作品タイトル不明
手負いの獅子
同時に、森の奥では別の戦いが進んでいた。
ネネとトビーは、後衛二枚を追っていた。
魔術師と回復の魔術師。
戦略の基本として、先に落とすべきは間違いなく回復役だ。これを生かしておいては泥沼になる。
どれだけ前線を削っても、回復を通されれば時間を稼がれる。
そして時間を稼がれれば、ラオンがどこかで流れを奪い返す可能性がある。
だからこそ、リスクを負ってでも最優先で落とす。勝利への最短ルートを突き進むのだ。
「トビーちゃん、回復の子からね」
「へへっ、了解でやす。詠唱中になんか気持ち悪いと、人間様は集中できねぇもんでさぁ」
「ほんと気持ち悪い性格ねぇ」
「ネネ姐さんに言われると、照れやす」
「照れないでぇ」
ネネは軽口を叩きながら、木々の影を滑った。
回復の魔術師は逃げ方が上手い。
攻撃職ほど派手ではないが、視線の切り方、木を盾にする位置取り、味方への支援を通す角度をよく知っている。
しかも、隣には妨害魔術師がいる。
ネネが距離を詰めようとすると、足元に鈍化の魔法陣が広がり、視界に薄い霧が流れ、短剣の投擲ルートに小さな障壁が置かれる。
「おっと」
ネネは短剣を引き戻し、枝の影へ消える。
妨害魔術師が舌打ちした。
「速すぎる……!」
「でも、守る方が大変だよねぇ」
ネネの声が右から聞こえる。
回復の魔術師がそちらへ視線を向けた瞬間、左足元でトビーが何かを弾いた。土と骨で工作した蟲だ。
「こっちでやすよ」
「ーーっ! いやっ!?」
回復の魔術師が詠唱を中断する。
致命的なその一拍の隙だ。ネネがこれを見逃すはずがない。
ネネは分身ではなく本体で間合いに入った。必殺の距離へと瞬時に潜り込む。
両手に握られた短剣が鋭く光る。獲物を狩るための冷たい輝きだ。
まずは魔法の要である杖を持つ手首を狙う。的確に関節を弾き飛ばした。
流れるような動きで次に肩を切り裂く。腕の自由を完全に奪い取った。
さらにローブの裾を引っかけ、逃げる足を止める。
回復の魔術師は即座に小さなバリアを張った。
咄嗟の防御としては実に見事だ。後衛としての経験値の高さが窺える。
だが、ネネはバリアを割ろうとはしない。
バリアの外側をなぞるように移動し、相手に回復対象を見せない位置へ回り込む。
「詠唱、通させないよぉ」
妨害魔術師が援護に入ろうとする。
しかし、その足元にトビーがばらまいた骨片が転がっていた。
ほんの少し、姿勢が崩れる。
その瞬間、ネネの分身が妨害魔術師の視界を塞ぐ。
本命の本体は一直線に回復の魔術師へと向かう。殺意の矢印は全くブレていない。
短剣の柄が、バリア越しの杖の根元を強烈に叩く。力強い衝撃が走った。
魔力で作られたバリアが大きく揺れる。ヒビが入るのは時間の問題だった。
容赦なくもう一撃を叩き込む。追撃の手は緩めない。
今度は無防備な膝を狙い打つ。体勢を崩すには最適な部位だ。
さらに、トビーが背後から投げた小石が、回復の魔術師の足に当たる。
「いたっ!」
物理的なダメージはほとんどない。ただの小さな石ころの衝撃だ。
だが、その僅かな衝撃で魔術師の体勢が完全に崩れた。詠唱への集中も途切れてしまう。
「ネネ姐さん、今でやす!」
「はいはい」
ネネの短剣が、バリアの継ぎ目へ滑り込んだ。
強引に割るのではなく、揺らいだ瞬間に薄い場所を刺す。
ガラスが割れるような音を立ててバリアが砕ける。守りの殻は跡形もなく消え去った。
回復の魔術師の目が絶望に見開かれる。己の死を悟った瞬間だった。
「まず一枚っとぉ」
ネネの声は相変わらず軽い。まるで散歩のついでに花を摘むような口調だ。
だが、彼女の攻撃には一切の容赦がなかった。冷酷なまでの連続攻撃が叩き込まれる。
手首を封じ、肩を砕き、胴を穿ち、足を止める。息をつく暇すら与えない。
回復を通すための動きをひとつずつ潰し、最後に短剣の柄で胸元を強く叩く。
魔術師のHPバーが一気に赤く沈む。もはや風前の灯火だった。
