軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エクストラスキル

――そこから先は、わりと真面目に地獄だった。

いや、「わりと」とか前置きしてる時点で全然わりとじゃない。むしろ全力で地獄だ。訂正する。完全に地獄だった。

縁に指をかけて、どうにか意識を繋ぎ止めていた俺の身体に、あの紫色の液体――夢魔の蜜油とやらは、容赦なく絡みつき続けてくる。さっきまでは「なんか変な風呂に入れられた」くらいの認識だったのに、今は違う。明確に“攻められている”。

温度は変わらない。ぬるいままだ。だが、そのぬるさが逆に逃げ場をなくす。熱いならまだ拒絶できる。冷たいなら反射的に身を引ける。けれどこれは、そのどちらでもない。肌と同じ温度で、境界を曖昧にしながら、じわじわと内側に入り込んでくる。

触れられている。

撫でられている。

いや、もっと直接的に、感覚を“いじられている”。

「……っ、う、ぐ……!」

声にならない音が喉から漏れる。肺に空気は入っているはずなのに、うまく吐き出せない。呼吸のリズムが狂う。胸が上下するたびに、あの厄介な重量が遅れて揺れて、そのたびに液体がまとわりつく範囲が変わる。

そして――その変化に合わせて、感覚が跳ねる。

「だからそこ重点的に触るなって言ってるだろおおおお!」

誰に向かって叫んでいるのか分からないが、叫ばずにはいられない。むしろ叫んでないと意識が持っていかれる。

液体は俺の言葉なんて聞く気は一切ないらしく、むしろ「そこが弱点なんだな」とでも言わんばかりに、同じ場所を何度もなぞってくる。しかも一定のリズムじゃない。ゆっくりかと思えば急に強くなったり、完全に離れたと思った瞬間に別の場所に移動したり、予測ができない。

くすぐったい。

苦しい。

でも、その中に確かに「気持ちいい」と感じてしまう部分があるのが最悪だ。

「……やめろ、そういうの混ぜるな……!」

自分の身体なのに、自分で制御できない感覚がある。これが一番怖い。意識は嫌がっているのに、身体の一部がそれを受け入れてしまっている。脳と神経が喧嘩しているみたいだ。

《感度の上昇を確認しました》

頭の中に、例の無機質な声が響く。

その瞬間――

「――っ!?」

全身を電流が走ったみたいに、感覚が跳ね上がる。

さっきまで「くすぐったい」で済んでいた刺激が、「無視できない」レベルに引き上げられる。触れられている場所が、まるでそこだけ別の生き物みたいに主張してくる。

「ちょ、待て待て待て待て! ダメだって範疇、超えそうだから!」

抗議の声を上げるが、当然聞き入れられるはずもない。

むしろ、それを合図にしたかのように、液体の動きが一段と活発になる。波打つ表面が細かく震え、俺の身体にまとわりつく層が厚くなる。

時間の感覚が、曖昧になる。

どれくらい経ったのか分からない。

一分かもしれないし、一時間かもしれない。いや、体感的にはもう半日くらいここにいる気がする。けれど、そんなはずはないとどこかで分かっている。

分かっているのに――

《感度の上昇を確認しました》

また、声が響く。

そのたびに、世界が一段階“濃く”なる。

空気の重さ。液体の粘度。触れられる感覚。全部が増幅される。さっきまで耐えられていた刺激が、急に耐え難いものに変わる。

「……っ、う、あ……!」

指に力を込める。

縁にかけた手が、唯一の支えだ。これを離したら終わる。そんな確信がある。だから、どれだけ感覚が暴れても、ここだけは絶対に離さない。

爪の先に、じんわりとした圧がかかる。痛みはないが、確かな抵抗がある。その“現実的な感触”が、かろうじて意識を繋ぎ止めてくれる。

「……営業のノルマより……きついんだが……!」

ふと、そんなことを思ってしまう。

いや、比較対象おかしいだろ。なんでこの状況で営業時代の苦労思い出してるんだ俺は。でも仕方ない。人間、極限状態になるとどうでもいいこと考え出すって聞いたことあるし。

だが、その「どうでもいいこと」が逆に救いになる。

意識がそっちに逃げる。

ほんの一瞬だけ、今の状況から距離を取れる。

その隙に、また次の波が来る。

《感度の上昇を確認しました》

「もうやめろって言ってるだろおおおおおお!」

叫ぶ。

叫んで、叫び疲れて、また波に飲まれる。

それを何度繰り返したか、もう分からない。

やがて――

限界が、来る、来てしまった。身体が、ではない。

意識が、だ。

ふっと、力が抜けそうになる。指にかけていた力が、緩む。

「あ……」

まずい。

分かっているのに、力が入らない。

その瞬間。

《エクストラスキルの付与を完了しました》

無機質なシステム声が、響いた。

同時に――

液体の動きが、止まる。

ぴたりと。

今まであれだけ執拗に絡みついていた感触が、嘘みたいに静まる。残っているのは、全身に残る余韻と、荒くなった呼吸だけ。

「……は……?」

何が起きたのか、一瞬理解できない。

ただ、静かだ。

さっきまでの“地獄”が、急に終わった。

その静寂の中で、もう一度、声が響く。

《エクストラスキルの獲得に成功しました》

《エクストラスキル:体液吸収》

「……は?」

また同じ反応しか出てこない。

体液吸収ってなんだよ。

ネーミングどうにかならなかったのか。もっとこう、かっこいい感じにできなかったのか。

そんなことをぼんやり考えていると――

腰のあたりに、違和感が走った。

ぞくり、とした、さっきとは違う種類の感覚。

背骨の下の方、尾てい骨のあたりが、内側から押されるような感覚がある。骨が軋むような、筋肉が引き伸ばされるような、説明しづらい圧迫感。

「……ちょ、待て、これ何」

思わず後ろに手を回す。

指先に、何かが触れ、ピクピクっと反応する。それと同時にゾワっと全身に鳥肌が立つ。

細くて、しなやかで、柔らかいが芯がある。

「……え?」

恐る恐る、それを掴む。

そして、ゆっくりと視界の前に持ってくる。

そこにあったのは――

先端がハートマークに彩られた、可愛らしい黒い尻尾だった。

「……は?」

いや、さっきから「え?」とか「は?」しか言ってない気がするけど、それでも言わせてほしい。

なんで尻尾が生えてるんだ。

しかも、動く。

意識を向けると、ぴくりと反応する。振ろうと思えば、ちゃんと動く。完全に自分の身体の一部として認識されている。

「……いや、待て待て待て」

情報が追いつかない。

女体化して? VRに入って? 変な風呂に入れられて? 耐えたらスキルもらって?

気づいたら尻尾生えてる。

「……俺、どこまで属性盛るんだ?」

ぽつりと呟いた言葉が、妙に現実味を帯びて響いた。

そして、その瞬間――

俺は気づく。ただの人間じゃ、なくなっていることに。