軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

勇者様といっしょ

朝起きて、顔を洗ってリビングに行く。

ユミエルと言葉を交わし、席について朝食をいただく。

温かなカフェオレをたっぷり味わって、歯を磨いて、身だしなみを整えて――。

もう他にすることがない。あとは店を開くだけだ。午前九時の開店時間まで、残すところわずか二分。

「……腹ぁ、くくるか」

事務所に移動し、扉の前で立ち止まっていた貴大は、ため息をつきながらも――。

扉の鍵を、つまんで回した。

「…………」

開く扉。裏返される看板。

そして、待ってましたとばかりに入り込んできたのは、

「やあ~」

勇者アストレア、その人だった。

「おはよう、貴大君。いい朝だね」

朝の日差しに負けないほど、全身から輝きを放っている勇者様。

キラキラと光の粒をまき散らしているかのような女は、爽やかな笑顔で貴大の手を取った。

「今日は僕が君の仕事を手伝うよ。何でも言いつけてね?」

「あ、あ~……頼む」

近い近い、距離が近い。

おまけに眩しい、直視ができない。

変装のため、そして働くために執事服を着ているが、まるで何も隠せていない。中性的な顔立ちが引き立てられて、余計に魅力が増している。それなのに気安さ、動作の美しさは女性的なままで、まさに男装の麗人といった姿になってしまっている。

「やあ」

「きゃ~~~~っ!」

事実、店の中をうかがっていた町娘が、アストレアに微笑みかけられて逃げていった。

早くもファンができたらしい。勇者の服ではないし、聖剣も今は下げていない。まさか勇者だと思ってついてきたわけではあるまいが、それなら余計に罪作りだ。

(これは……思っていた以上に……)

厄介なことになりそうだと、貴大は今から消沈していた。

「それで、貴大君。聞きたいことがあるんだけど」

「あん? なんだよ」

「何でも屋って、具体的にどんなことをするんだい?」

「いや、名前の通りだよ。掃除とか配達とか、他の店の手伝いとか」

「文字通り何でもするんだね」

「ああ、何でもやるよ」

「へ~、何でも……」

「…………」

「…………」

「…………」

「やだなあ、さすがの僕もそこまでは言わないよ!」

「俺はまだ何も言ってねえだろうがっ!!」

アストレアに背中をバシバシ叩かれて、貴大はとうとうツッコミを入れた。

「お前、ちょっとテンションおかしいぞ。それともそっちが素なのか?」

「いや、ごめんごめん。ちょっと舞い上がっていたというか、何というか」

「まあ、気持ちは分からんでもないけどさ」

「そう言ってくれると助かるよ」

勇者の使命という、重すぎる肩の荷が下りたのだ。

残り半年という具体的な日数も定められた。後継者の選出も今のところ順調らしい。加えて、最近は貴大という仕事仲間も増えたのだ。毎回誘えるわけではないが、隣にいてくれる誰かがいるのは本当に心強く、また心安らぐものでもあった。

その貴大といっしょに、今度は何でも屋の仕事ができるのだ。勇者のではなく、何でも屋という普通の人の仕事。密かに憧れ、しかし手が届かないと諦めていたことが、今、アストレアの手の中にあった。

