軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【リエラちゃんねる、リアルお引越し】

【リエラちゃんねる、リアルお引越し】

そうタイトルされた配信には、ダンボールだらけの室内が映っていた。

今回の生配信は、夜配信の時間、急遽スマートフォンを使用した簡易的な自撮り環境で行われていた。

撮影に慣れていない素人感が、画面全体からこれでもかと伝わってくる。画面の至る所に、未開封の段ボール箱がうず高く積み上げられていた。

俺はその中をそろりそろりと歩きながら撮影する。

「ここが、リビング……あっちで作業してるのがミーナ!」

ミーナは遠くから手を振る。

そしてすぐさま作業に戻る。

中身のラベルが手書きで殴り書きされており、作業の慌ただしさを物語っている。

剥き出しの家具や片付け途中の小物が映り込み、強烈な生活感を醸し出している。普段の作り込まれた配信画面とは異なり、あまりにも無防備なプライベートの空間だった。

極めつけは、マイクが拾ってしまったこちらの不用意な音声である。

「あ、ちょ、ミーナ! それは下着の……って、それはあとで自分でやるから!」という俺の慌てふためく声だった、アイデンティティが崩壊しかねない大失態に心臓が跳ね上がる。

『下着だぁぁ!?』『Mカップ!』『引越しだあああ』『リアル新章!?』『同棲おめでとう!』『ミーナP!!説明!!』

リスナーたちがこれほど過剰に反応するのも、至極当然のことと言えた。

いきなり画面の向こうに新居の様子を突きつけられたのだから、騒ぎにならないはずがない。

チャット欄は瞬く間に、お祝いと困惑のメッセージで埋め尽くされていった。

すべての始まりは、あの不動産屋に連行された日に遡る。

俺の予想を遥かに超えるスピードで、事態は音を立てて転がり始めていた。

言葉巧みな彼女の提案に押し切られ、俺は最終的に首を縦に振るしかなかった。気づいた時には退路は完全に断たれていたのだ。

俺はミーナに丸め込まれる形で、同棲――いや、女の子同士だから“同居”か?――を決めた。

ミーナとの関係性を客観的に見つめ直すと、奇妙な胸のざわめきを禁じ得ない。

同居だよな? 同居判定な気もする。

この一見すると異常な選択の裏には、彼女なりの完璧な計算が存在していた。ただのノリで決めたわけではなく、俺たちには避けて通れない現実的な問題があった。

新体制へ移行するための、いくつもの高いハードルをクリアする必要があったのだ。

新しい配信チームを法人化するために、まずは登記可能な住所が絶対に必要だった。商業用としても認められる物件を探すのは、想像以上に骨の折れる作業だ。

郵便物や法的書類を受け取るための、信頼できる拠点を構えなければならない。

これからの活動を支えるための、強固な城ーー魔王城とでも言えば良いのかーーを築く第一歩だった。

高画質な映像を届けるためには、専用の強力なネット回線を引き込む必要がある。

機材をいくら並べても、インフラが貧弱では話にならないからだ。近隣住民とのトラブルを避けるため、完璧な遮音性能を持つ部屋が求められた。深夜に大声を出すこともある配信者にとって、これは死活問題と言える。

