をさせたばかりで……!

「父さん?」

「はっ……!?」

直近のトラウマで軽く意識が飛んでいたみたいだ。ノエルにそっと腕に触れられ、俺はすぐにも正気の状態へと戻っていく。

「どうしたんだい? 急にぼうっとしたりして」

「い、いや、何でもないって。大丈夫大丈夫、うん」

「そう……?」

怪訝そうな顔で娘が俺を見上げてくる。その顔立ちはやはりエルゥとそっくりだったが、今度は別にSAN値がガリガリ削れるようなことはなかった。

(ふう……)

内心気を取り直しながら冷や汗を拭う。当の本人、黒髪の魔女がいたら危ないところだったが、ここには俺と俺の娘の姿しか見当たらなかった。

(ノエル、か)

改めてちびっ子博士のことを考えてみる。この子は俺とエルゥの……そう、あのエルゥの……あのエルゥの……!!

(それはもういいんだよ!!)

自分で自分にツッコミを入れてから気を取り直してみる。どうにも強い抵抗感があるようで、俺はノエルのことを「俺とエルゥの娘だ」とは素直にすんなり認められずにいた。

(でも、まあ)

俺の子どもであることは確かなんだよな。姿かたち、種族に至るまで母親のエルゥの血が強く出ていたが、目の色や髪の毛の癖、そんなところは父親である俺にそっくりだった。

(こいつの場合は髪が長すぎて気づきにくいけど……)

くせがあるうえに腰まで伸びてて大変なことになっている。うねる黒髪は遠くから見れば毛虫のようで、雨が降るとこれがぶわっと広がってますます大変になるのだった。

(そろそろ切ればいいのに)

とは思うものの、そこはノエルも女の子、どうやらこだわりがあるみたいで、

「考え事は終わりそうかな?」

「っ!」

軽い調子で問いかけられ、俺はまたもや正気に戻るのだった。

「あ、ああ、すまん。なんかちょっと気が抜けてたな」

「いつものことではあるけどね。ここに来ると父さんは物思いに耽ることが多い」

そう言ってくすくすと楽しそうに笑うノエル。歳相応のあどけなさを見せた少女は、しかし、すぐにも真面目な顔で筋道立ったことを言い始める。

「このまま父さんを観察していてもいいんだけどね。せっかくの休日、もっと有意義に時間を使うのもいいと思わないかい?」

「そりゃまあ……そうだよな。すまん」

「謝る必要はないよ。私が勝手に言っていることだしね」

「いや、だけど」

「いいから、いいから。ほら、ついてきて。今日は父さんに見せたいものがあるんだ」

「おっとと」

不意に手を引かれてつんのめるように前へと歩き出す。俺に背を向けて一生懸命に歩く少女、その小さな姿を見て、俺はまたもや物思いに耽ってしまうのだった。

(俺とエルゥの子ども、か)

今度はすんなりと認めることができた。そう、ノエルは間違いなく俺とエルゥの間に生まれた娘である。その誕生経緯については……あまり語りたくないことだけど……まあ、色々あって生まれてきて、こうしてすくすく成長してきたというわけだ。

そんなノエルは生まれついての天才児であり――。

なんと、生後一年目には流暢な人語をしゃべったという過去を持つ。

その第一声は「オムツを換えてくれないかい?」。第二声は「蒸れてしまって気持ちが悪いんだ」だ。

(道理で利発そうな目をしていると思った)

というより、あれは赤ちゃんの目じゃなかったな。周りを観察するような表情、そのまばたきの少なさにはだいぶ違和感を覚えたものだった。

(とはいえ)

予想に反してエルゥの娘はかなりいい子に成長していった。ルールやモラルは尊重するし、親と違って真っ当な学問に取り組んでいるみたいだし。

この区画が拡充されたのもノエルの働きによるところが大きい。今いるホールからは工房や薬草園、キノコ園などが接続されていて、それらすべてはエルゥの功績、そしてその娘の進言によって増築されたものだった。

これから向かう先もそのうちの施設のひとつなのだろう。銀色のカードで認証を済ませたノエルは、俺の手を引き、スライド式のドアの向こうへと入っていく。

そしてしばらく通路を進むと、やがて思いもよらない景色が広がっていって――。

「お、おお……!」

思わずうめき声を漏らす俺。その視線の先には円柱状の水槽が並んでいて、両方の壁際には一際大きなものが、それも多様な魚の群れが泳ぐものが埋め込まれていた。

(まるで水族館みたいだな)

