軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 そして物語は続く

日本に帰還した翌日。俺は全身筋肉痛になっていた。剣術の動きをガチで再現しようとしたのがまずかったようだ。

痛みで魔法の練習にいまいち集中できなくて、ぼんやりと今の状況と今後について考えていた。何をするにも目標や計画、方針は必要だ。

問題は時間だ。俺が時間を戻った、過去に遡ったと考えると、異世界では俺の複製体……いや俺自身だな。そいつが今頃は異世界二日目を送っているはずだ。そうなると今この時間に俺を再び異世界に送るのは問題になる。それに今の俺はレベルもスキルもなんにもない役立たずであるし、未来を知っている存在だ。未来が変化する可能性もある。

というかここにいる俺の知識を俺を異世界に送った時点で知っているとすれば、伊藤神はすべてを知っていたのか? 引きこもるな、という助言は俺の最後の戦いを指していたのだろうか? もし打って出て外で魔物と戦っていればそうそうアンチマジックメタルの攻撃を喰らわなかったはずだし、それで勝てたほうが、俺を失った状態よりは人族は有利になったはずだ。

とりあえず状況を整理するためにいくつか可能性を考えてみることにした。

仮定① 俺は用済みである。もう呼び出されることはない。

仮定② いまもエルフの里では戦いが続いて、俺を再び呼び出すどころではない。

仮定③ 俺は過去に戻っていて、異世界では複製体山野マサルが活動中。エルフの里での最後の戦いがあるのは、一年と五ヶ月後である。

仮定①だと論外だが、②か③だとしても、俺の呼びかけに答えない理由にはならない。戻す気があるなら返事をしてくれればいいのだ。考えれば考えるほど俺が戻れる可能性は少ない気がしてくる。

複製体とはいえ俺は代償として、エルフの里と引き換えにして完全に死んだのだ。それを再び戻す。そのようなことを禁止するルールがないとしても、魔族側はエルフの里の敗北を神の力によって覆された上に、死んだはずの俺に復活されては受け入れがたい話だろう。

それに根本的な問題として俺は必要なのか? 千年計画は俺がいなくても動くように、知る限りの知識は伝え終えたはずだし、神様の目的が人族に試練を与えて強い種族を作ることだとしたら、俺のようなチートじみた存在は居ないほうがいい。まあそっちはエリーたちが居るので大して変わらない気もするが。

それに戻す気があるなら一〇億円なんて報酬をわざわざ与える必要もない。呼び戻すから少し待っていろと言われれば、俺は一年でも二年でも喜んで待っていたことだろう。一〇億円は人が一生を安楽に過ごせる額なのだ。

だが今は戻れると考えて動くしかない。仮定②だとすると、期限は戦闘が落ち着くだろう数日か一週間ほどか。戻った時のことを考え、まずは重要な知識を厳選して確保すべきか。

日誌で千年計画の進捗報告を確認しながら必要な技術を考える。

ガソリンエンジンとロケットエンジンの構造。ハーバー・ボッシュ法。それとニトログリセリンの製法とそこから爆薬を作る方法。ニトログリセリンは俺が退場する前に作れてはいたがあくまで錬金術での合成で、工業的に作ることにはまだ程遠かった。きちんとした製法を調べるべきだろう。

それから電気モーターとバッテリー技術に無線もだ。

無線通信の距離はどれくらいだったか。最初は到達距離が短くとも中継することができれば世界をネットワークでつなぐことができるんじゃないだろうか。もしあの時点で無線が使えていれば、かなり状況は変わっていたかもしれない。

考えていてふと嫌な考えが浮かんだ。こうした知識を仕入れたとして、なおさら俺を戻せない理由になるのではないか? 火薬の製法を禁じたように、どれも危険な知識だ。千年計画をかなり進めた今となっては今更だと思うが、不安で胃がキリキリと痛む。こうも何もわからないと迷いが生じてしまう。

