軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ゴブリン、リベンジマッチ

草原に出た瞬間、街のざわめきが背中側へ引いていった。

ちょうど太陽は真上、青空の色を濃く写していた。

門をくぐったばかりの場所ではまだ人の気配が濃かったのに、石畳を離れ、土の上を歩き、背の低い草を踏み分けていくうちに、耳に入ってくる音が少しずつ変わる。代わりに大きくなるのは風の音だ。

さわさわ、というより、しゃらしゃらに近い。乾いた葉先がこすれ合って鳴る、軽くて細い音。たまに遠くで鳥みたいな鳴き声もするが、姿は見えない。鼻の奥には、太陽に温められた草と土の匂いが流れ込んでくる。ちょっと青臭くて、ちょっと湿っていて、ゲームなのに妙に肺が気持ちいい。

「……さて」

俺は小さく呟いて、周囲を見回した。

探すのはゴブリンだ。できれば1匹。絶対に1匹。2匹でも嫌だ。3匹いたら帰る。

というか、1匹でも本音を言えば嫌なんだけど、さすがに吸収限界迎えたスライム相手にじゅるじゅるやっているわけにはいかない。

いや、やったけど。3日もやったけど。レベリングだけでいうとまだ7、経験値効率が悪すぎる。

でもそれはそれ、これはこれだ。

スライム1000匹分のログは、間違いなく俺の中にある。

正確に言えば、あのぬるっとした喉越しと、洗剤っぽい風味と、地味に積み上がったVITがある。

できれば喉越しの記憶は消したいが、ステータスはありがたい。非常にありがたい。

「……何ができて、何ができないか」

自分に言い聞かせるように呟く。

今の俺は、たぶん相当偏ったニューゲーム状態だ。レベルは上がった。HPも盛れた。VITなんて笑っちゃうくらい高い。だがSTRはおままごと。DEXも高くない。魔法もろくに使えない。パーティに入ったとして、耐えるけどヘイト管理も何もない分、魔導士にタゲが移ったらタンクとしての仕事も終わる。

「え、この子何ができるの?」みたいな空気になったら、その場で胃がキリキリするだろう。そのまま追放なんてよく聞く話だ。

追放ものの導入なんて、読者としては楽しいけど当事者にはなりたくないのだ。

「……まずはソロで把握。基本。営業もゲームも事前準備が八割」

謎の社会人理論を自分に注入しつつ、俺はゆっくりと草原を進む。

ポイズンニードルは腰に差してある。軽い。さすがに剣や槍と違って、あること自体が負担にならないのは嬉しい。歩くたびに太ももの横でこつんと小さく当たる感触が、妙に頼もしく感じる。

いや、武器としての信頼度はまだそこまで高くないんだけど、少なくとも“持てる”というだけでだいぶ違う。

風が吹く。ツインテールがふわりと揺れる。背中側では尻尾がぴくりと動いた。こいつも最近はだいぶ馴染んできた。馴染んできたって何だよ、と思わなくもないが、実際そうなのだから仕方がない。今ではもう、あのハート型の先端にそこそこ愛着すらある。裂けるとだいぶ怖いけど。

草をかき分け、少しだけ高くなった丘の陰へ回り込んだところで、俺は足を止めた。

ーーいた。

ーーゴブリンだ。

背丈は俺よりかなり低い。緑色の肌に、粗末な布を巻いただけの服。手には短い棍棒。顔つきは相変わらず愛嬌がないというか、むしろ「初級モンスターです」と書いて歩いているような分かりやすい造形だ。

そして、その少し後ろ、もっと離れたところに、もう2匹。

「……群れ、か」

正確には3匹で固まっているわけじゃない。だが、近い。あれは1匹に手を出したら、残りも寄ってくる距離だ。

まずいな、と思った瞬間、手前の1匹がふらりと進路を変えた。

群れから外れる。

ほんの少しだけ、距離が開く。

「あ」

これは、チャンスだ。

俺はしゃがみ込み、草陰に身を沈めた。膝に草の先が触れて、ちくちくする。地面の土は日向なのにわずかに湿っていて、手をついた指先に冷たさが移る。視線だけを上げる。

単体。いける。ボコられた記憶を頭をブンブンと振りきってリセットする。

パラメーターもあがったし、最悪逃げる分には耐えられるだろう、たぶん。

「頼む、いけてくれよ!」

ポイズンニードルを抜く。

軽い。頼りないくらい軽い。だが、それでいい。今の俺が振り回されずに済む数少ない武器だ。

ぎゅっと握る。

手のひらに、持ち手のざらつきが食い込む。少しだけ汗ばんでいる気がして、自分で苦笑した。VRで汗を再現されてもいないのに、こういう緊張感だけはしっかり出るんだから、脳ってやつは本当に現金だ。

