作品タイトル不明
勝者の凱歌
システムメッセージが響いた瞬間、森に張り詰めていた空気が、ぷつりと切れた。
ラオンの赤黒い闘気は消え去り、ミーナの《インフェルノ》が残した熱も、フィールドの終了処理に押し流されるように薄れていく。
足元の土も、焦げた葉も、砕けた骨片も、ゆっくりと光の粒へ変わっていく中で、私はまだ少し息を荒くしながら、ミーナの方を見た。
ミーナは静かに杖を下ろしていた。
彼女の顔色は決して良くない。
MPを限界まで使い切ったのか、肩で息をしていて、いつもの冷静な表情の奥に、ほんの少しだけ疲労の色が見えている。
けれど、その目はやり遂げたというように満足そうだった。
「ちょっと待って、ミーナ」
私は、ようやく言葉を取り戻した。
「その大技って……」
ミーナは、汗の浮いた額を手の甲で軽く拭い、ふふ、と小さく笑った。
その笑い方が、妙に可愛くて、そして妙に恐ろしかった。
「スキルリセットです!」
「……はい?」
「相手が相手ですし、火力が足りなくなるかもなって思ってて……なので、さっき構成を変えました、今大きい 魔法(インフェルノ) を打つだけの前提スキルしかありません! 見てください炎と風と土の半端な複合構成」
スキル……リセット?
私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「ってことは、さっきのコンバートも?」
「HPとMPを入れ替える、魔学を火力に寄せた場合のスキルにあるんですよ、これまでは詠唱短縮だったんですけど、それもリセット時に合わせてとりまして」
つまり、ミーナはこのクラン戦の最後の最後に普段の使いやすい構成を崩して、火力を出すための構成へ振り直していたということだ。課金アイテムを使って。
話しながら冒険したいから、詠唱破棄や短縮を伸ばしたいと言っていたミーナが。安全に、継続的に、配信映えと攻略を両立するための運用を考えていたミーナが。
今回だけは、勝つために、最後の一発を通すために、明確に火力へ振り直した。
「お、恐れ入ったわ……」
「えへへ……」
私は思わず呟いた。
勝利への執念。
どうやらそれは、ネイキッドラオンよりミーナの方が高かったらしい。
ラオンは戦争を仕掛けた。
すべてを奪うつもりで来た。
でもミーナは、それを受けたうえで、勝つための準備を一切惜しまなかった。
盤外戦術。世論の誘導。
レベリング。スキルの再構成。
最後を飾る大技。
戦う前から、ミーナはもう、勝つための盤面を完璧に組んでいたのだ。
「爆炎ツリーかぁ……わからなくはないけど、あそこでいきなり伸ばすかぁ……怖いねえ、うちのプロデューサー」
後ろにいたネネがミーナのスキルをの覗き込む。
「乗ったからには勝ちたかったので……」
ミーナはそう言って、少しだけ笑った。
その一言で、胸の奥にようやく実感が落ちてくる。
「おかげで、勝てたわね」
私たちは勝った。
新生リエラ魔王軍が。
設立したばかりの三人クランが。
ネイキッドラオンという強敵に、勝ったのだ。
コメント欄は、もうコメント欄というより、荒れ狂う洪水だった。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
『勝ったあああああああ!!』
『新生リエラ魔王軍勝利!!!!歴史的瞬間だ!』
『ラオン食った!?!?!?あの状況で捕食はエグい!』
『インフェルノやばすぎる。爆炎なんて激重ネタツリーじゃん!』
『ミーナちゃん火力担当ってレベルじゃない。もはや戦略兵器だろ』
『スキルリセットしてたの!?執念を見た』
『勝つ気がガチすぎる。これは応援したくなるわ』
『ベルセルクからのインフェルノ熱すぎ。映画かよ』
『ネネさん魔術師いつの間に落としてた?仕事人すぎる』
『トビー帰還の仕方で笑った。あいつの逃げ足は神』
『ベルナデッタ様、炎の騎士すぎる。ファンアートはよ』
『エルーサちゃんの支援なかったら普通に危なかったよな?』
『リエラ様、最後の顔やばかった。完全に魔王のそれ』
『風格があったよ』
『魔王軍、初陣で伝説作った。これからの活動が楽しみだ』