しかし神様に俺を戻す理由がないのなら、何をしても同じことだ。俺は戻れる可能性に賭けて、戻った時のことを考えて動くことと決めた。

ネットに繋がったボロいノートパソコンで調査を始めた。ガソリンエンジンの構造。ポンプと点火プラグの構造も調べるべきか。ロケットは固体燃料ロケットと液体燃料ロケットがある。

半導体技術も調べるべきか? いくらでも調べたいことが出てくるが、集中するべきだろうか? 半導体は一応概略だけはさらっておこうか。

そうしてたのだが、ネット上のサイトだと解説はあっても情報量がいまひとつだ。ガソリンエンジンなんかはエンジン工学と名がついた書籍が出ていて、エンジニアや整備士向けの本だろうか。そちらのほうが専門的で詳しく記述してそうだ。

それでお昼を家でいただいてから図書館に向かった。地元のさほど大きくない図書館だったが、エンジンの専門書はすぐに見つかって読み始めた。難しいし情報量が多い。ガソリンエンジンの種類も多岐に渡る。エンジンだけでも数日で覚えきるなんてできそうもないと、初手から暗澹たる気分になった。

それでも概略だけでも把握しておけばエルフやドワーフは優秀だ。なんとか再現してくれるだろうと、図解をコピーしてもらってしっかり覚えることとして、あとは本を最初からじっくりと読み込むことにした。

閉館時間ギリギリまで粘って、エンジン工学、ロケット工学、無線工学、半導体工学。ダイナマイトとハーバー・ボッシュ法に関する本を各一冊ずつ借りて帰った。一〇〇円ショップに寄ってノートを一冊だけ購入した。とりあえず家で通して読んでみて、大事そうな部分だけ書き出してみることにしたのだ。

それにしてもお金がない。財布には残り二〇〇〇円と小銭がわずか。ノートを買って一〇〇〇円札が一枚減った。これが俺の全財産だ。時間は二〇時を回りずいぶんとお腹が減ったが、買い食いも我慢するしかない。図書館でも喉が渇いたがウォーターサーバーで耐え忍んだのだ。

来週には一〇億円入るのにこの金欠状態。このタイミングで親にお金を借りたりするのも情けない話である。いっそ消費者金融でお金を借りるか? しかし変なタイミングで召喚されてしまって、家族に借金を残すのも情けない。

お金がないと本当に情けない気分になる。さっさと働きにでれば良かったのに、何がそんなに嫌だったのか。

たぶん怖かったのだ。新しい職場に馴染めるのか。仕事は覚えられるのか。短期バイトでやった引越し作業と倉庫のピッキングが肉体的にきつかったのもある。知っているだろうか? 軽作業というのは重機など機械を使わない作業なだけであって、軽い荷物だけを扱うものではないということを。運が悪いとでかい家電やビールや飲料の重い箱を担当させられ、体力の限界を試されることになるのだ。

だけどその程度で何をビビって引きこもりになっていたのか。父が苦言を呈していたのもよくわかる。新しい仕事を覚えるとかはともかく、筋力で解決するなら有り余る時間で筋トレでもしていればよかったのだ。

過去の自分にダメ出ししながら帰宅すると、家族の夕食は既に済んでいた。俺の分は残してあるから勝手に食べてくれとのことだ。ありがたい。

「おかえり、あにい」

一旦部屋に戻ってみると妹ちゃんが俺の机に座って何やら見ていて、そう気のない返事をする。

人の部屋で何をやってるんだと思ったけど、別に見られて困るものも……いやあるが!?

「待った。何を見てるんだ、何を!」

妹ちゃんの前に開かれていたのは机に置きっぱなしだった日誌だ。

「これ小説の設定? 結構面白かったよー」

「ああ、そう?」

そう気にしてない風を装って取り上げようと手を伸ばすが、さっと避けられた。

「もうちょっとで最後まで読み終わるから」

そっか。もう全部読み終わりそうなのか。妹ちゃんは小説の設定だと思ってるし、内容的にはありふれた異世界ものの小説の設定のようなものってことで読まれたところで問題はないのか?

