軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

VS……ジューシーなゴブリン

右側のホブゴブリンのHPが、じわじわと赤い領域へ沈んでいった。

ミーナのファイアーボールを真正面から受けた巨体は、岩床の上でよろめき、片膝をつきかけながらも、まだ棍棒を握りしめていた。普通のゴブリンならとっくに灰になっているだけの火力を受けても、ホブゴブリンはしぶとい。焦げた毛皮の匂いと、焼けた布のような臭いが熱気に乗って鼻の奥へ入り込み、洞窟の湿った空気と混ざって、なんとも言えない生々しさを作っている。

松明の炎が壁で揺れ、影が踊る。その中で、ホブゴブリンの巨体がぐらりと揺れるたび、床に散った小石がかすかに跳ねた。

俺はもう一体のホブゴブリンの棍棒を斜めに受け流しながら、横目でHPバーを確認していた。

残り一割。

ここまで削れば、もう押し切れる。

そう思った、その瞬間だった。

ーーぴくり。

お尻のあたりが、むず痒くなった。

「……ん?」

戦闘中だというのに、妙な感覚に意識を持っていかれる。尾てい骨の奥から、くすぐったいような、引っ張られるような感触が走る。それは痛みではない。むしろ、何かに反応しているような、期待しているような、妙に生き物じみた感覚だった。

ーーぴくぴく。

尻尾が動いている。

「……え、行けるの!?」

思わず声が出た。

俺の視線の先で、ホブゴブリンの身体から赤い粒子混じりの液体が噴き出していた。炎で焼かれ、毒で弱り、身体のあちこちからダメージエフェクトが発生している。その赤いしぶきに、俺の尻尾が反応している。

つまり。液体。

つまり。吸収対象。

「リエラさん!?」

ミーナの声が後ろから飛ぶ。

俺は答える余裕もなく、目の前のもう一体の棍棒をぼよよ〜よん、となおかつしっかり受け止めながら、半ば本能的に前へ踏み出した。

胸元が大きく揺れる。いや、今それどころじゃない。視界の端で主張してくる暴力的な二つのお山に一瞬だけ意識を奪われかけたが、違う。違う違う。反応しているのはそこじゃない。尻尾だ。尻尾がビクンビクンッと、明らかに「いけます!」と言っている。

いや、尻尾に人格を生やすな俺。

でも、いける。絶対にいける。

「体液吸収!」

叫ぶと同時に、尻尾の先端のハートがどす黒く変色した。

ぱかり、と四つに裂ける。

何度見ても食虫植物じみた、愛らしさとグロテスクさが全力で喧嘩している形状。その口が、燃えながらよろめくホブゴブリンの脇腹へ、がぶりと食らいついた。

次の瞬間、喉の奥へ何かが流れ込んでくる。

どくん。ごく。ごきゅ。

「……ん?」

覚悟していた。

ゴブリン系の、あの鉄臭くて、土臭くて、正直もう二度と味わいたくない感じの何かが来ると思っていた。

だが、違った。

「……あれ?」

喉を通る感覚は相変わらず強制的で、嚥下回避不可の理不尽仕様だった。口を通っていないのに味だけが脳に直接叩き込まれる、あの逃げ場のなさは健在だ。

しかし。

「なんだ……あれ、あれあれあれ?」

香ばしい。

焦げた脂のような匂い。炭火で焼いた肉の表面みたいな、ほんのり苦くて、でも食欲を刺激する香り。鉄っぽさはある。獣臭さもある。だけど、それが炎で焼かれたことで、妙に“料理寄り”になっている。

これは。

「焼肉の味がする!!」

叫んでしまった。

ミーナが後ろで「ええ!?」と素っ頓狂な声を上げたが、今は仕方ない。だって焼肉だ。焼肉の味がするのだ。昨日までのゴブリン味はなんだったんだ。下処理なしの地獄だったのか。火を通せば世界は変わるのか。

ホブゴブリンの巨体が、炎に包まれながら急速に干からびていく。

筋肉の張りが失われ、手足が細くなり、棍棒を握る指がからからに乾いた枝のように縮む。最後には赤黒い粒子となって崩れ、火の粉に混じって空中へ散った。

頭の中に、システムログが響く。

《ホブゴブリンを吸収しました》

《VIT+1 HP+10》

「……あの」

俺は一瞬、真顔になった。

「意地でもSTRくれないのね」

心からのツッコミだった。

いや、嬉しい。VIT+1は嬉しいし、HP+10もありがたい。だが違う。毎回言っている気がするが、俺はそろそろSTRが欲しい。せめて二桁へ。いや、もう二桁には近いけど、もっとこう、殴れる自分になりたい。

だが世界は俺に硬くなれと言っている。

なるほど。

なら硬くなってやろうじゃないか。

「リエラさん、後ろ!」

ミーナの声で我に返る。

残ったホブゴブリンが棍棒を振り上げていた。仲間を吸われた怒りなのか、それとも単純にヘイトが溜まり切っているのか、目を血走らせてこちらへ突っ込んでくる。

俺は咄嗟に身体を横へ流したが、完全には避けきれない。棍棒の先端が脇腹から胸元にかけて重く叩きつけられ、身体が横へ弾かれる。さっきとは違う、ぼこんという、打撃をもろに喰らったヒット音。