『ネイキッドラオン相手に全滅勝利は草じゃない、大事件だぞ』
『クラン戦争の歴史変わっただろこれ、戦いの最中にスキルリセットはリスクありすぎて誰もやらなかったやつ』
『臣民になります。魔王軍に一生ついていく』
『もう臣民です。忠誠を誓います』
『リエラ!リエラ!リエラ!』
『リエラ!リエラ!リエラ!』
コメントの流れが速すぎて、文字として読めない。
ただ、圧倒的な熱気だけは画面越しに伝わってくる。
画面の向こうで、何万人もの視聴者が熱狂して叫んでいるような熱。
ジュノリスの広場で見ていた観客たちの興奮も、配信コメントを通してこちらへ流れ込んでくる。
私はそれを見て、少しだけ顔が熱くなった。
さっきまでラオンを食べた余韻で脳が焼けそうだったのに、今度は別の意味で焼けそうである。
いや、全部見られていたのだ。
最初から最後まで全部。
最後の狂気じみた捕食も。
恍惚として笑っていた顔も。
ミーナに「今どんな顔してる?」と聞きたくなるような、あの危ない表情も。
配信者としては大勝利。
人としては少し反省が必要。魔王としてはいいムーブ。
私は今どこまで人なのだろう。
深く考え始めると底なしの沼なので、思考を強制的に打ち切った。
そっとコメント欄を閉じる。
視界が少しだけ静かになる。
けれど、胸の奥で燃える熱はまだ消えなかった。
「リエラ! リエラ! リエラ! リエラ!」
転送が終わり、闘技場へ戻った瞬間、耳に飛び込んできたのは、そんな大合唱だった。
ジュノリスの闘技場は爆発したみたいな熱気に包まれていた。
観客席から、広場から、中継を見ていたプレイヤーたちから、声が波になって押し寄せる。
「リエラ様あああ!」
「魔王軍勝利!」
「ミーナちゃん最高!」
「ネネさーん!」
「炎の騎士!」
「エルーサちゃーん!」
「トビーどこいった!」
最後の声にはちょっと笑いそうになった。
トビーはいつの間にか召喚解除されている。
自己判断で帰れるなんて知らなかった……。
私たちの足元には、転送陣の光がまだ残っていた。
ミーナは疲れた顔をしながらも、きちんと背筋を伸ばしている。
ネネは観客席へ軽く手を振り、いつもの余裕ある笑みを見せていた。
ベルナデッタとエルーサは召喚状態のまま、私の後ろに控えている。
真紅の騎士と泥濘の聖女。
その二人が並ぶだけで、完全に魔王軍の絵面だった。
そして、闘技場の反対側。
そこには、ネイキッドラオンのメンバーたちがいた。
皆一様に初期装備だ。
それも、ペラペラの麻の初心者装備。
クラン戦争の敗北による装備喪失処理が終わったのだろう。
さっきまで強そうな装備をまとっていた彼らは、今やゲームを始めたばかりのプレイヤーみたいな格好で、囚人のように項垂れていた。
罠師も。弓使いも。双剣使いも。槍使いも。魔術師も。回復役も。
六人は、悔しそうに、あるいは呆然と、地面を見ている。
だが、ネイキッドラオンのマスター、ラオンと、大盾持ちだけは違った。
二人は、まっすぐこちらを見ていた。
麻の初心者装備姿で、何もかも奪われたはずなのに、その顔には奇妙なほど憑き物が落ちたような静けさがあった。
ラオンは私を見ている。
怒っているようにも見える。
でも、さっきまでのような濁った怒りではない。
敗北の痛みも、深い悔しさもあるのだろう。
それでも、どこかで納得している顔だった。
大盾持ちも同じだ。
自分が守れなかったことへの悔しさはあるのだろう。
私は少しだけ息を整える。
こっちを見るな、とは思わない。
むしろ、しっかり見ていてほしかった。
あなたたちが仕掛けた戦争の結果を。
あなたたちが奪うつもりだったものを。
今度は自分たちが奪われる側になった、その結末を。
システムアナウンスが、闘技場内に響き渡った。
【クラン戦争、終了】
【勝者:新生リエラ魔王軍】
【敗者:ネイキッドラオン】
その声は、ただの通知ではなかった。
闘技場内の人々を証人にするように、ひとつひとつ、逃げ道のない事実として響く。
【敗北条件に基づき、ネイキッドラオンはクラン解散処理へ移行します】
観客席がどよめく。
【クラン金庫の所有権を移譲します】
【クラン共有装備の所有権を移譲します】