ミーナも実家を出る必要があった。

すべての条件をクリアする最善の策が、このタイミングで提示された。

「どうせなら一箇所にすべてをまとめれば、無駄な経費も時間も削減できます」という提案だった。

その言葉には、反論の余地がないほどの説得力があり。その時の彼女の眼差しは、冷徹な経営者のそれと完全に一致していた。

状況を俯瞰し、もっとも無駄のないルートを瞬時に弾き出す手腕には驚かされる。相棒の持つ底知れない有能さに、改めて感心するしかなかった。

たぶん春休み中に全部片付けたいっていう事情もあったんだろう。

「じゃあ今日は軽く挨拶だけになっちゃうけど〜」

俺はスマホへ向かって手を振る。

後ろでは変わらずミーナが段ボールを整理している。

「また様子は届けるわね!」

『はーい』『次は新居ルームツアーか』『生活環境は大事』『リエラ様の私生活配信はかどります!』

画面の向こうの臣民たちに別れを告げ、俺は通信終了のボタンを押した。

それまで部屋を満たしていた電子の熱気が引き、静寂がどっと押し寄せてくる。カメラのレンズから解放された俺は、深く大きなため息を吐き出した。

俺たちは改めて部屋を見回した。

段ボールは積み上げられてはいるけれど、その隙間から磨き上げられた床が月光を反射し、洗練された空間を演出している。

これから始まる新しい日常の舞台として、これ以上ないほど期待感に溢れていた。

重厚な扉の向こうには、内部の音を遮る空間が待っている。俺の第二の牙城となる、もっとも重要なエリアだ。

複数のモニターと高性能PCを配置するための、特別な一角が確保されていた。数万人の熱狂を受け止めるための、最前線基地と言える。

実務作業をこなすための頑丈な机が備え付けで設置されている。

ミーナがここに資料を並べて、不敵な笑みを浮かべる姿が容易に想像できた。

まだ段ボールだらけだけど。

視界を埋め尽くす荷物の山を見つめながら、俺の胸は大きく高鳴っていた。ここから新しい歴史が作られていくのだという、確かな予感がある。

今回の引っ越しが意味するものは、単なる生活拠点の移動だけに留まらない。

プライベートな空間として、二人の新しい生活の基盤をここに定着させる。それと同時に、この場所を正式なビジネスの拠点として稼働させる。

リエラちゃんねるの事務所にーー

それだけに留まらず、俺たちの進撃をさらに加速させるための重要な契約も絡んでいた。

ネネのマネジメントも請け負う。

すべての歯車が完璧な角度で噛み合い、ゆっくりと回転を始める。

本格的に、ミーナの事務所が動き始めることになる。

「……なんか」

俺は安全地帯として片付けられている、ソファへ沈み込みながら呟く。

「急に規模でかくなったわね」

「ですねぇ」

ミーナは段ボールを開けながら、わりと平然としていた。

目の前で淡々とカッターを動かす彼女の姿に、俺は微かな身震いを覚えた。この異常な状況を当然のように受け入れているその精神力は、もはや常人のそれではない。

この子の目には、もう未来が見えているのだ……順応力が経営者すぎる。

客観的に自分たちの現状を分析してみると、彼女が平然としている理由も分からなくはない。俺たちの足元に転がり込んできた戦果の数々は、普通ではあり得ないものばかりだ。

特にミーナはその抱いていた夢をもう半分実現し始めている。

100万人のファンを抱え、その一挙手一投足で業界を熱狂させる絶対的なカリスマの加入は、大きく背中を後押しするだろう。

俺は、そんなミーナの背中を一生懸命に追いかけるだけだ。

まだついていけていないとはいえ、だいぶ運がよかった。

あそこでミーナと出会ってなければ助けてなければ逆に路頭に迷っていたかもしれない。

「出会ってくれてありがと」

深い意味もなく口にしたその一言が、静まり返ったリビングに小さく響いた。

ミーナが顔を真っ赤にして、俯いた。

「あ、いや、ごめんキザなセリフとかじゃなくて、自然と……」

俺はそのリアクションに慌てふためく。

「こちらこそですよ、リエラさん」

その笑顔がまぶしすぎて、俺も耳を真っ赤にする。

「……っ」

「ふふっ……さ、一気に片付けちゃいましょう!」

「う、うん」

何が地味なんだよほんともう、かわいいじゃんか、調子狂うな……。

◇◇◇

――深夜。

引越し作業も、ようやくひと段落ついた頃だった。

テーブルの上には、近くの店で買い込んできた質素な食料が並べられていた。高級レストランの料理とは程遠いけれど、今の俺たちには最高のご馳走だ。一日中動き回った肉体は、鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫に感じられる。

