軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

一〇五.夜半過ぎに妙に目が覚めて

夜半過ぎに妙に目が覚めてしまって、アンジェリンはごそごそと起き出した。

窓にかかったカーテンの隙間から月明かりが斜に射し込んでいて、部屋の中は青白く薄暗い。見回すと、同室の女の子たちは寝床ですうすうと寝息を立てている。

アンジェリンは目元を押さえた。大きく息をつく。

明日はまた動かねばならない。夜更かししては響く。

昨晩、リーゼロッテ達と分かれて宿に落ち着いてから、皆で話し合いをした。

フィンデールの町に現れたというエルフの正体を探りたい。しかしサラザールに会ってサティの情報を得られるならば、そちらも捨てられない。

そこで二手に分かれるのはどうだろう、という提案があって、アンジェリンは即座に自分が帝都に行くと言った。リーゼロッテの伝手もあるし、というのが建前だったが、何となくベルグリフと一度距離を置く方がいいような気がしたのだ。

自分の中で気持ちに整理を付けなくてはという思いもあった。それが正しいかどうかはさておき、何かしら鬱屈した現状を打破したいという気持ちが強くて、それが環境の変化を強く求めていたのである。

サラザールと一応の面識があり、またサティの事も知っているカシムも帝都に同行し、アンジェリンのパーティメンバーであるアネッサとミリアムも一緒だ。

トーヤとモーリン、それにイシュメールは元々帝都に行く。

マルグリットもフィンデールに入った時の悶着が気に食わないらしく、帝都に行くと言い張った。

だからベルグリフとパーシヴァルの二人はフィンデールに残って、謎のエルフを探るという事で話がついた。

再び寝床に仰向けになったアンジェリンだったが、いくばくかの輾転反側を経て、やっぱり眠れないと寝床から出た。

一階の別棟の酒場の喧騒が、床や壁を隔てた先から聞こえる。他が静かな分、気にするとそればかり気になる。

水でも飲もうと部屋を出た。

廊下はしんとしていたが、階段を降りて外廊下を通り、隣の棟に行くと、そこにある酒場のスペースには酔漢が詰まって騒がしかった。

これじゃあ余計に目が覚めてしまう。

アンジェリンは頬を掻いたが、喉が渇いたのは確かだ。

カウンターの方に行ってみると、隅の方の席にパーシヴァルが腰かけていた。おやおやと思って近づく。アンジェリンが声をかける前に、パーシヴァルが横目をやった。

「なんだ、寝れねえのか」

「起きちゃったの……パーシーさんも?」

「飲み足りねえだけだよ。こいつもな」

パーシヴァルの向こう側からカシムがひょっこりと顔を出した。

「夜更かしだねえ、へっへっへ」

「カシムさんまで……お父さんは?」

「寝てるよ。ぐっすりさ」

カシムはそう言って手元のグラスを傾けた。アンジェリンは何となくホッとした気持ちでパーシヴァルの隣に腰かけた。

「何か飲むか」

とパーシヴァルが言った。アンジェリンは首を横に振った。

「水でいい……」

「そう言うな、ちょっと付き合え。おい、ブランデー。湯で割ってくれ」

アンジェリンが何か言う前にバーテンがもうコップに湯を注いだ。アンジェリンは諦めたように頬杖を突いた。

手早く仕上げられたお湯割りブランデーが前に置かれる。もう半分ないゴブレットをパーシヴァルが掲げた。

「乾杯」

「ん……乾杯」

湯気に乗って鼻に抜ける酒精にむせ返りそうだったが、ほのかに甘いブランデーが喉から胸、腹まで通り抜けると、腹の底にぽっと火が灯ったような心持になった。

カシムが空になったコップを指ではじいた。

「にしてもアンジェ、帝都行くのはいいけど、ベルと一緒じゃなくていいの?」

「うん……わたしだって大人だもん」

虚勢だ、と思いながらもアンジェリンは胸を張った。パーシヴァルがくつくつと愉快そうに笑った。

「ベルの娘とこうやって呑む日が来るとはな……ついこの前までは考えもしなかった」

「なんだい、爺臭い事言って」

「うるせえ」

パーシヴァルはカシムを小突いた。アンジェリンはくすくす笑う。

そういえば、パーシヴァルと合流してから、ベルグリフを除いたこのメンツだけで呑むのは初めてかも知れない。そういうタイミングを逃していたんだな、とアンジェリンは思った。

