軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

いざ行かんVRMMO「エターナルファンタジアオンライン」通称EFO

意識が沈み切る寸前、耳の奥で澄んだ音が鳴った。

それは金属でも電子音でもない、不思議と澄み切った、水滴が静かな湖面に落ちるような音だった。波紋のように広がるそれに合わせて、暗闇の中に薄く光が滲む。

――ああ、来たな。

頭のどこかで、冷静にそう思っている自分がいる。さっきまでの混乱も、女体化という意味不明な現実も、いったん脇に追いやられて、ただ純粋に「ゲームが始まる」という事実に集中している自分がいる。

現金なもんだな、と内心で苦笑する。

だが、しょうがない。これは一年待ったご褒美みたいなもんだ。血尿をにじませながら営業先を回っていた日々の、唯一の救いがこれだったんだから。

《ネクサス・ギア:ユーザー認証を開始します》

柔らかく、それでいて逃げ場のない声が、頭の内側から直接響いた。鼓膜を震わせるのではなく、脳に触れてくる感覚。ほんのわずかにゾワリとするが、不快ではない。むしろ、妙にリアルで、現実との境界が曖昧になる。

視界がゆっくりと明るくなる。

白とも青ともつかない、淡い光の空間。上下左右の感覚が曖昧で、どこまでも続くような無限の広がりがあるのに、不思議と不安はない。足元に意識を向けると、ちゃんと「立っている」感覚がある。重力もある。だが床は見えない。視覚と触覚がズレているのに、違和感がない。

……これ、脳が騙されてるんだろうな。

自分で自分にツッコミを入れながら、ゆっくりと手を動かす。

視界に映る手は――やっぱり、女の子のそれだった。

細くて、白くて、指が長い。爪はほんのりと艶があって、いかにも「整えられてます」って感じの形をしている。現実の俺の手なんて、乾燥でガサガサだったのに。なんだこの格差社会。

《脳波スキャンを開始します》

その言葉と同時に、頭の奥に軽い圧がかかる。

締め付けられるような痛みではない。ただ、奥の方を優しく押されているような、そんな感覚だ。こめかみの内側をなぞられるような、不思議な刺激が走る。

視界の中央に、細い光の線が現れた。

それは俺の輪郭をなぞるように動き、頭から足先までをゆっくりとスキャンしていく。レーザーみたいな光なのに、熱はない。ただ、触れられている“気がする”だけだ。

……なんか、全裸で健康診断受けてる気分だな。

いや、VRだから実際には脱いでないんだけど、妙に恥ずかしいのはなんでだ。しかも今の俺、現実でも女の子だし。いやいや、やめろ、そういうこと考えると変な方向に意識が行く。

《スキャン完了。アバター生成を開始します》

その一言で、空間がわずかに揺らいだ。

目の前の光が集まり、形を持ち始める。ぼんやりとした輪郭が、次第にくっきりとした“人の形”になっていく。

それを見て、俺は思わず息を呑んだ。

このゲームの仕様を、頭の中でなぞる。

VRMMOは基本的に、現実との乖離を極端に嫌う。身体のバランス感覚を保つため、アバターは現実の身体情報をベースに生成される。身長が三メートルになるとか、腕が四本になるとか、そういうのはNGだ。脳が混乱するから。

例外はある。VTuberみたいに、最初から“仮想の身体”で活動している特殊なケース。でも、俺は違う。どこにでもいる、ただの営業マンだ。

だった、はずだ。

「……いや、今は違うけどな」

小さく呟いて、苦笑する。

そうだ。今の俺は――どう考えても“普通”じゃない。

だからこそ、目の前で形になっていくアバターに、妙な期待と不安が入り混じる。

光が収束する。

そして――完成した。

「……………… ああ、まぁ、そうか。そうなるよなぁ」

間の抜けた声が出た。

目の前に立っているのは、間違いなく“俺”だ。

そう――低い身長。華奢な肩。細い腰。そして――視界の中心にどんと構える、圧倒的なデカメロン。

「……重そう」

まだキャラクリエイト空間内をふわふわと浮いている状態。なのにも関わらず、破壊力が違う。

光の粒子に包まれた状態でもわかるボリューム。

しかも顔。

いかにも「お嬢様です」と言わんばかりの整った顔立ちに、少しだけ吊り気味の目。口元はきゅっと結ばれていて、今にも「べ、別にあんたのためじゃないんだからね!」とか言い出しそうな雰囲気を醸し出している。

旧世代のゲームでかわいいキャラクリしました、でももう少し遠慮するぞ。

どこのアニメから抜け出してきたんだよ。俺の遺伝子、こんな方向性持ってた?

《現実の身体情報をもとに最適化されたアバターを作成いたしました》

システムボイスが、淡々と追い打ちをかけて、簡素な初期装備に包まれる。ごめん、包まれきってない。布、浮いてる。

最適化ってなんだよ。何をどう最適化したらこうなるんだよ。いやまあ、今の俺の現実の身体がこれだから、理屈としては間違ってないのかもしれないけど。

「……いや、納得いかねえ、いじれるところないのか?」

ぼやきながらも、電子の謎空間でアバターを歩かせる。

足音は軽い。現実の俺より、確実に体重が軽い。それでも踏み込むたびに、ちゃんと床――見えないけど――が反発してくる。膝の動きも自然だ。スカートの裾がわずかに揺れて、布が擦れる音がかすかに耳に届く。

この再現度、どうなってんだ。

五感が全部持っていかれてる。

「……まあ、いいか」

諦めは早い方だ。というか、ここで文句言ってもどうにもならない。

だったら、せめて楽しむ。

視線を上げて、アバターの髪に注目する。

プラチナブロンドの長い髪が、背中に流れている。光を受けてきらきらと輝くそれは、現実の俺のそれとほぼ同じだ。違うのは――このキャラクリ空間で唯一、自由にいじれる部分が髪型だけということ。

「……ツインテール、いっとくか」

自分で言って、自分で笑いそうになる。

いやでも、せっかくだし。こんな機会、二度とないかもしれないし。

意識を向けると、髪がするりと動いた。

まるで見えない手でまとめられるように、左右に分かれていく。耳のあたりで束ねられ、ふわりと跳ねる。

ツインテール。

完成したそれを見て、俺はしばらく言葉を失った。いや、顔がニヤけた。あまりの露骨さに。

「……強すぎない?」

語彙力が死んだ。

いやだって、反則だろこれ。元々の顔面スペックが高いのに、さらに属性盛ってどうする。これで「べ、別にあんたのためじゃないんだからね!」とか言われたら、普通に負ける自信がある。

誰にだよ。

自分で自分にツッコミを入れつつ、軽く頭を振る。

ツインテールが遅れて揺れる。ふわっとした感触が、首筋に触れて、くすぐったい。

……やばいな、これ。ちょっと楽しくなってきたかもしれない。

「……よし」

小さく息を吐く。

どれだけ状況が意味不明でも、やることは一つだ。

ゲームを始める。

そのためにここに来たんだ。

俺は一歩、前に踏み出す。

《キャラクリエイトを完了しますか?》

「イエス」

光の空間が、ゆっくりと反応するように揺れた。

その先に、広がる未知を感じながら――