軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

AGIは貴重です

「貴重なAGIィィィ!」

半ば絶叫しながら、俺は目の前に飛びかかってきたフォレストウルフの鼻先へ、ポイズンニードルを突き出した。

ぷすっ、という実に頼りない感触が手元に返る。

だが、その頼りなさとは裏腹に、針先はちゃんと刺さっていた。灰緑色の毛並みの間に、蜂の尻をそのまま武器にしましたと言わんばかりの不穏な針が、ちょこんと埋まっている。見た目だけなら「なんか痛そう」なのに、実際のダメージは1。相変わらず夢がない。

しかし今、俺が叫んだのはHPでもVITでもない。AGIだ。貴重なAGIである。

ゴブリンを初めて倒したあの日から、俺は少し――いや、かなりおかしくなっていた。

勝てたのだ。

あの、最初は1匹にすら返り討ちにされたゴブリンに、俺は勝てた。しかも、スライム1000匹分の苦行と、ぽよんぽよよんと攻撃を受け止めるスライムボディと、最後は尻尾で体液を啜るという、たぶん運営も想定しているのかどうか怪しい方法で。

普通なら、ここで一回落ち着くべきだったのかもしれない。ステータスを見直して、街へ戻って、装備や食料を整えて、それから堅実に次の狩場へ向かう。そういうのが、たぶん正しいVRMMOの遊び方だ。

だが、俺は違った。

いや、違ってしまった。

何しろ、殴られても減らないのだ。

最初は恐る恐るだった。ゴブリンを二匹相手にして、ぽよん、ぽよよん、と信じられないような音を聞きながら、「うわ、マジで減らない」と驚いた。次に三匹。五匹。十匹。

「……これ、どこまで耐えられるんだ?」

気づけば、そんなことを試し始めていた。

理性のある社会人ならブレーキを踏む場面だと思う。だが有給中の営業マン上がりで、リアルのストレスをゲームにぶつけている最中の俺に、そんなまともな判断力を期待する方が間違っている。

結果として、三体、十体、二十体。

気づけば、かなりの数のゴブリンだのバットだの、森にいる低レベル帯のモンスターだのに囲まれながら、俺は草原と森の境目をふらふら歩いていた。

そして、どれだけ殴られても――ダメージ表示は、0。

「……すご」

最初は感動した。次に笑った、けどすぐに慣れた。

慣れって怖い。

今ではもう、背中や肩や腰のあたりをぼこぼこと叩かれても、「はいはい、ぽよんね」としか思わなくなっている。いや、さすがに感覚はある。あるのだが、その感覚が完全に危機感へ繋がらない。やばい。これ絶対、別のゲームだったらタンクとして重宝されるやつだ。でもたぶん、ヘイト管理系スキルがないから味方が何かした瞬間にタゲ行って終わるやつでもある。つまり現状ソロ専用。

そんな愛しくも狂った日々の果てに、俺は森の奥で“いい感じの場所”を見つけた。

廃村だ。

木々の間を抜けた先に、ひっそりと朽ちかけた家々が並んでいた。屋根の抜けた小屋、壁が半分崩れた家、井戸の跡らしき丸い石組み。草に飲まれ、蔦に這われ、それでもかつて人が住んでいた名残だけは妙に生々しく残っている。

風が吹くたびに、割れた窓枠がかたん、と鳴る。

土と木と、少しだけ湿った苔の匂いが混ざる。森の中なのに、ここだけ妙に空気が澱んでいる気がするのは、気のせいじゃないだろう。

そして――いるのだ。

ゴブリンが。

妙にたくさん。

「……なんでここ、こんなにゴブリンいるんだ?」

最初に見つけたとき、本気でそう呟いたくらいには多かった。

朽ちた家の陰に一匹。井戸のそばに二匹。屋根のない家の中に三匹。ちょっと歩けば、また別の影が動く。まるで「廃村跡・ゴブリン団地」みたいな密度だ。運営の配置担当、ちょっと盛りすぎでは? いや、ありがたいけど。狩場としては非常にありがたいけど。

ともあれ、俺はそこを半ば拠点のように使うようになっていた。

廃村の広場っぽい場所へ適当にモンスターを引っ張ってきて、ぽよんぽよよんと攻撃を受けながら、片っ端からポイズンニードルで刺していく。毒にした順で弱っていき、いい感じにフラフラしてきたら、アイドルの握手会よろしく、一匹ずつ尻尾で啜る。

……冷静に説明するとだいぶ最低だなこの戦法。

でも、効率は悪くない。

俺自身はほとんど力を使わない。必要なのは、刺すことと、耐えることと、最後に吸うことだけだ。

最後の「吸う」が精神的に結構重いのだが、それももうゴブリンくらいなら慣れた。スライムの洗剤味に比べれば、まだマシだ。いや、どっちも進んで飲みたくはないけど。

ただ、今日は少し事情が違った。

俺の目の前にいるのは、フォレストウルフだ。

狼型モンスター。毛並みはくすんだ緑灰色で、森の影に溶け込むような色をしている。目は黄色っぽく、低く唸るたびに喉の奥が震えるのが見える。ゴブリンよりも明らかに素早い。動きもしなやかで、飛びかかるタイミングが嫌らしい。