そして、ネネは一絲の迷いもなく最後の一撃を入れた。冷徹なトドメの刃が煌めいた。
――ネイキッドラオン所属プレイヤー、一名戦闘不能。
さらにネネはそのスピードのまま、いつの間にか妨害魔術師を狩っていた。いくらなんでもその言い方はないだろう。
自分でも突っ込まずにはいられない。
分身体と位置が入れ替わったかの様に見えた次の瞬間、妨害魔術師が最後の抵抗として魔法陣を展開しようとしていたのは、視界の端で見えていた。
鈍化か、拘束か、あるいはラオンを支援するための防御術式か。
どれにしても、通されたら厄介極まりないものだった。
けれど、それが完成する前に、ネネの気配が森の影から滑り込み、短剣の一撃が詠唱を断ち切った。
次に聞こえたのは、システムログだった。
――ネイキッドラオン所属プレイヤー、一名戦闘不能。
魔法使い2枚落ち。
これで戦局は劇的に動く。
視界の端でそのログを確認した瞬間、俺は笑った。計算通りの展開に胸が躍る。
「落ちたわね」
目の前のラオンも瞬時にその事実に気づいた。パーティーの生命線が絶たれたことを悟ったのだ。
彼の獰猛な顔が、ほんの一瞬だけ引きつるように強張る。隠しきれない動揺が表に出ていた。
生命を繋ぐ回復魔法が完全に消えた。これ以上の継戦は彼らにとって地獄を意味する。
もう、これまでに削られたHPは簡単には戻らない。ダメージは蓄積していく一方だ。
これでラオンは、その重い傷を抱えたまま戦うしかない。じわじわと出血を強いられる消耗戦の始まりだ。
なら、ここからはいよいよ本格的な崩しに入る。一気に勝負の天秤を傾けてやる。
「《気術》」
俺は短く、しかし力強くスキルを唱えた。身体の奥底のスイッチを切り替える。
身体の奥で、HPが削れる感覚が走る。
痛みというより、体内の熱を燃料として引き抜かれるような感覚。
その代わり、筋肉に力が満ち、足先が軽くなる。
全パラメーターに強力な補正がかかる。
全身のバネが一段階跳ね上がるような全能感だ。
ゲームの仕様上、寿命を削るほどの重いリスクではない。一時的な代償に過ぎない。
だが、今の俺にとって、HPを支払う感覚は妙に生々しかった。
エルーサが即座に反応する。
「リエラ様、祈りを重ねます」
「お願い」
エルーサの祈りが背中へ流れ込む。
削ったHPを完全に戻すわけではない。
けれど、気術の負担を支えるには十分だった。
俺は爆発的な脚力で地面を蹴った。弾丸のように一気に間合いを詰める。
俺の突然の加速に、ラオンの目が驚きに見開かれる。彼の反応速度を超えたのだ。
さっきまでとは比べ物にならないほど速い。風を切り裂くようなスピードだ。
さっきの成長に気術の補正が乗っている。
俺はラオンの斧の内側へ滑り込み、まず腕を取った。
「っ!」
ラオンは卓越した反射神経で瞬時に腕を引こうとする。だが、その動きは既に読まれていた。
双剣の骨が横から彼の視界を乱し、罠の骨が足元に爆符を邪魔し、大盾の骨が斧の柄へぶつかる。
俺はその隙に、ラオンの手首を押さえ、肘を逃げられない角度へ入れた。
近接格闘術の真骨頂、サブミッション(武芸版)だ。逃げ場のない関節技を極めにかかる。
強靭な腕の関節を容赦なく極める。
骨が軋む嫌な感触が伝わってきた。
ラオンの太い腕に限界を超える負荷がかかり、ゴリゴリとHPが削れる。力づくの拘束だ。
「ぐ、うぅっ!」
「力任せで抜けられると思った?」
俺は彼の耳元で冷たく囁く。逃がさないという強い意志を込めて。
「残念。今の私、ちょっと速いわよ」
ラオンは膝蹴りを入れようとした。
俺は身体を沈め、尻尾で彼の足を払う。
彼の強靭な足腰は、完全には倒れない。巨木のように地を掴んでいる。
だが、確実にそのバランスが崩れる。体幹がブレて隙が生まれた。
今度は踏ん張っているその脚を狙う。
容赦なく次の打撃を打ち込むのだ。
ラオンの脛を狙ってローキックを入れ、そこから膝の外側へ体重をかける。
