作品タイトル不明
配信者としての一日
新しい力、ゴブリンマスターを試したい、試したいけど、そういうのこそ配信でやるべきだと釘を刺された「ぐ、ぬうぅ」となりつつもバーでの夜は『リエラちゃんねる』のふたりで、スクショをSNSに載せつつ、翌朝リエラのリアルを生配信をするという予告で締めた。
いいですか、今が一番大事な時期です!と何度も言われ、それは俺も実際分かっているため若手有能プロデューサーに全面的に従うことにする。
翌朝。
アラームの無機質な電子音を無意識にタップして止め、重たい瞼をゆっくりと押し上げた。
カーテンの隙間から差し込む二月末の淡い陽光が、まだ少し薄暗い部屋の中へ細長い筋を作り、その光がピンク色の間接照明と混ざり合うことで、俺の部屋は朝なのにどこか夢の中みたいな色合いをしていた。
エアコンから吹き出す微風の音が微かに響いており、どうやらタイマー設定していた暖房はしっかりとついているらしい。
だが、それでも布団の外へ出た瞬間、むき出しの脚へ触れる空気はひやりと冷たく、俺は思わず「ぅぅ……」と小さく呻きながら、もこもこの部屋着の袖へ指先を半分埋め込んだ。
この身を包んでいるのは、急激な冷え込みに耐えかねて最近ネット通販でポチったばかりの冬用ルームウェアだ。雪のように真っ白な色合いを基調にした、まるでマシュマロみたいに指が沈み込むふわふわの生地が素肌に心地よい。
デザインのせいなのか俺の今の体格のせいなのか、袖が少し長めに作られていて、指先まで伸ばすと自然とあざとい萌え袖になってしまう。
しかも左の胸元には、ブラウンカラーの小さなクマのワッペンがちょこんと縫い付けられており、大きな胸との対比になっているというか、そのファンシーなワッペンの小ささこそがサイズの比較表の役割を果たしている。
すべてはミーナによる完全監修の賜物だ。
……でも、ミーナは外さない、客観的にリエラが何を着ていてほしいかを一番理解している。洗面所の鏡を見た時に「うわ、普通に似合ってるな」と自分でも思った。たぶん俺ではこの選択肢は出てこなかった。それにこの生地が信じられないくらい暖かくて実用性抜群なせいで、こちらとしても強気に出るメリットもない。
「……ふわぁ、よく寝たような、寝足りないような……」
大きく欠伸をしながらベッドへ腰掛けると、長い金色の髪の毛が肩を滑り落ち、寝起き特有のぼんやりした頭のまま胸元を整える。
目覚めたばかりの朝の身体は、まるで鉛でも飲み込んだかのように妙に重く感じられる。
いや、熱があったり風邪を引いているというふうに、別に体調が悪いわけじゃないのだ。
物理的な質量として、特定の部位が純粋に重いのである。
主に、俺の視界の端を常に遮ってくるこの立派すぎるMカップという前側のふくらみが。
「パラメーター補正ほしいなんて、贅沢よね……」
ただでさえ寝起きで頭が働いていない状態なのに、この不釣り合いな重りのせいで立ち上がる際のバランスを取る難易度が無駄に高い。最近ようやく派手に転びはしなくなったものの、それでもベッドから急に立ち上がろうとすると、重心が前に持っていかれて「おっと」とよろける瞬間は普通にあるのだ。
俺は枕元に転がっていたぬいぐるみを抱え、そのまま配信機材の前へ移動した。
肌を白く飛ばしてくれるリングライトの電源を入れ、高画質のWebカメラの位置を微調整し、流れる文字を追うためのコメントモニターを立ち上げる。メイクはしていないためいわゆる胸元配信というやつだ。
ミーナから指示があるのは朝のちょっとした雑談配信、それから夜のメイン配信。
まだ表向き配信者としては2日目の朝だというのに、さんざんミーナとの特訓リハーサルをしたせいで手慣れたものになっている。
こう言った生活の全てが、確固たる“俺の日常”になり始めていることへの少しの戸惑いと、同時に胸の奥からじわじわと湧き上がる少しの高揚感が入り混じっていた。
「……よし、やりますか」
俺は口元を小さな拳で隠し、えへん、と軽く咳払いをする。
寝起きの喉がまだ少し掠れていて、その声が妙にリアルな朝感を出していた。
深呼吸を一つ挟んでから、マウスのポインタを動かして『配信開始』のボタンをカチリとクリックした。
画面が切り替わったその瞬間。
