軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ヒミツの数値

サブミッション。

このスキルの正体について、後で掲示板を覗いたとき、俺は思わず真顔になった。

曰く、かなり謎数値判定らしい。

普通の攻撃スキルと違って、単純にSTRだけを参照しているわけではない。STR、AGI、VIT、そのあたりを複合的に見ているっぽい、という検証勢の書き込みがいくつか並んでいた。しかも、与えるダメージ自体も一瞬の大打撃というより、拘束中にじわじわ削るスリップダメージが本質らしい。

つまり、相手を押さえ込む。動けなくする。その間に継続的に削る。

なるほど、確かに納得の関節技だ。

でもリエラの謎火力の説明にはなってなかった。

と言うより説明文が「関節技」だけだったくせに、実際の処理はけっこう複雑じゃないか。運営くん、そういう大事なことは先に言ってくれ。

その謎火力の正体がわかるのはもっともっと先のことである。ここで少しだけ先の未来から今のリエラを俯瞰で見てみよう。

サブミッションのダメージ判定の発生に必要な数値はある隠しパラメーターである。

……それは体重。

体重がサブミッションの判定に絡んでいるらしい。

お気づきだろう。その体重が――VITの数値にかなり引っ張られているという。

つまり、この時の俺はまだ知らなかった。

自分の、リエラの体重が……すでに400キロ台に達していようとは。

……知らない方が幸せなこともある。

ともあれ、その時点の俺は、そんな恐ろしい真実など知る由もなかった。

興味、関心の先は、ただ一つ。

STRが上がった。

STRが、上がったのだ。

「ふふ……」

嘆きの石窟の中層へ続く通路を歩きながら、俺は何度目か分からない笑みをこぼしていた。

「ふふふ……!」

「リエラさん、ずっと笑ってますよ」

隣を歩くミーナが、少し困ったように言う。

彼女の赤い杖の先端には、小さな灯火が宿っていて、薄暗い岩道をほのかに照らしている。嘆きの石窟の中層は、入口付近よりさらに湿気が濃く、壁一面に厚く苔が生えていた。淡く光る苔の緑と、ミーナの杖の赤い光が混ざって、周囲はどこか幻想的な色に染まっている。

足元では細い水が流れ、靴底にひんやりした感触が伝わる。遠くからは水の落ちる音が反響して、ぽつん、ぽつん、と洞窟全体に広がっていた。

そんな神秘的な景色よりも、今の俺の頭の中はSTRでいっぱいだった。

「だってSTRよ?」

俺は胸を張った。

「ずっと上がらなかったSTRが、ついに上がったのよ?」

「は、はぁ、それは分かりますけど……」

「これは歴史的瞬間よ」

「たぶんリエラさんの中ではそうなんですね」

温度差がある。でも仕方ない。

ミーナは知らないのだ。俺がこれまでどれだけVITとHPばかりを押し付けられてきたか。どれだけ運営に向かって「STRください」と祈ったか。どれだけポイズンニードルやダーツの1ダメージと向き合ってきたか。

その積み重ねの果てに、ようやく手にしたSTR+1。

たった1。されど1。

「この調子でいけば、私もいずれ剛腕悪魔シスターになれるかもしれないわ」

「方向性がどんどん迷子になってませんか?」

「いいのよ、強ければ」

「リエラさんって、たまにすごく単純ですよね」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

俺は軽やかに一歩を踏み出す。

いや、実際、足取りが軽い。体捌きの補正もあるし、レベルも上がっている。嘆きの石窟に入ったばかりの頃より、明らかに身体の扱いが楽になっていた。シスター服のチェーンが歩くたびにしゃらりと鳴り、尻尾の先端のハートが機嫌よさげに揺れる。

中層へ入ると、モンスターの気配がまた変わった。

上層は水辺と苔が中心で、モススライムやスピアフィッシュ、ケイブシュリンプ、ジャイアントクラブなど、いかにも水場にいそうな相手が多かった。

だが中層は、もっと生態系が濃い。

水場は相変わらずある。岩の隙間には小型のクラブが潜み、浅い水路では銀色の魚影が走る。苔むした壁にはロックリザードが張り付き、天井近くにはルミナスジェリーが淡く光りながら漂っている。