ハーレム。奴隷購入。未成年者との関係。五人と結婚、妊娠。いや問題ありまくりだぞ!? しかも主人公はそのまま俺だ。

「最後のほうが書いてなくてよくわからなかったんだけど、これ続きは?」

どうやら読み終わったようだ。最後のほうは日誌に記録してる暇なんてなかったから、ダークエルフの宣戦布告から開戦前で記述は終わり、そこから神の奇跡を願う話と宝くじを報酬にもらう神様からの連絡に飛び、エルフの里での戦いはすっぱりと抜けて日誌は終わっている。

もう全部読まれちゃったのだ。仕方なしに開戦から俺が日本に戻ったところまでを説明してやった。別に隠し通しておかなければならない理由もないのだ。

「へえ、現実とリンクさせてるんだ。一〇億円も」

「うん、まあね……」

妹ちゃんがニヤァと笑って言う。

「いやー、しかしおにいにこんな趣味があったとはねえ」

「わ、悪いかよ」

くっ、俺は歴戦の戦士なんだ。この程度で怯むな。

「別にいいと思うよー。でも現実の女の子はこんなに簡単に惚れてくれないし、ティリカちゃんを妊娠させたのはどうかと思う」

事実だから仕方ないんだけど。

「そうか?」

「うん。サティちゃんとリリアは惚れてくれそう。でもエリーとかアンとかティリカちゃんはちょっとちょろすぎるかも。実際はもう少しじっくり攻略しないと無理じゃない?」

異世界では常に生命の危機が身近にある。だから異世界の恋愛事情は重いし、時間をかけて関係を深めるなんて余裕がない。向こうの女の子は狙いを決めると積極的というか思い切りがいいのだ。

「それが現実の話だとしたら?」

妹ちゃんに無職童貞はこれだから、みたいに見下されるいわれはないし、嫁たちまでなんだか馬鹿にされた気分になってついそんなことを言ってしまう。

「えー、だったら余計になくない? アンとかエリーは美人でもてるんでしょ。話の流れに無理があるよ」

「俺だって異世界ではスキルとかで戦えて甲斐性もあってかっこよかったとは思わないか?」

俺の言葉に妹ちゃんは、ふふんと可愛く鼻をならし、あえて言葉にしないだけの優しさがあったが、それはそれでひどい。

「じゃあ一〇億円は俺が幸運だったから、たった一〇枚買っただけ当たったと?」

「神様にもらったとかより運が良かったってほうが現実味があるよ? じゃあ聞くけど、魔法とか源流の剣術、おにいは使えるの?」

その言葉に部屋にあった孫の手を手にして、ビエルスで学んだ型、剣舞を披露してみる。終わったところでもう一度やってみてと要求される。全く同じ型が繰り返され、妹ちゃんも適当に動いているわけではないと納得したようだ。

「なるほど。確かに剣術はできそうだけど、おにいが厨二病をこじらせて練習してたってだけよね」

「ふうん。じゃあこれもか?」

そう言って眼の前に火を灯す。

「え? 手品?」

ダメだこりゃ。もし俺がまた異世界に戻ることになれば、あちらで骨を埋めることになる。一人くらい事情を知っておいてほしいと魔法まで見せてみたが、それで無理なら信じさせることはできそうもない。話を変えよう。

「それはそうと何しに俺の部屋に居たんだ?」

「そうだった。留学の資料をもらってきたんだけどね。短期か長期かとか行く場所によって費用が全然違うんだよ。それでかかる費用をスポンサー様に報告しようと思って」

妹ちゃんが手にした資料を見せながら説明してくれる。短期留学は一週間から一カ月くらいで幅がある。しかし真面目にやるなら短期でも一カ月だ。春休みや夏休みの長期休暇に行う。どこかの家庭にホームステイさせてもらい、費用は三〇万から五〇万ほど。現地でのお小遣いもいるし、場合によってはもっとかかることもある。

