作品タイトル不明
大公開!リエラのコアスキル捕食と誘惑
嘆きの石窟へ向かう道中は、驚くほど普通に歩きながらコメントを捌く時間になった。
レアルタの街を出ると、石畳の整った通りはすぐに草の匂いが混じる街道へ変わり、夜の冷えた空気が肌を撫でるたびに、ゲーム内だと分かっていても妙に肺の奥がすっとするような感覚があった。空は現実の夜に合わせて暗く、けれど星の光は現実よりもずっと鮮明で、草原の先に見える森の影や、遠くの岩場の輪郭が、月明かりを受けて青白く浮かび上がっている。
「えーっと……『リエラ様、ほんとにNPCじゃないんですか?』ですって」
俺は配信ポットの方へちらりと視線を向けながら、半透明のコメント欄に流れていく文字をなんとか拾い、胸を張るように歩調を整えながら口元に笑みを作った。
「私はちゃんとしたプレイヤーよ。まあ、普通の冒険者と同じだと思ったら後悔するでしょうけど」
そう言うと、コメント欄が一気に加速し、《見た目リアル、マ?》《普通とは》《それがNPCっぽい》《声がよすぎる》《リエラ様かわいい》といった文字が流れていき、俺はその速度に内心で軽く引きながらも、表面上は涼しい顔を保つことに全力を注いだ。
それにしても、この配信ポットちゃんはめちゃくちゃ優秀である。
固定カメラのようにただ俺たちの後ろを追うのではなく、時には少し前に回り込んで俺の表情を正面から捉え、時にはミーナの後ろ姿越しに俺を映し、さらに草原を歩く二人とその背後についてくる冒険者たちを引きで見せるという、まるで熟練のカメラマンが複数人いるような動きを自律でこなしている。レンズらしき部分がふわふわと浮遊するたびに、小さな駆動音とも羽音ともつかない柔らかな音がして、その存在感はあるのに邪魔にはならないという絶妙な距離感を保っていた。
現実なら、この服装と靴でここまで歩いた時点で息が上がっていたかもしれないが、ゲーム内のリエラは体捌き補正と高いAGIのおかげか、草を踏む感触を足裏で感じながらもスムーズに歩き続けることができる。現実の俺は池袋駅を歩いただけで精神的にも肉体的にもボロボロになったというのに、こっちの俺は配信しながら草原を歩いているのだから、VRMMOの身体性能というのは本当に罪深い。
後方では、ミーナがついてくる冒険者たちをうまくまとめていた。
一般ユーザーはレアルタまで、そこから先は事前に許可を得た配信者や高レベル冒険者だけが同行できるように手配してあるらしく、何かトラブルが起きれば彼らがガードマンとして機能し、同時にそれぞれの視点で配信をしてリエラという存在を拡散する役割も持つという。
聞けば聞くほど合理的な布陣になっていた。リエラが有名人になってしまえばおいそれと手が出せない、実に効率的な考えだ。ミーナ、大学一年生なのに、やっていることが完全にイベント運営側のそれである。うちのプロデューサー、恐ろしい子。
そのおかげで、俺は臣民――もといリスナー対応に集中できた。
途中、コメントに「後ろの人たちも食べるんですか?」と流れた時には、さすがに足を止めかけたが、俺はぐっとこらえて髪を払う仕草でごまかしながら、配信ポットへ向かって微笑んだ。
「食べないわよ。今日は石窟の魔物がご馳走なんだから」
するとコメント欄は《今日は》《今日はって言った》《魔物がご馳走》《草》と騒ぎ始め、俺は自分の発言がまた妙な方向に燃料を投下したことを悟って、心の中で頭を抱えた。
そんなやり取りを続けているうちに、嘆きの石窟の入口が見えてきた。
