作品タイトル不明
死霊術のLesson初級編
司祭リッチとの戦闘が終わった直後、地下礼拝堂には、妙な静けさが落ちていた。
青白い炎はまだ骨の燭台の上で揺れていたが、さっきまで床を這っていた黒い靄は薄れ、崩れたスケルトンやマミーの残骸も、魔力の粒になって少しずつ空気へ溶けていく。
古い石の匂いと、焼けた魔力の焦げ臭さと、乾いた骨の粉っぽさが鼻の奥に残っていて、俺は膝に手をつきながら、ゆっくり息を整えた。
エルーサの献身的な祈りと、戦場の聖女のリジェネ効果でHPは完全に戻った。
司祭リッチの呪詛で冷え切った胸の奥に、少しずつ色が戻ってくるようだった。
それでも、久しぶりにちゃんと削られた。
通常攻撃ではなく、割合ダメージ。
数値で盛りに盛ったHPとVITを、正面から無視してくるいやらしい呪い。
あれは、ちょっと、いやだいぶ嫌だった。精神的にもかなりくる。
できれば二度と食らいたくない。
俺が自分のHPバーを見ながら「うわ、減ってる」と思うのは、最近ではかなり珍しいことで、喜ぶべき実戦経験なのかもしれないが、できれば喜びたくない。
俺は魔王軍の王であって、検証用の壁ではない……はず。
……まあ、実際の戦闘運用はかなり壁寄りなのだが。
「リエラ様」
小さな声がして、俺は顔を上げた。
エルーサが、俺の前に立っていた。
彼女は泥濘の聖女だ。その名にふさわしい静かな佇まいを見せている。
小柄で儚げで、召喚体でありながら、そこに確かに感情が宿っているように見える眷属。
彼女は杖を胸元で両手で抱き、うつむきながら、ひどく申し訳なさそうに眉を下げていた。
「手強い祈りでした。相手の執念が上回っていたようです」
その声は、いつもより少しだけ震えていた。
「すみません。リエラ様への信仰心が足りなくて、削らせてしまいました」
「いや、そういう問題じゃないわよ?」
俺は思わず素で突っ込んだ。
信仰心で割合ダメージを防ぐな。システム的におかしいだろ。
いや、この世界のスキル構造的には、もしかしたら信仰心で軽減する何かもあるのかもしれないが、少なくとも俺はエルーサに「信仰心が足りないから反省しなさい」と言う気はない。
むしろ、足場の状態異常を打ち消してくれたおかげで、俺たちは司祭リッチの足止めを抜けられたのだ。
あれがなければ、ネネもミーナも自由に動けたとはいえ、俺と眷属が前線で押し潰されて、もっと泥沼になっていた可能性がある。
「エルーサ、あなたはよくやったわ。足場を浄化してくれなかったら、こっちはかなり苦しかったもの」
「ですが、リエラ様のお身体が……」
「私の身体は頑丈なの。削られても戻るし、戻せるなら問題ないわ」
俺がそう言うと、エルーサは少しだけ顔を上げた。
その瞳にはまだ陰りがあったが、それでも、俺の言葉を受け止めようとしているのがわかる。
彼女は杖を掲げ、淡い光を俺の胸元へ向けた。
「リエラ様の寛大なお心に感謝を……」
温かな祈りが、ふわりと広がる。
司祭リッチの呪詛で刺されたように感じていた胸の奥の冷たさが、ゆっくり溶けていく。
痛みというより、嫌な記憶の残滓みたいなものが薄れていく感覚に、俺は小さく息を吐いた。
エルーサはその瞳に決意を宿し、恭しく一礼した。
「次こそは、より深くリエラ様をお守りします」
「ええ。頼りにしてるわ」
俺が微笑むと、エルーサの表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
その横で、ベルナデッタが大剣を肩に担ぎ、静かに頭を下げる。
「我が剣もまた、リエラ様の御前に」
「次も前線、お願いするわね。頼りにしてるから」
「御意。必ずやご期待に応えてみせましょう」
そしてトビートミーは、なぜか胸を張って、片手を額に当てた。
「リエラ様ァ、このトビートミー、リエラ様が嫌いなもんをまた一つ覚えやした」
「その言い方だといつか裏切るんじゃないかって心配なんだけど? 助かったのは事実だわ」
「へへっ、ありがたきお言葉!」
「褒めてないからね?」
三体はそれぞれ反応しながら、足元に浮かび上がった召喚陣の中へ戻っていった。
