軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

捕食の代償

グバァ、ゴリッ、グシャ……。

「ベ……っ --っ、ナっっ!」

エルーサは悲鳴を上げることさえ許されず、涙を流しながら、忠誠の騎士がただその命を散らす様を見させられている。

獲物を咀嚼し、硬い肉を噛み砕く無慈悲な音が耳元で鳴り響く。

それは一つの命が別の何かに上書きされる、冷酷なシステムの律動そのものだった。

《真紅の騎士ベルナデッタの捕食を確認しました》

《STR+30、HP+150》

《大剣術・初級》を獲得しました。

《反応強化》を獲得しました。

《アイテムドロップ・クリムゾンブレイド》

無機質なシステムログが網膜に淡い残像を刻み、視界を静かに埋め尽くしていく。

捕食に成功した証であるその文字は、冷徹なまでに平坦な事実を告げていた。

処理が完了したコンマ数秒後、一時停止していた世界の時間が再び加速を始める。

捕食したデータの熱量が、凄まじい勢いで俺の血管を内側から焼き焦がし始めた。

「――っ」

喉を焼くような感覚に思わず息が詰まり、俺は自分の身体を抱きしめるようにしてその衝撃に耐える。人型特有の反応なのか、ステータスが無理やり書き換わって行く感覚に脳が感度を引き上げ、全身に電流が流し込まれるような、ぞわぞわとした感覚に視界がチカチカと明滅を繰り返した。

「……あっ! んっ……っ! ぐ、くぅ……っ」

普段は意識することのない内臓の震えが、未知のエネルギーに晒されて内側から激しく波打つ。筋肉の隙間に熱い鉛が流し込まれたかのような錯覚に陥り、自然と体がビクッ、ビクッと跳ね、意識が遠のきそうになる。

繊維の一本一本が強引に編み直され、鋼のような強度と爆発力を宿していくのが手に取るように分かった。身体の末端まで行き渡る神経系が鋭敏に研ぎ澄まされ、世界の解像度が一段階上がったような感覚に陥る。

身体に馴染むその力はあまりにも濃密な重みを伴っており、捕食したデータの格がこれまでとは別次元であることを物語っていた。

今まで捕食してきたどの相手より、味が、記憶が濃い。その魂には数多の戦場を潜り抜けてきた、鋼のような不屈の意志が刻まれている。

ベルナデッタが人生を懸けて積み上げてきた武勇の真髄が、今や俺の血肉となって脈動している。巨大な得物を軽々と操るための膂力と、敵の隙を見逃さない冷徹な殺意が魂へ定着していく。死地を潜り抜ける中で培われた野生的な直感が、脳内に直接書き込まれていくのが分かった。

