作品タイトル不明
43話 その眼を知っている
娘の片想いが実ってほしい気持ちはなく、無関心故に何もしなかったのなら、婚約破棄か解消になっていたらクリストファーはどうしたのか知りたいフィービーが問うた時とジークとヴァレリアの二人が戻ったのは同時だった。話は強制的に終了。両手に二冊の本を持っていたジークがそれをフィービーに手渡した。
「お祖父様、これは?」
「ダイアナが子供の頃愛読していた本と亡くなる間際まで書いていた日記だ」
「お母様の日記……」
本は愛読していたと言うだけあって丁寧にページを開かないと破れてしまいそうで。ダイアナが生まれる三十年以上前に出版されているらしく、現在で換算すると六十年は経過している。本は知らないフィービーだが日記の存在は知っていた。
「お母様の日記は、てっきりお父様が持っているものだと思っていました」
「ダイアナの遺言なんだ」
亡くなったらお墓はサンディスの領地に埋めてほしいこと。指定した遺物は全て祖父に渡してほしいこと。
亡くなる間際の母が父に託した遺言がこれだ。
「お母様は他にお父様に何か言っていませんでしたか」
「私が知っているのはこれだけ」
「お兄様にも何か言っていませんでしたか」
「ミリアン? ダイアナは何も言っていなかったよ」
「そうですか……」
『フィービー……私の代わりに、お父様とお兄様を……支えてあげてね……』
亡くなる前、母に言われた言葉。家族にとって太陽のような存在だった母が亡くなれば、特に母を愛していた父と兄は深く悲しみ沈む。フィービーだって悲しかった。暗い顔をして泣いたまま過ごしていいならそうしたかった。
『ほらフィービー、笑って笑って! お母様はフィービーの笑顔が世界で一番大好きよ!』
明るい笑顔でいるフィービーが大好きだと毎日言われた。父や兄もそうだった。落ち込んでばかりなのは父と兄には似合わない。二人に元気を取り戻してほしくて、母の遺言を実行したフィービーに待っていたのは——冷酷な言葉。
祖父の話を聞いて思ったのは、父も兄もフィービーと違って母に忘れられない言葉を託されていないのではないか、と。父には事務的な言葉を残しただけで長年夫婦としての、妻としての言葉を言われなかったのではないか。兄についてもきっとそうなのだろう。
「お母様は……私にだけ託したのね。お父様には事務的な遺言を。お兄様は分からないけれど」
フィービーが見ていた母は、確かに父や兄を深く愛していた。
ただ、死ぬ間際になって明確な差を付けたのは何故なのか。
死人になってしまった以上、本心を知る機会はもう——ない。
表紙が皮のアンティーク調な日記には四桁のダイヤルロック式の鍵が付けられており、暗証番号は祖父母に伝えられていない。日記の中身は気になるところだが今は暗証番号が何か考える気力がなかった。
「お祖父様、お母様の本と日記を持ち帰っても?」
「ああ。そのつもりでフィービーに渡した。フィービーが大きくなったら、渡してほしいとダイアナに言われていたからな」
「ありがとうございます」
その後はまたダイアナの子供の頃の話であったり、今年の夏伯母一家が来た時に起きた珍事を聞いて吃驚したフィービー。気付けば時計は夕刻に近付いていた。
「折角来たんだ。何日か泊まっていきなさい。オルドー殿下も如何ですか」
「問題ない。教会の神官達には、暫く留守にすると伝えてある」
「それは良かった。フィービーには冬の定番、北の町の名物を是非味わってほしい」
「定番、ですか?」
冬の定番といえば身体が温まる料理。特にクリームシチューが絶品だとジークやヴァレリアは胸を張る。……サンディス領へ出発する前日の夕食もクリームシチューだった為、名前を聞いた瞬間アルドルの「マジかよ」というぼやきを耳にしたオルドーは素早く足を踏んで黙らせた。
「冬になって知りましたが北の町の皆さんは、クリームシチューがお好きなんですね」
「冬はどうしても煮込み料理ばかりになってしまうけれど、クリームシチューは各家庭によって味が違って面白いのよ」
料理を担当している料理人は昔帝国全土を渡り歩いた経験があり、家庭の味の違いを忠実に再現出来る腕を持つ。同じ料理が続いても味に変化があって飽きないのだとか。
「フィービーはパスタは好き?」
「とっても」
「パスタにクリームソースではなく、クリームシチューを掛けて食べるのも中々に美味しいわよ」
「食べてみたいです!」
北に来てすっかりと食事が楽しくなったフィービーは料理にも興味を示しており、まだ火は使わせてもらえないが食材の仕込みやパン生地の作成を任せられるようになっていた。初めて包丁を持った時は、食材ではなく自分の指を切ってしまいそうで側で見守っていたトレイシーをハラハラさせたのはよく思い出せる。
「……」
クリームシチューの他に冬の定番料理を興味津々に聞くフィービーを見つめていたオルドーは、ふと視界の端に映ったクリストファーを盗み見た。
ダイアナと瓜二つのフィービーを懐かしさ……とも言えるが何かが違う眼で見ていた。言葉にしなくても見守っている意思が秘められた温かい視線。とても既視感のあるそれが何か、と考えているとオルドーの脳裏に懐かしい記憶が蘇った。
『ちちうえ! 見て、ぼくこの絵本読んじゃったよ』
『おお! すごいぞオルドー!』
今よりもずっと小さかった頃。歳の離れた異母兄がいることも、自分がどういった立場であるかよく分かっていなかった時分、父と皇太后が離宮に足を運んでいた。何も知らず、穏やかに暮らしていた時のオルドーは生まれ付きの病気によって長い間ベッドの上で過ごさないとならなかった。身体を起こすだけで体力を削られるせいで絵本を一冊読むのでさえ時間がかかった。体力に余裕がある時に少しずつ絵本を読み、読み終わったと父に伝えれば我がことのように喜んでくれた。
『大きな声を出すのではありません。オルドーの身体に障りますよ』
『これくらい構わんだろ。なあ、オルドー』
『はい!』
他の若い女が産んだ子供なのに皇太后は優しかった。母という存在を知らないオルドーに母の温もりや優しさ、時に厳しさを教えてくれた人。
病気のせいで身体が辛くても、治療の為苦く不味い特効薬を飲み続ける苦痛も、父や皇太后がいてくれたから乗り越えられた。
クリストファーがフィービーに向けている眼は、愛する女性に瓜二つの娘を見守る、そんな眼じゃない。
「……まさかな」
「叔父上?」
離宮で暮らしていた頃、父が常に向けてくれていた眼と酷似していた……。