岩壁の裂け目のように開いた洞窟の入口は、以前来た時と同じように、苔の緑と水の匂いをまとってそこにあった。入口付近の空気は外よりも冷たく湿っていて、近づくにつれて鼻先に濡れた石の匂いが届き、洞窟の奥からはぽたり、ぽたりと水滴が落ちる音がかすかに響いてくる。
「着いたわ、ミーナ」
俺が入口を見上げながら言うと、ミーナは隣に並び、配信ポットの位置をちらりと確認してから、完璧な従者の笑みを浮かべた。
「さて、入る前にステータスの一部を公開するわ、私、リエラのレベルは48」
「あ、私は37です!」
「あら、少し上がったのね」
「リエラ様ほどではありませんよ……!」
《嘆きって適正は?》《たしかフルパで30、35、40、ボスだけ45》《ふたりだとややきつい?》《お手並み拝見》
「では、リエラ様はいつも通りお願いします」
「……いつも通り、いいのね?」
思わず確認してしまった俺に、ミーナはにこりと笑って頷いた。
「はい、いつも通りで大丈夫です」
いや、いつも通りって、つまり大量に釣って、殴られて、燃やされて、食うという、冷静に言語化すると絵面が最悪なあの流れのことだが、本当にいいのか。配信的に。
「後ろの方達は、いくらピンチに見えても手を出さないで大丈夫です!」
ミーナは後ろについてきた配信者たちへ向かって、はっきりとした声で念を押した。
後方の冒険者たちの間に少しだけどよめきが走る。そりゃそうだろう。いくら事前説明があったとはいえ、今から何が起こるかを知らなければ、「ピンチに見えても助けるな」と言われても困るに決まっている。
「さ、行きましょう、リエラ様!」
ミーナは楽しそうにそう言い、俺の横へ一歩引いた位置で控える。
俺は深く息を吸い込み、洞窟の湿った空気を胸いっぱいに入れた。
「ええ、行くわよ」
◇
後ろについてきた人たちが、ミーナの言葉の意味を理解するまでに、そう時間はかからなかった。
三層へ向かうため、今回は余計な寄り道をせず、以前通ったルートをまっすぐ進んでいくことになる。淡く光る苔が岩壁を照らし、足元には細い水の流れが走り、洞窟の奥からは甲殻が岩を擦るような音や、何かが水面を跳ねる音が折り重なって聞こえてきた。以前よりモンスターの配置に変化はあるものの、大まかな地形は覚えているため、俺は迷わず最初の広い空洞へ向かう。
そして、そこにいたケイブシュリンプへ向かって、俺は赤いダーツを投げた。
ヒュン、と空気を裂く細い音がして、ダーツが甲殻に刺さる。
続けて、ロックリザードへ毒ダーツ。
さらに、水辺のスピアフィッシュへ赤いダーツ。
「えい、えい、えいっと」
軽い調子で投げているように見せながらも、実際には後ろのプレイヤーたちへ、ヘイトが流れないよう、いつもよりかなり丁寧に位置取りを調整していた。ダーツを当てる順番、立つ位置、逃げる方向、全部を頭の中で計算しながら動く必要があるため、見た目の気楽さに反して内心はかなり忙しい。
この洞窟の厄介な性質――リンク。
一匹に手を出すと、その周囲の別種族モンスターまで反応して群がってくる。普通のパーティなら事故要素でしかないその性質が、リエラにとっては最高の集敵装置になるのだが、配信者の同行者がいる今回は、なすりつけにならないよう細心の注意が必要だった。
「来たわね」
俺が後ろへ下がると、ケイブシュリンプ、ロックリザード、スピアフィッシュ、さらに天井からルミナスジェリーまで反応し、一斉にこちらへ向かって動き始めた。甲殻の脚が岩を叩く音、水しぶき、鱗が壁を擦る音が一気に膨れ上がり、洞窟の空気が急に騒がしくなる。
そして次の瞬間、俺はモンスターの群れにボコボコにされた。
「うわっ、絵面!」
