作品タイトル不明
ネネ、トビーVS弓使&罠師
森の奥から、ラオンの笑い声が近づいてくる。
足音は重い。
けれど、単独ではない。
枝を折る音、鎧が擦れる音、槍の石突が地面を叩く音、大盾が低く揺れる鈍い音が、葉擦れの奥から重なって聞こえた。
正面から来る。
わかりやすいほど、真正面から。
ラオンは、広場で奪われた空気をここで取り返すつもりなのだろう。
新生リエラ魔王軍は、観客の声援を受けた。
ネイキッドラオンは、過去の悪評ごと晒された。
ならば、戦場に入った瞬間、力で全部ひっくり返す。
いかにも彼らしい振る舞いである。力こそがすべてという単純明快な思考回路だ。
そして、こちらとしても都合がいい。
「ミーナ、正面三枚」
「ラオンさん、大盾、槍ですね。後方に魔術師と回復役の気配もあります」
「ネネは?」
「右へ抜けました。弓と罠師を抑えに行っています」
ミーナの声は冷静だった。
俺は頷き、骨盾を一枚、前方へ浮かせる。
ボーンシールド。
闇の司祭戦で得た死霊術・初級のひとつ。
これ一枚でラオンの斧を止められるとは思っていない。
だが、一瞬の軌道ずらしには使える。
ボーンソードも一本、右後ろへ浮かせておく。
これも決定打ではない。
けれど、無視できない角度から飛んでくる邪魔としては十分だ。
今の俺たちが狙うべきは、華麗な一撃必殺ではない。
狙うのは徹底した各個撃破だ。孤立した者から順番に狩っていく。
斥候、弓、双剣、後衛、盾、最後にラオン。
ひとつずつ潰す。
確実に倒し切る。相手に復帰のチャンスは一切与えない。
戦場から確実に敵の手数を消していく。
それが、今回の勝ち筋だった。
「見つけたぞォ! リエラァ!」
木々の影を割って、ラオンが現れた。
褐色の肌、獅子の鬣のような髪、巨大な斧。
その笑みは、広場で見た疲れを吹き飛ばすような獣の顔に戻っていた。
やはり、戦場に入ると息を吹き返すタイプらしい。
その後ろには、大盾持ちと槍持ち。
さらに木の陰に、ローブ姿の魔術師と白衣の回復役が見える。
弓と罠師、双剣使いは正面にはいない。
そっちはやっぱり、ネネとトビーの仕事場だ。
俺はゆっくりと胸を張り、桃色のハートエフェクトをさらに派手に広げた。
「待っていたわ、裸の獅子」
「その呼び方、マジで腹立つなぁ!」
「覚えやすくていいでしょう?」
「ぶっ潰す!」
「あら、嬉しい、私はたかだかレベル58の小娘よ?」
ラオンが地面を蹴った。
初速が速い。
巨体のくせに、踏み込みが深く、斧の振り上げは荒々しいのに無駄が少ない。
やはり圧倒的に強い。強者の風格を漂わせている。
まともに受ければ、骨盾一枚では持たない。
俺は骨盾を斧の軌道へ差し込みながら、半歩だけ体をずらした。
斧と骨盾がぶつかる。
白い盾が砕け、骨片が木漏れ日の中へ散った。
衝撃は残る。
だが、直撃ではない。
俺は砕けた骨片をそのままボーンソードへ再構成し、ラオンの左側へ走らせる。
「ちぃっ、何が小娘だ……っ! うぜぇ!」
ラオンは斧の柄でそれを弾く。
効いてはいない。
今はそれでいい。少しでも注意を逸らせれば十分だ。
「ベルナデッタ! 前を塞いで!」
「御意! 直ちに剣となりましょう!」
俺の声と同時に、真紅の騎士が前へ出た。
大盾持ちがラオンの横に入り、ベルナデッタの大剣を受け止める。
重い金属音が森に響いた。
大盾持ちは押し込まれながらも踏ん張り、盾の裏から低く声を出す。
「うぉい! マスター、前に出すぎるな!」
「わかってる!」
わかっていない顔だ。