長期留学は一年間こちらの大学を休学して本格的に向こうの大学で学ぶ。費用も短期の一〇倍はかかるし、基礎的な語学力も必須だ。

「それでまずは次の春休みに一カ月留学してみて、それで上手くいくようなら向こうの九月の学校の開始に合わせて、一年の留学をしようって思ってるんだ」

妹ちゃんが考えている場所の候補はアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド。これも行く場所によって費用は変わってくる。特にアメリカは最近物価が高くなって、費用がかなりかかるかもしれないとのことだ。

「多少は高くなっても安全でしっかり勉強できるところを選ぶんだ。俺は大学行けなかったことを後悔してるからな。アオイにはそんな思いはしてほしくない」

そんな相談をしていると不意にアオイが言った。

「おにい、なんだか雰囲気変わったね」

「そうか? 一〇億もあるから余裕が出てきたのかもな」

「そういえばあの話の続きはどうなるの? おにいは異世界に戻れそうなの?」

「わからん。神様が俺を戻すべき理由が思いつかないんだよ。もう用済みでいいのかもしれん」

むしろ一〇億やるから日本で幸せになれってことなんだろう。そうとしか思えない。俺は俺で平和に暮らし、異世界はみんながしっかりやってくれる。

「その本、図書館で借りてきたの?」

「うん? あっちに戻った時に千年計画で役に立つかなって」

冷静に考えて、こんなことをしても無駄じゃないのか?

「ねえ。おにいは昨日、なんで泣いてたの?」

「それは……一〇億円が当たって情緒が不安定になってたのかもしれないな」

もうサティたちと二度と会えないと思ったからだ。

「なんで今も泣いてるの?」

妹ちゃんの前で情けないが、感情が高ぶり流れ出した涙はどうにも止まらなかった。

「もう一度さっきの火を出すやつが見たい」

泣き出して答えない俺に、真剣な表情で妹ちゃんが言う。

「お願い」

重ねてそう言われたので火を灯してやる。

「……これは本当の本当の話なの?」

しばし黙りこくったあと、ようやく妹ちゃんが言った。

「知らない。これはただの手品だし、一〇億は運が良かっただけだ。異世界とか神様とかほんとうのはずがないだろ」

突き放すように言う。よくよく考えてみると日誌の内容はずいぶんと荒唐無稽な現実味のまったくない話だ。魔法は見せたが、ちょっとした火が出るだけ。手品ですと言ったほうがまだマシだ。

「そ、そうだよね。変なこと言ってごめんなさい。留学の話は詳細が決まったらまたもってくるね」

そそくさと妹ちゃんが部屋を出る。日誌を読まれたから勢いで話してみたものの、それを現実だと言い張るのは無理があった。日誌は隠して、もう誰にも話さないようにしておこう……

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近日中に異世界に戻るならと、俺はお勉強で忙しくて余裕がなかったが、妹ちゃんはあれから日誌や異世界のことが気になるようで、時々俺にその話題を振ってきた。俺はあくまで小説の設定だとして異世界やサティたちのことを話してやった。結局誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

両親は俺が工業系の専門学校に通うことを考えて毎日のように図書館に通い、勉強しているという偽装の話をすると喜び、応援してくれた。

そうして一〇億円が振り込まれた日には銀行のATMで記帳して一〇億円を確認し、家族で高い焼き肉を食べに行った。

父と母には一〇〇万円ずつ贈呈して、生活費だと言って月に一〇万円、一年分一二〇万円を母に渡しておいた。もっと渡したかったのだがそれ以上は贈与税がかかるからと父に言われ、一〇〇万円だけとなった。生活費のほうは常識の範囲内なら贈与に当たらないのだという。

妹ちゃんにはお小遣い一〇万円だ。

一週間が過ぎ、二週間が過ぎても俺は日本に居たままだった。借りてきた本はおおよそ理解できたので、新しい本を借りて勉強を進めた。受験の失敗で勉強には苦手意識があったはずなのだが、異世界での終盤は千年計画や領地運営で書類仕事ばかり長時間やっていたのだ。大学受験の時にこれをやっておけよと自分でも思ったほど、長時間の集中した学習ができていた。

