軽量なろうリーダー

「あの方とは命の番だから婚約を譲ってくださいまし」と涙目で迫られました。嘘ですよね。

作者: 遠野九重

本文

「僕たちの婚約について、考え直させてくれないかな」

ユリウスはこちらを見ず、冷たく告げた。

私――フィーネ・バルトはこの日、王都にあるヴァイス伯爵家の屋敷を訪れていた。

二階の談話室。

私の婚約者であるユリウス・ヴァイスは自分の首に掛けている翡翠のペンダントを外して胸ポケットに入れると、さらに言葉を続けた。

「今日、君に来てもらったのはその事情を話すためなんだ。落ち着いて聞いてほしい」

午後の光が窓から差し込み、銀灰色の髪をきらきらと照らしている。

端正な顔立ちに穏やかな表情。

物腰の柔らかい善人として社交界では知られており、一部の令嬢たちはユリウスのことを冗談交じりに『お人好しの君』などと呼んでいた。

詐欺にすぐ引っ掛かりそうで心配だ、とも言われている。

「神託が下りましたの。わたくしとユリウス様は、『命の 番(つがい) 』だと……」

ユリウスの横にはひとりの女性が座っていた。

ロゼッタ・ブルクハルト。

男爵家の令嬢で、ユリウスの幼馴染。

透き通るような白い肌と大きな瞳から、涙がこぼれ落ちている。

「ユリウス様と離れていると、わたくしの体は日に日に衰えて……やがては命を落とす。神官様がそう仰いましたの」

命の番。

それは 縁(えにし) の神サネクスから稀に下される特別な神託だ。

定められた相手の傍にいなければ、片方の命が失われるらしい。

前例はある。

国王ヒスト様と王妃のレリーナ様だ。

レリーナ様は貴族家の者ではなく、平民の薬師だった。

命の番なら仕方ない……ということで成立した婚姻だったけれど、数年前に王都で流行り病が蔓延した際、レリーナ様は自ら患者たちの治療に当たり、被害の拡大を食い止めた。

その逸話があるために、命の番と言われたなら従うべし、という風潮が前にも増して強くなっていた。

「 元(・) 婚約者のフィーネ様におかれましては受け入れがたいことかと思いますわ。ですが、神殿からの証明もありますの」

まだ正式に婚約破棄になったわけでもないのに、もう元を付けるのか。

……というツッコミはさておき、ロゼッタはテーブルに書類を広げた。

神託の内容と、それを聞いたという神官の名前も記されている。

「わたくしもすでにある婚約を壊すのは申し訳ないと感じております。ですが……」

ロゼッタが両手で胸を押さえた。

桜色の唇をわなわなと震わせ、うるうると潤んだ瞳で、ユリウスを見上げる。

いかにも男性の庇護欲をそそりそうな、計算された動き。

「わたくしはまだ生きていたいのです。それに、王妃様のようにきっとユリウス様のお役に立てると思いますの。……どうかおそばにいさせてくださいまし」

そして私の方に――どこか勝ち誇ったような気配さえ漂わせながら告げる。

「きっとフィーネ様なら他に素敵な人が見つかると思いますわ。この哀れな女を助けると思って、婚約を譲ってくださいませ」

「……ということらしいんだ」

ユリウスが困ったように眉を下げた。

その表情は心からロゼッタを案じているように見える。

「命に関わることなら、放ってはおけないよ。けどフィーネにも納得するための時間が必要だよね。……呑み込めたら、連絡をくれないか」

◇◇◇

「疲れた。もうやだ。あいつ嫌い」

夜――。

私は改めてヴァイス伯爵邸を訪れていた。

場所は昼と同じく、談話室。

ユリウスはくたびれきった姿でソファに沈んでいた。

「半日たったのにまだ香水臭い。なにが『ユリウス様と一緒じゃないと死んでしまいますの』だよ。今にも倒れそうなヤツがバチバチに髪とメイクをセットできるわけないだろ」

ものすごい勢いで毒を吐いている。

これが『お人好しの君』――ユリウスの本当の姿だ。

「合図、気付いてた?」

「もちろん」

翡翠のペンダントを外して胸ポケットに入れる。

それは私に『能力』を使ってほしい、というサインだ。

「ロゼッタの言葉、最初から最後までぜんぶ嘘だったわ。

命の番なんてのも、口からでまかせ」

「だろうね」

ユリウスの口角がすっと上がった。

少しだけ説明しておこう。

私にはちょっと特殊な力がある。

たぶん母方の血筋が聖女の傍系にあたるからだろう。

意識を集中して相手の言葉に耳を傾けると、それが嘘かどうか分かる。

「最初から怪しいと思ってたんだ」

