作品タイトル不明
第十七話 駆け回る狼
「──ちっくしょう! またかッ!」
光に包まれた世界の中で、誰かが悪態を吐いた。
イレーネオは喉まで上がった悪態をこらえて、投げナイフの柄を強く握る。
隣では上司が苛々と正面から来るチャフ達を見据えている。
三度目ともなれば、目をやられるへまはしなかったらしい。
だが、不意打ちである事には変わりなく、仲間の中には目を押さえている者もいた。
「目をやられた奴はその場を動くな。見える者は前に出て味方を守れ!」
上司が指示を飛ばす。
すぐに五名ほどが集団の前に馬を進め、飛来した投げナイフを弾いた。
黒く塗られたナイフが鉄剣にかち合い、耳障りな金属音を響かせる。
地に落ちたナイフは再利用を防ぐ為なのか、所々に鉄の色が露出しており、来るとわかっていれば対処できる物だ。
ものは試し、とイレーネオは握っていた投げナイフを僅かな動作でチャフに向けて投擲する。
馬上とは違い、安定した御者台から放たれた黒い投げナイフは闇夜に紛れ、チャフの胸元へと向かう。
しかし、チャフはハエでも落とすように剣を上下させ、ナイフを叩き落とした。
飛んでくると分かってても、全力で走る馬に乗りながら飛来するナイフを落とすのは難しい。
事実、イレーネオの仲間達は集団の前で馬を止めて対処しているのだ。
「あの若さで……良くやりますね」
「褒めてる場合かよ」
上司が呆れ混じりに返す。
言葉を交わす内に、イレーネオ達の前方でチャフが片手を挙げる。
チャフの指示を見た騎兵隊は一斉に左の森へと駆け込んだ。
今回の襲撃は終わり、という事だろう。
仲間の一人が上司を振り返る。
「追わせてください!」
「追撃は許さん。道を進め」
部下の懇願を切って捨て、上司は前進を指示した。
なおも食い下がろうとする部下に、イレーネオが馬車と負傷者を指差した。
「トライネン子爵が使っている道は枝を払ってあるとはいえ、追撃を防ぐため途中に丸太を転がしているはず。ただでさえ疲弊した部隊をさらに分散させるつもりか?」
「しかし、このままでは……」
イレーネオに説明されても、まだ部下は食い下がろうとする。
理屈は納得できても、度重なる目眩ましとそれに続く不意打ちで苛々しているらしい。
顔を見れば、シドルバー伯爵領での撤退戦後に補充された兵だった。
「今は船にたどり着く事を優先しろ。船の上までは追って来れないはずだ」
イレーネオが説得すると、部下は渋々頷いて顔を進行方向に向けた。
イレーネオは上司に横目を投げる。
「……恐らく、関にも多数の兵が詰めているはずですよ」
「分かってる。途中で船を降り、最短でベルツェ侯爵領からシドルバー伯爵領に抜ける事になるな」
小声でやりとりし、イレーネオはかつての山越えを思い出してため息を吐く。
念の為、馬車の中の双頭人形に無事を確認すると、銀髪の娘達はクスクスと楽しげに笑い声を零す。
「ねぇ、重傷者は出た?」
「ねぇ、重傷者は何人?」
場違いに明るい声で、内容とは不釣り合いな軽い口調。
上司が盛大に顔をしかめた。
「今回は出てねぇよ。重傷者は今んとこ六人だ」
「……まだ少ないかしら」
小さく聞こえてきた言葉に、イレーネオは眉を寄せる。
問い質そうと口を開く前に、双頭人形は互いに額を寄せ合って意見を交わし始めた。
人形を並べ役を割り振って遊んでいるような、独特の空気が馬車の中を満たしている。
言いようのない不快感が胸にわだかまり、イレーネオは前に向き直った。
「やっぱり、ここも上から光を取り込んでやがるな」
上司が夜空を見上げて呟いた。
今までもチャフ達が襲撃を仕掛けてくる地点では、必ず上の枝が払ってあった。
「どんな理屈かは知らねぇが、元となる光がなければ目眩ましを使えねぇみたいだな」
「後は青銅剣も怪しいですね」
イレーネオと二人で考察した結果を、上司は前を進む部下へと告げる。
そして、頭上に明かりがある地点を見つけたら報告するよう、指示した。