地面を蹴り出す絶妙な加減と、重力を味方につける身体の傾け方が本能として理解できる。

一分の隙もない合理的な身のこなしが、まるで自分の経験であったかのように鮮明に肉体へ再現された。

それと同時に、捕食したのは力だけではないことに気づかされる。

ステータスの裏側に隠されていた彼女の記憶までもが、濁流となって俺の精神を侵食し始めた。

「エルーサ、私の聖女エルーサ」

それは耳に届く振動ではなく、脳に直接響き渡るような、深い情愛を湛えた調べだった。

地を這うような重厚さと、聞き手を包み込むような落ち着きを兼ね備えている。

触れれば壊れてしまいそうな繊細な響きが、かつての彼女が抱いていた心の在り方を雄弁に語っていた。

「例えどんな軍勢が相手になろうと、私は最期まで貴女と共に……」

燃え上がるような茜色の夕焼けが、泥にまみれた彼女たちの背中を無慈悲に照らし出している。

激しい戦いの中で傷つき、ボロボロになった鎧が、夕日に反射して鈍い光を放っていた。

その鎧の汚れの一つひとつが、彼女たちが潜り抜けてきた過酷な日々の証明に他ならない。

守られるだけの存在ではない、一人の戦友としての誇り高い光がその瞳には宿っていた。

主従の枠を超えた深い絆が、その献身的な跪きには込められている。

幸せだったはずの時間の欠片が、鋭い刃となって俺の心臓を無造作に抉っていく。

穏やかな情景を塗りつぶすように、突如として凄惨な戦火の匂いが記憶の幕を押し開けた。

鼓膜を直接揺さぶるような激しい叫びが、平穏を打ち破って戦場に響き渡った。

石畳を真っ赤に染める生々しい色彩が、奪われた命の重さを突きつけてくる。

街を焼き尽くす猛火の熱風が、人々の希望までも灰へと変えて舞い上がっていた。

「勇者の軍勢がすぐそこまで!! 逃げて……!!」

家畜のように追い詰められたオークたちが、絶望に顔を歪めながら瓦礫の中を逃げ惑う。

かつては堅牢を誇った砦が音を立てて崩れ、あとに残るのは立ち昇る黒煙だけだった。

降り注ぐ冷徹な槍の雨が、抗う術を持たない弱者たちの命を次々と刈り取っていく。

世界の終わりを予感させるような悲痛な叫びが、絶え間なく鼓膜を叩き続けていた。

「あ、あぁ……エルーサ、エルーサ……!!」

彼女の前で舌を切られるエルーサ。守るべき者の尊厳が無惨に踏みにじられる光景に、魂が裂けるような衝動が走る。絶望。それ以外の言葉を失った真っ黒な感情が、世界を静かに呑み込んでいった。

声にならない慟哭が脳内に木霊し、意識の底へ底へと暗く沈んでいく。

「なぜだ……なぜお前達は!!」

正義の名の下に行われる一方的な蹂躙に対して、届かぬ咆哮を上げながら剣を振るう。

右脚の腿から先を失う。喉が張り裂けるほどに憎悪を叫び、理不尽な運命に対して最後の一閃を放つ。

圧倒的な力によって地面に叩き伏せられ、彼女の誇りは無慈悲な足蹴にされて潰される。

「うおおおおおおおおっっ!!」

最期の叫びが途切れた刹那、赤に染まったノイズが視界を埋め尽くした。

「お……っ……はぁ……っ」

俺は言葉を失ったまま、立ち尽くすことしかできなかった。心臓を直接掴まれたような圧迫感が続き、呼吸を整えることさえ困難に感じる。

捕食した記憶の残滓を払拭できず、俺は自分の身体の重ささえも忘れて立ち尽くしていた。

魔法の残滓、血の匂いが立ち込める断崖にそびえたつ砦の跡地に、ただ風の音だけが空虚に響き渡る。

かつて栄華を極めたであろう廃墟に、今や勝利者の冷徹な熱気だけが残っていた。

俺の足元でうごめくゴブリンたちは、主人の異変を察してか、珍しく静かに佇んでいる。

コメント欄はベルナデッタに勝ったことで大盛り上がりだった。もはやこの時点でリエラの勝利は確定した。

滝のように流れるリスナーたちの賞賛も、今の俺には遠い異世界の出来事のように思えた。

捕食した者だけが味わう毒のような後悔か果たしてこれはある種の快楽なのか、胸の奥に澱のように鈍く沈む。

「……こんな、ものまで喰わせるの……?」

乾いた唇を震わせ、自分に言い聞かせるように微かな声を漏らした。

焼けつくような渇きが喉の奥を支配し、言葉を出すことさえ億劫に感じられる。

「どういう倫理観してるんだ、このゲームは……」

『うぉおお、リエラ様が勝った~!』『後は聖女だけだ』『悪女対騎士決着!』『リエラ様はアライアンス並み!』

コメント欄を見るとそんな時間が経ってないように思えた。

いや、実際に時間はそこまで経っていなかった。

けれども、今の俺にはやけに遠い昔のことのように思えた。

追体験……とでもいえばいいのか、エルーサに対する思いがそこにはあった、身体を貫く剣の感触があった。

運営が用意した使い捨てのボスキャラとしては、あまりにも精密に作られすぎた残酷な役職だ。単なるデータの塊を超えた、一人の生ある者としての意志がそこには確かに宿っていた。