ユリウスはため息を吐くとソファに座り直す。

「うちの商会、最近好調だろ。

そろそろ詐欺師が近付いて来るかなと思ったら、まさかの幼馴染、しかも命の番だとさ。

爆笑しそうになったよ」

ヴァイス伯爵家は古くから商会を営んでいる。

最近は魔道具の取り扱いによって大きく業績を伸ばし、王都や他の貴族領にも支店を出していた。

ちなみに私の能力もかなり貢献している。

嘘吐きをその場で見抜けるのはやっぱりメリットが大きい。

ふふん。

小さな自慢だ。

「とはいえ、ロゼッタが本当のことを言っている可能性はゼロじゃないからね。

君に能力を使ってもらったんだ」

「演技、上手だったわよ。完全に彼女のことを信じているみたいだったわ」

「僕は貴族だけど商人でもあるからね。

お客様をいい気分にさせて追い帰すのは得意分野だよ」

ユリウスは悪びれもせずに言い切る。

彼は表向き好青年で通っているが、実際のところ中身は真っ黒だ。

暗黒の神がいるなら彼の心が棲家だろう。

裏で手を回す。

利害で人を測る。

笑顔の下に、常に別の思惑がある。

その裏表を、私は初対面で見抜いた。

幼い頃、この力で。

――貴方、クズね。

普通なら怒るところだ。

でもユリウスは笑った。

——やっと、本当の僕を見てくれる人に会えた。

それが私たちの始まり。

まあ、余談はさておき。

「ロゼッタは何が狙いかしら」

「どう考えてもお金でしょ。

絶対にお断りしたいけど、命の番ってのが面倒なんだよなぁ」

それはそうだ。

王妃様という『良い前例』がこの国には存在してしまっているし「人の命が懸かっているのに見捨てるのか」と言われたら反論できない。

特にユリウスの家は商会をやっているわけだから、彼の評判はそのまま商会の信用に直結する。

たぶん、そのあたりも読んで命の番なんてでっちあげを持ち出してきたのだろう。

「君の能力だけじゃ、客観的な証明にはならない。婚約を断るのも難しいだろう。

さて、どうしたものかな」

「あら、私との婚約は続けてくれるつもりなのね」

「当たり前だろ。僕がこうやってお人好しをやめられるのは君の前だけなんだから」

「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」

私はクスッと笑う。

軽い調子で返したけど、実はけっこう嬉しい。

「ロゼッタが嘘を吐いているということは、たぶん、神託も偽物よね」

「僕もそう思う。神託の書類にはハインツという神官の署名があった。たぶんこいつもグルだろうし、そっちから崩した方がいいかもしれないね」

わたしは頷いた。

直後、視界がぐらりと揺れた。

「……っ」

「フィーネ!」

ユリウスが即座に立ち上がった。

能力の使用には代償がある。

気力、体力の消耗。

特に、相手が大きな嘘を吐いていればなおさらだ。

ロゼッタは吐息ひとつに至るまですべてが嘘のカタマリ。

おかげで私の消耗もかなりのものになった。

自分の屋敷でちょっと休んでからこちらに来たけれど――

回復しきってはいなかったらしい。

「ごめんなさい。まだ疲れているみたい」

「すまないね」

ユリウスが談話室を出て、すぐに水を持って戻ってきた。

グラスを受け取り、一口飲む。

「……ありがとう」

「こちらこそ。君に無理をさせてしまった」

ユリウスが隣に座った。

そっと、手がわたしの手に重ねられる。

温かい。

そのまましばらく肩を寄せ合う。

ロゼッタはいまごろ何をしているだろう。

お金持ちの婚約者を奪い取れたと思い込んで、祝杯でも挙げているのかもしれない。

◇◇◇

「神託を疑うと? なんと愚かな」

数日後、私は王都の神殿を訪れていた。

命の番についての神託を聞いたという神官――ハインツに会うためだ。

幸い、面会はすぐに受け入れられた。

けれども面談室に現れた男はあからさまにこちらを見下すような態度だった。

「もしユリウス殿と結ばれなければ、ロゼッタ嬢は命を落としてしまうでしょう。

わたしは神からそう聞いたのです。

人の心があるのなら、すぐにでも婚約を譲りなさい」

ハインツは肥満体の身体を揺すりながら、芝居がかった仕草で頭を抱える。

「フィーネ嬢でしたか。なぜ貴方はユリウス殿との結婚を諦めようとしないのです。

ああ、分かりました! きっと彼の財産が目当てなのですな!

なんですか、その視線は。図星だったからでしょう!