そして、こいつから得られる上昇値の中に、AGIがある。

貴重だ。超貴重だ。

俺の今のビルドに最も足りていないもの、それが素早さである。いやSTRも足りてないんだけど、もうSTRは諦めの境地に入りつつある。針でちまちまやる現状、まず必要なのは「刺すまでに近づく速度」と「囲まれても捌ける最低限の身のこなし」だ。

だからこそ――

「貴重なAGIィィィ!」

叫ぶ。

突き出す。

ぷすっ。

「よし!」

手応えは相変わらず軽いが、確かに当たった。

フォレストウルフが身を引く。鼻先をひくつかせ、耳を伏せる。低く唸ったかと思うと、地面を蹴って横へ回り込んできた。

速い。

やっぱり速い。

ゴブリンと違って、こいつはぽよんぽよんの合間にちゃんと位置を変えてくる。前から来るだけじゃない。横から、後ろから、隙を狙ってくる。そのたびに俺も身体をひねるが、正直そこはまだまだ鈍い。ツインテールが遅れて揺れ、胸元の重みがワンテンポ遅れて重心を持っていく。あと一歩だけ速ければ、という場面が何度もある。

だが――

「痛く、ないし!」

がりっ、と牙が腕に当たる。

でも減らない。

ぽよん、と妙に丸い感触がして終わる。

狼相手に“ぽよん”って何だよ、というツッコミを入れたいが、もうこの身体においては当たり前の現象になりつつある。牙も爪も通らない。せいぜい「なんか押されたな」くらいの感覚だ。

フォレストウルフが訝しげに後ずさる。

そうだろうな。分かるぞ。俺だって逆の立場なら「なんだこいつ」って思う。

「ほら、もう一発!」

今度はこっちから踏み込む。

土を蹴る。草が散る。足首の動きはまだぎこちないが、前よりはずっとマシだ。ポイズンニードルを短く構え、相手の肩口を狙って突く。

ぷすっ。

「何度でも行く!」

フォレストウルフが吠え、身体を反転させて跳ぶ。毛並みが揺れて、鼻先から荒い息が漏れる。森の匂いに混じって、獣っぽい生臭さがかすかに鼻に届いた。ゲームなのに、この辺の再現度だけ妙に本気なのやめてほしい。いや、没入感としてはありがたいんだけど。

そのまま飛びかかってくる。

俺は半ば開き直って、腕で受けた。

どすっ。

ぽよん。

「うん、知ってた!」

身体は少し押される。でもそれだけだ。痛くはない。減りもしない。

こっちがやれることは一つ。

刺す。

ひたすら刺す。

ポイズンニードルで、ぷす、ぷす、と。

地道に。あまりにも地道に。

派手なエフェクトも、ド派手なスキル演出もない。あるのは狼の唸り声と、俺の「よいしょ」「あ、ちょ、待て」「そこか!」みたいな情けない声と、時々混ざるぽよんぽよよんという、やけにかわいい被弾音だけだ。

まるでBGMみたいだった。

廃村の真ん中で、ゴブリンたちに棍棒で叩かれながら、時々混ざるバットの羽音や狼の爪音を聞いて、俺はふと、これが妙に心地いいことに気づいてしまった。

「……いや、慣れすぎだろ俺」

自分で自分に引く。

普通、集団に囲まれてぽよんぽよよん殴られている状況を“心地いい”とは言わない。言わないはずだ。

だが、減らないのだ。

危険じゃないのだ。

むしろ「音ゲーの伴奏」くらいの感覚になってきている。背中でぽよん、肩でぽす、脇腹でぽよよん。リズムが妙に一定で、なんならそこに自分の針のぷすっ、ぷすっ、が入る。

……やばい。これ完全に変な遊び方を覚えてしまった。

フォレストウルフの動きが鈍る。

毒が入った。

よし、と思う。

あとはいつもの流れだ。

弱っていくのを待ち、いい感じのタイミングで尻尾を――と、そこまで考えたところで、別方向からゴブリンの棍棒が後頭部に当たった。

ぽよん。

「びっくりしたあ!」

ダメージはゼロだが心臓には悪い。いや心臓もダメージゼロなんだけど、気分的に悪い。

振り返ると、いつの間にか二匹ほど寄ってきていた。さらに少し離れた廃屋の陰にも、もう一匹いる。

「……やっぱ多いなここ」

半笑いになる。

多すぎるだろ。なんなんだこの廃村。ゴブリンたちにとって立地がいいのか? 井戸があるから? 雨風しのげるから? それとも元々この村、そういう設定のクエストでもあるのか?

風が吹く。

朽ちた家の屋根板が、ぎし、と鳴る。

目の前では、毒で弱ったフォレストウルフが低く唸り、横ではゴブリンが棍棒を振り回している。さらにその向こうで、別のゴブリンが何事か叫びながら走ってくる。

「……まあ、いいか」

口元が緩む。

考察はあとでいい。

今は――狩りだ。

俺はポイズンニードルを握り直し、尻尾がぴくりと嬉しそうに跳ねるのを感じながら、次の獲物へと身体を向けた。