「……昔は四人で呑んだの?」

「ん? ああ、そうか。そうだな。だが四人になったばかりの時は却って金がなくなってな、装備や持ち物を整えるまでは水飲み冒険者だったんだ。何せベルが無駄遣いを許してくれなくてよ」

「そうそう、最初は何となく遠慮がちに後ろにいる感じだったけど、そういう安全とか命にかかわる事は頑として譲らなかったね。けど依頼で金に余裕ができたら呑みに行ったねえ。あの時は嬉しかったな」

カシムが懐かしそうに目を細めた。

アンジェリンはブランデーを一口飲んで、想像してみた。ベルグリフもカシムもまだ髭が生えていなくて、パーシヴァルも若く、眉間には怒り皺も寄っていないだろう。

サティは……と考えたが、かつて彼らの仲間だったというエルフの少女の姿はイマイチ想像しきれなかった。

思い出話の中の気の強いエルフは、どうしてもマルグリットの姿で想像してしまう。

そうじゃない、と思うとモーリンが浮かぶ。アンジェリンの中でのエルフ像はあの二人とグラハムだけだ。

「サティさんって、どんな人だったの? 美人だったんだよね? マリーみたいだった?」

パーシヴァルが考えるように視線を泳がした。

「いや……マリーとは違うタイプだった」

「じゃあモーリンさん……?」

「とも違うな。まあ、雰囲気はモーリンの方が近いが、背はモーリンより低かった。髪はもう少し長かったし、眉が太くてな」

「でも肌はもちもちだった。髪の毛もさらさらで柔らかかったね」

「エルフなんだから当たり前だ馬鹿。目つきはおっとりしてる癖に頑固で意地っ張りで」

「へっへっへ、パーシーはよく喧嘩してたもんね」

「猫がじゃれ合うようなもんだったがな、今考えれば」

思い出すように話す二人の表情は優し気だった。

アンジェリンはまたブランデーを一口含んだ。少し冷めて、もう鼻に抜ける酒精はない。その分甘味が増したように思われた。

パーシヴァルの口から聞くサティの事は、ベルグリフやカシムの語る姿とはまた違ったものをアンジェリンに想起させた。その姿は、三人のうち誰よりもサティと仲の良いように思わせるものだった。