おぞましいほどの強欲! 今すぐ悔い改めねば地獄に落ちますぞ!」

強欲なのはどっちなのやら。

ハインツの首には金のネックレスが輝き、手には宝石付きの指輪がいくつも光っている。

上等な生地の神官服は腹回りをきつそうに締めていて、聖職者の清貧とは対極にある身なりだった。

そんな人に欲深いなんて説教されたくないのだけれど。

「まったく、家でどんな教育を受けてきたのやら。

神託の正式な書類まであるというのに信じようとしないとは。

貴女のふるまいのせいで、ご実家の心証も悪くなりましたぞ。

神殿から見放されるということがどういうことかお分かりか。

もし償いたいと思うのなら、 誠意(賄賂) というものを――」

「結構です。ありがとうございました」

意識の集中を解く。

ハインツの発言もすべて噓だった。

この男は神託など聞いておらず、書類も正式なものじゃない。

ついでに心証どうのこうのも口から出まかせ。無視していい。

「待ちなさい! なんと無礼な!」

憤るハインツを完全に無視して、私は面談室を出た。

◇◇◇

「ははははっ! なかなか愉快なことをしてきたじゃねえか!」

アルヴィン殿下は両手をパチパチと叩きながら爆笑した。

ここは王宮の一室。

私のすぐ目の前には、この国の王太子――アルヴィン・クリムハルトが座っている。

金髪碧眼に日焼けした肌。

王家の人間でありながらくだけた物腰なのは、本人の性格が半分、私が馴染みの相手だからというのが半分だろう。

「神殿にケンカを売ってきたようなものじゃないか。

君、ホントに恐いもの知らずだよね。まあ、そういうところがいいんだけど」

隣は婚約者のユリウスが苦笑していた。

私は神殿でハインツに会い、やたらめったら説教されたあとに賄賂を要求されたわけだが、完全にスルーして外に出た。

そのまま王宮に向かい、ユリウスと合流して今に至る……というわけだ。

なぜアルヴィン殿下が一緒かと言えば、事前に相談があると言っていたから。

普通、伯爵家の令嬢ごときが気軽に会える相手じゃない。

けれど――

私は聖女の末裔で、他人の嘘が分かる。

力のことは公表していないものの、さすがに一部の相手には伝えてある。

そのうちのひとつが王家で、幼いころから何度となく依頼を受けては言葉の真偽を見極めてきた。

たとえば政治の場、あるいは外交の場、ついでに国家規模の重罪人の取り調べとか。

見返りとして私とバルド伯爵家は密かに王家から庇護と支援を約束されているし、アルヴィン殿下を始めとして王家の方々とは仲良くさせてもらっていた。

今回の事件――偽の神託については、さすがに私とユリウスだけじゃ荷が重い。

なのでアルヴィン殿下を頼ることにした。

使えるものは何でも使う。

お行儀よくしていたら、奪われるだけだから。

「で、ハインツも真っ黒、嘘吐きだったってことか」

すでにアルヴィン殿下には事情をすべて説明してある。

子供のころからの知り合いということもあってか、話も早い。

「神託を偽るなんて大罪中の大罪だ。

こんなもんが許されたら神託の正当性がなくなっちまう。

全員、さっさと捕まえたいが、フィーネの力だけじゃ公的には動けねえ」

「客観的な証拠が必要、と。アルヴィン殿下が仰いたいのはそういうことですね」

「殿下ねえ」

アルヴィン殿下はニヤリと笑った。

「堅いな。堅すぎだろ。昔みたいにアル兄で構わねえぞ」