それではしゃぐなというのは酷というものだろう。それは貴大も重々承知しているため、釘を刺しはしたものの、それ以上どうこう言うようなことはしなかった。

「さて、それじゃ、ぼちぼち始めるかね」

「はーい」

「それがお前の席な。そこに座って、好きな仕事しててくれ」

「好きな仕事って?」

「何でもあるぞ。造花、計算、チラシの作成。魔石磨きに瓶の洗浄、アイテムの鑑定にインゲンの筋取り……」

「ほ、本当に何でもあるね」

「何でも屋だからな」

事務所併設の倉庫から、書類やら魔石が入った箱やら野菜が積まれた笊やらを持ってくる貴大。彼が運んでくる品々を見て、さしもの勇者様も気後れをする。

「今日はユミエルが外回りでいないからな。さっさと手を動かさねえと片づかないぞ」

「分かったよ」

ここには遊びに来たわけではなく、あくまで仕事の手伝いに来たのだ。

身を引いていたアストレアも、素直に自分の席につき、汚れた魔石などをぼろ布で磨き始める。

「こんな感じでいいかな?」

「あー、そんな感じ、そんな感じ」

「魔力は籠めなくていいの?」

「そこまでしなくていいってさ。磨くだけ。その箱いっぱい、全部頼む」

「うん、了解」

そして始まった何でも屋の内勤業務。

アストレアが魔石を磨き、貴大がインゲン豆の筋を取り、アストレアがガラス瓶を洗い、貴大が商店街のチラシを作る。

そしてアストレアが造花を作り、貴大が古ぼけたアイテムを鑑定し、アストレアが包丁を研いで、貴大がそろばんを弾いて――。

「何も起きないね?」

「何でも屋だからなあ」

結局、何事もなく昼になってしまった。

飛び込みの客もなく、ドラマチックな展開もなく、淡々と仕事をこなして午後1時。昼食を食べながら、アストレアは拍子抜けしたように貴大に言った。

「もうちょっと事件があるものだと思っていたんだけど」

「お前、何でも屋を何だと思っているんだよ」

「そりゃあ、何でも屋だからね。焦燥し切った女の子が飛び込んできて、『助けてください! もうここしか頼れるところがないんです!』なんて展開があるものかと」

「本当に何だと思ってるんだ」

何でもするとはいうものの、何でも屋とは要するに街の便利屋だ。

ちょっとした仕事、人手が足りないときの応援、ギルドの手伝いをすることはあるけれど――。

さすがに事件性があるものは扱わない。それは警邏隊の仕事か、あるいは区画管理員、または冒険者ギルドの管轄だった。

(まあ、たまに)

困った人を助けることもあるが、そんなことは稀も稀、月に何度もあることではない。それを何でも屋の一般的な仕事と思われても困るわけで――。

「助けてください!」

「って、ええっ!?」

何でも屋の何たるかを語っているときに、その例外が現れた。

昼休みで閉めている事務所、その扉がガンガンと激しく叩かれている。

「もうここしか頼れるところがないんです!」

「だってさ」

「ドヤ顔は止めろ」

我が意を得たりとばかりに微笑むアストレア。

彼女の思い通りになるのは癪だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。なおも乱打される扉に向かい、貴大は急ぎ、鍵を開ける。