アバターの関節を完全に壊すほどの威力ではない。システム上の制限があるからだ。
あくまでゲーム的な拘束と、それに伴う継続ダメージの付与だ。しかし効果は絶大である。
だが、その地味な痛めつけによってラオンのHPは確かに削れていく。じわじわと死が近づいていた。
「マスター!」
焦燥に駆られた槍使いが、マスターを助けるために戻ろうとした。仲間を見捨てることはできないらしい。
しかし、そちらではミーナとベルナデッタが完全に捕まえていた。
確かに槍使いの動きは速い。
俊敏さを活かした立ち回りは厄介だ。
大盾が落ちたあとも、ラオンを支えるために何度もこちらへ戻ろうとしていた。
だが、ベルナデッタが前に立ち、ミーナが火球で進路を焼く。
「通すか!」
槍使いが鋭く低く踏み込む。捨て身の突撃で包囲網を突破しようとしている。
鋭利な槍の穂先がベルナデッタの脇の隙間を的確に狙う。見事な刺突だ。
ベルナデッタは大剣で受けるが、槍使いはすぐに角度を変え、ミーナへ穂先を伸ばした。
「ミーナ殿!」
「見えています」
ミーナが冷静に腕を動かす。
魔法のトリガーとなる動作の後、炎の音が響いた。
小さな火球が足元へ落ち、槍使いの踏み込みをずらす。
そこへベルナデッタの肩が入る。
武器である大剣ではなく、強固な鎧ごと体当たりで押し込む荒々しい動きだ。質量による暴力である。
槍使いは一度距離を取ったが、その瞬間、パチン、乾いた指の音が鳴りミーナの手の甲にに赤い刻印が走った。
「《フレアオーバーライド》」
火力アップ、炎魔法に物理攻撃を乗せる、強力なバフ。
さらに無音詠唱、スッと手をあげると瞬時にフレアランスの魔法式を組み上げる。
ボッボッボ……
マナ滞留によりいつ魔法が飛んでくるかわからない。
さらに右手が左手を滑り、火球が複数展開される。
少しずつ視界が炎に覆われる。
槍使いは一瞬で安全な退路を探した。
生存本能が警鐘を鳴らしているのだろう。
しかし、立ち塞がるベルナデッタがその退路を完全に塞いでいる。まるでそびえ立つ城壁だ。
「また味方ごと焼く気かよ!」
信じられないとばかりに槍使いが叫ぶ。その戦法は常識外れすぎるからだ。
それでもミーナは一切表情を変えない。氷のような冷徹さを保ち続けている。
「耐えてくれますので」
「っ! お前ら正気か!」
「リエラ様の勝利が第一だ!」
ミーナとベルナデッタ、その狂気じみた覚悟は、槍使いを威圧するには十分な圧だった。
背筋が凍る思いをしているはずだ。
ベルナデッタは燃え盛る炎を一切恐れず、平然と前へ出る。真紅の鎧が紅蓮の炎と一体化していくようだ。
ミーナは手を下ろす。
「魔王軍の礎となりなさい!」
その背後から、火球や炎の槍が次々と飛んできて足場と退路を潰す。
槍使いは死に物狂いで粘った。持てる技術のすべてを注ぎ込んで凌ごうとする。
だが、レベル自慢をした双剣使いほどの爆発力はない。
そして、彼の傷を癒やす回復役はもうこの戦場にはいない。それが残酷な現実だ。
一度削られたHPは二度と戻らない。
消耗戦においてそれは致命的である。
ベルナデッタの大剣が槍を弾き、ミーナの火球が身体へ入り始める。
度重なる猛攻を受け、槍使いのHPバーが真っ赤に沈む。限界はとうに超えていた。
その間、ベルナデッタは露骨に肩に担ぎ力を溜めていた。その大剣は斬るではなく叩き潰す為に構えられていた。回避しづらいという意味ではこれ以上ない。横腹で振り下ろされる。
「《ギア・クラッシュ!》」
ベルナデッタの大剣の腹が、槍使いを地面へ叩きつけた。
「他愛無い」
――ネイキッドラオン所属プレイヤー、一名戦闘不能。
最後まで抗った槍使いもついに落ちた。その姿が光の粒子となって霧散する。
戦場に残されたのは、ラオンのみ。
大勢は完全に決した。誰の目から見ても戦局は覆らないはずだった。
観客の誰もが、そして俺たち自身も、そう信じて疑わなかった。このまま押し切れると確信していた。
