作品タイトル不明
ーーしばらくお待ちください。
「むぅぅぅりィィィいやァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
俺は完全にパニック状態に陥った。
頭の中の思考回路がショートして、まともな判断などできなくなっている。
だが、そんな俺の意志とは無関係に、鍛え上げられたスキルたちは勝手に最適解を導き出してしまったのだ。反応強化が不快な羽音の軌道を正確に予測し、武芸が迎撃の体勢を自動的に構築していく。
迫り来る最悪の厄災を前にして、俺の背後で大きく膨れ上がった尻尾が、まるで独自の意思を持っているかのようにバクリと口を開けた。恐ろしいほどの反射速度だ。ミーナの放った火柱が、飛来する黒い悪魔を空中で見事にこんがりと焼き上げる。香ばしいような、絶対に嗅ぎたくないような焦げ臭さが鼻を掠めた。
そして次の瞬間ーー
いや、やめよう。そうだな、こうしよう……。
ちょっと映像を差し替える。
ネイキッドラオンに勝利して、石碑クエストやコラボも大成功。
全部、素晴らしい成果を収めた『新生リエラ魔王軍』は俺、ミーナ、ネネ、ミルキーとエタファンでも屈指の観光スポットリゾートアイランド《ゴールドアズール》に来ていた。
眩しい太陽が照りつける水辺の風景。波の音が心地よく響き、どこまでも青い空と澄み切った水面が広がっている。
ーーわ、レベルアップしました!
俺たちにとっての楽園と言っていい。
「リエラちゃーん、お肉焼けたよ! あーんしてあげるから口開けてね!」
水色の髪にふさわしい、水玉が付いたフリルの水着姿で手に大きな肉櫛を持った羽衛ミルキー。彼女はトップVtuber。作られた存在とはいえ、その完璧なプロポーションはそれを分かったうえでもなお魅力的に映る。
「ちょっとミルキー、抜け駆けはずるいよぉ?」
「先に抜け駆けしたのはネネでしょ~? コラボしようって言ってから、私がどれだけ待たされたと思ってるの? これでもトップ配信者なんだゾ?」
「トップ配信者だからこそ苦労したんですよ、ミルキーさんがもっと身近な存在だったら……」
ーーおお、このダンジョン、やっぱり炎魔法の効きがいいねぇ、ミーナちゃん。
「ごめんね、私がよくても事務所がなかなか……って今はそんなことより、リエラちゃん。はい、お肉どうぞ」
ーーすごいですよ、レベルが……なんかすっごくあがってます。
「あ、だからミルキーずるいって。じゃああたしは、尻尾ちゃんに……はい、あーん♡ かわいいね♡」
「リエラさんを見つけたのは私が最初です、なので私が最初にあーんしますね! 私が焼いた野菜もしっかり食べてください!」
羽衛ミルキーがデカ櫛に刺さった肉を笑顔で差し出し、ネネが尻尾にあーんして、ミーナが負けじとこんがり焼けた野菜を勧めてくる。俺は色鮮やかな水着姿の美少女たちに囲まれながら、口元まで運ばれてきたお肉や野菜をぱくりと咥えた。
「ん……すごく美味しいわ。みんな、カリカリになるまで焼いてくれてありがとう」
「あはは、リエラちゃんすっごい幸せそうな顔してるねぇ」
ネネが早々にパラソルの下で冷たいドリンクを飲みながら、くすくすと楽しそうに笑っている。彼女の言葉に、俺は少しだけ恥ずかしくなった。
鼻をくすぐるのは相変わらず網の上でジュージューと音を立てて焼けるお肉の香ばしい匂いだ。
「おかわり、しちゃおっかな♪」
「もちろん、沢山あるから食べてね、リエラちゃん♡」
ミルキーの笑顔が逆光に眩しく輝く。
ーーまた、レベル上がっちゃいましたよ~……えへへ。
ーーいい狩場を紹介できたみたいで良かったよぉ。
やっぱり、美少女たちとキャッキャウフフしながら過ごす平和な時間こそが、俺の求めていた理想のVRライフである。これ以上の幸せはきっと存在しない。
迫り来る対人クランとの戦争や、高レベルダンジョンの過酷なレベリングなど、今は一旦忘れてしまおう。英気を養うことも、立派な魔王軍の仕事なのだから。
俺はどこまでも青い空を見上げながら、この穏やかで至福の時間が少しでも長く続くことを、心の底から祈っていた。どうかこの時間だけは、誰にも邪魔されないでほしい。