淡い光と、赤い戦気と、濁った緑の魔力が順番に薄れ、地下礼拝堂には俺たち三人だけが残る。
ネネは戦闘ログを確認し、ミーナは録画データを保存しながら、まだどこか楽しそうに目を輝かせていた。
「今の中ボス戦、普通に使えますね。戦争前の強化回としてめちゃくちゃ良い素材になりました」
「すっかり素材にする気満々なのね。商魂たくましいわ」
「はい、リエラさんが削られている絵は、実際に貴重だし、なんか修行感あっていいです」
「いい編集職人紹介するよぉ」
「ありがとうございます!」
「も、もう勝手に話し進めないで……!」
でもふたりの言う通りだった。
あのリエラ様が削られている。そんな驚きがあるはずだ。
無敵のリエラ様が苦戦して、それでも立ち上がって立ち向かう視聴者はそういう絵面を好むのだ。
たぶん、切り抜き映えはする。
するのだが、俺としては「苦戦する魔王様」より「余裕で蹂躙する魔王様」のほうが精神衛生に良い。
しかし、現実は厳しい。
次のクラン戦を考えるなら、ラオンだけ見てもレベル133……。
余裕だけで勝てる相手ではないのだ。
俺は視界の端に残った取得ログをもう一度確認した。
――死霊術・初級。
司祭リッチから得たものだ。実際見てみると、強すぎる技能ではない。
初級とだけあって、少なくとも、これ一つで戦況がひっくり返るような、都合のいいチートではなさそうだ。
だが、クラン戦を前に、新しい選択肢が増えたことは大きい。
「死霊術・初級……」
俺は呟きながら、自分のスキル欄を開いた。
「《ゴブリンコール》とどう違うのか、ちょっと見てみようかな」
「多分、魔法ですね」
ミーナがすぐに横から覗き込んでくる。
「どう考えても魔法です。リエラさんの召喚系スキルとは処理が違うと思います」
「ゴブリンコールは召喚術、こっちはリサイクルって感じだねぇ」
ネネが軽い口調で言った。
リサイクル。確かに言い得て妙かもしれない。
言い方は最悪だが、妙にしっくりくる。
《ゴブリンコール》は、俺が眷属化した存在を呼び出すスキルだ。
トビートミーやエルーサ、ベルナデッタも、俺の捕食と眷属化を経て呼び出せるようになった。
つまり、俺と対象の間に、ある種の関係性がある。
対して、死霊術・初級の説明は、もっと機械的だった。
スキル一覧を開くと、いくつかの術式が枝のように表示されている。
上からボーンパペット、魂魄還元、ボーンシールド、ボーンソードと並ぶ。
名前だけでも、かなり魔王軍っぽい。
いや、魔王軍というより、悪役の中間管理職っぽい。
「司祭リッチって課長みたいな感じ?」
「あはは、確かに、いかにも中ボスって感じだねぇ」
俺の突っ込みにネネが笑う。
俺はひとつずつ詳細を確認した。
ボーンパペット。
死体を、下級アンデッド――ゾンビやスケルトンとして即座に蘇生し、配下に加える。
説明が直球で怖い。これ、倫理観の蓋をどこかに置き忘れている。
ただ、エタファン内のモンスターの死体や、消滅前の残骸を使うものなら、戦闘中の即席戦力としては便利かもしれない。
プレイヤー相手に使えるのかどうかは不明。
さすがにプレイヤーの死体をゾンビにするのは、システム的にも絵面的にもアウト寄りだと思いたい。
いや、このゲーム、たまに俺の想像を悪い意味で超えてくるから怖いんだけど。
「ボーンパペットは、次の戦争では使える場面が限られそうですね」
ミーナが冷静に言う。
「フィールド上にモンスターや死体が存在するかどうかに依存しそうです。クラン戦争の会場が闘技場みたいな専用フィールドなら、素材がない可能性もあります」
「相手が召喚系を使ってくれば別だけどねぇ」
ネネが顎に指を当てた。
「ラオンのとこ、対人クランだから、ペットとか召喚獣を入れてくるメンバーはいるかも。倒したあと骨にできるなら、嫌がらせ性能は高そう」
「すっかり嫌がらせ前提なのね。性格が悪すぎるわ」
「対人は嫌がらせだよぉ」
「清々しいくらい言い切るわね。いっそ感心するわ」
次に、魂魄還元。
周囲で「生命」が消滅した際、その魂の残滓を吸収し、自身のMPを回復する。
効果範囲は敵味方問わずらしい。見境がないのは困りものだ。
