軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

一晩で拡散されていた件

[レアルタでやばいNPCみつけた]

[条件不明の特殊クエストなんだって?]

[喧嘩売ったプレイヤーレベル70が返り討ち]

[しかも瞬殺されてた]

[詳細くれ]

[魔法使いが麻痺→槍、剣使いが関節決められて麻痺→魔法使いが首へし折られて何か頭から喰われて→槍、剣も喰われた]

[釣りにしては盛りすぎww]

[動画あるよ→hppt:\\xxxtubexxx.xxxxx]

[関節技ってこんな強かったっけ?]

[マジやばかったよ、リエラ様。目が離せなかった……]

[ほい、ファンアート描いた]

[優秀]

[そもそも、NPCじゃなくね?]

[変なとこリアルなエタファンだぞ?あんな美少女アバターが現実にいてたまるかよ]

「ふわぁああ……」

大きくあくびを一つ。

カーテンの隙間から差し込む朝の光は、まだ眠気の残る部屋の空気を薄く白く染め上げている。光の帯の中でゆっくりと上下に揺れる埃の粒子を、焦点の合わない目でぼんやりと追いながら、俺は床に膝をついたまま段ボール箱のフタに手をかけた。

指先で押さえたフタは、思ったよりも軽く、そして拍子抜けするほど簡単に閉じてしまった。けれど、その物理的な軽さとは裏腹に、胸の奥には鉛を飲み込んだような重苦しさが沈んでいる。俺はその感覚を振り払うように少しだけ眉を寄せ、ガムテープを引き出した。

ぺり、ぺりり、と乾いた音が静かな部屋にやけに大きく響く。

中身は、何年も着古して襟元がすり減ったスーツや、かつての日常を回していたローテーション用の衣類たちだ。

少し前までの俺の「相棒」であり、そして今の俺にとっては、もう二度と袖を通すことのない「ぬけがら」でもある。

「……ありがとな」

無意識にこぼれた呟きは、冷たい空気に溶けるように広がって、壁にぶつかり微かに反響した。自分の声のはずなのに、どこか遠い他人のもののように聞こえて、俺は居心地の悪さにほんの少しだけ肩をすくめる。

テープを貼り終えるだけの単純な動作。それだけなのに、一つ一つの所作が「過去を切り離す儀式」のような重みを帯びて感じられ、肺の奥から溜まった息が深く漏れ出した。

ーーピロン。

スマホが軽い電子音を鳴らし、静まり返っていた部屋に波紋を広げる。

反射的に手を伸ばし、冷たいガラスの感触を掌で受け止めながら画面を点灯させると、そこにはエタファンの連動アプリからの通知が、まるで悲鳴のようにずらりと並んでいた。

《ミーナからメッセージが届いています》

「なにがあったんですか!?」

《ミーナからメッセージが届いています》

「大丈夫ですか!?」

《ミーナからメッセージが届いています》

「リエラさん!」

「ん……ミーナ?」

画面をさらにスクロールしていくと、「これ、私の電話番号です!」「すぐ連絡ください! お願いします……」という一文が飛び込んできた。

その瞬間、止まっていた思考が一拍遅れて現実を捉える。

(ちょっと待て、電話番号の共有? この子警戒心どうなってんだよあの子。……あ、そうか。リエラは女の子だから、向こうからすれば別に警戒する必要あんまりないのか……)

内心で全力のセルフツッコミを入れつつも、画面越しに伝わってくる彼女の切実な心配を無視することはできなかった。

文字の向こう側で彼女がどれほど狼狽しているかが目に浮かび、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。

どう考えても昨夜の決闘場での騒ぎだよなぁ。

「……やらかしたよなぁ、マジで」

小さく吐き捨て、消えかかった画面を見つめる。暗転したガラスに自分の顔がぼんやりと映り込み、そのあまりに整いすぎた「リエラ」の顔が、不安げに歪んでいるように見えた。

(もし、あれが原因でパーティ解消なんて言われたら……うう、嫌だな……)

情けないことに、視界が少し潤んでくる。

メッセージの最後に目をやる。どうする。いっそこのまま寝たふりをして無視するか?

一瞬だけ過った逃避の選択肢は、しかしすぐに霧散した。自分の中に芽生えた「この子を裏切りたくない」という真っ当な感情が、静かに、けれど強く根を張っている。

「……よし。電話、するか」

決意を口にすると、思ったよりも自然に腹が据わった。

震える指先で通話ボタンを押し、そのままスマホを耳に押し当てる。受話器から流れ始めた規則的な呼び出し音は、俺の心臓の鼓動と重なるようにリズムを刻んでいく。

プルル……プルル……。

一回、二回と音が鳴るたびに、胸が締め付けられるような緊張が広がる。たった数秒の時間が、永遠に続くリハビリのように長く感じられ、俺は無意識に息を止めていた。

――ガチャ。

「もしもし!? リエラさん!? リエラさんですか!?」

繋がった瞬間に飛び込んできたのは、焦りと安堵が限界まで混ざり合った、悲鳴に近い声。

そのあまりの熱量に一瞬だけ怯みそうになりながらも、俺は大きく息を吐き出し、口を開く。

「……ち、ちょっと、落ち着きなさいって」

わざと余裕を装った、少しだけ突き放すようなリエラとしての声音。

そう言いながら、自分自身に対しても「いや、俺も大概に落ち着け」と内心でツッコミを入れ、その絶望的なまでの温度差に苦笑する。

「大丈夫よ。ほら、ちゃんと電話できてるでしょ?」

続けてそう告げた瞬間、受話器の向こうから、ダムが崩壊したような大きな安堵の溜息が漏れ聞こえてきた。そのあまりにも分かりやすい反応に、俺はほんの少しだけ目を細める。