俺も、ほんの一瞬だけその甘い考えに浸ってしまった。勝利を確信したのだ。
ラオンは俺に関節を取られ、HPを削られ、回復役も槍も盾も失っている。
妨害魔術師もネネとトビーに追い詰められている。
このまま今のペースで削り切れば間違いなく勝てる。盤石の勝利が目前に迫っている。
甘い予想を立てた、まさにそう思った瞬間だった。戦場の空気が唐突に異変を告げた。
「……まだだ」
地に這うような声で、ラオンが低く呟いた。その一言がやけに重く響く。
明らかに彼の声の質が変わった。今までの荒々しさとは違う、底知れない異質さだ。
それは単純な怒りではない。激昂とは無縁の冷たさがある。
死を目前にした焦りでもない。絶望すらも超越したような響きだ。
もっと深い、腹の底から引きずり出すような声。
「まだ、終わってねぇ!!」
天を衝くように、ラオンが咆哮した。
その叫びは物理的な衝撃を伴っていた。
びりびりと森の空気が震える。木々の葉が悲鳴を上げるように揺れ動いた。
危険を察知し、俺はとっさに拘束を解いて距離を取った。本能が全力で後退を指示していたのだ。
ラオンの身体から、赤黒いエフェクトが吹き上がる。
さっきまで削っていたHPバーが、奇妙な光に包まれた。
特殊なスキルなのだろうか。それとも何らかの呪いの類か。
極めてレアな回復薬なのだろうか。いや、アイテムの光り方ではない。
あるいは、クランマスター専用の奥の手か。
システム的な詳細はまるでわからない。
未知の現象に背筋が寒くなる。
だが、目の前で起きている効果だけははっきりしていた。信じがたい光景が広がっている。
彼が負っていた深い傷が、まるで時間を巻き戻すかのように塞がっていく。
あり得ない回復力だ。
全快というわけではない。完全無欠の状態に戻ったわけではなさそうだ。
けれど、これまで積み重ねたダメージのかなりの部分が消えていく。
悲鳴を上げていたはずの膝が、力強く真っ直ぐに伸びる。大地をしっかりと踏みしめた。
荒々しく乱れていた呼吸が、恐ろしいほど静かに戻る。完全な戦闘態勢への復帰だ。
だらりと下がっていた斧を握る腕に、再び凶悪な力が宿る。筋肉が大きく膨れ上がった。
「うそでしょ……」
俺は思わず唖然として呟いた。今までの苦労が水の泡になったような虚脱感に襲われる。
ラオンがゆっくりと、不気味なほどの静けさで顔を上げる。その表情にはもはや焦燥はない。
その目には、さっきまでの焦りが消えていた。
代わりにあるのは、最後の獣の光。
「ここからが、俺のラストだ」
ざわめいていた森が一瞬にして静まり返る。すべての音が消え去ったかのような沈黙だ。
ネネが妨害魔術師を追う足を止め、ミーナが杖を構え直し、ベルナデッタが大剣を握る。
エルーサの祈りが、俺の背に強く重なった。
「リエラァァァァアァァア!!」
咆哮の後、彼は重厚な斧を軽々と肩に担ぎ直した。
まるで最初から傷などなかったかのような振る舞いだ。
俺は喉の奥に残る捕食の熱を飲み込み、尻尾を低く構える。
瀕死の獣だったラオンが、最凶の敵として完全に立ち直った。これは予想外の事態だ。
ここからが正真正銘のラストバトル。
文字通り死力を尽くした戦いが始まる。
俺はふつふつと湧き上がる感情に任せて笑った。ピンチだというのに口角が勝手に上がる。
本能は警告を鳴らして怖いと叫んでいる。相手の放つ圧が桁違いに膨れ上がっているからだ。
でも、それ以上に彼を食べたいという欲求が勝る。極上の獲物を前にして食欲が暴走しそうだ。
ここまで追い詰めたなら、もう絶対に逃がさない。這いつくばらせてでも私の胃袋に収めてやる。
「いいわ」
俺は骨剣を浮かべ、ボーンパペットたちを左右へ散らした。
「最後くらい、ちゃんと強いまま来なさい」
ラオンが牙を剥き出しにして獣のように笑う。互いの殺意が森の中で激突した。
そして次の瞬間、彼はこれまでで一番速く、俺へ向かって踏み込んできた。