軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

恋するお嬢様

土地や国によって違いはあるが、都市が作られる場所というのは、得てして平たいものである。

多少の傾斜はあってもいいが、元から平たい土地の方が、道を作り、家を建てることが簡単だ。

とある山岳国家のように、山肌を削り、崖の中をくり抜いて――というやり方もあるが、それでは時間と労力がかかり過ぎるし、大々的な発展は望めない。

その点でいえば、グランフェリアは立地に恵まれていた。大型船も停められる湾岸に、広く、木々もない大平原。元は小さな漁村から始まったこの大都市は、なるべくして大都市になっていた。

さて、そのグランフェリアの上級区を、今、一人の男が歩いている。

数百年かけて先人たちが作り上げた街の上を、何のありがたみも感じることなく、ぺったら、ぺったらと間の抜けた足音を響かせて歩いている男。

彼の名は、貴大。何でも屋〈フリーライフ〉の若き店主、佐山貴大だ。

「ふわ~あ……」

きんと冷えた朝の空気を吸って、十二月の曇り空に、あくびとともに白く吐き出す貴大。

スーツの上にもこもことした灰色のジャケットを羽織り、マフラーまで巻いた彼は、寒さに弱い人間だった。

「先生、おはようございます」

「あー、おはようさん」

「おはようございます、先生!」

「おーう、おはよー」

この日は街全体に、乳白色の霧がかかっていた。

街中の煙突から立ち登る煙に誘われたように、グランフェリアを覆った濃い霧。

鬼火のようにうすぼんやりと浮かび上がる街灯の光と、どこからともなく響くガラガラという馬車の走行音は、街を幻想的なものに変えていた。

そんな朝靄のグランフェリアの上級区、王立グランフェリア学園がある一角では、霧のカーテンの向こうから、子どもたちが一人、また一人と現れては消えていく。

のっそりと歩く貴大を元気に追い越して、その度に彼に声をかけていく子ども。彼らは、貴族や大商人、名のある騎士の子どもたちだった。

いずれも上流階級の身分である子どもたちに、中級区民である貴大が頭を下げられるのは、彼が王立グランフェリア学園の臨時講師だからだ。

東洋のスキル伝授法を知る青年として、また、それなりの腕を持つ斥候職として、貴大は生徒たちに敬意を持って接されていた。

それに、学園迷宮地下階層発見、無人島漂流事件での功績など、彼はただの臨時講師とはどこか一線を画している。

一見、凡愚にも思える彼だが、まだまだ『うま味』が隠れていそうだ――。

そう考える親たちから注意を受けているため、表だって貴大を見下すような生徒は一人もいなかった。

「先生、おはようございます」

「あー、フランソワか。おはよう」

やがて霧の中から、王立グランフェリア学園の時計塔が浮かび上がってきた頃、貴大は一人の少女と顔を合わせていた。

濃紺のブレザータイプの制服に、胸元にはピンク色のリボン、足には白いソックスと茶色い革靴。防寒具として、仕立てのいい真紅のコートを羽織った少女は、金色の髪を縦ロールにまとめていた。

青い瞳は貴大に向けられて、頬は寒さでほのかに赤くなっている。彼女の名は、フランソワ。フランソワ=ド=フェルディナン。

イースィンド一の大貴族の娘であり、貴大を師と仰ぐ、才気に溢れた少女であった。

「今日は霧がすごいな。もう八時なのに、まだ街灯がついてる」

「冬のグランフェリアは、こうして時々、霧が出るのですよ。ご存じではなくて?」

「あー、そういえば、去年もそんな日が何日かあったような……でも、土日で引きこもってたから、あんまり印象に残ってないな」

「まあ! 先生ったら……うふふ」

貴大と並んで歩きながら、屈託のない笑顔を見せるフランソワ。

もしもここに、他国の貴族の子弟がいれば、きっと愕然としていたことだろう。

――あのフェルディナン家の娘が。あのフランソワ様が、あのような顔をするだなんて!

――イースィンドの赤龍が、少女のように笑うだなんて!

――あれは本当に、我らの知るフランソワ様なのだろうか……?