「助けてくださ~~~い!」

「はいはい、今開けます、今開けますって」

来客は半狂乱のようだ。

これはよほどのことだと焦りながら、扉を開いた貴大が見たものは――。

「あああ、サヤマさん! 助けて! 助けてください!」

「あうー」

「…………」

「お医者さんに見せてもダメで! もうサヤマさんしか頼れる人がいないんですぅ!」

「うぃっきー」

「……………………」

手押し車に寄りかかり、泣きじゃくっているセリエ。

その下の方、荷台に乗せられて自分の指をしゃぶっていたのは――。

大陸屈指の天才、エルゥ・ミル・ウルルだった。

「あぶぶぶぶ……」

よだれを垂らし、あぶあぶ言っているエルゥ女史。

二十代も後半、そのうち三十歳を迎えようという大人の女は、なぜか赤ん坊のごとく体を丸めて呆けた顔をしている。

「これ……どうしたんだ……?」

「実験に失敗して、変な魔法がかかってしまったみたいなんです! 赤ちゃんみたいになって、全然元に戻らなくて!」

「ああ、うん……大体分かった……」

例によって例のごとく、いつものアレだったらしい。

図書館司書、セリエはワッと泣き崩れているが、泣きたかったのは貴大も同じだった。

「何事かと思ったら、またお前かよ……」

「貴大君、誰かな、このエルフさんは?」

「トラブルメーカーでお得意さんだよ!」

「正気を失っているようだ。さては邪悪な精霊が……」

「そんな上等なもんじゃないんだよ……」

頭痛を覚え、額を押さえながらシステムメニューを操作する貴大。

アイテム欄を呼び出した彼は、雑にエリクサーを取り出し、雑に栓を抜き、やっぱり雑にその中身をエルゥの頭めがけてぶちまけた。

「ほあっ!?」

万能薬を頭から被り、目に焦点を結ぶエルゥ女史。

彼女はやにわに立ち上がると、

「ウィイイイイイッヒィィィィッッッッ!!!!」

と喜色満面雄たけびを上げ、ガッツポーズを取りながらその場で飛び上がるのだった――。

「あれを基準にされたら困るんだ」

「はあ」

「あれは特別。特殊なケースだ。いいな?」

「うん……?」

俄然元気を取り戻し、機関車のごとく街を駆けていったエルゥ。

その後ろ姿を見送って、セリエからいくばくかの報酬を受け取ったあと、貴大はおもむろにこんなことを言い出した。

「噂をすれば影ということわざもある。お前も変な期待はしてくれるなよ?」

「分かったような、分からないような」

「いいから! うちは平々凡々、ごく一般的な何でも屋なんだ。あんな特殊な客は困る」

「この店の目標は分かったよ」

「目標じゃなくて事実ぅ!」

に、したいというのが貴大の願望なのだろう。

やけに必死な店主にうなずき、アストレアはそこには触れずにおこうと考えた。

「こんにちはー」

「っと、お客さんだ。はいはいー」

本日三人目のお客様だ。

今度はトラブルの気配もなく、取り立てて特徴のない少年が、何やら籠を抱えてやってきた。

「今いいかな?」

「はいはい、ちょっと待っててくださいね」

貴大が少年に対応していると、今度は職人風の青年がやってきた。

預けておいた魔石を取りに来たのだろう。慣れた動きで客用の椅子に座っては、部屋の隅に積まれていた箱に目をやっている。

「タカヒロ、いるかー?」

「依頼があるんだけど……」

「お前んとこ、あれあるか、あれ?」

「うわわ……!?」

少年の来店を皮切りに、来るわ来るわ、何人もの客がやってくる。

働き盛りの男たちを中心に、フリーライフにはひっきりなしに依頼客が現れる。それを慣れた手つきでさばいている貴大に、アストレアはそっと耳打ちをする。

「な、なんだか急に忙しくなったね?」

「ああ? あー、今だけだよ、今だけ。昼飯ついでにうちに来る客が多いだけだ」

などと答えながら、依頼書を作成したり、倉庫から依頼の品を運んでくる貴大。

そのよどみのない動きに感心し、アストレアは思わず見入り、部屋のすみで立ちっぱなしになってしまった。

「うーん、熟練の業だ」

「こら、見てねえでお前も手伝え」

「うわわわ!?」

案山子のように突っ立っているアストレアに、貴大は箱や樽を押しつけた。中には細々としたものが入っている。

どれも午前中に片づけた仕事だ。それを受け取りにきた客を確認し、確認のためのタグを回収してから荷物を手渡す。

「こっちも」

「こっちも」

「それからこっちも」

「ひー!」

都会人とはいえ相手は町人だ。お上品に並ぶようなことはせず、押しかけては奪うように荷物を持って帰っていく。

「ユミィ相手だとちゃんと並ぶんだけどなあ」

などという貴大のぼやきも、今のアストレアには何の慰めにもならない。

時間にすれば小一時間ほどだが、彼女はかつてない嵐に、ただただ翻弄されるのであった。

「うはー……」

客の波が引いて、少し休憩のフリーライフ。

ぐったりとしているアストレアに、貴大は手ずから淹れた紅茶を差し出す。

「ほら、これでも飲んでしゃっきりしろ」