そして、それらを狙っているのだろう。

さっきのロックグリズリーの小型版のクマが、ちらほら現れるようになっていた。

表示名は《ストーンベア》。

ロックグリズリーほど巨大ではないが、それでも十分大きい。毛皮は茶褐色で、背中に小さな石の突起がいくつかあり、鼻先を水辺へ向けてふんふんと動かしている。設定上は、この海鮮モンスターたちを餌にしているのかもしれない。

「食物連鎖ね」

俺はそれを見て、しみじみと言った。

「そうですね。自然ダンジョンらしいです」

ミーナも真面目に頷く。

俺はもう少しだけ真面目な顔を作ってから、ぼそっと続けた。

「つまり、あのクマも海鮮を食べて育った旨味の塊……」

「リエラさん」

「冗談よ」

半分くらいは。

ストーンベアがこちらに気づく。

低く唸り、前脚で地面をかいた。湿った岩床に爪が当たり、がり、と嫌な音が響く。獣臭が空気に混じる。海鮮系モンスターの淡い水っぽい匂いとは違う、強い生き物の匂いだ。

「試すわ」

俺は一歩前に出た。

「サブミッションですね?」

「ええ」

「燃やすタイミングは?」

「HPが赤くなったらお願い」

「了解です。生ジビエ回避ですね」

「よく分かってるじゃない」

「分かりたくなかったです」

ミーナはそう言いつつも、もう杖を構えている。頼もしい。本当に頼もしい。火力担当であり、調理担当である。本人には絶対言わないけど。

ストーンベアが突っ込んでくる。

ロックグリズリーより小型とはいえ、迫力は十分だ。足音が重く、洞窟の床が震える。岩壁から水滴が落ち、視界の端で光る。

俺は正面から受けず、斜めに踏み込む。

体捌きの補助が、身体の動きを滑らかにしてくれる。相手の前脚が振られる直前、肩の入り方が見える。爪の軌道が読める。大きく避ける必要はない。ほんの少し、角度をずらすだけでいい。

毛皮の匂いが鼻を掠めるほど近い距離で、俺はその腕へ絡みついた。

「よい……しょっと!」

腕を取る。手首を捻る。肘を極める。

体を密着させ、重心を乗せる。

ゴギャッッ

鈍い音がして、ストーンベアのHPが削れた。

「やっぱりダメージが入ってますね!」

ミーナが声を上げる。

俺も口元が緩む。この感覚、悪くない。

ポイズンニードルの1ダメージとは違う。魔ダーツの状態異常とも違う。自分の身体で相手を制し、相手の動きを奪い、そのまま削る。初めて“近接で戦っている”感じがした。

ただし、絵面はだいぶ独特だ。

悪魔シスター服の美少女が、クマの腕に文字通りぬるりと絡みついて関節を極めている。

何だこれ。

いや、今さらか。

ストーンベアが暴れる。

俺の身体は、その力に引きずられる前に、ニュルンと滑った。肩から背中、脇腹へ。スライムボディの軟体性が、相手の抵抗をまともに受けずに逃がしてくれる。

「本当に滑ってますね……」

「ローションみたいよね!」

「ロー……?」

そう言うがミーナの頭に「?」が浮かぶ。

「忘れなさいっ!」

その間にも、戦闘は進み俺は反対の腕を取る。

ゴギャ。

さらに足元へ回る。

ストーンベアはロックグリズリーほど耐久がない。サブミッションが決まるたびに、HPバーが分かりやすく減っていく。

やがて赤い領域へ入った。

尻尾がぴくりと反応する。

「ミーナ!」

「はい!」

ミーナはもう詠唱に入っていた。

「ファイアーアロー!」

赤い炎の矢が、ケイブベアの胴体へ突き刺さる。

ぼっ、と毛皮に炎が広がり、獣臭の中に香ばしさが混じる。正直、この瞬間だけは完全に料理の匂いだ。

「体液吸収!」

俺は尻尾を伸ばす。

がぶり。どくん。ごく。

「……うん」

ジビエだ。

癖はある。けれど、火が通っているおかげで飲める。いや、飲めるという表現自体が間違っている気もするが、少なくとも耐えられる。ロックグリズリーよりやや軽く、野性味は残りつつも、火入れでまろやかになっている。