けれど、それを支える盾役は冷静だった。
ラオンの突撃を通し、大盾で前線を固定し、槍が横から刺す。
ネイキッドラオンの正面組は、思っていた以上に連携が取れている。
だが、正面に人数が集まるほど、後ろは薄くなる。
そして、その後ろを狙うのがネネだ。
右側の森では、すでに斥候戦が始まっていた。
ネネは木々の影を滑るように移動し、トビーは落ち葉の下を這うような低さでついていく。
最初に仕掛けてきたのは罠師だった。
落ち葉の下に張られた細い魔力線。
踏めば足首を絡める拘束罠。
さらに、弓使いの射線が通る位置へ誘導するための、あからさまではない地形の誘い。
普通なら、気づいた時には遅い。
だが、ネネはその手前で止まった。
「ここ、匂い違うねぇ」
彼女は短剣の先で落ち葉を軽く払う。
魔力線が露出した。
同時に、上から矢が飛ぶ。
ネネの身体がぶれる。
矢は残像を抜き、背後の木に突き刺さった。
「弓さん、いい場所取ってるねぇ」
ネネは笑った。
ひどく軽い声だった。だが、そこに一切の油断はない。
「トビーちゃん、罠師の足元、見える?」
「へへっ、あっちの根っこの影でやすねぇ。自分の罠を見ながらにやにやしてるタイプでさぁ」
「じゃあ、先にそっちを片付けちゃおうか」
「了解でやす。しっかり邪魔してやりまさぁ」
トビーが消えた。
いや、正確には、落ち葉と根の影に紛れた。
小柄な体が森の陰へ溶け、罠師の背後へ回り込んでいく。
ネネはその間、あえて弓使いの注意を引いた。
分身を一体、木の上へ走らせる。
弓使いがそちらへ狙いを向ける。
その瞬間、本体のネネは低い姿勢で別方向へ抜けた。
斥候戦は、倒す前に、相手の視界と判断を奪う戦いだ。
罠師が足元の違和感に気づいた時には、もう遅かった。
「なんだ、これ――」
彼の足元に、小石と骨片と泥を混ぜた即席の障害物が散っていた。
大きな罠ではない。
ダメージもほとんどない。
けれど、踏み込む足が滑り、仕掛けた罠の起動タイミングが半拍ずれる。
トビーが、茂みの中からにやりと笑った。
「罠ってのは、置いた本人が踏むと腹立つんでやすよねぇ」
「てめぇ! ふざけやがって!」
罠師が振り返る。
その瞬間、ネネの短剣が横から入った。
刃ではなく、柄。
首筋へ叩き込まれた一撃で、罠師の動きが鈍る。
さらにネネは、彼の腰に下がっていた罠袋を切り裂いた。
中から札や小型の仕掛けがばらまかれる。
「うわ、危な。自爆しちゃうよぉ」
ネネは軽やかに飛び退く。
ばらまかれた罠のいくつかが誤作動し、煙と蔦が罠師自身の周囲へ広がった。
「罠師、一時無力化」
右側の森では、ネネとトビーが罠師を一時的に封じ込めることに成功していた。
完全に倒したわけではない。しかし、戦線から離脱させるには十分だった。
けれど、罠袋を裂かれ、設置していた罠の一部を逆利用され、さらにトビーの小石と骨片と泥による最低最悪の足元嫌がらせを食らった罠師は、少なくとも今すぐ戦場全体へ干渉できる状態ではなくなっていた。
「くそっ、なんだよこれ、邪魔すぎるだろ!」
「へへっ、あっし相手に邪魔ってのは最高の褒め言葉でやすねぇ」
「トビーちゃん、今の調子で足だけ止めてて。倒し切りはあとでいいよぉ」
「了解でやす、ネネ姐さん」
「姐さん呼び、ちょっとクセになるからやめてぇ」
ネネは軽口を叩きながらも、視線はすでに上へ向いていた。
視線の先は木の枝の上だ。そこに狙いを定めている。
鬱蒼と茂る葉の陰だ。暗がりに潜む気配を探る。
そこに、弓使いがいる。息を潜めてこちらを窺っていた。