それでも、不思議と不快な感覚はどこにもなかった。

どこか楽しい空気、そんなタイミングでインターホンが鳴った。

「……誰?」

俺とミーナは顔を見合わせる、ミーナが玄関へ向かう。

彼女が重厚なロックを解除し、ゆっくりと扉を引いた。

扉を開けた瞬間。

「やっほっほー!!」

夜の静寂を容赦なく切り裂く、ひび割れるほどの爆音が通路に響き渡る。疲れ切っていた俺たちの意識が、その一言で強制的に覚醒させられた。

そこにいたのは。

――ネネだった。

彼女の姿は耳こそないもののいつも画面越しに見ていたものとほぼ同じ、いや現実のほうが何倍も華があり、めちゃくちゃオシャレだった。

計算し尽くされたルーズなシルエットのジャケットが、彼女の華奢な体型を引き立てている。脚のラインを美しく強調するボトムスが、洗練された大人の雰囲気を醸し出していた。

照明を反射してきらりと輝く小物が、彼女の首元や手首を華やかに彩っている。完璧にセットされた美しいコーディネートが、夜風に揺れてかすかな残像を残していた。

彼女の移動に合わせて、甘く、どこか官能的な香りがふわりと室内に流れ込んでくる。

全身が“都会の強い女”であり、カリスマである。

彼女が纏っている圧倒的なオーラは、一般人とは明らかに一線を画している。

その場に立っているだけで、周囲の人間を無条件でひれ伏せさせるほどのカリスマ性があった。

カリスマ性で人を殴れるタイプの存在感だ。

街を歩いてたら普通に振り返られる。

ただひとつ、現在その完璧に見えるそのビジュアルを、台無しにする決定的な問題がたったひとつあった。

彼女の頬は真っ赤に染まっており、視線の焦点が完全に定まっていない。

持っているコンビニのビニール袋にはどっさりと缶のお酒が透けて見えていた、すでに酔っているのにだ。

「わ、ちょ、ネネさん、う、お酒臭っ!」

対応したミーナが困惑する。

やばいこの人、めちゃくちゃ酔ってる。

「おはつ〜♡ 天神ネネだよ~」

「あ、えっとはじめまして? リエラよ」

ネネはふらふら笑いながら部屋へ入ってきた。

「うわ、まんまリエラじゃん! でっっっっ!」

数秒停止。

彼女の脳内で、何らかの回路が爆発的に繋がったような衝撃が走る。

「……っっっっっっか!」

彼女の動きがピタリと止まり、次の瞬間にその表情が劇的に変化した。

風を切るような猛烈な勢いで、彼女は俺との距離を瞬時にゼロにしていく。

「なにこれーーーー!!」

「わっ!?」

次の瞬間、ネネが、いきなり俺の胸へしがみついてきた。

むにっ、むにもにょ、ふにっ!

「ちょ、ちょっと!?」

衣服越しに伝わってくる無遠慮な手は、想像を遥かに超えた動きだった。

「あっ、ネネっ!! だ、ダメだって! なっ……ちょ、んっ、んん!」

酔っ払い特有の距離感のなさ。

彼女の行動は、さらにエスカレートしていく。

ネネは完全にテンションがおかしい。

「すごーい!! 本物だぁ〜!!」

リエラが本物で感動しているのか、胸が本物で感動しているのかどっちかわからないリアクションだ、どっちもか!?

「んひぃ、あ……っ、んぅ! い、いや本物って何!?」

「夢あるぅ〜!!」

さらに胸元へほっぺを押し付けてぐりぐりしてくる。

「ちょ、ネネ、待ってやめて!」

「やめな~い♡ おほぉ、きんもちぃぃ~」

この人、ミリオンインフルエンサーだよね?

カリスマだよね?

なんでこんな酔っ払い大学生みたいになってるの?

俺は完全に困惑しながら、助けを求めるようにミーナを見る。

「み、ミーナぁ……っ!」

ミーナは、めちゃくちゃ冷静だった。

「ネネさん」

「ん〜?」

「リエラさん困ってます」

「えへへ、ごめーん♡」

全然反省してない。

なおも、胸にしがみついたまま。

俺は思わず、引きつった笑みで、

「……カリスマが台無しだよぉ~~っ!!」

そう叫び、その声は整頓されたリビングに響き渡った。