彼女たちは誰かにとっての愛すべき隣人であり、この大地を護るための盾でもあったのだ。

この世界であるいは何処かで“生きていた”。単なるプログラムの集合体ではない、魂の鼓動を俺の手は確かに感じ取ってしまった。

それを、俺は喰った。

彼女たちの人生も、祈りも、積み上げてきた時間の一部を俺が捕食した。

例え電子データだとしても。その温もりが俺の指先に残っている以上、もう割り切ることなんてできない。

例えゲームだとしても。この胸を締め付ける痛みは、紛れもなく現実のものとしてここに存在している。

あの記憶を見せられて。これからの自分に何ができるのか、答えの出ない自問自答を繰り返す。冷徹な攻略者として振る舞うには、あまりにも彼女たちの魂に触れすぎた。

「……責任、出ちゃったなぁ」

騎士の想いの重みは、そのまま彼女の意志を背負い続ける覚悟へと変わっていく。

込み上げてくる不条理な熱情が、冷酷な現実を突きつける世界の理に真っ向から抗っていた。

締め付けられるような胸の痛みが、呼吸を繰り返すたびに存在を強く主張してくる。

捕食した魂が抱えていたあまりにも重い情動が、自分のもののように内側から溢れ出していた。

ベルナデッタの想いが、まだ胸の奥へ残っている。

その視線の先。エルーサがいた。麻痺で震えながら。

涙を流しながら。ベルナデッタが消えた場所を見ている。

「……ぁ」

絶望のあまり言葉を失い、ただ掠れた吐息だけが彼女の唇から零れ落ちる。

一歩も動くことが叶わない無力な少女の肩が、激しい孤独に晒されて小さく震えている。

誰の助けも届かない深い暗闇の底で、彼女はただ一人、運命に翻弄され続けていた。

そう言えばいつだったか俺に絡んで来たプレイヤーが言っていた、NPCなら違うお楽しみの仕方がある、とか。

ーーエルーサを誰にも触らせたくない。

そんな気持ちが胸の奥に広がっていく。

唯一自分を肯定し、守り続けてくれた背中が消えてしまった喪失感は察するに余りある。

もう2度と、寂しくなんてさせない。

"私"以外の誰にも蹂躙なんてさせない。

慰め程度の言葉で済ませられるほど、この光景は生易しいものではない。

違うか、俺が感じているのは共感ではなく、彼女たちが味わい続けてきた無限の地獄に対する憤りだ。

世界という強固なシステムに抗い、その度に無残に敗れ去るのが彼女達の役割だった。

「勇者」彼らにとって正義を執行する装置に過ぎない。

「侵略者」ただひたすらに効率を追い求め、資源を食い荒らして去っていく。

「プレイヤー」この世界を娯楽の場としか認識していない、無邪気で残酷な冒険者。

もっと深い……何度も繰り返される悲劇の連鎖の中で、彼女達はきっとその都度、何度もその心を折られてきたのだろうか。

幾度も、冷酷な運命の車輪に巻き込まれ、救いのない結末へと追い詰められてきた。

何時も、大切な記憶を上書きされるように、また同じ苦痛を味わわされ続けてきたのだ。

繰り返し、終わりのないループに閉じ込められ、彼女の魂はボロボロに磨り減っていた。

ベルナデッタを失って。自分の一部を切り取られるような痛みに耐えながら、彼女はまた記憶をリセットされ、今日また生きる。

また戦って、また負けて。勝利の喜びなど一時的なもの、敗北の味だけを喉の奥に溜め込んでいく。

――悔しいよね。

抗えぬシナリオ通りに動かされるだけの存在に、これほどまでの苦痛が必要なのだろうか。

俺は、ゆっくり歩いた。

自分の罪の重さを一歩ごとに刻みつけるように、慎重にエルーサへと距離を詰めていく。

炎の中を、立ち昇る黒煙が視界を遮る中、彼女へと続く一本道だけを凝視して進む。

ゴブリンたちが道を開ける。主人の決意を感じ取ったのか、彼らは一言も発さずにその進路を譲った。

ミーナも何も言わなかった。俺が何をしようとしているのか、その全てを肯定するかのように静かに見守っている。

ただ静かに見ていた。彼女の瞳にもまた、ゲームという枠組みを超えた真剣な想いが宿っているのが分かった。

俺はエルーサの前へ膝をつく。

ベルナデッタがかつて合わせた目線の高さ……には足りないけど、彼女と同じ目線の高さまで腰を落とし、向き合うその手に軽くキスをする。

ベルナデッタがそうしたように。

聖女エルーサは小さかった。俺の腕の中に収まってしまいそうなその体躯は、あまりにも華奢で頼りなかった。

本当に、触れるだけで消えてしまいそうな、この世界の果てに取り残された祈りのような存在だった。

儚い……彼女が背負っている運命の過酷さに比べ、その命の灯火はあまりにも微かだ。

小さな身体が、ぼろぼろに震えている。

抑えきれない絶望の波に呑まれ、彼女は理性を保つことさえ困難なようだった。

「……ベル……」

泣いていた。

掠れた声で最愛の名を呼び続け、その瞳からは熱い雫が絶え間なく溢れ出している。

俺は、静かに腕を伸ばした。拒絶されることを承知の上で、彼女の孤独に触れようと腕を動かし、抱きしめる。

世界に拒絶された少女を、俺という異物が強引にその境界線を越えて包み込んだ。

細い、細くて小さい。オークなのに、きっと子供たちにご飯が渡るようにしていたのかもしれない、栄養すら足りていないような未発達な肢体は、彼女が歩んできた苦難の道を物語っている。

