軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

四女フウカとの交流

うちの近所には「まんぷく亭」という名の大衆食堂がある。

そこは王都でも珍しい米の飯を出す店であり、近年は地方食材のアンテナショップとしても知られている店だ。

店主は東洋の血を引くアカツキ・ロックヤード。それを支えているのは妻のケイトと一人娘のカオルで、まんぷく亭はいわゆる家族経営の店ということになる。繁忙期は臨時の店員を雇ったりするが、基本的には一家で回す店であり、そこはもう十年以上も変わっていないことだった。

今日もまんぷく亭にはにぎやかな声が満ちている。明るいロックヤード一家は、みんな仲良し家族、喧嘩も滅多にしない人たち――。

の、はずだったんだが――。

「こらー! 待ちなさーーーい!」

家を出たところで突き上げるような怒声が聞こえた。通りに出て少し歩くと、すぐにも声の発信源、件の大衆食堂の姿が見えてくる。

「フウカ! フウカ、どこに行ったの!?」

大きく開かれた引き戸の先、食堂のホールからひとりの女性が飛び出してくる。縛った後ろ髪に活動的なジーンズスタイル。看板娘であり、若奥さまでもあるカオルは、その肩を怒らせて辺りをきょろきょろと見回していた。

「もーーーーー……! あの子ってばーーー……!」

ならぬ堪忍が声になって漏れ出しているようだ。ぷりぷりと腹を立てているカオルは、しばしその場で体を震わせると……すぐにも俺を見つけて声をかけてきた。

「あっ、タカヒロ! タカヒロも探して!」

「えっと……なんだ? またフウカがなんかやったのか?」

「そう! そうなの! 業者さんの顔を見て『ひっ!』とか言って逃げちゃったの!」

「そりゃまあ、失礼ではあるけど……」

いつものことと言えばいつものことではある。みんなそのことは知っているだろうし、子どもの人見知りに本気で腹を立てる人もいないと思うんだが――。

「そのあと、物陰から折り紙の手裏剣を投げてきたの」

「あー……」

納得と諦観の混じった声が出てしまった。多分、「あ、あっちいけ」とか「出ていけ」とかぼそぼそ言いながら投げつけたんだろう。容易に場面の想像がつき、同時にカオルがここまで怒るわけを共感してしまう俺であった。

「あ、ああ~、サンソンさん、すみません! うちの子がとんだことをしてしまいまして……」

「いえ、いいんですよお。かわいいいたずらじゃないですか」

「そ、そうは言ってもですね」

カオルは汗を拭き拭き、店から出てきた業者に頭を下げていた。

おそらくは内装を扱う業者なんだろう、ややふくよかな体形をした大男は、ぷるぷると頬を揺らしながら鷹揚な様子で微笑むのだった。

「住居を含めてのリフォームということで、いくつか腹案を考えていたのですが……お子さんがのびのび遊べるように、少し手を加えるのもいいですねえ」

「いや、それはもう、お任せしますので……」

「まあまあ、カオルさん。大事なことなので、ご両親も交え、きちんと話し合っていきましょう」

いかにも人好きそうな笑顔で締めくくる業者。再び店の中へと戻っていく彼を追い、その途中でカオルは振り返って声をかけてくる。

「あっ、そ、そういうわけだから! タカヒロは……」

「分かってるよ。フウカを見つけりゃいいんだろ?」

「そう! お願いね、お父さん?」

それだけ言い残し、カオルは慌ただしく店内へと去っていった。残された俺はというと、特に何をするでもなく、ぼんやりとその場に立ち尽くして――。

「……さて」

独り言ちるようにつぶやいてみる。俺は視線をそのままに、俺の背中に向かってゆるゆると声をかけてみた。

「お母さんはもう行ったぞ。フウカ」

返事はない。身じろぎもなかった。しかし俺の背中には小さな少女がしがみついていて、真横の民家のガラスにはその姿がしっかりと映っているのだった。

俺とカオルの間に生まれた子、フウカ。この子は一言で言うなら……極度の人見知りかつ引きこもり気質の少女だ。

二言になってしまったが、まあ、言わんとすることは伝わるだろう。とにかくこいつはコミュニケーションが大の苦手で、人がいない場所、暗く静かな場所でジッとしていたいという筋金入りの引きこもりガールなのであった。