三人が三人、それぞれにサティの事を覚えており、間に挟まった時間が、あるイメージは鮮明にし、あるイメージは曖昧にさせているような気がした。友情や愛情、憧憬。

アンジェリンは酢漬けの木の実を一粒口に入れた。

「パーシーさんとカシムさんは、サティさんと結婚したいって思った?」

藪から棒の一言に、パーシヴァルは吹き出しかけた酒をかろうじて口の中にとどめた。カシムは額に手をやって大笑いしている。

「……突然何を言い出すんだ、お前は。げほっ」

鼻の方に酒が抜けかけたのか、やや涙目になったパーシヴァルが言った。咳も出そうになったのか、匂い袋を取り出して鼻に当てている。

「だって美人だったんでしょ……? 一緒にずっと行動してたんだし……」

「へっへっへ、若者めー。ま、今考えれば確かにオイラもサティに惚れてたのかもね。今は全然そんな事思わないけど」

「そうなの? なんで?」

「だってオイラにはシエラがいるもん」

「あ」

そうだった、とアンジェリンは頭を掻いた。マンサのギルドマスターの姿が頭をよぎった。パーシヴァルが匂い袋をしまいながら怪訝な顔をした。

「誰だ、そいつは。カシムお前いつの間に」

「まあまあ、それはまたゆっくり……けど、サティに見つめられて意味もなくドキドキした事もあったね、パーシー?」

「チッ、はぐらかしやがって……まあな。だが美人に見つめられれば照れ臭くなるのは当たり前だ」

「それだけ……?」

「さてね。今となっては単なる照れだったのか恋慕だったのか、イマイチ思い出せねえな」

上手く逃げられたような気がする、とアンジェリンは不満そうに頬杖を突いた。

サティの話を聞く度に、父親であるベルグリフのお嫁さんはサティだと勝手に思っていたが、パーシヴァルの話を聞くほどにそれが揺らいでしまう。

それはそれで、と安心しかけている自分がいる事に嫌なものを感じながら、アンジェリンはもうぬるくなったブランデーを一息に飲み干した。

「……お父さんはどうだったんだろ」

もちろん、ベルグリフにもサティが好きだったか聞いた事はある。けれどもやはり昔の事だとはぐらかされてしまった。朴念仁のベルグリフの事だから本気で言っているらしいのは確かである。だからアンジェリンも追求しきれずにいた。

パーシヴァルが面白そうな顔をしてアンジェリンを見た。

「もう一杯飲むか?」

「ん……もらう」

「調子出て来たねえ、へへへ」

バーテンに注文しながら、パーシヴァルが言った。

「ベルは間違いなくサティに惚れてたぜ。サティもベルが一番好きだっただろうよ」

アンジェリンは驚いてパーシヴァルを見た。パーシヴァルはにやにや笑いながら横目でアンジェリンを見た。

アンジェリンは口をぱくぱくさせた。自分の事でもないのに、なんでか頬が熱くなるような気がした。

違う、ブランデーのせいだ。両手で頬を押さえた。しかし手の平も熱いように感じる。額を指先でつんと押された。

「なんでお前が照れてんだ」

「だって……だって、パーシーさんとサティさん、喧嘩するほど仲が良いって感じ……」

「別に俺とサティの仲が悪かったわけじゃねえよ。だが、俺とあいつは好敵手って感じだった。ベルといる時のサティは明らかに安心しきってたからな、ずっと一緒にいたいと思うなら、俺よりもベルだったろうさ」

「え、そうなの? オイラ全然気づかなかった」

「相変わらずガキだな、お前は。ま、俺も今になってそう思うんだがな。当時は何となく流していただけだった。俺とは喧嘩友達って感じだったし、かといってカシムに惚れるのはあり得ねえ。となるとベルしかいねえだろ」

「オイラはあり得ないって、ちょっと失礼じゃない?」

「お前はサティが自分に惚れると思うのか?」

「うんにゃ、全然」

「だろ? そういう事だ」

呆然と目の前の会話を聞いていたアンジェリンは、ハッとして首を振った。

「あの、あの……お父さんは、それ知ってるの?」

「どうかな。それはベルに聞けよ」

「だってお父さん、そんな事ないって、昔の話だって言うんだもん……」

「ははっ、ベルらしいな。ま、これはあいつの問題だ。俺がとやかく言う話じゃねえよ。四十超えて他人に愛だの恋だの世話されるのは恰好付かんだろ。なあ、カシム」

「え? あ、まあ、そうかもね」

カシムはバツが悪そうに髭を捻じった。

アンジェリンは何となくドギマギしながらコップに口をつけ、熱さに驚いて慌ててカウンターに置いた。

「――ッ! パーシーさんは、あの、今ではサティさんの事好きじゃないの?」

「俺はサティに随分辛く当たっちまった時がある。罪悪感の方が強くて、今更好きだの何だの言えねえんだよ」

「あ……」

そんな話を聞いたような気がする。ベルグリフの足を治す方法を探して、三人で苛烈な日々を送っていた頃の話だ。

しゅんとしたアンジェリンの背中を、パーシヴァルが笑って叩いた。

「そんな顔するなアンジェ。過去は変えられんが、俺はようやく未来を向けたんだぞ。それに、お前だって母親が欲しいらしいじゃねえか。俺がベルのライバルじゃなくてよかったなあ?」

「う、うん……でも……」

もじもじするアンジェリンを見て、カシムがにやにやした。

「ははーん、さてはアンジェ、お前サティにベルを取られるのが怖いんだろ?」

「え! い、いや、そんな事……」

不意に核心を突かれたような気がして、アンジェリンは視線を泳がした。

パーシヴァルが愉快そうに笑ってアンジェリンの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「なんだなんだ、可愛い奴だな。だが安心しろよ、ベルの中じゃいつもお前が一番だよ」

