作品タイトル不明
悪女vs聖女
「《誘惑》!!」
俺は風を切って走りながら、喉を震わせて叫ぶ。
ハートのエフェクトと紫の煙が不釣り合いな戦場に展開される。
石を蹴る音が、断崖の戦場へ鋭く響いた。
周囲では、オークたちとゴブリンたちが入り乱れている。
棍棒がぶつかる鈍い音。
盾へ剣が叩きつけられる金属音。
ゴブリンの悲鳴。オークの怒号。
さらに、その全てを覆い隠すみたいに、エルーサの祈りが戦場へ降り注いでいた。
「祈りよ――」
それは聖女の魔力と祈りが溶け合った、淡い泥色の光だった。
見た目こそ慈愛に満ちて優しいが、攻略者からすればこれほど厄介で腹立たしい輝きはない。
柔らかい質感を持ちながら、俺たちが必死に刻んだ戦況を無慈悲に塗り替えていく。
どこまでも忌々しくて、厄介極まりない光だ。
俺が苦労して付与したはずの状態異常が、まるで最初から無かったかのように次々と解除される。
深く抉られたはずの肉体が瞬く間に塞がり、傷が癒えることでオークたちの士気が再び跳ね上がっていく。
膝を突き、今にも絶命しそうだったオークが、その光を浴びて再び殺意に満ちた瞳で立ち上がる。
まるで、この戦場そのものが“聖女に守られている”みたいだった。
だからこそ崩し方が見えた。
「ミーナ! 今よ、《ファイアーウォール》を、できるだけ広域に展開して!!」
俺が振り返りながら叫ぶ。
ミーナが目を見開いた。
「広域!? ゴブリンも燃えちゃいますけど!?」
「大丈夫!」
俺は口元を吊り上げる。
「そんなやわじゃないわ!!」
『!?!?』『ゴブリンを消耗品扱いしてる』『完全に魔王軍』『実情は硬いんだよなこいつら』
そう、ゴブリンたちは、妙に硬い。
俺のVIT、俺の耐久。
それを割とシャレにならないレベルで引き継いでいる。
だからこそ、俺はこの狂った防御力を盾に、あえて味方ごと焼き尽くすという暴挙を選んだのだ。
多少焼けても止まらない。
むしろ、火だるまになりながら脚へしがみつく。
最悪だし、現状リエラが呼び出したゴブリンにしか再現できない。
ミーナも理解したのだろう。
一瞬だけ苦笑して、それから、マナ停滞を解除、パチンッ、と指を鳴らしフレアオーバーライドを宿した魔力を一息に展開した。
「――《ファイアーウォール》!!」
彼女の魔力が一気に爆ぜ、耳をつんざくような激しい轟音が戦場を激しく揺さぶる。
次の瞬間、戦場へ巨大な炎の壁が走った。
ーーゴウゥゥゥッッ!!
辺りは一面の赤熱に支配され、周囲の岩壁すらも溶け出さんばかりの温度に達していく。
爆ぜる火花。熱風。
空気そのものが焼けるような感覚が頬へ叩きつけられる。
炎は広い、広すぎる、オークもゴブリンもまとめて包み込む。
逃げ場を失ったオークたちの絶望的な悲鳴が、激しい火の粉と共に響き渡る。
肉の焼ける匂い。
そこがオークの限界だ、しかし、燃えながらもリエラのゴブリンたちは止まらない。
『うわぁ!?』『燃えてる燃えてる!!』『火だるまゴブリン軍団!?』『地獄絵図……』
視界を埋め尽くす猛烈な炎が、敵味方の境界すらも曖昧に焼き尽くしていく。
火に包まれたゴブリンが、オークの顔面へ飛びつく。
そんな地獄のような業火の中でも、眷属たちは無感情に獲物を追い詰め続けている。
さらに別の一体は、炎を纏ったまま棍棒で膝を殴り続ける。
完全にホラーだった。いつからエタファンはホラーゲームに?という問いがあるとすれば今この瞬間から、なのかもしれない。
「ミーナ!!」
「はいっ!!」
「あとは、その炎の後ろを出来るだけ動き回って、《アロー》を撃ち続けて!!」
「倒さなくていいんですか!?」
「倒す必要はない!!」
俺は走る。
オークの槍を身体を捻って避ける。
そのまま低く潜り込み、棘メイスで膝裏をぶん殴る。
ゴギッ、鈍い音が、肉の弾ける感触と共に俺の腕へと伝わってくる。
オークが崩れる。
「出来るだけ傷をつけて!!」
致命傷にしない、ただ傷を付けるだけでいい、この戦場はそれだけで勝利条件を満たすのだ。
その瞬間、ミーナの瞳が、戦術理解の光を帯びた。
「……っ、わかりました!! やります!!」
炎を盾にしてミーナが駆ける、ボッボッボッボッボ、と炎の矢が扇状に展開する。炎の壁が視線を遮る中、その隙間を縫うみたいに移動しながら、次々と炎の矢を放っていく。
「《ファイアーアロー》!!」
炎の矢は敵も味方も関係なく燃やしていく。
ボヒュンッ!!