あの明るいロックヤード一家から、なぜこんな異端児が生まれたのか……? と思わないでもないが、

(逆にそれが良くなかったのかもな)

四六時中ガハガハ笑うアカツキ。それに合わせて笑うケイト。むくつけきジパニア村出稼ぎの会の面々。客として訪れる荒くれたち。

子どもをギャン泣きさせるには十分な環境だろう。結果としてフウカは内向的な子どもになって、それは今もなお磨きがかかっているのだった。

「手裏剣を投げた、なあ」

今日の出来事、先ほどの話はさすがに驚いてしまった。アクティブなのかネガティブなのかいまいち分かりづらい話ではあるな。

「なんでそんなことしたんだ?」

「……………………」

フウカは答えない。まるでセミのように俺の背中にしがみついている。

「よいよい、っと」

少し揺らしてみても反応はない。ギュッと肩をつかまれはしたが、声を上げたり、もぞもぞと動いたり、そういった分かりやすいリアクションはまるでなかった。

「お、おとーさんは」

「ん?」

「おとーさんは……」

おんぶをしながら道を歩くと、ぼそぼそと、俺にしか聞こえないような声でフウカが何事かを問いかけてきた。かと思えばそれきり口を閉ざしてしまったが、ここで焦ってはいけないことを俺はよく知っていた。

向こうのペースに合わせるのがフウカと上手く付き合うコツだ。辛抱強く続きを待っていれば、ゆっくりと、たどたどしくありながらも、話を続けてくれるはずだった。

「お、怒って、ない?」

「怒る? なんで?」

「お客さんに、よくないこと、したから」

「うーん……現場を見てないしなあ。それに」

「それに?」

「なんか理由があるんだろ? そこまでやったってことはさ」

「……………………」

まただんまりだったが、その点に関しては、俺はフウカを疑ってすらいなかった。あやすように揺らしながら、俺は子どもを背負ったまま進んでいく。

「まあ、お前も色々大変だとは思うけど」

「……………………」

「そのうち慣れるから、あんまり焦らずにな」

ただの慰めではフウカの心には響かなかっただろう。実感を込めた言葉、ある種の 経験談(・・・) だからこそ、娘はきちんと聞いてくれているようだった。

「さて、と。難しい話はこれくらいにしてだな」

「え? え……?」

「今日はフウカの日だぞ? なんか、やりたいこととかないのか?」

「やりたいこと……」

ぼんやりと考えている気配が伝わってくる。言われて初めて気がついたのか、どうやらフウカは具体的なプランを持ってはいないみたいだ。

「ノワゼットに行くか? それとも市場に遊びに行くとか」

「う、ううん……」

「服を見に行くのもいいな。百貨店を見て回るって手もあるが」

「んー……」

むずがるように身じろぎするフウカ。どれもお気に召さないのか、娘は「これだ」という反応をなかなか見せてくれない。まあ、これも想定済みのことではある。根気強く待ち続けると、やがてフウカはもぞもぞと動き出して――。

秘密を打ち明けるように、そっと俺の耳元にささやいてくるのだった。

「あ、あのね?」

「うん」

「わたしね……?」

「ああ」

「……したいな」

「ん? なんて?」

「暗いところで、ジッとしたいな」

「は?」

「誰もいないところで、ただ座ってぼーっとしてたいの」

「修行僧かな?」

思わず真顔で振り返ってしまった。それで娘をビクッと驚かせてしまったが……い、いや、しかし、これは仕方ないことだろう!?

「悟りでも開くつもりか、お前は……」

「そ、そんなつもりはないけど……」

親子そろって語尾を濁すような会話をしてしまった。フウカの引きこもり志向は時に俺の予想を上回り、恐ろしいことに、それは年々成長しつつあるようだった。

「他に趣味とかなかったっけ……あっ、ほら! 料理とか!」

「あ、あれはお店の手伝いだよぉ……」

「友だちを集めてお茶会とか」

「わ、わたし、あんまり友だちいないぃ……」

「ど……読書とか、パルクールとか……」

「……………………」

遂には悲しげな目で首を横に振られてしまった。

ま、まあ、それもそうか。できること=好きなことってわけでもないもんな。フウカは俺の力、特に斥候としての能力を受け継いで生まれてきたが、だからと言って民家の上をビュンビュン跳び回るようなことはしなかった。