『おはようございます!!!!』『朝だああああ』『え、生リエラ様!? てっきりアバター配信かと!』『かわいい』『寝起き助かる』『ぬいぐるみ抱えてる』『萌え袖で死んだ』『臣民、起床』
待機していたリスナーたちのコメント欄が、滝のような勢いで一気に流れ始めた。
時計の針はまだ出勤や通学前の早朝を指しているというのに、目で追うのがやっとのコメント速度は明らかに頭がおかしい。
俺はぬいぐるみを抱えたまま、少し眠そうな顔でカメラを見る。
「……ごきげんよう、早起きな臣民たち。こんな朝早くからご苦労様なことね」
『うおおおお』『生リエラ様からしか得られない栄養がある』『助かる』『朝からでっっっっか』
おい最後、しれっとセクハラ発言を混ぜるな。
だがまあ、怒る気にもなれない。
客観的な事実として、今の俺にはそれを否定できるだけの要素がまるでないのだ。
ゆったりとした分厚い部屋着越しでさえも、はっきりとシルエットがわかるレベルなのだから、いじられるのもある程度は仕方ないしなんならこれを売りにせよとお達しが来ている。仰せのままにマイプロデューサー殿。
俺は少しだけ頬を掻きながら、小さく息を吐く。
「それじゃあ、朝の身支度のお供にでもしてちょうだい。リエラのおはよう配信、始めるわよ」
俺の宣言に合わせて、コメント欄が歓声の絵文字とともにまた弾かれたように流れる。
その熱量を感じながら、俺は抱えていたぬいぐるみを膝へ置き、脚を軽く揺らした。
「改めて言うのもなんだけど、昨日の初配信は本当にありがとね。みんなのおかげで盛り上がったわ」
濃厚すぎた昨日の出来事が、脳裏を駆け巡る。画面を覆い尽くすほどボス戦の威圧感。それを文字通り喰い破った捕食スキル。トップ配信者であるミルキーやネネとの突然のコラボ。そのどれもが現実離れしていて、全部がまだひりひりとした熱を持ったまま、俺の頭の奥へ鮮明に残っているのだ。
「みんなが声援をくれたおかげで、無事にあの厄介なボスが倒せたわ」
そう言った瞬間。
『おっ』『デレた』『感謝助かる』
俺の素直な感謝の言葉に反応して、ニヤニヤしているのが目に浮かぶようなコメントが大量に流れる。
俺はそこで、はっとしたように顔を上げた。
「あ! か、勘違いしないでよね」
わざとらしく、ほんの数秒だけ一瞬の間を作る。
それから、少し拗ねたような表情を作ってカメラを軽く睨みつけた。
ほんの数秒すっぴんだが素顔を配信に乗せる。
「別に、あんた達のおかげで勝ったわけじゃないんだからね! 私の実力なんだから!」
そしてカメラの画角を元に戻す。放送事故に見せかける、偶然のハプニング。
これが数秒だけでもあるから視聴をやめられないという視聴者の心理を突いたミーナ直伝うんぬんかんぬん。
『忘れてた?』『今一瞬顔映らなかった?』『ツンデレ営業助かる』『完全に後付けツンデレで草』
「ち、違うわよ!? 忘れてたわけじゃないわよ、ほ、本当のこと言っただけなんだから!」
図星を突かれて焦ったせいで、思わず語尾の声が情けなく裏返ってしまう。
くっ、リスナーのコメント、最初から解像度が高くないか? こいつら昨日からのファンのはずだよな……。なんでこう長年連れ添った友達みたいな感覚なんだよ……、全然いいけど。
俺が気を抜いて自然体で素直に喋れば喋るほど、「しまった、キャラ設定を忘れていた」と焦って“あとから慌ててツンデレを足してる感”が完全にバレ始めているのだ。
だが、からかわれていると分かっていても、この温かい反応自体は全く嫌じゃないのだ。
むしろ、朝の空気の中でこうやってコメントを眺めている時間が、少し心地いい。
「で、本題に入るけど。その配信のあと、ミーナとゲーム内の酒場で打ち合わせしてたんだけどさ」
俺は髪を耳へかけながら続ける。
「私が渋ってたスキルポイント、ケチってないでパーッと全部使っちゃおうって話になってね」
『またミーナPだ』『有能プロデューサー』『全部使うの!?』
「言われた通りに振ってみたら、なんか見たこともない面白いスキルツリーが出てきたから、今日の夜の配信でさっそくそれで遊んでみるわね」
その言葉を聞いた瞬間、コメント欄の空気が「おおっ」と期待と不安の入り混じったものにざわついた。
『新スキル!?』『サブミ進化!?』『絶対ろくでもない』『拘束強化やめろ』
そんな感じで夜配信の告知をして、ほぼ役割を終えた朝の雑談配信枠は残りの時間をつかい、ゆったりとした朝の配信の空気に浸っていた。