「そうそう。色々話すけどさ、オイラたちとの思い出話よりも、お前を育てた時の事とか、親子でのトルネラでの暮らしの事とか、そういう事を話し出すとベルの奴、俄然張り切るんだぜ?」

「ああなるとよく喋るよな。最近面白かったのは、お前が三歳の時だったか、怖い夢を見たとかで寝床で夜尿かまして、下の藁を全部取り換える羽目になったっていう」

「わ、わわわ!」

アンジェリンは頬を真っ赤にしてパーシヴァルをばしばし叩いた。お父さんめ、なんて事をばらすんだ。

カシムがコップを空にしてカウンターに置いた。

「そういう話をする時のベルはホントに嬉しそうでさ。今も口には出さないけど、アンジェと一緒に旅ができてるのが嬉しいみたいだよ」

「だな。あんまり自慢しないようにしてるみたいだが、お前の話をする時の口ぶりは親馬鹿そのものだぜ。聞いててこっちが恥ずかしくなるくらいだ。サティもあれを食らうと思うと今から楽しみでならねえな」

初めてアンジェリンがお父さんと呼んでくれた時の話をするベルグリフの緩んだ表情や、剣の練習で垣間見たアンジェリンの才能を熱っぽく語る様子など、二人はあれこれとベルグリフの事を話して可笑し気に笑った。

何だか、体の芯が熱くなって来るようだった。

お父さんは、ずっとお父さんだったんだ。昔の友達と再会しても何も変わってなかったんだ。

心の片隅でじくじくと疼いていたどす黒い感情が、急激に消えて行くように思われた。

「えへ……えへへ……」

急に顔がにやけて戻らない。自分で自分の頬をむにむにとつまんだが、余計に緩むばかりだ。困る筈なのに、嬉しい。

少しぬるくなったブランデーを一息で飲み干した。酒精が喉に引っかかって小さくむせ込んだが、それでも手を上げてお代わりを注文した。パーシヴァルが目を丸くした。

「おいおい、何やってんだ。そんな飲み方したら潰れちまうぞ」

「ふふ……いいの。飲むの。ふふ……」

アンジェリンはにまにま笑いながら、ぺたんとカウンターに頬を付けた。木造りのカウンターはひんやりと冷たくて気持ちいい。

目の前に置かれたコップから立ち上る湯気が、ゆらゆらと生き物のように漂って宙に溶けた。

朝、部屋でごそごそと荷物を確認していたら、アンジェリンが後ろから飛び付いて来たから、ベルグリフは危うく前のめりに倒れかけた。

「おはよう、お父さん!」

「あ、ああ、おはようアンジェ」

「えへへ……お父さん! なんで、おねしょの事パーシーさんたちに話すの!」

「え、いや……だってまだ小さい時の話だし……」

「わたしだって女の子なの! 昔の話でもそういう事は内緒!」

「あ、ああ、ごめんな……というか何で知って」

アンジェリンは答えを待たずにぐりぐりとベルグリフの背中に顔を擦り付け、それから髪の毛に口元をうずめてすうすうと息をした。吐息がくすぐったい。

ベルグリフは困惑しながら手を伸ばしてアンジェリンの頭を撫でてやった。向こうのテーブルでパーシヴァルとカシムがにやにやしながら見ている。

「……御機嫌だね、アンジェ」

「うん!」

アンジェリンはパッと離れると、屈んだベルグリフの前に向き合うようにぺたんと座り込んだ。嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。

「サティさん、見つけようね!」

「そ、そうだな……どうした? なんでそんなに元気……」

「わたしも支度して来る……!」

ベルグリフが言い終える前に、アンジェリンは軽い身のこなしで部屋を飛び出して行った。

突風が吹きぬけて行ったような気分で、ベルグリフは首を傾げた。

「なんなんだ、一体……」

「アンジェはお前の娘って事だよ」

「そうそう」

「……だが、余計な事をしたような気がしないでもない」

「そうだね」

「……?」

要領を得ない事を言う二人に、ベルグリフは余計に困惑したが、ひとまず荷物をまとめてしまおうとまた作業に戻った。

今日は二手に分かれる。とはいえ、フィンデールに残るのはベルグリフとパーシヴァルの二人だけだ。だから荷物を少し分けて、必要なものを持ち分けなくてはならない。夕べに軽く支度はしたが、明るくなってからきちんと確認しておく必要がある。

