軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

《ベルセルク》

ラオンの奥の手は、当然ただの回復ではなかった。

赤黒いエフェクトが彼の全身から噴き上がり、傷を塞ぎ、乱れた呼吸を整え、削れていたHPを強引に押し戻していく。

けれど、それ以上に変わったのは、目だった。

さっきまでのラオンには、はっきりとした怒りが宿っていた。自分を追い詰めた者たちへの激しい感情が渦巻いていた。

同時に、目に見える焦りも存在していた。戦況の悪化が彼を追い込んでいたのだ。

さらに、格下に遅れをとったという屈辱もあった。誇り高いクランマスターとしての自尊心が傷つけられていた。

それでもまだ、仲間の位置を見て、槍を使い、大盾を使い、後衛の支援を受ける、クランマスターとしての判断が残っていた。

しかし、今の彼は完全に別物になっている。かつての面影はどこにも見当たらない。

ラオンの瞳から、そういう理性の膜が一枚剥がれ落ちる。

そこに残ったのは、ただ敵を粉砕するための獣だった。

「《ベルセルク》……」

ネネが、息を呑むように呟いた。

ラオンの奥の手スキル《ベルセルク》。

正真正銘、その身を狂戦士へと落とすスキル。

攻撃力、速度、耐久、状態異常耐性、おまけに超回復。おそらくそのすべてを一時的に引き上げる代わりに、細かな判断や連携能力を捨てる。

さらに、その牙は敵だけではなく、目の前で動くもの、つまり味方ごと粉砕する。

だから、ラオンはこれまで使わなかった。

彼の前には、強固な大盾が立ちはだかっていた。

仲間を守る絶対の壁として機能していたのだ。

その横には、鋭い槍を構える戦士が控えていた。

いつでも敵を貫く準備を整えていた。

さらに弓や罠師、双剣、魔術師、回復役と、多彩な仲間たちが揃っていた。彼らとの連携こそがクランの強みだったからだ。

仲間がいる間に使えば、自分の暴力で陣形を壊す。

だから彼は最後の最後、もう自分が暴れるしかない場面でだけ、その使用を自分に許していたのだ。

「は……はは……っ!」

ラオンが笑う。

それは人間の笑い声というより、喉の奥で獣が唸る音に近かった。

「リエラァァ……全部ぶっ壊してやる」

次の瞬間、戦場が一瞬にしてリセットされた。

ラオンが力強く地面を踏み込む。

その一歩だけで地響きが鳴った。

彼が動いたのは、ただそれだけのシンプルな動作だった。複雑な駆け引きなど微塵もない。

それだけで、足元の土が弾け、落ち葉が吹き飛び、俺の前に並べていた骨の戦士たちが、まとめて薙ぎ払われた。

大盾のボーンパペットが斧を受けようとする。

激しい衝撃音とともに、骨の盾は無惨に砕け散った。一瞬の抵抗すら許されなかったのだ。

双剣の骨が横から素早く切り込もうとする。隙を突いた見事な連携のはずだった。

しかし、それすらも圧倒的な暴力の前に吹き飛ばされた。紙くずのように宙を舞って消え去る。

弓や罠の骨が何かをする前に斧の風圧で崩れる。

防御も妨害も、関係ない。

彼はひたすらに前へと歩みを進める。

立ち塞がるものはすべて排除する構えだ。

目の前にあるものをただ無慈悲に壊し尽くす。そこには何の感情も介在していない。

それが《ベルセルク》のラオンだった。

「リエラさん!」

ミーナの声が飛ぶ。

俺は骨盾を三枚、反射的に重ねた。

重ねた一枚目の盾が、あっけなく砕け散る。時間稼ぎにすらならなかった。

すぐさま二枚目の盾が真っ二つに割れる。恐ろしいほどの破壊力が襲いかかってきた。

最後の三枚目も無惨にひしゃげて吹き飛んだ。何重もの防御が全く意味をなしていない。

それでも斧は止まらない。

俺はスライムボディで衝撃を逃がそうとした。

けれど、逃げきれなかった。

衝撃が身体の芯を貫く。

発勁のような、防御の外側ではなく内側へ響く何かが乗っているのかもしれない。

「っ、ぐ……!」

HPが目に見えて削れた。

芯から響くような痛みを覚えた。思わず顔をしかめてしまうほどの衝撃だ。

VRゲーム故の制限はある、あるにしたって痛いものは痛い。

身体の奥をぐらりと揺らされるような重さがあった。

スライムボディで受け流せるはずの衝撃を、無理やり中へ押し込まれた感覚。

この状況は非常にまずい。取り返しのつかない事態になりかねない。

予想を遥かに超える暴力の前に、これは本当にまずい展開だと直感した。背筋に冷たい汗が流れる。

さっきまでのラオンとは別物だ。

立ち直ったどころではない。

戦場そのものを、たった一人でひっくり返す獣になっている。

ネネをコアへ向かわせるか。

一瞬、その考えが頭をよぎった。

ラオンがこれだけ前へ出ているなら、コアは破壊可能だ。コアを守るなんて理性は残ってなさそうだ、なのに、動いたら反応される、動いたら私だけしか耐えられない一撃が飛んでくる。