森フィールドで高所を取り、こちらの主戦場を見下ろしながら、要所に矢を通してくる厄介な相手。
先ほどからネネの分身や投擲で射線を乱されてはいるが、弓使いはまだ落ち着いていた。
いや、落ち着こうとしていた。必死に冷静さを保とうとしているのがわかる。
彼は枝の上で体勢を低くし、弓を引きながら、ネネの本体を探している。
狙いはネネだけではない。彼の視野は広く保たれている。
ネネが一瞬でも足を止めれば射る。その隙を虎視眈々と狙っていた。
ネネが避ければ、背後のトビーを狙う。次善の策も用意されている。
それも外れれば、正面戦場のミーナかエルーサへ射線を通す。
全体を俯瞰できるそういう位置取りだった。実にいやらしい陣取りだ。
実に見事な立ち回りだ。弓使いとしての腕は確かである。
ただ漫然と矢を放つ後衛ではない。戦況を的確に把握している。
自分が森で何をすれば一番嫌がられるか、よくわかっている。
「トビーちゃん、あれ落とせる?」
「正直、ちと高いでやすねぇ。石を投げても届きやすが、あの距離じゃ避けられやす」
「だよねぇ」
ネネは小さく笑った。
その笑みは明るいが、目は冷静だった。
彼女は短剣を二本、指先でくるりと回し、次の瞬間、分身を二体走らせた。
分身の一体は右へ駆け出す、陽動の動き。
もう一体の分身は左へ展開する、標的を撹乱させる。
そして本体は中央へ低く進む。気配を殺して距離を詰めた。
弓使いは一瞬だけ迷ったが、すぐに中央を狙った。
恐ろしく判断が早い。迷いのない見事な決断だ。
ネネの本体を見抜いたというより、分身の動きが誘いであると読んだのだろう。
鋭い矢が放たれる。空気を切り裂く音がした。
木々の間を縫うように、鋭い音が走った。
「っと」
ネネは肩をひねって避けた。
しかし、完全には避けきれない。矢の速度が上回っていた。
矢が彼女の肩口をかすめ、HPバーがわずかに削れる。
「へぇ、当ててくるんだ」
ネネの声が少し低くなった。
弓使いは無言のまま次の矢を番える。
今度は一本ではない。複数の矢を同時に番えている。
番えられたのは三本だ。一気に勝負を決める気らしい。
扇状に広がる矢が、ネネの逃げ道を潰すように放たれた。
ネネは後ろへ下がらず、前へ出た。
一本目を短剣で弾き、二本目を身体を沈めて避け、三本目をわざと分身に受けさせる。
だが、その瞬間、弓使いの口元がわずかに動いた。
放たれた矢が、不自然に曲がった。あり得ない軌道を描いたのだ。
「うそ、追尾?」
ネネが眉を上げる。
分身に向かったはずの三本目が、空中で角度を変え、本体の足元へ刺さる。
刺さった瞬間、足元の影が薄く絡みついた。
足止めに特化した拘束矢だ。厄介なスキルを隠し持っていた。
罠師ほどではないが、弓使い自身も足止めの手段を持っている。
ネネの足が、一瞬だけ止まった。
そこへ、間髪入れずに次の矢が迫る。完全に計算された連携だ。
弓使いの狙いは正確だった。
ネネは短剣で受けたが、衝撃で腕が弾かれ、体勢が崩れる。
「ネネ姐さん!」
トビーが足元から石を投げる。
しかし、弓使いは枝を蹴って位置を変え、その石を避けながら、さらに上から射線を通した。
こちらの思考を上回る、うまい立ち回りだ。一筋縄ではいかない。
これは、ネネ側が楽に勝てる相手ではない。
ネネは拘束を短剣で断ち切りながら、軽く息を吐いた。
「やるじゃん。あたし、対人だとこういう冷静な後衛、けっこう嫌いなんだよねぇ」
ネネの口をついて出たのは軽口だ。強がりのようにも聞こえる。
だが、声には少し熱が混じっていた。