顔を洗いに外に出ていたイシュメールが戻って来た。荷物を整理するベルグリフを見て、少し寂し気に頭を掻いた。

「唐突なお別れになりそうですね、ベルグリフさん」

「ああ、そうだね。イシュメールさん、色々と世話になって……アンジェたちをお願いします」

「いえいえ、カシムさんもトーヤ君たちもいる事ですし、私のやれる事はありませんよ。こちらこそお世話になりました。いずれトルネラにお邪魔したいですね」

「はは、それは願ってもないな。でもその前に帝都の工房にこちらがお邪魔するかも知れないよ」

「ええ、是非とも」

「おいおい、もうお別れムード出してどうすんだ。朝飯もまだだってのに」

パーシヴァルが呆れたように言った。ベルグリフは苦笑した。

「そうだな……荷物は大丈夫だ。朝食に行こうか」

「よっしゃ、腹減った」

カシムが立ち上がった。

酒場のスペースは朝から賑やかである。この辺りは街道が広く、人の行き来も多いから、夜間行軍を行う者も多いらしい、朝になって到着したらしい連中が、疲れも相まって嫌に騒がしく酒を飲んでいる。

どこも椅子が埋まっていて、ようやく座れるという風だ。皆して同じテーブルで食事を取るというわけにもいかない。

後になって入って来た女の子たちとおはようの挨拶をしながらも、別の席でそれぞれに食事を取った。

そうして荷物を持って宿を出、建物の前でアンジェリンたちを待ちながら往来を眺めていると、一足先に出て来たマルグリットがベルグリフを小突いた。フードをかぶって、銀髪と耳を隠している。

「二人っきりで大丈夫かよ? 捜し切れるのか?」

「はは、心配かい?」

「別に」

パーシヴァルが大きくあくびをした。

「ま、元より二人で捜し切れるとも思っちゃいねえよ。どうせ帝都までは一日かからんくらいだ、すぐに合流できるさ」

「ふぅん……じゃあ初めっから全員で行きゃいいんじゃねえの?」

「何があるか分からないからね、それでタイミングを逃したら悔しいじゃないか。それに、わざわざ全員でサラザール殿に会う必要も元々ないわけだし」

「それもそっか」

マルグリットは納得したように頷いて壁にもたれかかった。

数頭連れの灰色の馬が往来を下って行く。大きな荷物を背負った丁稚の少年が、主人らしい恰幅の良い商人の後ろを早足で付いて行く。その向かいからは冒険者らしい武装した一団がやって来てすれ違った。

マルグリットがふんと鼻を鳴らした。

「さっさとそのエルフを見つけろよな。とばっちり食らっていい迷惑だぜ」

「そうだな。けどマリー、昨日はよく抑えたな。偉いぞ」

「……ま、まあ、ホントはぶっ飛ばしてやりたかったけどな」

「何言ってやがる、止めなきゃ跳びかかりそうな勢いだったじゃねえか。俺とベルが前に出たからよかったものの」

「ま、気持ちは分かるけどね。あそこで乱闘になってたらホントにお尋ね者になってたぜ、へへへ」

マルグリットは口を尖らした。

「お前らだって、エルフ領で人間だからって理由で捕まりそうになったら怒るに決まってるだろ。あんなの理不尽だぜ、怒らない方がどうにかしてらあ」

「……そりゃそうだ」

「そう考えると確かに理不尽だね。よしよし、いい子いい子、頑張ったねえ」

「やめろ馬鹿、お前に撫でられても嬉しくねえ」

頭を撫でるカシムの手を、マルグリットはムスッとして振り払った。カシムは笑って手をひらひら振った。

「へっへっへ、やっぱりこういうのはベルの役目かあ」

「ちょ、なんでベルが出て来んだよ! 関係ないだろ!」

マルグリットはカシムを小突いて怒った。ベルグリフはくつくつ笑う。

「早く解決しないとな。マリーも本当はフィンデールをゆっくり見てみたいだろう?」

「う、うん……」

マルグリットは遠くを見た。建物が幾つも向こうまで連なっている。朝の空気で昨日よりも景色が澄み、遠くまではっきりと見えるように思われた。広い町だ。ほんの数日ではとてもすべて見て回る事はできないだろう。