【クランハウスを含む、登録資産の所有権を移譲します】
【移譲先:新生リエラ魔王軍】
その瞬間、闘技場が再び爆発した。
「うおおおおお!」
「マジで全部持ってった!」
「クランハウスまで!?」
「ネイキッドラオン、完全敗北!」
「魔王軍、ハウス持ち!?」
私は思わずミーナを見た。
ミーナは、もう計算を始めている顔だった。
怖い。非常に怖い。
今たぶん、彼女の頭の中では、クランハウスの活用、事務所との連携、配信企画、倉庫整理、資産換金、告知導線、全部が一斉に走っている。
ネネはというと、短剣をくるくる回しながら、目をきらきらさせていた。
「お宝、お宝ー」
「ネネ、顔」
「いやぁ、だってクラン金庫だよ? 対人クランの金庫だよ? 絶対なんか面白いもの入ってるじゃん」
「それは……そうかもだけど」
「あとクランハウス! 見に行こ! 早く見に行こ!」
完全に宝箱を前にした子どもである。
いや、気持ちは痛いほどわかる。
私だって気になる。
敵対クランの拠点。彼らが溜め込んできた装備やアイテム。
過去の戦争で奪ったものもあるかもしれない。
それが全部、新生リエラ魔王軍に移る。
設立直後の三人クランが、いきなりクランハウス持ちになる。
展開が早すぎる。私の人生、最近ずっと展開が早すぎる。
「リエラさん」
ミーナが静かに呼んだ。
「まず、ここで一言お願いします」
「ここで?」
「はい。観客と配信、両方見ています。勝利直後のコメントは重要です、勝った直後が一番伸びます」
「オッケーマイプロデューサー……任せなさい」
私は小さく息を吸い、闘技場を見渡した。
観客席。臣民たち。野次馬。
さっきまで敵だったネイキッドラオン。
そして、画面の向こうの視聴者たち。全員がこちらを見ている。
私は胸を張った。
まだ捕食の余韻は身体の奥に残っている。
ラオンの味も、勝利の熱も、完全には消えていない。
今ここに新生リエラ魔王軍の王として宣言する。
「臣民たち」
私の声が、闘技場に響いた。歓声が少し
ずつ静まる。
「よく見届けたわね」
私は微笑んだ。
「これが、新生リエラ魔王軍の初陣よ」
観客席が揺れる。私は続ける。
「奪う者は、奪われる覚悟を持ちなさい。踏みにじる者は、踏みにじられる痛みを知りなさい」
ラオンが、わずかに目を細めた。
私は彼から視線を逸らさずに言う。
「でも、強かったわ。ネイキッドラオン」
闘技場が少しだけ静かになる。
「最後まで折れなかった。最後まで牙を剥いた。だから、このリエラ様が、最後まで喰らった。その価値があった……」
ラオンの口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑ったのかもしれない。悔しそうに歪めただけかもしれない。どちらでもよかった。
「新生リエラ魔王軍は、ここから進むわ」
私は尻尾を揺らし、笑った。
「見ていなさい! 覚えてなさい! そして、大いに語りなさい! 次に世界を騒がせるのも、私たち魔王軍よ!」
一拍。そして、闘技場が割れた。
「リエラ! リエラ! リエラ! リエラ!」
声が波になって押し寄せる。
ネネが隣で楽しそうに手を振り、ミーナは少しだけ満足そうに頷いた。
ベルナデッタは静かに大剣を掲げ、エルーサは祈るように目を伏せる。
私はその歓声の中で、ふとラオンを見た。
彼はまだ、こちらを見ていた。
何もかも失ったはずの姿で。
それでも、目だけは死んでいなかった。
その顔を見て、私は思う。
たぶん、この戦争は終わった。
けれど、ラオンという男の物語は、ここで終わりではないのかもしれない。
それが私たちの敵としてなのか。
もう一度立ち上がる敗者としてなのか。
それとも別の形なのかは、まだわからない。
ただひとつ確かなのは。
新生リエラ魔王軍の名前は、この日、エタファン中に刻まれたということだった。
「おーたから! おーたから!」
ネネが煽り返すと今までリエラコール一色だった会場がお宝コールに染まっていく。
「ちょっとネネ、まだ締めの余韻!」
「だってクランハウスだよぉ!」
……余韻を味わう暇もなく、次の騒動が始まりそうだった。