魔力感知が復活し、簡単な魔法をいくつか再び使えるようになった。

体は三カ月ほどのみっちりとしたトレーニングで、まだまだ細くはあったが、それなりに動けるように変化してきていた。

自動車免許を取った。古い車を買って自分で整備した。実際に触らないとわからないことも多いし、運転は楽しい。魔法の練習をするのにも人の居ない場所まで車で行けばやりやすかった。

春には妹ちゃんが一カ月の短期留学に行って、無事戻ってきた。向こうで何人も友達ができてずいぶんと楽しかったそうだが、長期留学は取りやめにするそうだ。異郷での生活は辛いこともあって、曰く、日本が一番いい、そうである。

剣道場へ通い始めた。きっかけは河川敷で剣術の修練をしていて声をかけられたのだ。なかなか強そうないかついおっさんで、剣道場へ来ないかと誘われて俺も相手がほしいところだったのでのこのこと付いて行ったら、そこは警察の剣道場だった。どうやらいつも河川敷でやっていたので、不審者として通報されていて、それで見に行くと真面目に木刀を振っていたので、話をしてみる気になったそうだ。

道場でやってみせた見慣れない型や動きに、全員警官だというおっさんどもが興味津々で質問攻めにされた。

「古流の源流って流派なんですけど、門弟ももう誰も居なくて誰も知らないと思います。師匠も俺に剣を教えてくれた時はもう九十九歳で、ええ。最近は一人で練習を」

師匠は元気だろうか。俺が異世界に戻るまで生きているだろうか? 師匠にはまだまだ教えてほしいことが山程ある。

「師匠の名前?」

バルナバーシュ・ヘイダですけど。

「確かヒラタ……とか言ってた気がします。俺は師匠とだけずっと呼んでたし、教えてもらったのは半年かそこらだけだったんで」

当然だがヒラタという剣術家の名前は誰も知らなかった。面倒なので師匠はすでに死んでいることにした。そしてとりあえず防具を借りて実際にやってみることになった。竹刀は始めてだが、扱えないこともないだろう。

相手は俺を連れてきたおっさんだ。桑田さんと言うらしい。最初は慣れない竹刀と剣道の動きに防戦一方だったが、桑田さんの動き自体はさほどでもなかった。俺がずっと相手をしてきた異世界の化け物たちで言えば、せいぜいオーガ級の下位剣士程度である。隙を見て簡単に一本を取れた。出てきた二人目からも一本を取ると、三人目に強そうなのが出てきた。

軽くつっかけてみるが隙がない。俺のほうも相手の攻撃は見えているので、攻撃をもらうことはない。埒が明かないと誘いをして……相打ち。

「一本だ」「いや今のは引き分けだ」「同時に見えたが」「吉原師範代のほうが早かったぞ」

「引き分けで続行としよう」

そう対戦相手が言う。今のは相手のほうが早かったが、本物の剣ならダメージで俺の勝ちだった。俺のほうが早いか同時になるよう狙ったのだが、しかし引き分け。慣れない竹刀なのは言い訳にはならないだろうな。こいつが思ったよりも強いのだ。

今ならゾーンに入れるだろうか。スッと目を閉じる。相手の戸惑いを感じる。室内だがかすかな風と匂いを感じる。

動いた。竹刀で相手の竹刀を跳ね上げ、そのまま振り下ろした。

「一本!」

審判のコール。よしよし、なんとか勝てたな。剣聖の名にかけて、誰とも知れない相手に負けるわけにもいかないのだ。

「君は強いな」

「いえ。師匠に比べればまだまだ未熟で」

光を斬るどころか風や水も無理。せいぜい岩を斬れる程度。師匠の域にまで達するには何十年かかることか。

「これでも全日本で優勝したこともあるんだけどな」

元日本一。それでこの強さか。この程度の強さか。平和な日本での本格的な剣術修行は厳しいかもと思ったが、俺は警官たちに気に入られて道場に通うことになった。無職であることが知られて断りづらかったし、そこそこ強い相手が揃うので俺としてもありがたい話でもあった。警官にならないかと何度も誘ってくるのはちょっと困ったものだったが。

