軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ふたり、オレンジの記憶

空気を読んでか、会話が途切れるちょうどいいタイミングで出されたオレンジジュースのグラスを傾けた。

オレンジジュースは、想像していたよりずっとちゃんとしていた。もっとこう、ゲームっぽい記号的な甘さを想像していたのに、口に含んだ瞬間にまず来たのは、みずみずしい酸味だった。舌の上で弾けるような柑橘の香りが広がって、続いてやわらかな甘みが追いかけてくる。冷たさも絶妙で、喉を通るときにひやりとした感覚が胸の奥まで落ちていく。

「……おいしい」

思わず素で呟いてしまった。

いや、これは仕方ないだろ。だって本当にうまい。ここ数日、喉に直接流し込まれていたのはスライムの洗剤味とか、ゴブリンの鉄臭い何かとか、そういう“飲食物ではないもの”ばかりだったのだ。そこにきてこの清涼感。文明の勝利だ。フルーツ万歳。バー最高。人類は柑橘を発明した時点でかなり偉い。

どうやらその感動がそのまま顔に出ていたらしい。カウンター越しのランタンの光に照らされたミーナが、くすりと笑った。

「ふふっ」

「なによ」

ちょっと気恥ずかしくなって、わざとらしく顎を上げる。ツンデレお嬢様モードである。便利だなこれ。照れ隠しの言い訳として万能すぎる。

ミーナはグラスの縁に指先を添えながら、楽しそうに目を細めた。

「いえ。なんか、よかったなって」

「……何がよ」

「リエラさん、さっきまでゴブリンとか、ネームドとか、すごいことしてたのに、オレンジジュースでそこまで幸せそうな顔するんだなあって」

「そりゃするわよ!」

思わず乗り出してしまった。

「あなた、モンスターの体液を喉に直接流し込まれる生活してみなさいよ! まともな味がどれだけ尊いか分かるから!」

言ってから、はっとする。

だいぶ情報量の多いことをさらっと言ったな今。

だがミーナは少しだけ顔を引きつらせながらも、真面目に頷いた。

「……たしかに、あれは見てるだけでもだいぶきつそうでした」

「見てるだけでしょ。こっちは実食してるのよ」

「実食って言い方だと余計に嫌ですね……」

「私だって好きでやってるわけじゃないのよ!」

いや、ちょっと楽しんでる節はあるけど。強くなるから。

でも味の面で言えば、断じて好きではない。そこだけは譲れない。

そんなやり取りをしながら、俺たちはテーブルの上に浮かぶウィンドウを順番に操作した。

パーティ申請。フレンド申請。

相手の名前を確認して、承認する。

ミーナの指先が光に触れるたび、薄い青色のエフェクトがふわりと揺れて消える。俺の方でも同じように操作すると、視界の端に《パーティが結成されました》《フレンド登録が完了しました》といったログが順番に流れていった。

「……これで正式、か」

ぽつりと呟く。

ログの文字は淡々としているのに、その意味は思ったより重い。

ソロだった俺に、初めて“固定で一緒に動く相手”ができたのだ。

経験値もドロップも山分けになる。戦闘の責任も分担される。つまり、良くも悪くも“ひとりじゃなくなる”。

それは少しだけ不思議で、少しだけ心強かった。

「よろしくお願いします、リエラさん」

ミーナが、改めて小さく頭を下げる。

その声には、さっきまでの緊張よりも、ほっとしたような柔らかさがあった。

「よろしくね、ミーナ!」

俺もそう返して、グラスをもう一口あおる。

うまい。

やっぱりうまい。

バーの中の空気もいい。木の匂い、食事の香り、ガラス越しに揺れるランタンの灯り。プライベートエリア設定のおかげで他の客の気配が薄く、俺たちの会話だけが静かに場を満たしている。

こういう時間、久しぶりだな、と思った。

VRMMOに入ってからというもの、俺はずっと“次に強くなるため”だけに動いていた。起きて、狩って、吸って、強くなって、また狩る。バーでジュースを飲みながら今後のことを話すなんて、ようやくVRMMOらしいことをしている気がする。

……いや、その直前までやってたことが殺伐としすぎただけか。

「それで、早速、今後のパーティの方針だけど……」

俺はグラスを置いて、改めてミーナを見る。

「私に火力は期待しないでね!」

いくらVITとHPとAGIがそこそこ盛れてきたとはいえ、打点の低さはどうしようもない。ポイズンニードルと状態異常に頼る戦い方は悪くないが、それだけで全部を解決できるほどこのゲームは甘くないだろう。特に今後、毒が効きにくい相手や、状態異常耐性持ちと当たったらだいぶつらい。