心なしか空気もそれらしいものに変わったように感じる。きっと魔法の道具で湿度や温度を調整しているのだろうが、具体的にどうしているのかは専門職でもない俺には分からなかった。

「随分と大がかりな施設を作ったな……」

「水棲生物の研究にはこれくらいの部屋が必要だったからね」

ふふっと笑ってノエルは近くの水槽に近づいていった。釣られて俺もそちらに向かうと、娘は少し得意げな顔で灰色の魚を紹介してきた。

「父さんはこの魚を知っているかな? 国内各地でよく見られる種だと思うのだけど」

「あー、まあ、知ってる。煮ても焼いても食えない『ハズレ魚』ってやつだろ?」

「そう言われているらしいね。妙な匂いが嫌厭される理由だそうだけど……」

「けど?」

「実はね、その匂いに強力なデバフの効果があることを見つけたんだ」

「うそっ!?」

「本当だよ。濃縮したものを魔物にぶつけてみたところ、目に見えて衰弱し、相手によってはそのまま倒せてしまうこともあったくらいだ」

「それって毒なんじゃ……?」

「結果的にはそうなるのかもね。だけど人間に対しては効果が薄いよ。嗅覚が鋭く、ある程度レベルが低い相手じゃないと絶命にまでは至らないと思う」

「へー……」

純粋に感心して呆けた声を出してしまった。希少な魚を研究するなら分かるけど、まさか世間ではゴミ扱いされてるものを調べるなんて……。

「こっちの魚も似たようなものかな。皮が厚くてウロコが硬く、そのうえ肉まで臭いと言われた厄介者だったが……」

「が?」

「その骨の髄には特殊な薬効があるみたいなんだよ。まだ治験の最中だけど、どうやら古傷を治す効果があるように思う」

「マジでか……!?」

「マジさ。これなら矢を受けたひざさえ治せるんじゃないかな」

「へえええ……!」

そりゃまた引退した冒険者が大いに喜びそうな話だな。騎士団や傭兵団でも需要はかなりありそうだし、もしやこれはかなりのヒット商品になるのではなかろうか?

(うーむ)

ノエルは俺の想像以上にしっかり功績を積み上げているみたいだ。だからこその増築、だからこその設備なんだろうけど、今さらながらに驚かされたような気分だった。

(この調子ならすぐにでも別の部屋ができるかもな)

なんて、冗談半分なことも考えていたんだが――。

「さて。じゃあ、次に行こうか」

「え? 次?」

「そう、次だよ。実はこの隣に動物園も作ってあるんだ」

「へー………………って、ええええっ!?」

すぐにできるどころか、もうすでに作られていた!

どうやら俺の認識は相当なまでに甘かったらしい。愕然としたまま手を引かれていくと、先ほどの通路、その別の道の先には、確かに小ぢんまりとした動物園が待ち構えていた。

『ギャー! グァー!』

『ホルルル、ホルルルル』

『キャホ、ホッホホホッホ』

高く吹き抜けになっている箱状の庭、そこでは多種多様な動物の姿が確認できた。

地上にまで繋げて太陽の光を取り込んでいるのだろうか? 降り注ぐ日差しの下、ちょっとした森のようにも見える場所で小猿や小鳥、リスの類が戯れている。

(どれも小動物の範疇みたいだけど)

さすがに大型動物を入れるようなゆとりはないか。ゾウガメがのそのぞ歩いているのも視界に映ったが、あれはまあ、特別枠のようなものだと感じられた。

「ここでは小動物の使役について研究しているんだ」

「ん? テイムモンスター……じゃなくて、テイムビースト?」

「そういうことになるかな。ほら、魔女が猫やカラス、フクロウを使い魔にすることは知られているだろう? その応用で野生動物を操れたら……いや、感覚を共有できたら、なかなか便利なことになるんじゃないかと思ってね」