「さすがに馴れ馴れしすぎるかと……」

そもそもその呼び方をしていたのは五歳の時までだ。

当時は「王宮でやたら話しかけてくる男の子」くらいの認識で、まさか王太子とは思っていなかった。

後で身分を知り、私だけじゃなくお父様もお母様も平謝りしたものだ。

まあ、国王陛下は寛大で何も気にしていなかったけれど。

「ともあれ状況は分かった。

俺のほうで人を動かして調べてやる。あとは任せとけ」

「いやいや、殿下だけを働かせるわけにはいきませんよ」

ユリウスが小さく首を振りながら口を開いた。

「僕のほうでも調査します。商人ならではの情報網ってのもありますからね」

「おっ、対抗するつもりか?」

「殿下に甘えてばかりでは申し訳ないですからね」

「嘘つくんじゃねえよ。フィーネにいいところ見せたいんだろ?」

殿下はニヤリと笑う。

「腹黒のくせに可愛いところあるじゃねえか。俺はそういうヤツ、好きだぜ」

「僕は殿下のこと、あんまり好きじゃないですよ」

「フィーネ、今の言葉はどっちだ?」

「ノーコメントです」

実は好奇心でこっそり力を使った。

答えは……まあ、伏せておこう。

◇◇◇

調査そのものは2人に任せた。

私は必要に応じて、関係者の証言が嘘かどうかを確認する役だ。

そのあいだもロゼッタはユリウスのもとを頻繁に訪れていた。

私としては愉快ではないけど、泳がせるために受け入れてもらうことにした。

回数はおよそ週に3回。

本人曰く、衰弱しているはずなのに随分と元気なことだ。

馬車から降りる足取りは踊るようだったと、ヴァイス邸の使用人たちが言っていた。

「今日も来たよ」

ある日の夜――。

屋敷を訪れると、ユリウスはしおしおになっていた。

「腕に触ろうとしてきたから避けたし、肩に寄りかかろうとしたから立ち上がった。

お茶を注いでさしあげますと言われたけど自分で注いださ。

まるで戦場にいるような気分だったね」

「ふふっ、お疲れさま」

「笑い事じゃないんだが」

「だって、触れられていないことをわざわざ報告してくれるのが律儀で」

ユリウスが黙った。

耳の先が赤い。

「報告じゃない。雑談だ」

「どう違うの?」

「……違うんだ」

かわいい人、と思ったのは黙っておく。

一方――

私のところにはロゼッタからの手紙が何通も届いていた。

文面はどれも丁重。

中身はどれも同じ。

『わたくしとユリウス様は命の番なのですから、婚約を諦めてくださいませ!』

丁寧な言葉の行間から透けて見えるのは、勝利の確信だった。

社交界でもロゼッタは堂々と「命の番」を公言していた。

夜会に出れば令嬢たちに取り囲まれている。

「まあ、ロゼッタ様! ユリウス様と命の番だなんて素敵ですわ!」

「お顔もいいし、商会も大成功ですし! 羨ましいですわ!」

ロゼッタは頬を染め、俯く。

「いえ……わたくしなんて。ユリウス様には婚約者がいらっしゃいますのに、こんなことになってしまって、本当に申し訳なく……」

殊勝なことを言いながら、口元はしっかり綻んでいる。

命の番が下ったとされる日を境に、ロゼッタの身なりは明らかに変わっていた。

髪飾りは新調され、ドレスの生地は上等になり、靴には銀の留め金がついている。

死の淵にある人間のドレスが私のものより豪華なのは、なかなか新鮮な発見だった。

ロゼッタの父親――ブルクハルト男爵も目立つ振る舞いをしていた。