社交界、晩さん会に通いつめ、大国の大貴族の跡取りに何とか粉をかけようとしては、冷たくあしらわれる有力者たち。

彼らが知るフランソワの笑顔と、今、貴大に向けられているそれとでは、柔らかな雰囲気、温かさ、何もかもが違っていた。

「今日は何をなさいますの?」

「そうだなー……午前はサースリアのことでも話すかな。冒険者時代に、あそこで面白い魔物と戦ってな。勉強になると思うぞ」

「ふふっ、楽しみですわ」

今にも貴大と腕を組みそうな、楽しげな様子を見せるフランソワ。

彼女が一人の男性にここまで気を許しているのは、それは貴大に恋をしているからに他ならない。

「午後は乱取りだなー。たまには俺も体を動かすか」

「その時はぜひ、お相手願いますわ」

貴大とフランソワ、二人は仲良く並んで、王立グランフェリア学園の校舎に入っていく。

イースィンドの教育が花咲く場所だと謳われる、歴史ある学び舎の中へと消えていく。

――ここに、一人の奇妙な青年が現れたのは、一年半前のことだった。

黒髪、黒目、黄色い肌。東洋人にしてはひょろりと長い体躯に、やる気のなさそうなとぼけた顔。

欠片ほども覇気を感じさせない、佐山貴大という青年は、しかし、力を示して臨時講師の職を得た。

彼の利用価値を認め、フランソワは、貴大をグランフェリアの肥やしとするために近づいた。

東洋のスキル。革新的なスキル伝授法。隠された地下迷宮を見抜く眼力。貴大が持つ冒険者のノウハウ。

そのどれもが魅力的だった。貴大が、ではなく、貴大の持つ能力が、だ。

欲しかった。イースィンドの発展のため、貴大の持つ力のすべてが欲しかった。

だから、フランソワは笑顔で貴大に近づいた。彼から多くを学び取るため、友好的な態度で彼に接した。

そこに恋愛感情など、存在しなかった。尊敬の念はあったが、それは恋や愛とは似て非なるものだった。

しかし、時が経つにつれ、フランソワは貴大の強さと人柄に引かれ始めている自分に気がついた。

イースィンドのためではなく、自分のために貴大と親しくしている自分に気がついた。

それは彼女が生まれて始めて感じた、恋慕、愛情、切ない気持ちだった。知識としては知っていた、人を愛する想いだった。

それを持て余した結果、フランソワは南の島で、涙とともに懺悔に似た告白をしたのだが――。

貴大が、誤魔化すことなく、誠実に答えを出したことがよかったのか、二人はそれからも友好な関係を築いている。

彼らがいつの日か、結ばれる日は来るのだろうか。

少なくともフランソワは、そうなればいいなと秘かに願っていた。

十万都市グランフェリアにおいて、ほんの一握りの人々しか足を踏み入れることが許されない区画。

数千人にも満たない住人しかいないにも関わらず、他の区画と変わらない広さを持つ特別な聖域。

それが王侯貴族が住まう王貴区だ。名前が示す通り、王族であるか、爵位を持つ貴族でなければ、家を建てることさえできない地域。

土地の無駄遣いとも言われる、やたらと見通しのいい王貴区。その一角に、一際大きな屋敷があった。

「アスパラガスのソテーです」

「ええ」

王都にある貴族の邸宅は、例外なく別宅である。

大なり小なり領地を持つ彼らにとっては、現地にある屋敷が本宅であり、王都の邸宅は仕事のために建てた仮住まいに過ぎない。

上級区の家々に比べてはるかに見栄えはするものの、必要以上の大きさはなく、貴族の財力によっては一般家庭と見まごうようなものさえある。

年に何度も王都を訪れず、王立学園に通わせる子どももいない貴族には、無駄遣いだと割り切って、宿や知人の家に泊まる者もいる。

そのような住宅事情を持つ王貴区において、フェルディナン家の屋敷は、異様なほどの大きさを誇っていた。

馬車を何十台でも停められる庭。クリムゾン・フレイムが咲き乱れる薔薇園。四階建ての巨大な屋敷。煌びやかな玄関ホール。

まるで王族の住まいと見まごうばかりの『別宅』は、ここが大公爵家の屋敷であることを示していた。

王の懐刀と言われ、何代も魔導部隊の長を務め、イースィンドに並々ならぬ貢献を果たしてきたフェルディナン家。

貴族の中で、唯一、『ドラゴン』を家紋とすることを許された大貴族の屋敷には、入り口の扉に、金縁に彩られた、レッド・ドラゴンのエンブレムがはめ込まれていた。