ダメージは0。衝撃はある。

床の上を滑り、シスター服のチェーンが派手に鳴った。視界が一瞬揺れ、壁の松明の光が線になって流れる。

「もう、せっかく余韻に浸ってたのに!」

俺は起き上がりながら叫んだ。

美少女が棍棒で殴り飛ばされる絵面、心臓に悪すぎる。本人のHPが減っていないのが余計にシュールだ。観戦者がいたら絶対に悲鳴を上げるやつである。本人は「ぼごんで済んでます」とか言ってるけど、見た目は完全に事故だ。

「ミーナ、もう一体も同じ流れで!」

「はい!」

ミーナの返事は力強かった。

俺は立ち上がり、残ったホブゴブリンの正面へ戻る。今度は正面から受け止めず、棍棒の軌道を読みながら少しずつ位置をずらした。攻撃が来る瞬間に足を引く。衝撃を斜めに逃がす。完全に避ける必要はない。大事なのは、吹き飛ばされてミーナの射線を塞がないことだ。

ヒュッ、と麻痺ダーツを投げる。ゴブリンの太ももに刺さる。

動きが鈍る。

「今!」

「ファイアーアロー!」

赤い炎の矢が、俺の肩越しに飛ぶ。

熱が頬をかすめた。ほんの一瞬、空気が焼ける匂いがする。炎の矢はホブゴブリンの胸に突き刺さり、赤い光を散らした。

ホブゴブリンが吠える。

その声は洞窟の天井に反響して、腹に響くほど低い。

俺はその咆哮を正面から受けながら、ポイズンニードルではなく毒ダーツをもう一本投げた。ダメージは相変わらず1。クリティカルで2。わぁい、強いゾォ。だが目的は毒だ。じわじわと削れ。燃える前に下味をつけておけ。

「リエラさん、次ファイアーボールいきます!」

「撃って!」

ミーナの杖先に、火球が生まれる。

それはさっきのファイアーアローよりも大きく、重く、見ただけで熱量が分かる。洞窟の湿った空気が押しのけられ、ミーナの赤い髪がふわりと浮いた。

「ファイアーボール!」

放たれた火球が、ホブゴブリンへ直撃する。

ズガーン、爆ぜた。

ごう、と炎が広がり、巨体を包む。焦げた匂いが一気に濃くなった。岩壁に赤い影が踊り、ミーナの顔を照らす。彼女の目は真剣で、昨日の怯えはもうない。

いい顔だ、と思った。

俺はその炎の中へ、半歩近づく。

尻尾が、また反応していた。

ぴくぴく。

「……はいはい、分かってるわよ」

もう迷わない。

HPバーは一割を切っている。

ホブゴブリンは燃えながら、苦しげに棍棒を持ち上げようとしている。だが遅い。ミーナの火力と毒と麻痺で、動きはもうボロボロだ。

「体液吸収!」

尻尾が伸びる。黒い影が伸びあ〜〜ん、がぶりと齧り付く。燃えるホブゴブリンを啜り、吸う。

どくん。ごきゅ。ホブゴブリンの全身から一気に力が抜け、だらり、と両手を下げる。

ごとり、と大きな音がして魂とも言える大きい棍棒がその手から落ちる。

そして――

「……やっぱり焼肉の味だ」

確信した。炎魔法のおかげだ。とんでもない革命である。

今までの俺は、食材を生でいっていたのだ。いや、モンスターを食材扱いするな。するなよ。でも、システムが味を返してくる以上、そこは避けられない問題だ。

火を通せば、味が変わる。

つまり、ミーナの炎魔法は火力であり、範囲攻撃であり、そして俺の吸収体験を劇的に改善する調理工程でもある。

「……ミーナ……様」

「えっ?」

ミーナがきょとんとする。

俺は燃え尽きて粒子になっていくホブゴブリンを見つめながら、心の底から思った。

もうミーナちゃん、いやミーナ様なしでの冒険は無理かもしれない。

火力がある。範囲がある。そして肉を焼いてくれる。

これ以上の相棒がいるだろうか。いや、いない。

《ホブゴブリンの体液を吸収》

《VIT+1 HP+10》

ログが流れる。またSTRはない。もうそこは諦めよう。今日のところは。

「リエラさん、す、すごいです」

ミーナが小さく息を吐いた。

その声には、達成感と安堵が混じっていた。彼女の肩から力が抜け、赤い杖の先が少し下がる。

俺も笑った。

「当然よ。このリエラ様とミーナ様のコンビなんだから」

「あ、あの、なんでミーナ様なんですか……?」

「あなた、焼いてくれるから」

「理由が変です!」

そんなやり取りをした、ほんの一瞬。

喜びも、安心も、香ばしい焼肉革命への感動も。

すべて吹き飛んだ。視界の奥。

麻痺が解けかけていたゴブリンシャーマンが、杖を掲げていた。

しまった。ホブゴブリンと焼肉に意識を取られすぎた。

骨と羽根で飾られた杖の先に、赤い火球が生まれている。ミーナのそれよりも不安定で、どこか黒ずんだ炎。洞窟の空気が嫌な熱を帯び、肌が粟立つ。

「リエラさん!」

ミーナが叫ぶ。だが、もう遅い。

シャーマンのファイアーボールは、すでに放たれていた。

赤黒い火球が、俺の眼前に迫る。視界が炎で埋まる。

反射的に腕を上げると、シスター服の金のクロスチャームが、炎の光を弾いた。

「――っ!」

俺は歯を食いしばった。次の瞬間、ボンッッ!と火球が目の前で爆ぜた。