迸る炎の矢が空気を切り裂き、正確にターゲットの急所を捉えて飛ぶ。
オークの肩を焼く。
次の獲物は腿、次の獲物は腕、首筋、どれもこれも致命傷じゃない。
大きくは命に関わらない、でも“傷”にはなる。
そして、そのたび、エルーサの祈りが飛ぶ。
「癒やしを……」
窮地に立たされた聖女の必死の祈りが、救済の光を空間へ呼び込み続ける。
回復の輝きが敵の命を繋ぎ止めるが、それは同時に更なる地獄への幕開けに過ぎなかった。
オークたちが立ち上がる。
その瞬間には、癒えるそばから、また別方向で新たな傷が増えていく。
立ち昇る炎の壁が軍勢の連携を物理的にも心理的にも分断し、一歩も引かぬ壁となる。
泥臭くも狡猾なゴブリンの群れが、死すら恐れずにオークたちの進路を塞いでいる。
背後からはトビーによる執拗な投擲が、まるで雨のように騎士の隙を突いて飛ぶ。
絶えず付与される状態異常と、それを強引に打ち消す聖光の攻防が極限の速度で繰り返される。
戦場のあちこちで、小さなダメージが積み重なっていく。
つまり、エルーサは。
“全部を見なきゃいけない”。
「ゲヒャヒャヒャ!!」
主人の意図を汲み取ったのか、トビーの表情は今や完全に狂気のノリノリ状態だった。
トビーは瓦礫の陰から、石や短剣や鉄片を投げ続けている。
しかも、狙いが本当に嫌らしい。
ベルナデッタの視界をふさいだかと思えば、剣筋の隙間、突然エルーサに無視できない石が飛ぶ、さらに関節、傷口、右脚。
逃げ場を封じるように、彼は徹底的に狙い澄ましている。
ヒュンッ、ヒュンッ!!
ベルナデッタの動きが、少しずつ荒れる。
エルーサを守る。
トビーが鬱陶しい。ミーナの炎も飛んでくる。ゴブリンが群がる。
少しずつ前線が広がり、戦場全体が、徐々に制御不能なほど“忙しく”なっていく。
そして俺は、その混乱の中心で炎の中で全てを見透かすように笑っていた。
《誘惑》発動。
またオークたちの視線がこちらへ寄る、自ら炎の中に身を投じていくオークたち。
今度は、エルーサが即座に解除しない。
一瞬、ほんの一瞬だけ。
聖女の判断が、盤面の過密さに耐えきれず迷った。
どこを優先する? 炎上しているオーク? 脚を折られた前衛?
状態異常? ベルナデッタの援護?
全部を守ろうとしている。
全部を救おうとしている。
優しい、だからこそ。
その慈愛の心ゆえに、彼女のタスクは限界を超えて忙しくなる。
「……さぁ」
俺はゆっくり笑う。
オークの剣を棘メイスで受け止めながら。
火花を散らしながら、尻尾を揺らしながら。
「聖女」
エルーサの瞳が、こちらを見た気がした。
その瞳は怯えていた、いや、違う。
自分の救済が間に合わないことへの、根源的な焦りだ。
「忙しくなってきたでしょう?」
夜の闇を突き破り、迸る炎が戦場を赤く染め上げながら蹂躙する。
苦悶に満ちたオークの悲鳴が、絶え間なく続く地獄の調べとして響き渡る。
執念深く絡みつくゴブリンの群れが、一秒ごとに軍勢の体力を削り取っていく。
トビーが放つ悪意に満ちた投擲が、ベルナデッタの美しき剣筋を無様に狂わせていく。
聖女が紡ぎ出す必死の祈りが、か細い光となって空虚に響き続ける。
だが光が届くそばから回復の余地を奪い、新たな苦痛が刻まれていく。
癒える暇もなく刻まれるまた傷の山が、敵の戦意を確実に内側から腐らせていく。
猛威を振るう炎の壁が、もはや物理的な障壁として兵たちの退路を断っていた。
混乱に乗じて放たれたまた誘惑の香りが、オークたちの理性を甘美に引き裂いていく。
あちこちで沸き起こる叫びの声が、もはや統制を失った地獄の狂騒曲と化していた。
戦場全体が、少しずつ“管理しきれない量”へ膨れ上がっていく。
俺は確信していた。
聖女エルーサ、あなたは優しい、だから。
目の前で傷ついた同胞たちを決して見捨てられない。
なら、次は……戦場のどこでオークが傷つくかな――?