誰かが後ろで叫んだ気がする。
確かに、絵面はやばい。
低身長の悪魔シスター美少女が、甲殻類やトカゲや魚に囲まれ、爪や尾や体当たりを浴びてぽよんぽよんと揺れている。ダメージ表示はほとんど意味のない数字しか出ていないが、視覚的には放送事故寸前の光景である。
コメント欄も当然荒れる。
《どうすんだよこれ》《ボコられてる!?》《いや効いてる感じしないぞ》
《後ろの配信者どよめいてるww》《タンクなの?餌なの?》
失礼な。餌じゃない。
捕食者である。
とはいえ、このままだと群れの一部が後方に抜ける可能性があるため、ここで出番になるのが、あの時に得た派生スキルだった。説明には相変わらず『魅惑の芳香で誘惑』いまいち謎の説明が書いてあるけど……ヘイト管理スキルとかそういうものかな……?多分。
俺はモンスターの攻撃を受けながら、片手を胸元へ添え、もう一方の手を軽く広げた。
「誘惑――《テンプテーション》」
声に出した瞬間、俺の周囲にハートマークにも、ピンク色の靄にも見えるエフェクトがふわりと広がった。
甘い匂いがした。
いや、実際に匂いがあるのかは分からない。けれど、鼻の奥に花と蜜を混ぜたような柔らかい香りが漂い、同時に空気が少しだけ熱を帯びたように感じられた。
範囲内のモンスターたちが、一斉に俺を見る。
さっきまで単純な敵意で襲ってきていた目が、さらに強烈な執着へ変わり、理性のない魔物たちが狂乱するように俺へ向かって押し寄せながら、同士討ちを始める。
あ、あれ、向かってくるまでは理解できたけど、あれ、同士討ちするの?
なに「私を取り合ってケンカしないで」って感じのスキルだった?
「は、はいはい、あんた達落ち着いて。ミーナ!」
「はい! ファイアーウォール!」
ミーナの声が響き、次の瞬間、洞窟の空気が爆ぜた。
ドッゴォ、ドゴオオオ!!
聞いたことのない重い音が、岩壁を震わせる。
以前のファイアーウォールは、ごう、と燃え上がる壁という印象だった。しかし今のそれは、壁というより炎の塊が地面から噴き上がったような迫力で、赤と橙と金が混ざった炎が一気に空洞を埋め、湿った岩の匂いを焼き払いながら熱風を叩きつけてきた。
そして当然のように、俺ごと焼いた。
《リエラ様ごと焼いたァァア!!》《2連発しなかった?クールタイムおかしくない?》《え、味方燃えてる》《大丈夫なの!?》《これがいつも通り……?》
コメント欄は阿鼻叫喚だったが、俺は炎の中で目を細めながら、内心では別の意味で驚いていた。
えっと、聞いたことない音してるんだけど。
なに? ミーナ、強化した? ま、まぁあの日レベル上がったきりスキル振りとかの見直し、一緒に考えれなかったし? この準備で俺、それどころじゃなかったし?
でも、熱は熱いが、やっぱりサウナはサウナだった。
VITの暴力によって、肌を炙るような熱を感じても、ダメージは許容範囲に収まっている。むしろ、炎の中で髪が揺れ、シスター服の金装飾が赤く照らされる様子は、配信ポットがやけにいい角度で撮っているのが分かってしまい、俺は表情を崩さないことに集中した。
弱ったモンスターから順に、尻尾が反応する。
以前の体液吸収とは違う。
進化し、統合されたスキル――《捕食》。
俺の尻尾の先が、黒と紫の光を帯びながら開き、燃えた魔物へ次々と食らいつく。
バクバクバクバクバクッッッ!! は、っやくね!?
視聴者に吸収取得ログは見えていない。だが、俺の視界には容赦なく流れる。
《VIT+1 HP+3》《AGI+1 HP+2》《VIT+1 HP+3》《AGI+1 HP+2》
は? 吸収効率、爆上がってない?