仮定③のパターンだとするとまだかなり時間はあったが、将来のことも少しは考えるべきだろうか? 工学や工業の勉強から今の興味は宇宙開発に移っていた。NASAとかJAXAにどうにか就職できないだろうか? もちろん異世界に戻れないとして、だが。

無職でも日々の収入はちゃんとあった。父が金融に詳しくて色々と教えてくれて、株や投資信託で自分で使う分なら余裕で賄えるくらいの収入が生まれて一〇億円にはほとんど手をつけていなかった。金銭的には仕事をする意味もないから、警察官も悪くないかも知れない。

音楽を始めていた。以前挫折したギターとドラムを音楽教室で教えてもらって、両方そこそこ鳴らせるようになっていた。教室で紹介されて臨時のバンドも組むことになった。ちょうどドラムが居なくて困っていたそうだ。

料理の腕があがった。時々失敗はしたが、本格的なスパイスからカレーを作るような料理は家族からの評価もなかなか良かった。

夏の暑い最中にやったライブハウスでの演奏は上手くいって、正式にメンバーにならないかと誘われたが、俺は断った。当然だ。俺は異世界に戻ることを諦めていない。

それでも臨時メンバーのままバンドは続き、冬が来て、やがて季節は春になろうとしていた。

俺が異世界から戻ってから一年と七カ月。エルフの里での最後の戦いが終わってからすでに二カ月が過ぎていた。神様からの反応はなにもないまま。

その日はいつものようにみんなで食卓を囲んでいた。

「マサルは最近はどうなんだ?」

「投資は父さんのお陰で上手くいっているよ」

父の助言の通り株や投資信託にお金を入れていけば、配当だけで十分に暮らしていけるくらいの収入になっていた。なにせ原資が一〇億もあるのだ。一億で年三パーセンㇳの運用をするだけで、年間三〇〇万円の収入になる。

専門学校に行くとかどこかの製造現場に入るだとかも以前は言ってはいたものの、バンドは続けているし、警察の剣道場で指導員もやっている。勉強も範囲を広げてそのまま続けていた。こうなると誰かに雇われて働くのも馬鹿らしい話だし、学校に行ったりフルタイムで働くことも時間的に無理があった。

「桑田さんから警官にならないかって誘われてるんだろう?」

「そうなんだけどね」

二十四歳なら警官になるのに遅いということもない。投資家はなしだな。投資家という響きは悪くないが、父に言われた通りやってるだけで、仕事をしている感じが皆無だ。

「おにいはミュージシャンになるんだよね」

それもなあ。自称投資家よりマシだしバント活動は楽しいんだけど、俺は音楽の才能はさほどないような気がするのだ。ドラムの腕はあがったが、作詞作曲がからっきしなのだ。今ならデランダルさんの苦悩がよくわかる。

「じゃあユーチューバーになりなよ。おにいの手品なら絶対に受けるって」

「手品じゃなくてマジックな」

妹ちゃんにはあれから何度も魔法を見せている。バンドの打ち上げなんかでマジックと言って披露すると受けもいい。種も仕掛けもない本当のマジックだし、妹ちゃんはどうも魔法や異世界を信じているようだ。

魔法は訓練の成果で火と水と風と土はなんとか操れるようになったが、回復魔法や浄化、光魔法はまったく使えなかった。火だけは攻撃魔法に近いことができるようになった。その程度なのでネットで披露して一時的に話題になっても、きっとネタが続かないだろう。

魔力量が少なくて、あまり練習もできないのだ。しかしレベルアップしようにも日本では狩りにも許可がいるから、今度狩猟免許を取ろうかと考えているところだ。それでレベルアップできるかは不明であるが。

俺もそろそろ将来というものを考えるべきなのだろうか。この平和な日本でずっと生きることを考えるべきなのだろうか?