弓使いは今度こそ、ネネの頭部ではなく胴体を狙った。
あえて避けにくい場所を狙ってきた。確実な一撃を求めたのだろう。
分身で惑わせても、本体の中心を狙えばいいという判断。
ネネは、それを見て笑った。
「じゃあ、こっちも地味なやつ出すね」
そう言うと、彼女の身体から力が抜けた。
短剣を構えるでもなく、走るでもなく、ただ、森の影に沈むように輪郭が薄くなっていく。
「これ、画面的に映えないし、あんま使いたくないんだけど……」
次の瞬間、ネネの姿がスゥ……と完全に消えた。
分身スキルを使ったわけではない。完全に姿を消したのだ。
単なる高速移動でもない。高度な隠密技術の極致だ。
そこにいたはずの獣人アバターの姿が、木漏れ日と葉の影に溶け、視界から消失した。
弓使いの頭上に、本当に疑問符が浮かびそうな間があった。
索敵スキルらしき青い光が、彼の瞳に宿る。
しかし、まったく反応がない。スキルすら欺いているのだ。
木の上を探る。だが、そこにはいない。
根の陰を窺う。それでも気配はない。
落ち葉の中を見透かそうとする。やはりどこにもいない。
本当にどこにもいない。完全に戦場から消失してしまったようだ。
その瞬間、彼の耳元で、声がした。
「絶ッ」
ネネは、そこにいた。
弓使いの背後を取っていた。いつの間に回り込んだのか。
彼と同じ枝の上だ。まったく音を立てずに接近していた。
ほとんど密着するほどの至近距離だ。弓使いの息遣いすら聞こえる位置だった。
そこから短剣二刀流の連撃が始まった。
派手な爆発エフェクトはない。極めて静かな暗殺術だ。
巨大な斬撃が空間を裂くこともない。必要最小限の動きに洗練されている。
だから、たしかに画面的には地味かもしれない。
けれど、近くで見るそれは、あまりにもえげつない。
一撃目が弓を握る手首を弾き、二撃目が肩を止め、三撃目が腰の短刀へ伸びる手を潰す。
四撃目、五撃目、そして六撃目が的確に急所を穿つ。相手に息をつく暇も与えない。
装備の継ぎ目や関節、さらには足場まで徹底的に狙い打つ。一切の容赦がない攻撃だ。
ネネはHPを大きく削るためではなく、相手に反撃させないための場所を刻んでいく。
弓使いが身を翻そうとした瞬間、七撃目が膝を止め、八撃目が枝の上での重心を崩す。
そこから先は、もう逃がさないための連撃だった。
弓使いは防御スキルを発動しようとしたが、ネネの短剣がそのモーションを見てから潰す。
十二撃目が入る。容赦のない連撃は止まらない。
十六撃目が重なる。相手の抵抗を完全に封じ込めている。
二十撃目に達した。もはや弓使いに反撃の余地は残されていない。
二十四撃目が刻まれる。圧倒的な手数で相手を蹂躙した。
弓使いのHPが、細かく確実に削れていく。
最後に、ネネは刃ではなく柄を使い、強く弓使いの胸元を叩いた。
弓使いの身体が木の枝から落下し、地面へ叩きつけられる。
HPバーは赤色に染まっている。風前の灯火だ。
だが、まだ消滅してはいない。ミリ単位で生き残っていた。
ネネは枝の上から見下ろしながら、少しだけ息を吐いた。
「……やっぱ地味ぃ……」
その声はいつもの軽さを取り戻していたが、肩口には矢でかすめた跡があり、彼女が楽に勝ったわけではないことを物語っていた。
トビーが弓使いへ駆け寄り、にやりと笑う。
「姐さん、仕上げやすか?」
「うん。復帰されると困るから、落とすね」
ネネの短剣が、最後の一撃を入れた。
――ネイキッドラオン所属プレイヤー、一名戦闘不能。
弓使いが光となって消える。