食べる速度もおかしい。前は一匹ずつ、啜るように時間がかかっていたのに、今は焼けた順から尻尾が流れるように捕らえ、嚥下の感覚も一瞬で終わる。味は、火の通った海鮮と爬虫類の香ばしさが混ざったような、妙に豪華な石窟プレートといった感じで、脳が「これはおいしい」と判断する前に次の獲物へ移ってしまう。
火力が上がっているのに撃ち漏らしがない。
高速で、グロい尻尾がブルンブルンと動いている。
あの……ゲーム壊れちゃった? いや、それは後だ。
今は配信に集中。リエラ様に集中よ、俺。
《きた、捕食祭りだ!》《うわ、これか!》《生で見たかった!》《俺を食ってくれ!》《尻尾えぐいのにかわいいの何?》
コメント欄の倫理もだいぶ壊れているが、今さら突っ込んでいる余裕はない。
俺は炎の中からゆっくりと歩き出し、最後の一匹を捕食し終えると、口元に手を添えて上品に微笑んだ。内心心臓バクバクだし、なんなら今すぐ検証したい、けど……ここは当たり前、ごくごく普通の光景として処理しよう。
きっと後でミーナがうまくやってくれる、うん、きっと。
「ご馳走様。いい火具合よ、ミーナ」
「恐れ入ります」
ミーナは従者らしく一礼し、その表情の奥にほんの少しだけ誇らしさを滲ませた。
「さ、この調子で行きましょう」
そこからは、もはや一種のショーだった。リエラがボコされる。誘惑でタゲ固定と一部モンスターを発狂させてその隙をミーナが燃やす。リエラが食べる。
その繰り返しに、コメント欄は盛り上がり、一部はドン引きし、後ろの配信者たちは「これがいつも通りなのか……」という顔で黙ってついてきていた。
そして、以前も出会った例のロックグリズリーの出現地点へ差しかかった時、空洞の奥から低い唸り声が響いた。
巨大な影が、ゆっくりと立ち上がる。
石の突起を背負った熊型モンスター、ロックグリズリー。
以前の個体より強いのか、それとも群衆や配信の熱気に当てられたのか、その目には明らかに警戒と怯えが混じっていた。けれど、石窟の捕食者としての意地なのか、ロックグリズリーは体を大きく見せるように前脚を広げ、喉を震わせて威圧の唸りを上げる。
「……来たわね」
俺は胸を張り、つかつかと歩いていく。
ロックグリズリーが前脚を振り上げた瞬間、俺はその内側へ滑り込んだ。
ニュルリ、と。
スライムボディの軟体性が相手の毛皮と岩の突起の間を滑り、サブミッションの補助が関節の位置を見せてくれる。
腕へ絡む。体重を乗せる。力の向きを変える。
まるで小枝をへし折るように、滑らかに制圧する。
ロックグリズリーの巨体が揺れ、続けざまにもう片方の腕、片足、反対の足へと俺は流れるように移動した。視聴者からは一瞬の連続動作に見えたかもしれないが、俺の中では相手の力の流れを一つずつ読み取り、逃げ場を塞ぎ、支点を奪っていく感覚があった。
「ファイアアロー! ファイアーボール! ファイアーアロー!」
ミーナの火魔法が(なんか連続詠唱で)飛んでくる。
炎が熊の身体を包み、焦げた獣の匂いが洞窟の湿気と混ざって漂った。
数秒。たった数秒だった。
さっきまで石窟の捕食者だったクマは、高レベルでもない二人の冒険者――いや、リエラとミーナの前で抵抗らしい抵抗もできず、焼かれ、制圧され、そして俺の尻尾へ呑まれた。
《STR+6 HP+30》
見えたログに、俺は内心でガッツポーズをした。
STR美味しすぎない!?
視聴者には見えていない。
だから、俺はただ配信ポットに向かってにっこりと微笑むだけにした。
「ご馳走様」
コメント欄が爆発した。
《今の何?》《熊が秒で消えた》《ご馳走様じゃないんよ》《リエラ様やばすぎ》《ミーナの火力どうなってんだ》《詠唱短縮型か》《これ伝説の初配信では?》
俺はその流れを横目で見ながら、静かに息を吐いた。まだ三層には着いていない。
けれど、すでに空気は完全にこちらのものだった。