安定していて社会に貢献できる警察官か。バンドマンとして一発狙ってみるか。それともどれでもない他の道を探してみるか。

「海外でも見て回ろうかな」

そうぽつりと言う。どうも日本には魔法使いが居ないようだ。俺の魔力感知は一度たりとも反応したことがなかった。もしかすると海外ならいるかも知れない。ロンドンとかアフリカとかで、俺以外の魔法使いを探してみるのも面白いかもしれない。

そうして異世界や神様への手がかりでも見つかれば……

感じたことのない強い魔力反応に思わず立ち上がってしまった。歪んだ空間から飛び出してきたのはサティ。夢じゃないかと思ったが、胸に飛び込むサティの重さは本物だ。

『マサル様っ!』

「え、なに?」「だ、誰だ、君たちは!?」

サティに続いてエリーが、そして他のみんなもぞろぞろと出現する。

両親は突然の闖入者に狼狽え、妹ちゃんは呆然としている。

『マサル、魔力は譲渡できる?』

そう前置きもなくエリーが尋ねてくる。懐かしい異世界の言葉だ。

『無理だ。回復魔法は使えないし、レベルが1に戻ってしまってるんだ』

『じゃあこのゲートはあまり長く維持できないわ。魔力をかなり消費するの』

「ほ、ほんもの!? サティちゃんにティリカちゃん。それにリリアにアンにエリー? このおじいさんは剣聖バルナバーシュ・ヘイダ?」

妹ちゃんが名前を挙げていく。

『ほう。ワシの名はマサルの国でも知られているのか』

『他のみんなは? それにこのゲートは?』

そう疑問を口にする。また神様に連れて行ってもらえるかと思ってたのが、エリーたちが転移ゲートを繋げてきた? 一体どうやってだ?

『あまり大勢で押しかけるのもなんだし、向こうで待っててもらってるの。このゲートは神様に手伝ってもらってマサルの居るところに繋いでもらったのよ』

そうアンが言う。

『迎えに来るのが遅れてすまんかったの。しかし魔物との戦いがえらく長引いての』

リリアが手短に説明してくれた。どうやら魔物との戦いの後始末とアンチマジックメタルの除去に手間取ったらしい。戦線は世界中だったし、アンチマジックメタルを食らってしまえばしばらくは魔法が使えなくなる。結局アンチマジックメタルの攻撃を回避した魔法使いの加護持ちはアンだけで、突破された砦もあったりして戦いはずいぶんと長引いたのだという。

アンチマジックメタルを除去したリリアたちの活躍で人族が勝利を収めて落ち着いた頃、サティが俺が生きていると言い出した。俺は転移でもしたように消えただけ。死んだとは思えないと。

『それでイオン様に神託で神様に尋ねてもらって、マサル様の生存を確認したんです』

そうサティが言う。それから俺の居場所や回収方法も神様に教えてもらい、こうして迎えに来た。向こうでは二カ月ほど経ったくらいのことである。しかし俺の時間は一年と七カ月も経っていた。ほんとうに待たせすぎだ。あやうく諦めるところだった……

『ティリカ、お腹は大丈夫なのか?』

『もうすぐのはずだけど、マサルに会いたかったから』

「マサル、この人たちは?」

父が動揺しながらも母をかばうように前へ出て尋ねてくる。

「紹介するよ。この女の子たちは俺の嫁たち。みんな俺の奥さんだよ。サティ、ティリカ、アンジェラ、エリザベス。それからリリアはエルフで、このじいさんは剣の師匠のバルナバーシュ・ヘイダ氏」