いや、より正確に言えば「好まなかった」という方が正しいだろうか。することと言えば姉妹に交じってぼーっとしていたり、部屋のすみの方で何時間も静かに座っていたり――。

それで幸せというのだから、人間は複雑というべきなんだろう。将来はミノムシ、あるいはダンゴムシになると堂々のたまう娘に対し、母親であるカオルは本気で心配をしているみたいだった。

(まあ、人生、なるようにしかならないけど)

8歳の時点で引きこもり志望なのは問題だよな。見捨てるようなことはしないけど、もう少しこう、別の道だとか、違う夢を探してみたりだとかな。

(うーむ)

自分で言っていて無理筋のようにも思えてきた。そもそも現実世界に興味を持っていないのだから、その楽しさ、広がりを教えてみるのが先決かもしれない。

(なんか良さげなものとかあったかな?)

フウカに向いていそうなもの。フウカがなるべく楽しめそうなもの。アイテム欄を広げて探してみるも、そう都合のいいものは見つかるはずもなく――。

「おっ?」

これなんかいいんじゃないか? 冒険者時代はよくお世話になった簡単釣りセット。餌だけ用意すれば素人でも魚を釣れるという便利な代物だ。

幸いにして海釣り用のものが複数個残っている。そしてここ、王都グランフェリアはまさに海沿いの街であり、少し歩けば釣りに適した堤防などがあった。

「よーし! 決まった!」

「え、ええ……?」

突然の声に、俺の肩越しにアイテム欄をのぞいていたフウカがビクッと震えた。その反応に苦笑しながらも、俺は目標が決まった嬉しさから軽い足取りで進み始める。

その滑らかな動きは春風のごとしだ。すれ違う人々がギョッとした目で見てくるが、構うことはない、俺は実に晴れやかな気持ちに満たされていた。

「あれならフウカも楽しめると思うぞ?」

「あ、あれ? あれって、な、なに?」

「釣りだよ、釣り。これから港に行って釣りをするぞ!」

弾むような俺の声に、フウカも思わず目を丸くして――。

「え、ええぇ……めんどくさいぃ……」

「そこは似なくていいんだよ!」

馴染み深い台詞にツッコミを入れながら、俺は娘と共に堤防目指して進むのだった。

グランフェリアは北の海に面した港湾都市だ。国内最大規模の港はよく整備され、海上では大小様々な船がひっきりなしに行き交っている。

さすが輸送の要にして国内最大の消費地といったところだろうか。ふ頭や海辺にはいくつもの倉庫が建てられていて、少し離れた場所には大きな漁港が、それに生鮮食品や穀物を扱う市場までもが備えられていた。

幅広の通りを船員や漁師たちが足早に通り過ぎていく。輸送トラックならぬ輸送馬車が連なるようにして走り抜けていく。そんな光景を横目に見ながら、俺は河口の方、絶好の釣りスポットと言われる場所へと向かっていた。