「……」

「ええ、お父様。今日も有意義な一日が過ごせましたわ」

フェルディナン家の現当主オデュロンは、一年の半分以上を王都で過ごす。

その娘フランソワは、王立学園に通うため、今はこの別宅で暮らしていた。

必然的に、毎日のように顔を合わせる二人は、なるべく食事の時間も合わせるようにしていた。

父と娘、二人の時間は、貴族ともなると得難いものである。それをこうして時間を作り、その日にあったことを話し合う二人は、親思いの子、子思いの親であった。

「……?」

「いやですわ、お父様ったら。それは杞憂というものです」

会話のため、長いテーブルの一端と、その脇に座った父子は、上品に食事を口にしながら、和やかに会話を楽しむ。

何かと気苦労の多い貴族の生活で、唯一、気が休まる瞬間。それをオデュロンは、いつも心の支えとしていた。

「ねえ、セバスもそう思うでしょう」

「はい、お嬢様。私もそのように思います」

「ほら、お父様。私ももう小さな子どもではないのですから、あまり気にかけなくてもよろしくてよ?」

「…………」

痩せた体。豊かな口髭。金色の髪と、深く、青い瞳。

類稀なる魔法の力と、数年先も見通す深い智謀により、イースィンドの赤龍と恐れられる大貴族、オデュロン。

寡黙で実直な性格として知られる国家の重鎮も、家に帰れば一児の父だ。

娘のフランソワ、長い間側近を務めるセバスを相手にすると、オデュロンはよくしゃべり、よく笑った。

「……?」

「そうですわね。私ももう年頃の女性。そろそろお相手を探さなくてはなりませんわ」

「……!」

「ええ。ですが、私はもう、心に決めた方が……」

この日の話題は、フランソワの結婚についての話だった。

いつになっても婚約者を作らない娘に、もしかするとその気はないのかと危惧していたオデュロン。その心配性な父を笑い飛ばし、フランソワは誰かを想い、頬をわずかに朱に染める。

「……。……?」

「え、ええ。そうですわ。お父様もよく知る、タカヒロ先生を……」

「……!!」

「ええっ!?」

恋する娘の様子に、もしかするとと思ったオデュロンは、頭に浮かんだその名を口にした。

中級区民の佐山貴大。王立グランフェリア学園で臨時講師を務める東洋の青年。そして、昔、この屋敷の一室で、大事な娘に抱きつかれていた男――。

オデュロンは、思わず、いかん! と叫んでいた。

彼らしくない動揺が、彼の心を揺らしていた。

「どうしてですか? 結婚相手は、私に一任してくださったはず。お前が選ぶ男なら、イースィンドに貢献してくれるだろうと……」

「……」

「国益で考えるなら黒騎士にしろ、ですって!? そんな……お父様、そんな!」

理不尽な……あまりにも理不尽な要求に、フランソワは激昂した。

彼女は父を、もっと誠実な男だと思っていた。一度口にした言葉を守り、交わした約束は必ず守る人だと――そう、信じていたのだ。

それがどうして、約束を反故にするようなことを言うのか。それどころか、望まぬ相手を提示してくるのか。

フランソワは信じられなかった。父は旧態依然とした貴族とは、明らかに違う大人物だと……自分の考えに賛同を示してくれるものだと……彼女は、そう、思っていたのだ。

「分かりました。お父様がそうおっしゃるのでしたら、私は黒騎士を見つけましょう。そして、その場で改めて、タカヒロ先生の名前を口にしますわ。お父様が選んだ、黒騎士の前で」

裏切られたという思いで胸がいっぱいになったフランソワは、食事の途中だというのに、席を立って、食堂を出ていった。

立派な男性。柔軟な考えの持ち主。自分の理解者。彼女が持っていたイメージは、大事なところで覆るようなものだったのだ。

フランソワは訳の分からぬ悔しさで、涙が出るようだった。

――しかし、彼女はまだ若く、人の心の機微を知らない。

誰からも讃えられる紳士であるオデュロン。その名も高きオデュロン=ド=フェルディナン。

彼もまた、一人の男である前に――一人の父親だったのだ。どうしようもなく口をついて出た言葉に、彼もまた、戸惑っていたのだ。

「………………」

「旦那様。お嬢様もきっと分かってくださいますよ」

失言だった。

彼がそう、老執事に漏らした頃、フランソワは食堂から姿を消してしまっていた。