俺はその説明を読んで、思わず眉を寄せた。
「これ、敵味方問わずって書いてあるわね」
「ですね。これは運用に注意が必要ですかね」
ミーナの目が鋭くなった。
「かなり強いですが、扱いを間違えると危険です。味方召喚やゴブリンが倒れた時にも反応する可能性があります」
「つまり、ゴブリンを使い捨てにするとMPが戻る?」
「仕様上はそう読めます……エルーサちゃんやベルナデッタさんが戦闘不能になった時、MPになってしまうかも? という懸念です。とはいえ、あのふたりで検証する事もできないので……あ、トビーで検証してみますか?」
「待って待って、あいつもあいつでそれなり便利よ!」
「……そう……っ……です……か!」
ミーナはそれ以上言わなかったし、俺もそれ以上突っ込まなかった。
トビー……お前……まだ全然恨まれているぞ……。
ネネがにやにや笑う。
「リエラちゃん、変なとこ律儀だよねぇ」
「変なとこって何よ。私は至って普通だと思うけど」
「魔王軍なのに、部下は大事にするタイプ」
「そりゃそうでしょ。私の臣下よ、死なない程度にはファイヤーウォールに突っ込ませちゃうけど」
口に出してから、少しだけ照れた。
臣下、私が責任を持つべき者たちだ。
眷属、私の一部とも言える存在である。
配信のロールプレイから始まった言葉なのに、いつの間にか自分の中で妙に重くなっている。
エルーサも、ベルナデッタも、トビートミーも、単なるスキルではなく、俺にとってはもう戦力であり、仲間に近い存在だった。
いや、トビートミーを仲間と言い切るのはちょっと抵抗あるけど。
次に、ボーンシールド。
文字通り骨盾だ。シンプルなネーミングである。
なんと空中操作可能らしい、司祭リッチの周りを漂っていた骨盾で間違いないだろうか。これは便利そうだ。
説明は短いが、わかりやすい。
俺が試しにスキルを発動すると、床に残っていた骨片がかたかたと音を立て、空中で組み合わさって小さな盾の形になった。
白く乾いた骨が、円形に近い盾を作り、俺の周囲をふわりと漂う。
「おお、すごいじゃん。それっぽい雰囲気出てる」
ネネが声を上げた。
「ちゃんと魔法してるねぇ」
「ちゃんと魔法してますね」
ミーナも頷いた。
俺は骨盾を意識で動かしてみる。
右へ。左へ。前へ。
すると、骨盾は少し遅れてふわふわと移動した。
反応は鈍いが、慣れれば攻撃を受ける位置に差し込めそうだ。
消費MPもそこまで重くない。
何より、俺の高VITと合わせれば、盾そのものの耐久も少し補正されるのかもしれない。
「これは普通に使えそうね」
「リエラさんの周囲に置くより、ミーナさんやネネさんの防御補助に使えたら強いです」
ミーナはすぐに実戦運用を考える。
「戦争中、リエラさんがタゲ管理と捕食と召喚をしながら、これを精密操作できるかで決まりそうですね、練習が必要ですか?」
「クラン戦まで……間に合わせるしかないわね」
骨盾を操作して、うん、みたいに一回うなずく。
「さすがリエラさん、頼もしいです!」
そして、ボーンソード。
ただの骨剣だ。これも同じように動かせるらしい。
こちらも空中操作可能だ。使い勝手はどうだろうか。
俺は床に落ちていた骨片を材料に、今度は剣の形を作った。
骨が伸び、つながり、白い細身の刃のようなものが空中に浮かぶ。
見た目はそこそこ格好いい。
ただ、問題はある。
「このボーンソードって、意味あるのかしら?」
俺は骨剣を見ながら首を傾げた。
空中操作できる剣。
聞こえはいい。
だが、威力が高いかと言われると微妙だし、ミーナの火力やネネの短剣の手数と比べると、どうにも中途半端に見える。
何より、俺自身が武芸・初級で普通に殴れるし、尻尾も使える。
骨剣を一本浮かせたところで、明日のクラン戦でどこまで意味があるのか。
「うーん……同じ挙動なら盾で良さそうだよねぇ、ハズレスキルっぽい」
ネネが率直に言った。
俺も半分くらい同意しかけた。
だが、ミーナだけは骨剣をじっと見つめていた。
かなり嫌な予感がする顔だった。
「武芸と組み合わせたら、いやらしい動きにできるんじゃないですか?」
「いやらしい動きってどういうこと?」