ただ、この時の俺は、全く知らなかったのである。数時間後に相棒のミーナが満面の笑みで見せてくる、数字に貪欲すぎる“サムネ”の恐るべき狂気を。
「というわけで、みんなもよかったら夜の二回目配信、絶対観にきてね。待ってるわよ」
俺が改めてそう言って小さく手を振ると、コメント欄はまた『行く!!』『絶対見る!!』で埋まり、その勢いを見ながら、俺は自然と笑っていた。
――そして、太陽が真上に昇った昼下がり。
若者たちでごった返す池袋駅前。
二月末の空気はまだ冷たいが、昼間の街にはどこか春前の浮ついた空気が混ざり始めていて、駅前を歩く人々の服装も少しだけ軽くなっている。
俺は冷たい風から身を守るように白いロングコートの袖へ手を半分埋め込みながら、元気よく歩くミーナの隣を少しの気恥ずかしさを抱えて、差し出されたミーナの腕にしがみついて歩いていた。
だ、だって相変わらず何もないところで転びかけたり、それを見越してミーナが気を使ってくれたり……、だから大学一年生の女の子にエスコートされてるとか、ちょっとどこか情けない状況になっていても……、これは移動効率の問題なのだ。
さて、気を取り直して、今日のメインの予定は、昨日の歴史的な初配信の“リザルト確認”を行うことだ。オンラインじゃないのは、リエラちゃんねるの戦略のひとつ。ミーナが春休みのうちに出来るだけリアルでも動いて“素材”つまり、自撮りとか、インフルエンサー的な立ち回りも行って様々な活動の布石を打っておく。現状のリエラブランドの強みはNPCに見える程現実離れした容姿だけど実在するという、ギャップにこそあるのだから。
と、初回放送はどれだけ同接があったか、どれだけメンバーが加入したかという、リアルな数字の答え合わせである。そのご褒美として、ミーナが「話題のパンケーキのお店予約しました!」とか言い出したので、今こうして女子人気100パーセントみたいなスイーツ店へ向かっている。
正直なところを白状すると、俺は甘いものは全然嫌いじゃない。むしろ、かなり好きと言っても過言ではない。社会人の頃から、こういう可愛らしいカフェやスイーツ店には、密かにちょっとした憧れを抱き続けていたのだ。
でも、仕事終わりの男がフラリと入るには、あまりにもハードルが高く、ちょっとやそっとの勇気では、くぐれない外観をしている店が多いのでコンビニスイーツが癒しだったのである。
つまり今の俺は、この可愛い女の子の姿という免罪符を利用して、“今できること”を恥も外聞も捨てて全力でやっている状態だ。人生、何が起こるかわからないのだから、楽しめる時にとことん楽しむべきだ。
「リエラさん、見てください!」
ミーナが嬉しそうにスマホを差し出してくる。
なになに、パンケーキのメニュー写真かな?ミーナの腕越しにひょこっと顔を出す。
「移動中にサクッと作っちゃいました! 今日の夜配信のサムネ、完成しましたよ!」
そっちかい、にっこにこである、ミーナの顔を見てこっちも思わず笑顔になる。
「相変わらず仕事が早いわね……どれどれ」
俺は立ち止まり、ミーナが誇らしげに掲げるスマホの画面を覗き込んだ。
そして、その直截的すぎるキャッチコピーを目にした瞬間、俺の思考と足は完全にピタリと止まった。
そこには、俺とミーナのキャラクター立ち絵の横に、極太の目立つフォントでこう刻まれていた。
【くっ……! 女の子2人パーティでオークダンジョンに……!】
――という、完全に数字を狙い撃ちしたサムネが表示されていた。
「…………ちょっと、ミーナさん?」
「はい! 何か直すところありますか!」
「あなた、数字のためなら、自分の尊厳すら売り飛ばすくらい全くブレないわね……」
「プロデューサーとして当然の嗅覚です!」
迷いのない即答だった。しかも、胸を張ってものすごく誇らしげなドヤ顔を向けてきている。俺はもう、ツッコむ気力も失せて完全に言葉が出なくなってしまった。
「……サムネはもうこれでいいわ。それよりあのパンケーキ、めちゃくちゃ美味しそうねぇ……」
露骨に話題と意識をパンケーキへと持って行った。
厚みのある黄金色のふわふわ生地。熱で絶妙にとろけ出す濃厚なクリーム。酸味と甘味が想像できる艶やかないちごソース。そこに添えられた丸いバニラアイス。全てが完璧なバランスで配置された、まるで魔法のようなキラキラした見た目。