けど、それでも……ネネとトビーなら、森を抜けてコアを狙えるかもしれない。

コアを壊せば勝ち。

それはルール上、間違いなく勝利だ。

「……違うわね」

頭の片隅に浮かんだその選択を、俺はすぐに振り払った。そんな逃げの姿勢では意味がないのだ。

俺は、目の前のラオンを見た。

赤黒い闘気をまとい、理性を削り、最後の力を振り絞って俺へ突っ込んでくる裸の獅子。

目の前に立ち塞がるこの厄介な獣を、確実に倒さずに終わるわけにはいかない。私たちの誇りがそれを許さないのだ。

ラオンに土をつけずに、この戦争に、勝利の二文字はない。

俺は口角を上げた。

本音を言えば、今の彼は恐ろしく怖い、まともに相手をしてこれまで積み重ねた勝つための算段を無に返すかもしれない。

心臓が早鐘のように鳴り続けている。

これが新生リエラ魔王軍の記念すべき初陣であることを考えれば、逃げる選択肢はない。

また、リエラちゃんねるの配信を盛り上げるためにも、誰の目から見ても明らかな劇的な結末が必要だ。

視聴者は圧倒的な勝利を望んでいる。

なにより、"私"の抑えようのない食欲がそれを許さない。この極上の獲物をみすみす逃す手はないのだ。

ラオンは、ここで倒す。

小細工なしの真正面から打ち砕く。

最後まで暴れさせて、その上で食卓に乗せる。

「ネネ!」

私は叫んだ。

「コアはいい! ラオンを落とすわ!」

森の影から、ネネの声が返ってくる。

「だよねぇ! そう言うと思った!」

彼女の返事はいつも通りに軽い。緊迫した空気を感じさせない響きだった。

ただ、その声色には明らかな笑いと隠しきれない緊張が混ざっていた。事態の深刻さは十分に伝わっているようだ。

ネネもわかっているのだ。

これはもう、勝ち筋だけの話ではない。

この戦争の絵面を、結末を、物語をどう終わらせるかの話だ。

ラオンが再び踏み込む。

信じられないほどに速い。巨体からは想像もつかない俊敏さだった。

私は間髪入れずに骨盾を展開する。少しでも時間を稼ぐためだ。

しかし、防御は瞬く間に砕かれる。斧の威力は一向に衰えない。

すかさずボーンソードを地を這うように走らせる。相手の足元をすくう作戦だ。

だが、それすらも力任せに踏み潰される。小手先の妨害など全く通用しなかった。

罠の骨片を再構成する暇もない。

ラオンの斧が、上から叩き込まれる。

私は身を沈め、横へ逃げる。

しかし、斧の軌道が途中で変わった。

強引に軌道を変え、巨大な斧が真横から薙ぎ払ってきた。物理法則を無視したような動きだ。

「うそでしょ!」

尻尾で地面を叩き、無理やり身体を跳ねさせる。

ほんのわずかに刃がかすっただけだ。直撃だけはなんとか免れた。

それでもHPが削れる。

エルーサの祈りがすぐに背中へ流れ込む。

「リエラ様、祈りを重ねます!」

「お願い、助かるわ!」

その瞬間、ラオンの斧がエルーサへ向きかけた。

私の背筋が冷える。

ベルセルク状態のラオンには、細かな判断がない。

しかし、近くにいる支援役を本能的に潰そうとする程度の嗅覚は、まだしっかりと残っているらしい。

「させない!」

私は 誘惑(テンプテーション) を重ねた。

桃色のハートエフェクトが赤黒い闘気の中で弾ける。

ラオンの視線が、ぎらりと私へ戻った。

「リエラァァァ!」

「そうよ、私を見なさい!」

ラオンが突っ込んでくる。

私は紙一重のところで斧の連撃を避ける。冷や汗が止まらない。

どうしても躱しきれない打撃は、スライムボディを駆使して強引に受ける。衝撃が全身を駆け巡った。

軌道を読めるものは盾を使って外へ逸らす。少しでも直撃を減らすためだ。

そのたびに防壁は無惨に砕かれる。防戦一方で全く余裕がない。

それでも諦めず、ひたすらに次の攻撃を避ける。生き残るためにもがき続けた。

疲労のせいか、徐々に足元の感覚が薄くなる。踏み込みが甘くなっている証拠だ。

打開策が見つからないまま削られている。

限界が近づいており、本当にマズいかもしれないと痛感する。

それでも笑みが消えない。

死の予感が背筋を撫でた。

骨の戦士たちは粉砕された。

エルーサの回復はあるが、ラオンの一撃が重すぎる。

ネネが横から入ろうとしても、この暴風のような斧の間合いでは、下手をすれば巻き込まれる。

ミーナの火力を通すにも、私がラオンを止めなければならない。

私が彼を真っ向から止めるというのか。

今のこの常軌を逸した怪物を相手にして。

暴走するこの状態のラオンを止めるなど、不可能に近いミッションだ。正気の沙汰とは思えない。