「ミーナちゃん、これ録画してる?」
「しています。当然の備えです」
「やっぱりそうだよねぇ。笑いながらゾンビや蟲の大群相手にして捕食を繰り返すなんて、魔王そのものだもんねぇ」
「さすがはリエラさんですね、あれだけ躊躇ってたけど、いざとなったらやる 魔王(こ) です。レベリング記録と、後日の編集素材になります!」
「そうこう言ってる間にもうほぼ殲滅しちゃってない?」
「わ、またレベル上がっちゃいました……」
「ひゅ~……」
ジュージューと肉が燃える音が小さくなっていく。
「あれ、お肉なくなっちゃったわよ! もう、ミーナったら」
「あ、おかえりぃ」
「リエラさん、見てください! すっごいレベル上がっちゃいました今83です!」
「…………は?」
俺は頭を抱えた。
ふたりとも何を言っているんだ? ここは南国リゾートで……レベルなんて……。
と、ふと周りを見る。そこにはただ焼け跡があり、何かだった残骸も、ゾンビの布も、マミーの包帯も、スケルトンの骨も、基本的には等しく燃えていた。
「まさかフロアごとヘイトを引き受けちゃうなんて思いもよりませんでしたよ。リエラさんは今レベルいくつになりました?」
「え、えっと? ……58……?」
身に覚えがあるようなないような、ただ膨大に増えたステータスは無言で何かを訴えていた。
《HP+430,MP+220,STR+48,VIT+170,AGI+130,DEX+58,INT+89》
《エリアモンスター吸収限界》
「うわ、経験値テーブルえぐい。まぁミーナちゃんがどんどんあがるのもありっちゃありか」
「そうですねぇ……」
「あたし全然今のところ役に立ってないしぃ、中ボス、行っちゃおっかぁ♪」
「いいですね! 行きましょう!」
「はえ……?」
ひとり話題に取り残される俺。
しかし、まぁ……えっとなんだ……。
うん、深くは考えないようにしよう。
◇ ◇ ◇
そうして、俺たちは中ボス部屋へ向かうことになった。
「そ、そんなことになってたのね……」
「意識なかったんですか?」
「ううん、思い出したくないだけよ、というかあんたたちよく平気ね」
「あたしはホラーゲームでなれてるんだよねぇ~」
「私は経験値にしか見えていませんでした!」
俺は強引にそこで話題を切り上げた。
なぜならこれ以上この話題を掘り下げると、レーティング的に危険すぎるからだ。
地下二層の奥へ進むにつれ、空気はさらに冷たく、湿っていった。
壁の祈祷文は次第に乱れ、途中から文字というより爪痕のようになり、床には割れた燭台や朽ちた聖印が散らばっている。
遠くから、低い詠唱のような音が聞こえた。
それは男のものとも、女のものともつかない異質な声だった。人間性を感じさせない不気味な響きを持っている。
複数の喉が重なっているようにも、一人の声が反響しているようにも聞こえる。
その音を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
それは単なる恐怖ではなかった。命の危機に対する本能的な恐れとは違う。
かといって、単なる生理的な嫌悪感というわけでもない。もっと得体の知れない感情だ。
魂のもっと深い根源的な場所で、何かが強烈に引っかかったのだ。
エルーサの記憶を見た時に感じた、あの世界の裏側へ指先が触れるような感覚に、少しだけ似ている。
「リエラさん?」
俺の異変に気付いたのか、ミーナが心配そうな小声で尋ねてきた。
「大丈夫よ。ただ、空気からちょっと嫌な感じの気配がしただけだから」
「無理は禁物です。今ならまだ間に合いますが、撤退しますか?」
彼女のその問いかけは、心からの真剣なものだった。決して無理強いはしないという意志が見える。
俺が本気で首を横に振れば、ミーナはすぐ撤退を選ぶ。
だからこそ、俺はゆっくり息を吸い、暗い通路の奥を見据えた。
「いいえ、ここまで来たら引き返せないわ……行くわよ」
不安を振り払うため、声に魔王としてのロールプレイの熱を乗せる。自らを鼓舞する儀式だ。