やがてアンジェリンたちも出て来た。ベルグリフたちが出る時にはいなかったトーヤとモーリンも一緒である。フードをかぶったモーリンは大あくびをしていた。

「ふあ……はー、おはようございます」

「なんだ、寝不足か?」パーシヴァルが言った。

「いえいえ、さっき起きたところで」

「いつも朝が遅いんですよ、モーリンは」

トーヤがあきらめ気味にそう言った。食事といい、彼女は随分マイペースだなとベルグリフは小さく笑った。

料理も中々出てこなかったから、もう陽が高い。アンジェリンがベルグリフの腕を取った。

「行こ……」

「ああ。そういえば、リーゼロッテ殿が便宜を図ってくれるとか言っていたね」

「うん。帝都に着いたらリゼに会いに行く」

昨夜大いに話をして盛り上がったリーゼロッテは、夜になってから帝都まで帰って行った。この辺りはそういう事ができるくらい治安がいいようだ。だから夜間行軍で旅をする行商人も多いのだろう。

マルグリットとモーリンが変に勘繰られないようにと、大公家の名前の紹介状をしたためてもくれたようだ。何か揉め事が起これば、それを見せるようにという事である。

まだ小さく、子供のような無邪気さだったのに、随分と手回しが良いとベルグリフはすっかり感心した。

ともあれ、それで乗合馬車の集まる広場まで行った。人も多いが馬車も多い。それほど苦労せずに帝都行きの馬車を見つける事ができた。

「アンジェ、忘れ物はないね?」

「うん」

乗り込む前に、アンジェリンはベルグリフにぎゅうと抱き付いた。そうして胸元にぐりぐりと顔を押し付けた。

「……よし。行って来ます」

「ああ、行ってらっしゃい。気を付けてな」

「お父さんも気を付けてね……ふふ」

アンジェリンは嬉しそうに顔をほころばせて馬車に乗り込んだ。先に乗っていたアネッサとミリアムが不思議そうに顔を見合わせている。

「……なんか、朝から機嫌いいよな、アンジェの奴」

「調子が戻って来た感じだよね」

何か良い事でもあったのだろうか、とベルグリフは首を傾げた。パーシヴァルとカシムが面白そうな顔をしている。

イシュメールとも改めて別れの挨拶をし、トーヤとモーリンにも挨拶する。モーリンはいつもの調子だが、トーヤは何となくもじもじしていた。

「あの……ベルグリフさんがトルネラに帰っちゃう前に、また会いたいです」

「はは、そうだね。二人には随分世話になったし、色々解決したら、ゆっくりお酒でも呑もうか」

「は、はい!」

トーヤは嬉しそうにはにかんで、ベルグリフの手を握った。

乗客が皆乗り込むと、別れを惜しんでいる暇もないまま、慌ただしく馬車が動き出した。

アンジェリンたちが首を出して見返り、大きく手を振った。馬車が広場を出、通りを曲がって見えなくなるまで、ベルグリフはそれを見送った。

隣に立ったパーシヴァルが首を回した。

「さーて……こっちも動こうかね」

「そうだな。ひとまず情報を集めようか」

「ギルドに行くか、兵士の詰め所に行くか……ま、焦る必要もないだろう」

パーシヴァルはにやりと笑ってベルグリフの肩を叩いた。

「こういうのは懐かしいな、おい」

「はは、そうだな」

ベルグリフは微笑んで、義足でこつこつと地面を小さく蹴った。

「……でも、まずはもう少し小さい宿を見つけないとな。荷物を担いだままじゃ動きづらい」

「それもそうか。ははは、お前はやっぱり冷静な奴だ」

パーシヴァルは愉快そうに笑ってマントを翻した。

ベルグリフは荷物を担ぎ直し、その後を追った。