だからミーナの存在は大きい。

火力。範囲。中距離。きれいに欲しいものを持っている。

「あの戦い方だけじゃ分からないけど……私のステータス、異常なのよね」

自分で言って、自分でちょっと笑う。

異常にバランスが悪い。頭でっかち脳筋というか、いや脳筋ですらないか。脳筋ならSTRが高いはずだし。硬いだけの変態タンク? 吸収型お嬢様? 何だそれ。ただ見せたら驚かれるというか引かれるというか、スキル欄に自分でも説明できないものがいくつもある……どうするべきか、としばし間を伺っていると。

「……リエラさんのは、見せなくていいです」

ミーナが真顔で言った。

「え?」

予想外すぎて、素で聞き返してしまう。

ミーナは困ったように眉を下げたが、その目は真剣だった。

「なんか……攻略の仕方が、根本から違いそうなので」

「たし……かに?」

「はい。モンスターを吸収するとか、聞いたことないです」

きっぱり言われた。まあ、そうだろうな。

というか、あの風呂に沈められて、感度だのなんだのを引き上げられた結果として生えてきた尻尾のスキルなんて、普通のビルド表に載ってるとは思えない。攻略Wikiに「おすすめ初期育成:夢魔の蜜油に数時間浸かる」とか書いてあったら嫌すぎる。

ミーナはグラスを両手で包み込むように持ちながら、少し声を落とした。

「しおしおに枯れていくゴブリンをこの目で見た今も、正直まだ信じられないくらいです……」

「言い方」

思わずつっこむ。

でも、まあ、そう見えるよな。乾燥わかめみたいな感じで縮んでいくし。言われてみればだいぶ嫌なビジュアルだ。

ミーナはそこで少しだけ笑ってから、すぐに表情を引き締めた。

「同時に、前衛としてのリエラさんは多分ですけど、尋常じゃないです。だってあの戦闘中回復しました?」

「してないわね」

「必要なさそうに見えました、タンクって通常、後衛の支援があって初めて真価を発揮する、とも聞いたことありますし。まぁそれは後衛にもいえたことですが……」

真っ直ぐに、そう言う。

その声にお世辞っぽさはなかった。ただ見たままを言っているだけの響き。

「もしかしたら、私なんて要らないかもですが……」

そこで一瞬、言葉が弱くなる。

「少しでも、お役に立ちたくて……」

その言い方に、俺は思わず眉を上げた。

なんだそれ。

さっきまで命がけで頑張ってたやつが、何を言ってるんだ。

「そんなことないわよ」

即答した。ミーナが目を瞬く。

俺は椅子の背にもたれながら、少しだけ肩をすくめる。

「私、STR9なの、さっきも言ったけど火力がめちゃくちゃないのよ、ただグロい言い方をすると吹き出した血液は吸える。だからスリップダメージで相手を倒すってわけ……」

改めて言葉にすると悲しいな。

いやほんとに。VIT244のくせにSTR9って何なんだよ。

壁か。肉壁だな。動く肉壁だ。

「だから、ミーナが後ろにいてくれるのは、単純に嬉しいわ」

素直にそう言った。

ミーナの火力は、俺にとって本当にありがたい。毒と吸収だけでは、時間がかかりすぎる場面が必ず来る。そのときに確実に削ってくれる相手がいるというのは、大きい。

ミーナは少しだけ目を丸くしたあと、ほっとしたように笑った。

「あ、ありがとうございます……」

「つまりはお互い様ってわけ」

俺は指を一本立てる。ミーナの表情も少しだけ引き締まる。

「パーティは対等、遠慮したら許さないんだからね!」

改めて言っておく、対等になる、実際これは大事だ。お互いできないことを相手に任せるんだから遠慮なんてされたらたまったもんじゃない。

ソロなら好き勝手に振っても何とかなる。失敗しても自分だけが困るだけだ。だがパーティを組むなら話は別だ。役割が噛み合って初めて意味がある。

「前はリエラ様に任せなさい。その代わり火力はミーナ、あなたに任せるわ」

自然と、背中側の尻尾を意識する。

いまはハート型の先端が静かに揺れているだけだが、こいつは間違いなく俺の生命線だ。

そして……課題はヘイト管理、ミーナにタゲが行かないようにしなければならない。

「さしずめ私の頼りの綱は……このダーツね」

インベントリから、トビートミーの魔ダーツを一本だけ取り出す。

灯りにかざすと、その黒い金属部分がいやらしく光った。見た目からして善良さがない。完全に悪役の道具だ。

赤、黄色、緑。説明にはタウントダーツ、麻痺ダーツ、毒ダーツとある。ヘイト管理、状態異常、一通り揃っている。そしてトビートミーから吸収した状態異常強化。戦ってみないと分からないけど案外なんとかなってしまうかも。