「よかった……ほんとに……リエラさん、もう……ログインしないんじゃないかって……私……」

震える声に含まれた想いの重さが、耳を通じて俺の胸の奥底へと落ちていく。

静かに広がっていくその暖かさに触れ、俺は確信する。

(……ああ。この子は、本気で俺を――リエラを、心配してくれてたんだな)

その事実をゆっくりと、噛み締めるように受け止める。

俺は言葉を返すタイミングを測るように一度だけ視線を落とし、そして、自分でも驚くほど穏やかな声で、再び口を開いた。

「……昨日の件なんだけど」

俺はとりあえず、何があったかとか事実ベースとして話を進めた。絡まれた、ミーナを含めて見下されたとかそういうことだ。その後捕食に進化したとかゲームの話は多分ミーナはあまり興味がない。そこはふわっと……。

電話越しにミーナの呼吸が少しだけ浅くなるのが分かって、俺はスマホを耳に当てたまま、段ボール箱の横に腰を下ろし、まだ片付け途中の部屋の空気をゆっくり吸い込んだ。

指先にはスマホの丸い角が当たり、手持ち無沙汰の片手で髪の毛をくるくるとしている。膝の上では大きすぎるパーカーの布がもたついていて、その全部が「ここはゲームじゃない」と主張していた。

「言い訳じゃないけど……腹立ったのよ」

そう口に出した瞬間、自分でも少し驚くくらい声が低くなった。

昨日の三人組の声、視線、言葉。ミーナや俺を戦力として値踏みするような態度。NPCかどうかも分からない相手を、便利な道具みたいに扱う言い方。全部が、思い出すだけで胸の奥に小さな棘を立てるように引っかかる。

「リエラさんは……私のために怒ってくれたんですか?」

ミーナの声は、いつもの明るさより少しだけ柔らかく、けれど確認せずにはいられないような震えを含んでいた。

俺は一瞬、言葉に詰まった。

電話越しだというのに、ミーナの赤い髪や、杖を握る時の真剣な顔がありありと浮かび上がってくる。昨日、ログアウト前に「また明日」と笑った彼女。その直後に、あいつらが現れたことを考えると、どうしても放っておけなかった。

「……まぁ、そうなるわね」

少しだけ照れくさくて、俺は視線を横へ逃がしながらそう答えた。

「それに、私たちだけじゃなくてNPCのことを下に見てるのもなんかムカついたし、とにかく全てがカチンと来たの。あいつら、相手がプレイヤーかNPCかで態度を変えていいと思ってる感じで、ああいうの、本当になんか嫌なのよ」

言いながら、自分でも不思議だった。

俺は元々、そんなに正義感の強い人間だっただろうか。営業時代は、理不尽な客にも頭を下げ、上司の無茶振りにも「承知しました」と言って、内心で盛大に毒づきながらも結局は飲み込んできた。なのに、リエラとしての俺は、昨日あの場で一歩も引かなかった。

もしかしたら、この身体とロールプレイが俺を少し変えているのかもしれない。いや、変えているというより、押し込めていた部分を前に出しているのかもしれない。

「まぁ、油断しててくれたとは言え、あんな弱いとは思わなかったけど……」

最後にそう付け足すと、電話の向こうでミーナが小さく息を呑んだ。

「弱い、ですか……レベル70超えの人たちを……」

「数値だけ見れば強かったんだろうけど、最初からこっちを舐めきってたし、杖使いを止めたら連携も崩れたし、あとは……サブミッションが思ったより対人で効いたわ、運が良かったのね」

思い返すだけで、手のひらにあの感触が蘇る。

相手の腕へ絡みついた瞬間の抵抗、骨格の向きが見えるような奇妙な感覚、スキル補助によって身体が滑らかに動いていく気持ち悪いほどの自然さ。痛々しい細部を語る気にはなれなかったが、あの時の自分が、敵を“処理”する方向に迷いなく動いていたことだけは否定できなかった。

ミーナはしばらく黙っていた。

電話の向こうから聞こえるのは、彼女の小さな呼吸音と、遠くで何かが動くような生活音だけだった。その沈黙は責めるものではなく、俺の言葉を一つずつ飲み込んで整理しているような静けさだったので、俺も焦らず、スマホを持つ手を少し持ち替えながら返事を待った。