「ありがとう……あ~、沁みる……」

「爺臭い勇者だなあ」

ぷるぷる震えながら紅茶をすするアストレアに、貴大は呆れ顔を隠さない。

ただ、それも仕方のないことなのかもと思う。それというのも――。

「想像以上に大変だね。いつもこんなに忙しいの?」

「いや、景気がいいらしくってさ。どこも人出が足りないんだとか」

「へえー、そうなんだ。新しい航路でも見つかったのかな?」

「なんでも、どっかの勇者が安全宣言出したらしくってさ。これで一安心だって、今まで滞っていた流通が一気に流れ出して……」

「うっ……」

なんのことはない、結局は自分が原因だったというわけだ。

それでは忙しい、大変だなどと言ってはいられず、アストレアはドンと胸を叩いて立ち上がった。

「よし、じゃあ、任せてよ!」

「おん?」

「余計に忙しくなった分、いや、それ以上に頑張ってみせるよ」

「まあ、ほどほどにな」

燃える勇者を横目に、貴大はトントンと肩を叩いた。

何でも屋は世情の鏡、景気が良くなれば仕事も積まれる。早速舞い込んできた依頼書を分類しつつ、貴大は、さて、アストレアにはどの仕事を振ろうかと考えて――。

「タカヒロ~? いる~?」

「ん?」

ひょいと顔をのぞかせたのは、ご近所さんのカオルであった。

彼女も何か依頼があるのだろうか? それとも茶でも飲みに来たのか、軽い足取りで店に入ってきたカオルは、貴大を認めてにこりと笑い、

「やあ、カオルちゃん。いらっしゃい」

「うわあああっ!?」

アストレアに手を取られ、素っ頓狂な声を上げた。

「え、えええ!? な、な、なんでこんなところに!?」

「まあまあ、落ち着いて。ね?」

「おおおお仕事なんですか?」

「ううん。今日はね、プライベートなんだ」

「いや、仕事だよ」

貴大のツッコミに、これはいけないと苦笑するアストレア。

「そう、そうなんだ。今日の僕は何でも屋。何でも屋のアストレアなのさ」

「は、はあ……?」

いまいち釈然としていないカオルに、アストレアはグッと顔を近づける。

「可愛い子猫ちゃん。下町で暮らすお姫様。君のためなら、僕は何でもしてみせよう」

「ちょっ、え、ええ!?」

「さあ、依頼書にサインしてくれないか? それが僕と君の約束の証……」

「タ、タカヒロー! なんとかしてー!」

とうとう悲鳴が上がり、貴大はやれやれと腰を上げた。

カオルを抱き寄せているアストレアをぽこりと叩き、不服そうな彼女の尻を軽く蹴り、貴大は大きなため息をつく。

「お客さんにちょっかいを出すな、ちょっかいを。手癖悪ぃぞ、お前」

「す、すまない。僕は本当に可愛い子には弱くって、つい、ふらふらっと」

「それでいいのか、勇者」

アストレアの女好き――いや、手の早さ――?

セクハラ癖と言ってもいいかもしれない。そういった悪癖はたまったものではないなと感じながら、貴大は改めてカオルに向き合う。

「それで? 何の用だ?」

「あ、ああ、うん。ほら、もうすぐ仕込みの時間だからさ。呼びに来たの」

「え? あー、もうそんな時間か」

柱時計に目を向けて、バツが悪そうに頭をかく貴大。

「参ったな。急ぎの仕事、受けちまった」

あの混雑の中で、貴大はついつい余計な仕事まで引き受けてしまった。

今日はカオルの家、大衆食堂《まんぷく亭》で働く予定がある。それなのに机の上には、日暮れまでには届けて欲しいと言われた手紙があった。

(思いっきり走ったら間に合うんだけど……)

そんな姿を見られたら大ごとだ。

貴大は眉間にしわを寄せ、手紙とカオルを見比べる。

「なあ、ちょっと遅れてもいいか?」

「仕方ないなあ。いいよ。待っててあげる」

「す、すまん。なるべく急ぐ」

「寄り道しないでね?」

申し訳なさそうな貴大に、寛容にうなずいてみせるカオル。

こうしたことは慣れっこだ。高級店ならいざ知らず、家族経営の《まんぷく亭》は時間やシフトにも融通が利く。

何より、相手は付き合いの長い貴大だ。この埋め合わせはしてくれるだろうし、今日もピーク時には間に合わせるだろう。それが分かっているからこそ、カオルはフリーライフを出ていこうとして、

「僕に任せてくれないかな?」

「えっ?」

アストレアに手を取られ、驚き、そちらへ振り向いた。

「僕だって今はフリーライフの一員さ。貴大君の代役を見事務めてみせるよ」

「いや、え、ええっ? タ、タカヒロ、どゆこと?」

「そういうことなんだろうけど……うーん」

難しいことはない。言葉通りの意味だ。

すなわち、これからアストレアは《まんぷく亭》におもむいて、調理や給仕を手伝うというのだ。

「いや、だけど、この人、勇者様なんでしょ? 勇者様に、そんな」

「大丈夫。自炊はいつもしているし、皿洗いだって苦じゃないさ。カオルちゃんのためなら、たとえトイレの掃除だって……」

「させられませんって!」

そう言って、カオルは身を引いているが――。

(悪くないんじゃないか?)