俺が聞き返すと、ミーナは当然のように頷いた。
「はい。リエラさん本人が剣を振るうのではなく、リエラさんの武芸感覚を補助線として、骨剣を空中から連動させるんです」
「どういうこと?」
「たとえば、リエラさんが掌底で相手のガードを上げさせた瞬間、死角から骨剣を差し込む。尻尾で足を絡めた瞬間、上から骨剣で牽制する。サブミッション中に、相手の味方が介入しようとしたら、骨剣で足元を止める」
ミーナの説明を聞きながら、俺は空中の骨剣を見た。
たしかに、武器として正面から使うのは微妙だ。
だが、俺の戦い方はすでに、かなり変則的になっている。
スライムボディによる軟体化。
尻尾による拘束。
高VITを活かした受け。
発勁、円環、サブミッション。
そこに、自分の手足とは別に動く骨剣が一本加わるとどうなるか。
正面の俺を見ている相手の視界外から、骨剣が遅れて刺さる。
俺が攻撃する方向と、骨剣が来る方向が違う。
さらに骨盾も浮く。
……うん。想像しただけでかなり嫌だ。
動きがいやらしい。これは確かに効きそうだ。
「それ、相手から見たら相当嫌ね」
「はい。特に対人では、攻撃そのものの威力より、相手の判断を遅らせることが重要です」
ミーナはさらりと言う。
「リエラさんは元々、見た目と戦闘スタイルの情報量が多すぎます。小柄なシスター風美少女なのに、高耐久で殴ってきて、尻尾で拘束して、眷属を呼んで、誘惑でタゲを取って、捕食します」
「改めて並べるとひどいわね」
「そこに骨剣と骨盾が浮きます」
「見た目も動きも最悪ね……」
「戦略としては最高です。文句のつけようがありません」
ミーナは真顔だった。
ネネは腹を抱えて笑いはじめた。
「あははははっ! あの半裸が『な……にぃ……!?』とか『ちぃっ!』とか、言いそう、ウケる~」
「よく考えたら、手数が1個2個増えるなんて今更よね」
「ラオン戦でそれ出したら『リエラ様、また変なスキル生えてる』って言われるからこれのお披露目は本番だねぇ」
「生えてるって言わないで。ちゃんと捕食で獲得したのよ」
俺はため息をつきながら、骨剣をもう一度動かした。
最初はふわふわしていた骨剣が、意識を集中すると、少しだけ鋭く動く。
まずは前へ突く。動作はシンプルだ。
そしてピタリと止める。制御は難しくない。
次は横へ払う。軌道も悪くない。
手元へスッと戻す。この一連の動作だけでも使えそうだ。
俺の腕の動きと完全に同じにはならない。
むしろ、少し遅れて動く。
だが、その遅れが逆に罠になるかもしれない。
俺が右手で掌底を出す。
その半拍後、左後方から骨剣が入る。
俺が尻尾で相手の足を払う。
同時に骨盾を相手の視界へ差し込み、骨剣を低く走らせる。
武芸・初級の《円環》が、コンボボーナスを生むなら、この骨剣の追撃も何らかの判定に絡む可能性がある。
検証する価値はある。
「……最低限の動きの型は作れそう」
俺が言うと、ミーナは満足そうに頷いた。
「はい。まずは三パターンです。防御用のボーンシールド、牽制用のボーンソード、そして捕食やサブミッションへ繋げる妨害用」
「ネネ、対人目線で嫌な動き見てくれる?」
「もちろん。あたしが嫌だと思ったら、だいたい相手も嫌だよぉ」
「頼もしいけど、言い方が本当にならず者ね」
俺は骨剣と骨盾を浮かせたまま、地下礼拝堂の中央へ立った。
壊れた祭壇、骨の燭台、青白い炎。
司祭リッチを喰ったばかりの場所で、俺は明日のクラン戦に向けて、新しいスキルの練習を始める。
対人クラン《ネイキッドラオン》。
正面から綺麗に勝つ必要はない。
「ふふ。想像したらなんだか楽しくなってきたわ」
「じゃあ、あたし今からラオン役やるねぇ」
ネネはおもむろに上半身の装備を剥ぐとベアトップのみの露出の激しい服装になる。
「いやまって、なんで脱ぐのよ!」
「ぐわはははは、覚悟しろ俺様が直々にぶっつぶしてやるぅ~」
思わず笑いが漏れた。
地下礼拝堂の青白い炎が、俺たちの影を長く伸ばしている。
ゆらゆらとゴーストパーティのように賑やかに揺れている。
新生リエラ魔王軍の初陣は、どうやらかなり魔王軍らしい絵面になりそうだった。