怖さを隠すためではなく、前に進むために。
「このリエラ様が直々に、墓場の支配者とやらに挨拶してあげるわ。道を開けなさい」
小悪魔みたいな配信ポットが浮いている。
「いいねぇ、今のセリフすごくかっこいい! PVの素材としてバッチリ使えるよぉ」
「ちょっとネネ、もしかして録画してる?」
「もちろんバッチリ録画してるよぉ? 普段から勇ましい我らがリエラ様」
「もう、茶化さないで、恥ずかしいんだから、いい加減にしなさいよ!」
ネネの軽口のおかげで、張り詰めていた緊張が少しだけほどける。
頼もしい仲間だ。
俺たちは通路の突き当たりにある、巨大な石扉の前へ立った。
扉には枢機卿の帽子を模した紋章と、骨の杖を掲げる人影が彫られている。
レリーフの足元には、かすれて読めない古代文字がびっしりと刻まれている。呪詛の文様のようにも見えた。
直感的に、これはあの石碑クエストで見かけたのと同じ系統の文字に見えた。世界観の繋がりを感じさせる。
ミーナがその古代文字群を見て、興味深そうにスッと目を細める。
「この文字配列は非常に興味深いですね。あとでじっくりと解析したいです」
「これから中ボス戦だっていうのに、そんな研究者の顔にならないでちょうだい!」
俺は苦笑しながら、扉へ手をかけた。
扉を構成する石は、氷のようにひんやりと冷たい。生者の温もりを拒絶しているかのようだ。
掌に冷気が染み、尻尾の先まで小さく震える。
ネネが右へ、ミーナが左後ろへ位置を取る。
「今回はさすがにあたしも出るよぉ?」
「ありがとう、それじゃあ、行くわよ。覚悟はいいわね!」
俺は両手に力を込め、重厚な石扉を力強く押し開いた。
ずずずっ、と腹に響く重い音を立てて、巨大な石扉がゆっくりと開いていく。
その向こうに広がっていたのは、地下礼拝堂だった。
天井は高く、壁一面に骨で作られた燭台が並び、青白い炎が静かに揺れている。
礼拝堂の中央には、無残に壊れ果てた祭壇が鎮座していた。かつての信仰の残骸だ。
その前に、黒い法衣をまとった骸骨の魔術師が立っていた。
白骨化した長い指には、鈍く光る銀の指輪がはめられている。魔力を帯びた装飾品だろう。
その手には、不気味な意匠が施された骨の杖がしっかりと握られている。
空っぽの頭蓋の奥深くで、意思を持ったような紫色の光がめらめらと燃えている。
紛れもない、死者を統べるネクロマンサーだ。その圧倒的な気配が肌を刺す。
これが適正レベル百五を誇る迷宮の中ボス。我々の限界を試す壁となる存在だ。
その周囲には、すでに複数のスケルトンとマミーが跪き、祈るように頭を垂れていた。
侵入者に気付いた骸骨の魔術師が、首の骨を鳴らしながらゆっくりとこちらを向く。
冷たい魔力が礼拝堂の床を這い、俺の足首を撫でた。
システムが敵を認識し、視界の端に赤い文字でボス名が表示される。
――闇の司祭・リッチ《ネクロマンサー》
高レベルの敵のプレッシャーを前にして、俺は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。
もちろん、本能が警告するほどに怖い。圧倒的なレベル差に足がすくむ。
現実問題として、相手が何をしてくるかわからない以上、全滅のリスクを伴うのだからかなり怖い。レベル差約50、多分、決して侮れない相手だ。
だが、それ以上に、胸の奥が熱くなる。
クラン戦争本番に向けた、これ以上ない最高の実戦テストでもある。
そして何より、この尻尾の反応は俺のスキルをさらに高めてくれるであろう、極上の捕食対象だ。
「さあ、闇の司祭とやら。少し遊んであげるわ」
俺は恐怖をねじ伏せ、堂々と一歩前へ歩み出た。
尻尾が背後で開きかけ、ミーナの杖に炎が灯り、ネネの姿が薄くぶれる。
「このリエラ様に、あなたの祈りと骨の味を見せてみなさい」
ネクロマンサーの杖が祭壇を叩いた。
青白い炎が一斉に揺れ、跪いていたアンデッドたちが立ち上がる。
地下礼拝堂の空気が、戦場のそれに変わった。
俺は笑みを深くし、真正面からその群れを迎え撃つ。