貴大はそう考えていた。

(しょせん手伝いだ。できることをさせればいいし、最悪、厨房で芋の皮むきでもさせてればいいだろ)

(それに客層はおっさんばっかりだ。男がメインで、あいつにキャーキャー言うような女もいない)

(ケイトさんは騒ぐだろうけど……まあ、それも最初だけだな、うん)

頭の中で素早く考えをまとめていく貴大。

立っているものは親でも使え、手伝いに来たからにはきっちり手伝ってもらう。郵便配達は土地勘がないから任せられないとして、食堂の手伝いくらいなら、まあ、何とかなるだろう。

そうと決まれば善は急げで、貴大はボディバッグに手紙を放り込んでいった。そしてシャツの上にジャケットを羽織り、バッグ片手に店を出ていこうとする。

「まあ、何とかなると思うぞ。ほどほどにこき使ってくれ」

「え? え、た、貴大っ?」

「鍵はかけておいてくれよー」

「た、貴大ーっ!」

焦るカオル、そして嬉しそうなアストレアを置いて、貴大は駆けだした。

目的地は上級区、しかもそれなりに距離のある場所だ。急いで行って戻らなければ、ピーク時に間に合わない可能性があった。

だから貴大は言葉も少なく、走って、走って、走って、走って――。

「う˝あー、疲れたー……」

日が暮れて間もないグランフェリア、その中級区に貴大の姿はあった。

仕事を終えて住宅街に帰っていく人の群れ。そこに彼は混ざって、流されている。

「住所はちゃんと書けよなあ、もー」

ぶつくさと愚痴が漏れている。

それもまあ、仕方のないことだ。依頼人が住所の一部を省いて書いたせいで、番地のどこに目的の家があるのか分からなかったのだ。それを聞き込み調査で探して回り、アパルトメントの地下、なんて辺鄙な場所まで下りてきて、やっとの思いで手紙を渡して――。

そして、今に至る。

何とかかんとか中級区に戻ってはきたが、疲労困憊な貴大であった。

「あいつはよろしくやってるかね」

見慣れた通りに足を向け、のたのたと進む貴大。

大衆食堂はこれからが忙しくなる時間帯だ。下ごしらえや準備の手伝い、そしてまばらに来る客の対応くらいは、誰でもこなせるはずだったが――。

「って、んん?」

《まんぷく亭》に近づくにつれ、何やら喧噪が聞こえてきた。

いつにない騒々しさだ。それは酔っ払いの喧嘩とも、ピーク時のにぎやかさとも違う。通りの先には、何やら警邏の姿も見える。

「おいおいおいおい、ちょっと待ってくれよ……!」

さてはアストレアがやらかしたか――。

失敗した。あの世間知らずをひとりにしておくべきではなかった。

人慣れはしているようだったが、相手は勇者だ。常識は足りてないだろうし、酔漢のあしらい方なんてものも知らないだろう。たとえ包丁でもドラゴンくらいは切り殺せそうだし、そもそも職業経験なんてなさそうだし――。

「あああ、やばいやばいやばい!」

悲鳴まで聞こえてきた。

これはもう、よほどのことだと思いながら、貴大は息せき切って《まんぷく亭》に飛び込んで――。

「ドンペリ、入りました☆」

「ピンドン! ピンドン!」

「君もかい? いけない子だ、お酒の味なんて覚えて……」

「うひょー!」

そこは貴大が知っている《まんぷく亭》ではなかった。

なんというか――こう、全体的にピンク色というか――。

どちらかと言えばキャバクラに近い。女しかいない客層を考えると、ホストクラブの方だろうか。

とにかく、何やら店に集まった女たちが、アストレアを中心に輪を描いて、たっかい酒をこれでもか、これでもかと注文している。店主のアカツキはいつも通りにガハハと笑っているが、その妻ケイトはゲス顔で「ピンドン! ピンドン!」と繰り返している。

「なんだこれぇ……?」

女性警邏も交ざっての、アストレア風おもてなし。

常連客のおじさんたちも唖然と見守る中、貴大は、

「なんだ、これぇ……?」

「分かんない……」

お盆を抱えたままのカオルと、仲良く固まり続けるのだった――。