この小さな身体にどれほどの悲しみが詰まっているのか、想像するだけで胸が締め付けられる。

温かい、プログラム上のデータであるはずの彼女から、確かな命の鼓動が伝わってきた。

ゲームなのに、システムの裏側にある製作者の情熱なのか、それとも彼女自身の意志なのか、その熱は本物だった。

ちゃんと“生”の感触がした。指先に伝わる柔らかな肌の質感が、彼女が単なる無機質な存在ではないことを証明している。

「……終わらせてあげる、なんて」

俺は、小さく笑う。自分の不甲斐なさと、世界の理不尽さに対する皮肉を込めて唇を歪めた。

少しだけ、喉の奥に熱いものが込み上げ、視界がわずかに滲んでいくのを止められない。

涙が溢れてきた、泣きながら捕食者としての責任を持って、一人の人間として彼女の隣に立つことを決めた。

「そんな言葉、言えないけど」

エルーサの肩が震える。俺の胸元に顔を埋めるようにして、彼女はただひたすらに嗚咽を漏らし続けていた。俺は、その身体をぎゅっと抱き寄せた、二度と彼女を孤独にしないという、俺なりの身勝手な誓いを込めて。

「せめて」

腕へ力を込める。

「一緒にいようね」

「……ぁ……」

その瞬間。処理が完了したことを告げるように、俺の身体がシステム通りの動きを始める。

《サブミッション》俺の腕が締まる。

愛おしさと残酷さが同居する抱擁が、彼女の命を確実に終わりへと導いていく。

ぎ、ぎち、ぎりりッ、関節、骨、身体。

全てを一つに溶け合わせるように、俺は彼女を自分の一部として受け入れる準備をした。

抱擁みたいに、優しさと暴力が入り混じった矛盾する行為が、彼女の存在を優しく塗りつぶしていく。

けれども、逃がさないように。この冷酷な世界へ二度と彼女を返さないようそんな願いをこめて、腕の力を緩めることはなかった。

ボギャ、バキッ、グシャ……。

腕から伝わる背骨に対してなのか、肋骨に対してなのか、不気味な破砕音が、HPバーの大半を削り終焉を告げた。

嫌な音。耳を塞ぎたくなるようなその響きが、平和な結末など存在しないこの世界の現実を突きつけてくる。

エルーサの身体が震える。最期の刹那、彼女は俺の腕の中で小さく身をよじり、やがて静かになった。

捕食可能な状態を確認したことで、尻尾の花が再び開く。

黒い花弁、美しくも禍々しいその捕食器官が、夜の闇に紛れて静かにその口を開く。

何重にも並んだ鋭利な牙が、冷たい月の光を反射して怪しく輝いていた。

ぐぱぁと口を開き、脈動する肉の壁から滴る液体が、彼女の存在を完全に消し去るための準備を整える。

――グシャ、ゴリ、グチャ……。

《泥濘の聖女エルーサの捕食を確認しました》

《INT+30、MP+120》

《戦場の聖女》を獲得しました。

《アイテムドロップ・泥濘のロザリオ》

エルーサが消えた。

エルーサを自分のものにできた。

俺の腕の中にあったはずの温もりは霧散し、あとに残ったのは悲しみと多幸感だけだった。

燃え盛る炎の爆ぜる音さえも聞こえなくなり、世界の時間が凍りついたかのような錯覚に陥る。

あれほど激しく火花を散らしていた場所が、嘘のような静寂に支配されていた。

俺は目を閉じる。

溢れ出す涙を堪えることをやめ、静かにこの瞬間の痛みを、ーー共にーー騎士の、切なる願いの幸福を胸に刻みつけた。

「ふっ……う、ぐす……っ、ふ、ふふ」

そしてーー、訪れる捕食の代償……

泥濘の聖女エルーサの記憶の濁流の中へと足を踏み入れた。