「いやー、釣りとか久しぶりだなー」

「……………………」

「ちょうどいい感じに晴れてるし、今日は絶好の釣り日和だぞ?」

「……………………」

うきうきと弾む心のまま、俺は背中にいる娘に向かって話しかける。相変わらず返事はなかったが、辺りをうかがうような視線、興味深そうな空気は伝わってきていた。

こっそり振り返って見てみれば、それに気づいてサッと毛布をかぶってしまう。そんな内気なフウカは、しかし、すぐにも顔を出して恥ずかしそうに問いかけてきた。

「ほ、ほんとに釣りするの……?」

「おー、するぞー。めっちゃ釣りする」

「わ、わたし、やったことないぃ……」

「大丈夫だって。俺がちゃんと教えてやるから」

「で、でもぉ……」

もじもじする娘をあえてスルーし、俺は近くの広場、釣り公園のような場所へと入っていった。やはり人気の釣り場なのか、辺りには何組か家族連れの姿もある。

「俺たちは……ここでいいな」

釣り人に交ざって手近な場所に椅子を並べる。追加で釣り竿、パラソル、魔法のクーラーボックスを取り出して、俺はいよいよ背中のフウカを地面へと下ろした。

「や、やぁぁ……」

「こらこら、戻ろうとするな」

「やなのぉ……」

「はいはい。はいはいはい」

むずがる娘をなだめすかして隣の席へと座らせる。それでもフウカは俺にくっつこうとしてきたが、まあ、それくらいは許容範囲のうちだと思えた。

「ほら、やるぞー」

「う、ううう……」

「ほらほら、フウカも。餌は付けたから、錘をひょいって投げてみろ」

「ううう……う、うん……」

渋々ながらも言われた通りに竿を動かすフウカ。海面にぽちゃんと錘が沈んでいき、俺たち親子は並んでその様子を見送っていた。

「さて、と。これでよし。あとはまあ、当たりを待つだけだな」

「えっ……? そ、それだけ……?」

「そうだぞ。もっと激しいものかと思ってたのか?」

「う、うん……えと……釣り糸とかを、手でつかんで、血がいっぱい出て……」

「何のための釣り竿なのかな?」

またもや真顔で問いかけてしまった。

うーむ、なるほど。きっと変な映像水晶でも観たんだな。それこそ『激録! マグロ漁船の二十四時!!』みたいなタイトルのやつを。

「のんびり待てばいいんだよ。魚がかかったら引けばいいんだ」

「で、でも……かからなかったら……」

「それはそれで別にいいんだ。ボーッとするのも釣りの醍醐味っていうしな」

「えっ……?」

「ん?」

「釣れなくていいの……?」

「あ、ああ。まあ」

「釣れなくていいんだあ……♪」

(あれ?)

もしかすると、俺は返答を間違えてしまったのかもしれない。

いや、そりゃまあ、のんびり釣るのはフウカの性に合っているとは思ったけど――。

一応、釣るのが目的だからな!? 魚を釣るのが魚釣りだからな!?

「~~~♪」

ああああ、ダメだ……とても嬉しそうな顔をしていらっしゃる……。

まるで無為な時間を過ごすための免罪符を得たかのような表情だ。子どもらしい晴れやかな顔だけど、その実、それはニート予備軍のダメな笑顔と変わりなかった。

「おとーさん、わたしね? しょうらいは釣り人になるよ」

「お、おう」

「こうやって釣り糸をたらしてすごすんだ……♪」

「それはやめろォ!」

そういうのは仙人とか太公望とかがすることだ!

俺は娘が間違ってもその道に行かないよう、必死になってフウカを現実に引き留めるのだった。

背中からは上機嫌な気配が伝わってきていた。

夕焼けに染まった中級区、俺はフウカを背負ってぶらぶらと家路を歩いていた。

「おとーさん。おとーさん」

「ん? なんだ?」

「釣り、楽しかった、ね?」

「そだなー。思った以上に釣れたしな」

「い、一番おっきいの……わたしが、釣ったの」

「だな。帰って母さんに見せてやろうぜ」

「う、うん」

顔を見合わせてふふっと微笑む俺とフウカ。普段のびくびく、おどおどは鳴りを潜め、娘は無邪気そのものの表情を見せている。

よっぽど釣りが楽しい体験だったんだろうな。いざ魚が釣れると飛び上がらんほどに喜んで、最後の方には進んで竿を海へと向けていたくらいだった。

(まあ……だらだらやったのもよかったのかもな)

潮が引いたら昼寝して、お腹が空いたらお弁当を食べて……実際に魚を釣るよりもボーッとしていた時間の方が長かったくらいだ。そういう意味ではフウカ向けの休日、充実した一日だったと言えるのかもしれなかった。

「また行こうね……?」

「ああ。また今度の休みの日にな」

小さな約束を交わして帰り道を行く。街はいよいよ茜色に染まり、俺たちは温かな気分さえも味わっていたのだが――。

『……ほら、見て。あの子……』

『……ああ、あれが……』

「……っ!」

瞬間、フウカの体が急に強張るのを感じた。先ほどまでの笑顔はどこへやら、娘はすっかり毛布の中に顔を隠してしまっている。

『……もう8歳なのに……』

『……やーねえ。甘やかして……』

「……っ! ……っ!」

ひそひそ話が伝わるたびに、フウカは強く、更に強く、俺にしがみつくようにして震えていた。そのすべては俺から受け継いだ「感覚の良さ」が原因で……この子が今のようになったのも、聞かなくていい話が全部耳に入ってしまうからだった。

(強化された感覚。上級斥候職並みの耳、か)

俺も辟易させられた記憶がいくらでもある。冒険者ギルドでネズミだ、卑怯者だと笑われていた時代、俺もあそこに通うのが極めて面倒に感じたものだ。俺はまだ、持ち前の図太さで何とか耐えられていたのだけど、

(子どもじゃなかなか、難しいよなあ)

道端の主婦を恨むわけにもいかず、俺は暗くなり始めた空を仰ぎ見るのだった。

「なあ、フウカ……やっぱりその……つらいか?」

「………………」

「気持ちは分かる、なんて軽々しくは言えないけどさ。だけど、その……感覚だけは、一生付き合っていくしかないもので……」

「………………」

「鈍化させる薬も……ほら、常習すると体に悪いから!」

「…………………………」

(ううう……!)