「感覚の共有っていうと、例えば視界の共有とか?」

「そうそう。他には盗み聞きにも適しているかもしれないね」

「なるほどな」

野の生き物で周囲の斥候ができるなら、そりゃまあ確かに便利かもしれないよな。

さすがに専門職の上級スキルには及ばないと思うけど、その場でパッと使える即応性、魔法職でも使える柔軟性はなかなかどうして侮れないものだ。

「他にも形状の変化、魔法の付与、命令の強制などを試しているよ。あ、いや、最後のは物騒に聞こえたかもしれないけれど、別にそんな怖いことはしていなくて」

「分かってるって」

「んん……それならいいんだ」

急に慌て始めた娘をそっと優しく撫でてやる。目を細めたノエルは肩の力を抜き、ぽすんと近くにあったベンチに腰を下ろした。

「……もうちょっと撫でてくれてもいいんだよ?」

「はいはい」

苦笑しながら俺もノエルの隣に座る。そのまま娘を撫で始めた俺のことを、周りの小動物はじっと興味深そうに見つめていた。

「知っているとは思うけど……」

「うん」

「私は、母さんとは違って『狭く深く』が信条なんだ」

「そうだな」

「『広く広く』『興味の向くまま』『手あたり次第に』も、立派な姿勢だとは思うが……」

「…………」

「やはり私は、少ない対象を掘り下げる方が性に合うみたいだ」

そう言ってノエルは何もないところから一冊の本を取り出した。それは俺の持っているアットウィキとよく似たものだったが、よく見れば細部が違う、似て非なるような存在だった。

「父さんから受け継いだこの本、これで対象を挟むと【アナライズ】ができるよね?」

小鳥が乗ったところでノエルはぱたんと本を閉じた。そして再びページを開くと、そこには小鳥の情報が、イラスト付きで事細かに記されているのが分かった。

研究者によっては垂涎物の能力だろう。しかし娘はどこか不満げな様子で、トントンと本を叩くとページから小鳥を解放するのだった。

「でも、ほら。【アナライズ】では基本的な情報しか載らないんだ。先ほどの魚のような応用法は調べてみないと分からない」

「その代わりに……」

「実証したことは加筆されるね。図鑑の内容が充実していく。そしてそれは私の喜びでもあり、おそらくは生きる指針になり得るものなんだ」

真剣な表情で語る8歳児、ノエル。エルフという種族は人の何倍もの寿命を持ってはいるが、だからこそ、その人生に芯となるものが必要なのかもしれなかった。

「私は私だけの図鑑を完成させるよ。それは遅々とした歩みで、時には何をしているのか分からないとも思えるだろうが」

「心配すんなって。俺も、お前の母さんも……それを応援しているから」

「分かってくれているなら……それで、いいんだ」

言葉と共にノエルは俺の方へと寄りかかってきた。その小さな体を優しく受け止め、俺はまた黒髪のエルフのことを撫で始める。

動物園はいつしか穏やかな静寂に満たされていた。どこからともなくそよ風が吹き、ノエルがひざの上に載せた本、そのページをパラパラと音を立ててめくっていく。

その音をどこか遠くに感じながら、俺は娘とまどろみの中へと沈んでいき――。

『バビイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!』

「「っ!?!?!?」」

『ア、アアアア……! 出セ! 早クココカラ出セエエエエエエエエ!!』

「「………………っ!?」」

『オオオオオオオオオ……! 忌々シキ人間ドモヨ……! コノ監獄カラ出タ暁ニハ、周囲ノ家々ゴト紅蓮ノ炎デ包ミ込ンデ』

ぱたん。

ノエルが図鑑を閉じてぱっと消した。するとあの声は瞬時に収まり、ページから這い出ようとしていた無数の手、それも魔法のようにいずこかへと消えてしまっていた。

あとに残されたのは目を丸くした俺くらいのものだ。ノエルは至っていつも通り表情で、それどころかきょとんと小首を傾げてしまっている。

「どうしたんだい、父さん?」

「え? あ、いや……?」

「特に何もなかったように思うんだけど?」

「噓つけぇ!!」

しれっとした顔で無理矢理誤魔化そうとする娘に、俺は渾身のツッコミを入れるのだった。

さてさて、そんなこんなで図書館での時間はあっという間に過ぎていった。

時刻はそろそろ昼の十二時、もうお昼にしてもいいんじゃないかという頃合いだ。そこで一度、ホールに戻ってきた俺たちは……不運にも黒髪の魔女と出くわすのだった。

「げっ、エルゥ」

別の部屋で研究か何かをしていたのだろう。相変わらずの白衣姿で、しかし、髪の毛はショートにしているエルゥが資料を持って突っ立っている。

やつはこちらに気がついていないのだろうか? それなら勿怪の幸いと、俺は抜き足差し足、出口の方へと向かおうとしたが――。

「おや? タカヒロ君じゃないか」

「うっ!?」

「どうしたんだい、こんなところで。別に何か仕事を頼んだ覚えはないと思うのだが」

「ううう……!」

完全に存在に気づかれてしまった……。

まあ、さすがに気づくか。俺はため息をつきながら、渋々、エルゥの方へと向かっていった。

「よう」

「ああ。それで? 何か用かな?」

「お前にはないけど……ほら、娘と過ごすって決めただろ?」

「ああ、あれか。今日がノエルの番だったんだね」

「順当にな。新しい施設なんかを見せてもらってたよ」

「それは良かった。その調子で娘との親交を深めるといい」

(ううう……)