「……すぅぅぅ、はぁあぁぁ……」

深呼吸。

草と土の匂いが入る。

次の瞬間、俺は地面を蹴っていた。

突貫。

言葉にすると勇ましいが、実際のところ動きは結構ぎこちない、そしてすっとろい。ボテボテボテ、という足音、重心は相変わらず不安定だし、胸は普通に邪魔だし、走るたびにツインテールがぴょんぴょん跳ねて視界の端で踊る。だが、それでもスライム1000匹分の経験がある。少なくとも、前よりはマシに前へ進める。

ゴブリンがこちらに気づいた。

目を見開く。

「ギャッ!?」

お前が驚くのかよ。

内心でツッコミを入れる暇もなく、ゴブリンが棍棒を振り上げてくる。だが俺は止まらない。というか、ここで止まったらたぶん転ぶ。勢いに任せて、ポイズンニードルを前へ突き出した。

ぷす。

「刺さった!」

地味っ! 刺さったけど、ものすごく地味だった。

派手なエフェクトもなければ、気持ちいい手応えもない。ただ、針先がごく浅く肉に入った感触が手元に伝わっただけ。あまりにささやかすぎて「いま攻撃したよね?」と確認したくなるレベルだ。

だがゴブリンはちゃんと怒った。

「ギィッ!」

棍棒を振るう。俺は咄嗟に防御というか「きゃっ」みたいな悲鳴が漏れて目を瞑る、きゃってなんだよ、きゃって。棍棒が俺の肩口に当たる。

――ぽよん。

「……え?」

変な音がした。

攻撃された。たしかにされた。棍棒は俺の身体に当たった。だが、痛みがない。というか、衝撃が妙に丸い。硬いものがぶつかった感じじゃない。柔らかいゴムボールを軽く押し返されたみたいな感触だ。

ゴブリンがもう一度、今度は腹の辺りを殴る。

ぽよよん。

「SE……かわいくない?」

思わず口から出た。

いや、かわいくはないだろ普通。戦闘中だぞ。殴られてるんだぞ。なのに出てきた音が完全に効果音担当の趣味を疑うやつだった。ぽよよんって何だ。俺は何になったんだ。

いや、分かってる。スライムボディだ。

軟体という謎説明。そして物理耐性(小)。

あの1000匹分のスライムが、いま確かに俺の中で生きている。

「……お前ら、ここにいたんだな」

誰に向かって語りかけてるんだ俺は。

だが感慨はあった。ある。あの苦行は無駄じゃなかった。洗剤味の千本ノックは、ちゃんと俺を守ってくれている。

ゴブリンは焦ったように棍棒を連打してくる。

肩。

腕。

脇腹。

全部、ぽよん、ぽよよん、ぽすん、みたいなやる気のない音を立てて弾かれる。ダメージ表示は――0。

「すご」

思わず感動してしまう。

防御極振りビルドってこういう感じなのか。殴られても減らないって、こんなに心に余裕が生まれるんだな。

まあ、見た目はだいぶ情けないけど。すごくぽよんぽよんしてるけど。

だがこちらの攻撃も、やはり地味だ。

俺はゴブリンの棍棒を避けるでもなく、半ば受けながら、ひたすらポイズンニードルで刺す。

ぷす。また、ぷす。さらに、ぷす。

「うわ、地道!」

自分でやってて笑えてくる。これは戦闘というより、嫌がらせの延長だ。向こうは必死に殴ってるのに、こっちは致命傷にならない針をちまちま刺している。どっちも派手さがない。めちゃくちゃ地味だ。