絶望的な状況であるにもかかわらず、不思議と笑えてくる。自分の狂気にあきれるほどだ。

それなのに、心の底から湧き上がる感情は確かなものだった。"俺"はこの死闘を心底楽しんでいるのだ。

恐怖と痛みが交錯し、熱狂で頭が沸騰しそうなほど勝ち筋が細い。そんな絶望的な状況であっても、"俺"の心は踊っている。

圧倒的な暴力の前に立ち塞がることが、これほどまでに楽しいとは思いもしなかった。血湧き肉躍る最高の舞台だ。

「ミーナ!」

ラオンの斧を骨盾で逸らしながら叫んだ。

「MPどれだけ残ってる!?」

ミーナは一瞬で答えた。

「安全に撃つなら、あと一度です!」

「わかったわ、ありったけぶつけて!」

私はラオンの斧を受け流し、身体を沈めて懐へ入る。

ラオンの膝へローキック。

手応えはあったが、効きは思いのほか浅い。致命的な隙を生むには至らなかった。

狂戦士特有の異常な怯み耐性が乗っているのだ。通常の打撃では足止めすら難しい。

なら、関節ではなく、動きを一瞬だけ止める。

尻尾をラオンの足元へ絡める。

斧が振り下ろされる。

絶体絶命の瞬間、ゴブリンが強制的に召喚陣に吸い込まれる。

「!?」

そうか、魔物共鳴のスキルにより致命傷を身代わりにする効果だ。ターゲットはネネなのかミーナなのか私なのか、この風圧のダメージに眷属たちが反応してくれたのだ。

ゴブリンたちが、身代わりのように前へ出て、斧の軌道をほんの少しだけずらしてくれる。

一匹目のゴブリンが斧の直撃を受けて散る。それでも彼は立派に盾の役割を果たした。

すぐさま二匹目が飛び込み、軌道をわずかに逸らす。彼らの献身には頭が下がる思いだ。

さらに三匹目が身代わりとなり、致命傷を防いでくれた。小さな命たちが私たちを生かしている。

砕けるように光へ変わり、召喚陣の中へ消えていく。ネクロマンサーのスキルでMPが回復していく。

これをミーナに渡せないのが辛い。

彼らの忠誠心を無駄にはできない。

立ち止まっている暇は一秒たりともない。彼らが作ってくれたこの一瞬の隙を、私は必ずモノにしなければならない。

「ゴブリンたち、助かるわ!」

私はその一瞬を使って、ラオンの腕へ飛びついた。

相手の関節を破壊すべく、強力なサブミッションを仕掛ける。渾身の力を込めた一撃だ。

しかし、暴走状態の彼には完全には極まらない。関節が外れる寸前で持ち堪えられてしまった。

強化されたラオンの筋力が規格外に強すぎるのだ。私の力だけではねじ伏せることができない。

完全に拘束することはできなくとも、腕の角度を一瞬だけ固定することは可能だ。そのわずかな時間こそが勝負の分かれ目となる。

「今!」

ミーナの杖先に、炎が集まった。

これまでのファイアーボールとは違う。

丸い火球ではなく、暴力的な数の槍。

圧縮された炎が細く長く伸び、空気を焼きながら形を作る。

森の湿った空気が一瞬で乾き、熱が肌を刺す。

ミーナの額に汗が浮かぶ。

彼女は右手を上に掲げ無音詠唱の動作をなぞり、最後に杖をまっすぐラオンへ向けた。

「リエラさんに勝利を!」

炎の槍が放たれ、熱量を保ち、分裂を繰り返し一直線に目標へと向かって突き進む。回避を許さない必殺の軌道だ。

途中で曲がるような余計な動きは一切ない。純粋な破壊力だけがそこにある。

この一撃は、ただラオンを貫くためだけに生み出された火の槍だった。ミーナの覚悟が宿っている。

私はぎりぎりで身体を横へ逃がそうとする。

私が逃げようとしたその瞬間、ラオンもまた信じられない速度で反応して動いた。

狂戦士の反射神経は健在だ。

ベルセルク状態の反応速度で、私を掴んだまま炎の軌道へ巻き込もうとしてきた。

「っ、この!」

俺は尻尾を地面へ強く叩きつけ、その反動を利用して体を弾く。

力づくでの脱出を試みる。

同時にスライムボディの特性を活かし、掴まれた肩を強引に引き抜く。

痛みを堪えて体をねじった。

エルーサの祈りが、ほんの一瞬だけ俺の身体を軽くする。

ネネの短剣が横から飛び、ラオンの手首をかすめた。

トビーが投げた石が、ラオンの足元で跳ねる。

仲間たちとの連携を含め、これらすべての攻防はほんの一瞬の出来事だった。

瞬きする間に勝敗が分かれる世界だ。

その針の穴を通すような一瞬の隙を突いて、私はついにラオンの拘束から抜け出すことに成功した。奇跡的な脱出劇である。

炎の槍がラオンへ突き刺さる。

「が、ああああああああっ!」

ラオンの咆哮が森を揺らした。

赤黒い闘気と、ミーナの炎がぶつかり、光が弾ける。

HPバーが大きく削れる。