向こうは自然体なのにこっちはどうもギクシャクしてしまうな。苦手意識ってほどではないんだけど、さすがにトラウマが想起されると言いますか。

「あっ、サヤマさん! いらしていたんですね?」

「あ、ああ、セリエ。久しぶりだな」

「はいっ、お久しぶりです♪」

工房の方からセリエが資料を抱えて現れた。かつては駆け出しの身分だった少女も、今では立派な研究助手へと成長している。当然ノエルとも面識のある彼女は、にっこりと笑い、俺の傍らにいるノエルに朗らかな声をかけてきていた。

「ノエルちゃんも朝ぶりだね。どう? お父さんとのお休み、楽しめてる?」

「もちろんだよ。とても有意義な時間を過ごせている。これからは家に帰って、父さんの手料理をご馳走になれるしね」

「わ~、いいな~。良かったね、ノエルちゃん?」

「ああ」

どこか得意げなノエルの表情、それを受けてセリエはぱちぱちと小さく拍手をしていた。人の喜びを自分の喜びにできる性質なのだろう。それは前々から知っていたことだが――。

「サヤマさんも相変わらず甲斐甲斐しいですね? 外食で済まさず、きちんと自分で料理を作って振る舞うなんて」

「ん? ああ、いや、それは別に、特に苦でもないというか」

「偉いですね~。その姿勢、ぜひとも見習いたいです!」

「は、ははは……」

少しハイテンションなセリエに俺はぐいぐいと押し込まれていた。そんな俺の様子に気づかず、見習い司書、ああ、いや、研究助手はなおも話を続けていく。

「ご飯のあとはどうするの? やっぱりお昼寝?」

「そうなるだろうね。その可能性は高いし、何より私がそれを望んでいる」

「いっしょに本を読んだりとかはしないの?」

「それは夜になってからかな。夕食のあとにゆっくりさせてもらうよ」

「でも、それだと結構時間が空かない?」

「ああ、それは大丈夫だ。夕食作りの前に父さんと風呂に入るから」

「なるほど、なるほど~」

「ふふふふ」

「………………え?」

最後の疑問はもちろん俺の声であった。なんか勝手に話が進んでいったけど、あれ? それはもう、決定事項なわけ?

「いや、ダメだって。そろそろひとりで風呂に入れよ」

「え……?」

今度の疑問はノエルの口から漏れ出たものだった。娘は俺のことをまるで異星人でも見るかのような目で見てくる。

「そんな顔したってダメだ。お前ももういい年なんだし、風呂くらいひとりで入りなさい」

親であることを意識しながらそう諭す。いつまでも父親べったりなのは良くないだろうし、たとえ変わり者のエルフでも世間体ってものがあるだろうしな。

そんなことを考え、俺はあえてノエルを突き放すことに決めたんだが――。

娘の反応ははなはだ芳しくないものだった。

「い、いや、それはおかしい。先日まで入っていたのにあり得ない」

「乱入されただけ、とも言うけどな」

「パルフェは無理なく受け入れられた! あの大きな体のクルールだって!」

「自分より年下のやつを例に出すな!」

「いっしょに入らないと燃料代も無駄になってしまう……!」

「誤差誤差。子どもがそんなこと気にするなって」

「いや、でも、しかし……!」

恐ろしいほどに食い下がってくるな。冷や汗を流しながらの説得は、どこか鬼気迫る様子というか、普段はクールなノエルらしからぬ態度というか、

(……って!)

気がついたらノエルが床にひっくり返っていた。足でも滑らせたのかと思いきや、まさかのまさか、手足をジタバタさせての捨て身の行動を取り始めたんだ!

「いやだあああああああああ! やだやだやだーーーーーっ! いっしょにお風呂に入ってくれないとやだーーーーーっ!!」

「えええええ……!?」

「今日は私のために何でもしてくれるって言ったのに!」

「言ってねえけど!?」

「びゃああああああああ! やーーーだーーーーーーっ!!」

ギャン泣きしながらの必死の抵抗、まさになりふり構わぬ抗議であった。

いやまあ、これがまだ演技なら、俺も対処の仕様があるんだけど、

(全部本心なんだよなあ)

そう、これもまたノエルの本性だと言える。

こいつはなんというか、理性で感情をコントロールできるタイプの人間なんだが――。

定期的に発散させないと、それがこうして爆発してしまうことがあるんだ。一度こうなってしまえば制御不可能、あとはノエルの言い分通り、唯々諾々とそれに従う他に道はなかった。