《STR+0.3 HP+6》

「来た!」

俺は思わず拳を握った。

「STR!」

「おめでとうございます!」

ミーナも釣られて笑う。

STR+0.3。小さい。

でも大きすぎる。

このダンジョンは海鮮パラダイスであり、同時にジビエによるSTR供給源でもある。

「嘆きの石窟……恐ろしい子ね」

「なんで急に劇っぽいんですか」

「美味しすぎて」

「やっぱり味基準なんですね」

否定はできない。

その後も、俺たちは中層を進んだ。

海鮮系モンスターをリンクさせ、ミーナの炎で焼き、俺が吸収する。ストーンベアが出ればサブミッションを試し、赤くなったところで火を通し、また吸収する。

この流れが、とんでもなく噛み合っていた。

海鮮からはAGIやHPが伸びることが多い。

クマ系からはSTRが入る。

ルミナスジェリーからはMPが少し伸びることもあった。

ロックリザードはVIT寄り。

つまり、種類が多いぶん、伸び方も多彩だ。

今までスライムやゴブリンに偏っていた俺にとって、ここはまさに宝庫だった。

「……涎なしには進めないわね」

「そうですね、さっきからずっとでっぱなしです……ふふ」

ミーナがハンカチを差し出してきた。

やめなさい。優しさが刺さる。

そんな調子で進んでいると、当然ながらミーナの経験値もすごい勢いで増えていった。

俺が集める。ミーナが焼く。

吸えるものは俺が吸うが、討伐経験値はパーティに入る。しかも中層のモンスターはゴブリンより経験値が高いらしい。リンクでまとめて処理している分、効率も跳ね上がっている。

休憩中、ミーナがステータスを見て固まった。

「……リエラさん」

「なに?」

「私、レベル35になっちゃいました」

「……」

「私は23よ?」

俺も固まった。レベル35。

朝までレベル19だった子がどんな経験値の入り方をしたらそうなるのか……。

ゴブリンの洞窟を越えて、嘆きの石窟を進んで。

もう35。

「うーん……成長期ね」

「そんな軽い言葉で済みますか!?」

ミーナの声がひっくり返る。

いや、分かる。意味が分からない。俺も分からない。でも結果は結果だ。

「まあ、ほら」

俺は少し考えてから、胸を張った。

「火魔法を極めたミーナ様が強いということよ」

「リエラさんが大量に集めてくるからですよ!」

「相性が良すぎるのね」

それは本当にそう思う。

俺は耐える。集める。拘束する。吸う。

ミーナは焼く。燃やす。削る。ときどき俺の食生活を救う。

この組み合わせ、想像以上に危険だ。

効率が良すぎる。

「……でも、少し休憩しましょう」

ミーナはステータス画面を閉じながら言った。

「MPも減ってますし、私も頭が追いつかないです」

「そうね」

俺も頷く。

浮かれているが、疲れはある。戦闘そのものは大きな危機が少ないとはいえ、誘導、吸収、指示、マッピングを同時にやっている。集中力は確実に削れている。

俺たちは苔の光る岩場の近くで腰を下ろした。

水の流れる音が静かに響く。

遠くで、何か甲殻が岩を擦る音が聞こえる。

鼻の奥には、火を通した海鮮の残り香と、湿った石の匂いが残っていた。

俺はぼんやりと地図ウィンドウを確認する。

中層の地図は、かなり埋まっている。

クエストとしても順調。

冒険としても順調。

食材探索としては、あまりにも順調。

「……ねえ、ミーナ、私、このダンジョン、大好きよ」

「理由は聞かなくても分かります」

ミーナが呆れながらも笑う。

その笑顔を見て、俺も笑った。