俺は何を言っているんだ……こんなことが言いたいわけじゃないだろう。もっとこう、気の利いたこととか、フウカの助けになることをだな。

「おとーさん……」

「あ、あ? なんだ? どうした?」

「わたし……いいよ」

「いいって……何が?」

「がまん、できるから」

「我慢……」

「おとーさんみたいに、がまんできる大人に、なるから」

「フウカ……」

娘の声に、俺は今度こそ言葉をなくして立ち止まってしまった。

これは……決意だ。フウカなりの決意。親を心配させまいと、娘は娘なりに自分のことを考えているんだ。

今は毛布が手放せなくても、きっといつかは強い大人になってみせる。そんな娘の決意に触れて、俺は「そっか」としか言い返せなくなって――。

「……焦らなくていいんだぞ? お前には俺たち家族がついてるからな?」

「う、うん。ありがと」

「つらくなったらいつでも頼ってこいよ? 遠慮なんてしなくていいからな?」

「うん……うん、頼る……」

「最近、俺も出張が多いけど……」

「それは減らしてぇ……」

「うっ……まあ、その……がんばります」

うなずく俺に微笑むフウカ。どうやらようやく娘の笑顔が戻ってきたようだ。

気づけば辺りはオレンジ色の灯りに染まっていて、時刻は夜の18時、そろそろカオルが心配し出してもおかしくない頃だった。

「よし、帰ろうか!」

「う、うん」

再び前へと歩き始めた俺たちは、不思議と街の喧騒を心地よくも感じて――。

感じて――感じて――あれ?

(なんだこれ?)

最後の最後、ノイズのような笑い声が気にかかった。それはフウカも同じだったのだろう、娘はきょとんと不思議そうな顔で小さく首を傾げている。

「なんだ……?」

楽しそうではあるんだが、どうにも気にかかる笑い声に、そっと耳を傾けてみると――。

聞こえてきたのは、どうにも信じがたい内容だった。

『『もういっちょ、かんぱ~い!!』』

『ウホホホホ、やりましたね、店長~!』

『あー、やったぜ。やってやった。久しぶりのカモだああああ!』

『相手はあのサヤマってやつの身内なんでしょ? これは相当搾り取れますよ~!』

『近所にはあの竜姫御殿もあるからなあ! ぐふふふふふふ、今回のリフォームを足がかりに、そっちに手を伸ばしてみるのも……!』

『夢が広がりますね~、店長!』

『だろう? だろう? そうだろう?』

『いや~、あ~はっはっはっはっはっはっ!』

『がーはっはっはっはっはっはっ!』

『『わーはっはっはっはっはっは~~~~っ!!』』

「「…………………………」」

微妙な空気が辺り一帯を支配していた。見上げると、そこには「サンソン建築事務所」という看板がかかっている。

「まさかとは思うが……」

フウカは無言でこくこくとうなずいていた。どうやら予想は的中し、ここは昼間に見かけた建築士の店で間違いないらしい。

「あいつらの話が聞こえてたのか?」

またもこくこくとうなずくフウカ。ここまであからさまではなかったとは思うが、やはり同様のゲスな内容、悪だくみの話が自然と耳に入ってしまったのだろう。

(そりゃ手裏剣も投げるわな)

8歳児のせめてもの抵抗だったというわけだ。もっと話を聞いてやればよかったなと反省しつつ、俺はため息をはき出し、改めて「サンソン建築事務所」に向き合うのだった。

「ああいうのは我慢しなくてもいいんだぞ」

「え、え……?」

「お父さんに任せろ。ちょっと悪者を懲らしめてきてやる」

未だに店からは愉快そうな笑い声が漏れ出していた。それを恐怖と後悔の悲鳴に変えるべく、俺はゆらりと影の中へと溶け込むのだった。