(いや、しかし)

毎回この手で押し通られたら、こちらも親として立つ瀬がなくなってしまい、

「あああああああ! びゃあああああああん!」

「ううっ……」

「私は父さんに愛されていないんだああああああああ! 望まれずに生まれた忌まわしい子どもなんだあああああああ!!」

「それはちが……!」

う! と言い切れないのが俺たち親子の難しいところだった。

暗い地下室。怪しげな薬品。迫りくるエルゥ。痺れて動けない俺。日に日に膨らむお腹には怪しげな魔法陣が描かれ、これも胎教だよと夜な夜な怪しげな呪文が繰り返され――。

一時期は「人類のためにエルゥを殺した方がいいのではないか?」と本気で思い悩んだくらいだ。少なくとも同意の上で生まれた子どもとは言い難く、その点だけは俺はノエルの言葉を即座に否定することができなかった。

「あああああああ! あああああああ! わ、私は罪の子どもなんだああああ!」

まごまごしているうちにとうとうノエルは泣き崩れてしまった。ホールの床にうずくまる少女、そしてそれを見ているだけの俺に刺さる視線は冷たい。

「君ねえ、たまには親らしいことをしたまえよ」

(こいつ……!!)

とは思うものの、普段の衣食住を世話しているのはエルゥだから言い返せない。

「サ、サヤマさん。今回だけはノエルちゃんの言うことを聞いてあげては……?」

「そ、そうですよ」

「自分もそう思います」

「お前らどっから湧いて出てきた!!」

くっ……! 警備のおっさんまで騒ぎを聞きつけて集まってきやがった……!

こうなってしまえば針のむしろ、俺はもう、額を押さえて目を閉じることしかできなかった。

「……分かったよ」

「「「えっ?」」」

「入る。入ればいいんだろ?」

「と、言いますと……?」

「ノエルといっしょに風呂に入る! もう今日はそれでいい!」

「父さん」

俺がうなずくや否や、にこにこしながらスッと即座に立ち上がってきた。

そんなノエルを怒ってはいけない。悪いのは俺だ、親子の交流をおろそかにしている俺の方なんだ……!

自分で自分に言い聞かせている間に事態はすいすいと進んでいく。エルゥたちに別れを告げ、図書館近くのアパートへ行き、そこで食事と昼寝をしてから、そして――。

「ふんふん、ふ~ん♪」

「………………」

「ふふふん、ふ~ん♪」

「………………」

「ふ~んふんふん、ふんふ~ん♪」

「………………」

浴室にノエルの楽しそうな鼻歌が響いていた。俺はといえば娘の髪の毛を洗うばかりで、実に複雑な感情を味わっている。それは敗北感のような、虚脱感のような、少なくとも楽しいものではなかったんだが、

「やあ、やはり父さんに髪を洗ってもらうのは最高だね。普段は魔法で横着してるけど、人の手の繊細な動き、その心地よさを再現することなどできないよ」

「へいへい、ようございました」

「ふふっ、あとで父さんの背中も流してあげるからね?」

「へーい」

やっぱりノエルだけは上機嫌だな。何がそんなに楽しいのやら、足をぶらぶらさせながらまたもやメロディを口ずさみ始めた。

そんな娘に対し、やはり俺は髪の毛を洗うことしかできなくて――。

「しかし、相変わらずすごい量だな。一回洗うだけでも手間がかかるぞ」

「うん、そうだろうねー。いやいや、時間がかかりそうだー」

「風呂上がりの手入れも大変そうだし、そもそも髪を乾かすのだって」

「すぐには終わらないよねー? 一体いつまでかかるのやらー」

「……まさかとは思うが、このためにわざと伸ばしてるんじゃないだろうな?」

「父さんが何を言っているのか、私にはさっぱり分からないよ」

「こいつ……!」

すっとぼける娘に、一瞬、げんこつを握る俺であったが、

「……はあ」

すぐにも拳をほどき、再び娘の髪を洗い始めるのだった。

「ふんふん、ふ~ん♪」

「ふふふん、ふ~ん♪」

「ふ~んふんふん、ふんふ~ん♪」

夕方前の浴室には少女の鼻歌が響いている。泡立つシャボンは窓の外へとふわりと飛んで、漂う香りは不思議とバニラやベリーの匂いが感じられた。

そうしたすべてに、俺は脱力感を覚えながら――。

(こうなる前に、もうちょい親子の時間を作ろう)

そしてノエルの父離れを進めていこうと、秘かに決意を固めるのだった。