「嫁たち? 奥さんってなに? マサル?」

「オトウサマ、オカアサマ、ワタシハマサルのツマのエリザベスです」

日本語だ。エリーはいつの間にそんなの覚えたんだ。

「俺が行っていた外国は重婚が認められているんだよ、母さん。ほら、ティリカのお腹には俺の子どもがいるんだ」

「外国? 子ども? マサル、一体どういうことなんだ!?」

父が叫ぶように言う。エリーが俺の注意を引いた。

『マサル、もうそろそろ魔力が切れるわ。ゲートが閉じる前に戻らないと』

「アオイ、父さんと母さんにあとで事情を説明しておいてくれ。あと桑田さんと、バンドの山川にも俺は嫁が迎えにきたから海外に移住するって伝えておいて。父さん、俺のお金はもう必要ないから自由にしていいよ」

しかしタイミングが良かった。俺が一人のときだったら単なる行方不明者になるところだったが、それも神様の計らいだろうか。

「俺はこの娘たちと一緒に行って、日本にはもう戻らない」

そう言って、ゲートの前へと向かう。あっちで役に立ちそうな本を取りに行く時間はもうなさそうか。しかし真面目に勉強をずっとしてたから相当多くの知識を蓄えられた。

『別れはすませた。戻ろう。俺たちの故郷へ』

しかし俺が死ぬ時も異世界に帰還する時も、どうにもばたばたして別れを惜しむ余裕もないな。

『また戻れるかもしれないわよ?』

師匠やアンたちがゲートへ消え、俺がサティととにゲートに入ろうとすると、ゲートを維持するために最後まで残ったエリーがそんなことを言い出した。

『今はまだできないし確約もできないけど、ここにゲートポイントは設定したから。神様が言うには魔法や転移の研究が進んで世界の壁を自力で超えられれば、こことも転移で行き来できるようになるだろうって』

マジか。

「アオイ、魔法や転移の研究が進めば、もしかするとまた日本に戻ってこれるかもしれないってエリーが言ってる。じゃあ俺はもう行く。達者でな!」

そう言い捨ててサティと共にゲートに踏み込んだ。そうして転移した先は見慣れない場所だった。しかしちゃんとみんな揃っている。イオンが一礼して言った。

「おかえりなさいませ、マサル様。ここは神国大神殿、神託の間でございます」

眼の前には周囲を森に囲まれた泉があり、俺たちは屋根のないむき出しで石造りの壁だけの建造物の中に立っていた。魔力感知を意識しないでも感じるほど魔力の気配が濃い。泉がざわついているのはどうやら大物の精霊が住んでいるようだ。

「ただいま、みんな」

しかし戻れたのはいいが、俺の加護は……お。メニューが開いた。レベル1だけどアイテムボックスの中身はそのまま残っている。しまったな。日誌をあっちに置いたままだ。

それにしても神様から返事がなかったのは、エリーたちが迎えに来る予定だったからか? まあ戻れたからそのへんはどうでもいいか。メニューを確認しながらそんなことを考えていると、クエストボードが新たに開いた。

【新しい契約】

勇者として世界を救え!

クエストを受けますか? YES/NO

考えるまでもなく俺はYESを選んだ。そのために俺は戻ってきたのだ。メニューを閉じて、誰に言うでもなく呟く。

「どうやら俺が勇者だったようだ」

「何を言ってるの。最初からそうだったでしょ」

エリーが言い、みんなが一斉に頷いた。そうだったかな? 以前の俺は違ったと思うんだけど、まあ違うと言っても今更かーー

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兄、山野マサルは笑顔でゲートの向こうへと消えていった。残ったのは呆然とする両親と、土足で踏み荒らされた居間の汚れだけだった。事情を説明しろって、こんなこと信じてもらえるのかな?

混乱している両親を落ち着かせると、兄の異世界での物語、残った日誌と兄から聞き出した話から再構成した異世界での冒険を、時間をかけて語って聞かせることになった。

眼の前で人がどこからともなく現れ、兄と共に消えたのだ。両親も兄が異世界で彼女たちと暮らしているのだと、最後は信じることにしたようだ。

月日が経ちわたしは無事大学を卒業し、地元の企業に就職して平凡な生活を送っている。兄からの便りはないままだったが、兄の物語は異世界でまだ続いているはずだ。そしていつか戻ってきてそれを話してくれるのを、わたしは今も楽しみに待っている。