「……分かりました」

やがてミーナは、落ち着いた声でそう言った。

「リエラさんが怒ってくれたことも、私のことを考えてくれたことも、嬉しいです。でも、それとは別に、今のリエラさんがものすごく目立っていて、たぶんゲーム内だけで済まないくらい注目されているのも事実です」

その言葉は、優しいのに鋭かった。

「そう……よね……」

俺は無意識に唇を噛み、部屋の中へ視線を巡らせた。詰めかけの段ボール。空き始めたクローゼット。昨日買った服を迎えるためだけに片付けられたスペース。会社へ戻ることすら想像できない現実。そこへ、ゲーム内で“やばいNPC”として拡散されているリエラの存在が重なる。

逃げ場が、少しずつ狭くなっている気がした。

「私も、覚悟を決めます」

ミーナの声が、さっきより強くなる。

「……覚悟?」

「はい。あの、直接会いませんか?」

「んえ……?」

思わず、変な声が出た。

スマホを耳から少し離し、画面を見て、もう一度耳に戻す。いや、聞き間違いじゃない。ミーナは確かに、直接会うと言った。

「リアルで!?」

「はい、リアルで」

「いやいやいや、自分で言うのもなんだけど、得体知れないよ、お、……私、いや、リエラは!」

慌てて言い直した瞬間、自分の中で“俺”と“リエラ”が妙に絡まっていることに気づいて、余計に変な汗が出た。

言いながら、自分の身体を見下ろす。自分にだって得体が知れてないんだから……!

パーカーの布が大きく膨らみ、細い脚が床の上で頼りなく見える。プラチナブロンドの髪は肩から滑り落ち、朝の光を受けて妙に綺麗に光っていた。自分で見ても、現実感が薄い。

「大丈夫です」

ミーナは即答した。

その声には、不思議なほど迷いがなかった。

「私には……考えがあるんです。言っても信じてもらえるか怪しいですが、悪いようにはしません。というか、今のままだと、リエラさんがログアウトする位置によっては、次にログインした瞬間に囲まれる可能性もありますよ?」

「……ぐ」

正論だった。

痛いところを突かれた俺は、喉の奥で情けない声を漏らしながら、昨日ログアウトした場所を思い出そうとした。ギルドを出たあたりでログアウトしたはずだ。つまり次に入れば、レアルタの街中。あの騒ぎの直後、掲示板で拡散された“リエラ様”が、街のど真ん中に再出現することになる。

最悪、見物人がいる。

もっと最悪、クラン関係者がいる。

さらに最悪、ミーナにも飛び火する。

「……ミーナの言う通りね」

認めるしかなかった。

ミーナは電話の向こうで少しだけ息を吐いたようだった。

「だから、ちゃんと相談したいんです。まだどうなるかわからない以上、ログインしないでもらえたら……もし上手くいけば全部解決します! リエラさんなら大丈夫だって分かっていても、私はやっぱり心配なので」

その言葉に、胸の奥がきゅっと縮むような感覚があった。年下の、それも大学一年生の女の子に、ここまで言わせている。

心配させて、連絡先まで渡させて、直接会おうとまで言わせている。

俺は、何をやっているんだろう。

いや、何をやっているかと言えば、女体化してVRMMOで捕食で急成長して掲示板でやばいNPC扱いされている。改めて文字にすると本当に終わっているな。人生の分岐ミス、まだ継続中である。

「覚悟決めないとね……」

思わず本音が漏れた。

誤魔化すように苦笑したその瞬間だった。

――ドスン。

廊下の方から、低く重い音が響いた。

続いて、もう一度。

――ドスン。

大きな段ボール箱が床に置かれる音。

その音は、玄関のドア越しでもはっきり分かるほど重く、部屋の空気をわずかに震わせた。俺はスマホを耳に当てたまま、思わず玄関の方を振り返る。

「わ……来た」

「何がですか?」

ミーナが不思議そうに尋ねる。

「昨日買った服」

答えた瞬間、妙に腹が決まった。

現実から逃げるためにVRへ潜り、VRで暴れた結果、現実で会う約束を迫られている。そしてその背中を押すように、現実で着るための服が届いた。

出来すぎている。けれど、今の俺には、その偶然がありがたかった。

「……いいよ」

俺はゆっくり息を吸い、冷えた朝の空気を肺の奥まで入れてから、スマホを握る手に少しだけ力を込めた。

「会おっか」

電話の向こうで、ミーナが息を止めたのが分かった。その沈黙は一秒にも満たなかったけれど、俺にはやけに長く感じられた。

「……はい」

やがて返ってきた声は、安堵と緊張が混ざった、けれど確かに前を向いた声だった。

「会いましょう、リエラさん」

その響きを聞きながら、俺は玄関の方へ視線を向けた。段ボールの中には、昨日選んだ服が入っている。

現実の俺が、初めて自分のために選んだ服。

それを着て、ミーナに会う。

たぶんこれは、ゲームの中で体験したイベントの何よりもずっと怖い。

でも、逃げるのはもうやめようと、俺は少しだけ震える指でスマホを握りしめながら、そう思った。