でも、悪くない。

少なくとも、デスする未来は見えない。

それが今の俺には何よりありがたい。

ゴブリンが一歩下がる。息を荒げるような仕草をする。妙に“焦り”が見える。

そして次の瞬間、ゴブリンの身体がびくりと震えた。

「……あ」

毒だ。

ポイズンニードルの効果が、乗った。

ゴブリンの動きが鈍くなる。緑色の顔色がさらに悪くなる、というのも変な話だが、とにかく弱っているのが分かる。口元から赤いものがにじんだ。

血。

その瞬間。

背中側で、尻尾が反応した。

ぴくり、なんて可愛いものじゃない。どくん、と脈打つように跳ねる。

「……え」

視線が吸い寄せられる。

ハート型の先端が、わずかに震えている。獲物を見つけた犬みたいに、いやもっと露骨に、“それ”へ惹かれている感じがある。

血……液体。

「あ」

理解が、電撃みたいに走った。

「これ……体液!!」

叫んだ瞬間、もう身体が動いていた。

「体液吸収!!」

尻尾の先端が、ぱかりと裂ける。

四つに開いたそれは相変わらず食虫植物っぽくて、何度見ても自分の身体の一部とは思えない。だが、もうためらわない。

がぶり。噛みついた。

ゴブリンが血を吐き出す口に食らいつく。

「ーーッ!?」

口が塞がれ、ジタバタと苦しそうに暴れる、棍棒を落とし俺をポコポコと殴りつける。尻尾はそれでも離れない。それはそうダメージがないから。

そして、来る。どくんっ。

喉の奥に、直接。

「――ぐっ」

流れ込んでくる。

ごく。ごきゅ。どく、ぐびっ!

「……お、え……」

スライムとは違う。

はっきりと違う。

味がある、というより、温度と濃さがある。鉄っぽい、でもそれだけじゃない、生っぽいような、妙に熱を持った液体感が喉を通り抜ける。いや正確には通り抜けてる感覚だけがある。口を経由してないのに、脳が必死に「今飲まされてます」と理解しようとしてくる。

「なんで……直飲み仕様なんだよ……!」

思わず呻く。

ゴブリンの身体が目に見えてしぼんでいく。筋肉が痩せ、皮膚が張りを失い、あっという間に乾いていく。さっきまであれだけ必死に暴れていたのに、その身体から力が嘘みたいに抜けていく。

カラカラになった身体が、最後にびくりと震えた。

そして――

ぱきん、と小さな音を立てて、ポリゴンの粒子へと崩れた。

風にさらわれるように、光の欠片になって消えていく。

俺はその場で立ち尽くしたまま、喉を押さえた。

「……っ、は……」

息を吐く。勝った。勝った、のか。

戦闘結果を伝えるいつもの無機質ログ。

《VIT+0.1 HP+0.4》

「……あのさあ」

ぽつりと、口からこぼれた。

俺は空を見上げる。青い。すごく爽やかだ。さっきまでゴブリンとだいぶ地味な死闘をやってたとは思えないくらい、晴れている。

「運営さん……STRください……」

心からの願いだった。

VITは増える。HPも増える。ありがたい。ありがたいけど、そうじゃないんだ。俺が欲しいのは、刺したときにもうちょっと“戦ってる感”のあるパワーなんだ。いまのところ俺、殴られてもぽよんぽよんして、最後に相手の液体を吸ってるだけだからな。戦い方としてだいぶ特殊だぞ。

風が吹き、ツインテールが揺れる。

尻尾の先端は、満足したみたいにゆらりと元のハート型へ戻っていた。

「……まあ、でも」

俺はポイズンニードルを握り直す。

軽い武器の感触が、指に馴染む。

勝てたのだ。

あれだけ返り討ちに遭ったゴブリンに、今度は勝てた。

戦い方は想像以上に地味だったし、最後はだいぶ吸血寄りだったし、絵面は絶対人に見せたくない感じだったが、それでも勝ちは勝ちだ。

「……いける、かもしれないな」

自然と、口元が緩んだ。

草原の向こうでは、まだ別のゴブリンたちがうろついている。

さっきよりも、少しだけ怖くない。

俺は大きく息を吸い込み、草と土の匂いを胸いっぱいに入れた。さっきまでの緊張で硬くなっていた身体が、少しだけほぐれる。

そして――次の獲物を探すように、ゆっくりと視線を巡らせた。