投擲はやっと手に入れた念願の“攻撃系スキルツリー”だし、攻撃力は期待できなくても、ヘイト、毒と麻痺にできるというのは非常に大きい。

「今までの私、まともな遠距離手段ゼロだったから」

「たしかに、だいぶ世界が変わりそうですね」

ミーナが興味深そうにダーツを見る。

その目は、もう恐怖よりも分析寄りだった。魔法職らしいというか、知識欲が強そうだ。

「明日から試してみるわ。投擲スキルの使い勝手も見たいし」

「じゃあ、私も火力の出し方をもう少し調整しておきます。ファイアーウォールの置き方とか、リエラさんが前にいる前提で考え直さないと」

俺はしみじみ頷く。これこれ、パーティ、こういうでいいんだよ。

しばらくそんなふうに話していると、ミーナがふと視線を外した。

バーの壁際にかかった時計に目をやっている。

「あ、そろそろ時間です」

「時間?」

「はい、ログアウトの」

ああ、そうか。現実の時間。その単語に、一瞬だけ胸の奥がちくりとした。

俺はこの世界に入り浸りすぎていて、ログアウトという行為自体がなんだか遠く感じていた。でもミーナにとっては、ちゃんと“遊びの区切り”があるのだろう。普通はそうだ。たぶん。

「じゃあ、明日の待ち合わせ決めておきましょう」

ミーナが手元のウィンドウを開く。

「明日……というか次に入るのは、朝10時くらいですね」

「10時? ずいぶん早いわね?」

「あ、もう少し遅くできますけど」

「ううん、10時でいいわ」

俺は少し考える。10時にログインできる生活……あれ、明日って休日だっけ平日だっけ?曜日感覚もおかしくなってるな。

まぁでも、そのくらいなら問題ない。

現実側で多少何かあっても、合わせられるはずだ。

「場所は?」

「時計塔の前でどうでしょう」

レアルタの中央広場にある、あの目立つ塔だ。分かりやすいし、人通りも多い。待ち合わせにはちょうどいい。

「いいわ。時計塔に十時」

「はい」

その約束がログに残る。明日の予定はパーティとしての初日。

そう考えると、なんだか少しだけ胸が高鳴った。

ミーナは残りのオレンジジュースを飲み干し、グラスをそっとカウンターに戻した。

「今日は本当に、ありがとうございました」

改めてそう言って、少しだけ頭を下げる。ミーナ、なんて礼儀正しいいい子……。

「ふふんっ……いいのよ」

俺はわざとそっけなく返す。

「明日からちゃんと働いてもらうんだから」

「はい、ふふ」

ミーナが笑う。

その笑顔は、ダンジョンで見た青ざめた顔とは別人みたいに柔らかかった。

次の瞬間、彼女の姿が淡い光に包まれる。

ログアウトのエフェクトだ。

輪郭から少しずつ粒子になって、夜のバーの光の中に溶けていく。最後に赤い髪がふわりと揺れて、そして、すっと消えた。

静かだった。

さっきまでそこにいた温度が、椅子の向こう側からふっと抜ける。

俺はしばらく、その空いた席を見ていた。

「……さてと」

やがて、小さく呟く。

椅子から飛び降りる。床に靴が着く感触が、やけに軽い。

バーの柔らかな空気は心地よかったし、このままもう少しここにいたい気持ちもあった。だが、今日はまだ終わりじゃない。

やることがある。

まず、防具だ。

見た目だけでも整えたい。今日のギルドでのざわつきを思い出すと、本気でそう思う。中身がぽよんぽよんでも、見た目くらいは“ちゃんとしてる冒険者”に寄せたい。

それに、手に入れたばかりの魔ダーツも試したい。投擲スキルツリーの確認もしたいし、状態異常強化の手触りも知っておきたい。パーティを組んだからこそ、明日までに把握しておきたいことが増えた。

俺は会計を済ませ、店員NPCに軽く会釈してからバーの扉を押した。

夜のレアルタの空気が、また頬を撫でる。

外は少しだけ冷えていて、さっきよりも人通りは減っていた。けれど、街はまだ眠っていない。灯りは揺れ、遠くで誰かが笑い、どこかの店先から香ばしい匂いが流れてくる。

その夜の中へ、俺はひとり歩き出した。明日のために。

そして――たぶん、まだ少しだけこの世界に浸っていたくて。