上司は前方を睨みながら、荒々しく息を吐き出す。
「次はこちらから仕掛けてや──」
言葉の途中で、イレーネオは上司の肩をつかみ、馬の背に押し付けた。
ヒュッと、空気を裂く鋭く乾いた音が上司の背をかすめ、馬車の壁に突き立った。
「──左から敵襲!」
イレーネオは切羽詰まった声で注意を促す。
だが、時すでに遅く、馬車の左を固めていた兵の内の四人が腹や肩に投げナイフを受けた。
「左の森だ。敵は馬に布を履かせている!」
「前に向かってんのか、後ろに向かってんのか、どっちだ!?」
「黒装束で闇に紛れてる。どこいるか分からん!」
イレーネオは下唇を噛む。
断片的に聞こえてくる情報から、チャフ達は馬に布を履かせる事で隠密性を上げ、さらに黒装束を纏う事で密かに近づいたのだ。
上司がイレーネオの手を払いのけ、左を睨みつける。
「目眩ましで一定の流れを作ってやがったな。迂闊だった」
歯ぎしりしつつ、上司は馬首を左前に向け、一直線に左の兵の援護に向かった。
チャフ達は襲撃前に必ず光による目眩ましを行っていた。
イレーネオ達は、チャフ達の奇襲が目眩まし頼みだと錯覚し、目眩ましを奇襲の合図と捉え始めていた。
それこそが、チャフ達による本当の目眩ましだったのだ。
イレーネオは周囲の仲間を見回す。
目眩ましに慣れ、目眩ましを起点に心構えを作り始めていた仲間達は、不意を打たれ完全に動揺していた。
本来、奇襲は暗闇に紛れて行うものだというのに、目眩ましにばかり注意を払い過ぎたのだ。
「落ち着け、持ち場を離れるな! 左翼はすぐに持ち直す。お前達は精鋭だろう、己の仕事を全うしろ!」
イレーネオは声を張り上げ、仲間達を叱咤する。
上司が加わった事で左翼は一気に安定し、士気や秩序も回復していた。
チャフ達は音もなく、姿も見せないまま、唐突に襲撃を切り上げ去っていった。
「全体、止まれ」
上司が命令し、仲間達は馬の足を止める。
「重傷四、これで計十名だ」
元々の人数は二十五名、非戦闘員である双頭人形を加えても二十七名の集団だった。
しかし、今や戦闘が可能な兵は十五名。上司は指揮官であり、イレーネオは馬車の御者を務めているため積極的に戦闘へ参加できない。
「重傷者の保護はもう出来ない。何人かは馬車に乗せるが……余りは馬の背に括り付けろ」
嫌な命令だ、とイレーネオは思わず顔をしかめる。
いざという時は見捨てて逃げるしかない、という意味なのだから。
しかし、誰も異を唱える事は出来ない──はずだった。
「ちょっといいかしら?」
馬車の窓を半開きにして、双頭人形が口を挟んだ。
無機質な薄ら笑いを浮かべ、人形の首に糸を括り付けて窓に下げようとする子供のように、銀髪の娘達は提案する。
「重傷者の十名、その方達をチャフ・トライネン子爵に引き渡しましょう」
「……なに?」
双頭人形の言葉に、上司が眉を寄せる。
上司の表情から、意味が伝わらなかったと解釈したらしく、双頭人形は説明する。
「トライネン家は質実剛健で誠実な家柄」
「捨てられた重傷者を見捨てられるかしら?」
「……つまり、重傷者を向こうに引き渡して捕虜にし、介抱させる、って事か」
十名の重傷者を介抱するとなると、六名しかいないチャフ達は身動きが取れなくなる。
だが、自身の安全と引き替えに仲間を売り渡すこの提案は、上司の顔を嫌悪感で歪ませた。
上司が口を開きかけた時、双頭人形は頭を振った。
「早とちりよ、お馬鹿さん」
「勘違いだわ、せっかちさん」
双頭人形は呆れたような口調で言葉を紡ぐ。
命を狙われている危機感など一切持ち合わせていないようだ。
「この暗さだもの、怪我の程度が多少軽い者が混ざっていても分からないわ」
「重傷に偽装した軽傷者を混ぜて、チャフ・トライネン子爵を刺してしまいましょう」
双頭人形は交互に説明する。
そして、首を括った人形が失敗した際の末路を何気なく付け加える。
「──どちらにしても、怪我をしてたら使えないもの。失敗したら、見捨てればいいのよ」