恰幅のいい体を揺すり、立派な髭をひねりながら、他の貴族に向かって繰り返す。

「なにせ神託ですからな。神の御意思には逆らえませぬ」

片手には葡萄酒。

顔は紅潮し、声は上機嫌に弾んでいた。

この男は娘の「衰弱」を心配する素振りすら見せない。

もっとも、心配する必要がないことは本人が一番よく分かっているのだろうけど。

周囲の貴族たちも怪しいとは思っているのだろう。

けれども批判すれば神殿という権威に盾突くことになるから、誰も文句を言えない。

そのうちにロゼッタの主張が浸透していき、「真実」になっていく。

――フィーネ様にはお気の毒だけれど、命の番なら仕方がないわね。

そんな囁きがあちこちで聞こえる。

一部の男性貴族が、私に声をかけてきた。

婚約が消滅した前提の、あからさまな接近。

「もしご傷心でしたら、少しお話ししませんか」

「結構です。傷心してませんので」

ズバッとお断りした。

ある夜会のあと。

中庭で、ユリウスと密かに落ち合った。

「声をかけられていただろう」

「見てたの」

「ああ」

ユリウスの声から温度が消えていた。

「あの男、顔は悪くなかったね。まさかとは思うけど――」

「ありえないわ」

即答した。

「私が見ているのは、最初から一人だけよ」

ユリウスが少し黙った。

小さく息を吐く。

「不安になった自分が情けないよ」

「嫉妬してくれたのでしょう? ありがと。好きよ」

「またサラッとそんなことを言う。……君には一生勝てない気がするよ」

月明かりの下。

彼の耳が赤くなっていくのが見える。

この人は普段どれだけ計算高くても、こういうところだけはどうしようもなく不器用だ。

可愛いこと。

◇◇◇

そして、一ヶ月後。

私たちは再び王宮の一室に集まった。

「揃ったぞ」

殿下が言った。

「こちらもです」

ユリウスが応じる。

調査の間ずっとこの調子だった。

互いに競うように動き、競うように報告してくる。

「俺の方が情報は多いな」

「質で勝負していただければ」

「張り合わないでくれる?」

私が咳払いをすると、二人が同時にこちらを向いた。

「すまん」

「ごめんよ」

アルヴィン殿下もユリウスも、しゅん、と頭を垂れた。

ちょっと面白い。

ともあれ、準備完了。

あとは仕掛ける場を整えるだけ。

◇◇◇

数日後――

ユリウスの名前で、ヴァイス伯爵邸の大広間に人を集めた。

私、ユリウス、ロゼッタ、ブルクハルト男爵、神官ハインツ。

関係者が勢揃い。

名目は「神託を踏まえ、婚約の今後を正式に話し合いたい」。

ロゼッタが入ってきた。

目の下に薄い隈を作り、青白く見える化粧を丁寧に施している。

衰弱の演出だ。

ただしドレスだけは新品だった。

男爵は従者を二人引き連れて現れた。

胸を張り、髭を撫で、もう勝ったような顔をしている。

ハインツは悠然と歩いてきた。

指の指輪が、前に会った時より3つ増えていた。

3人が3人とも、今日で決着がつくと信じている。

その通りだ。

ただし結末は、彼らの想像とは違う。

ロゼッタが椅子に座り、テーブルの上に震える手を置いた。

「フィーネ様、ようやく神託を受け入れてくださるのですね。

ユリウス様と幸せになりますわ。ありがとうございます」

涙声。

いつもの角度で首を傾げている。

この一ヶ月で何度も見た。さすがに手の内は分かる。

「さて」

ユリウスが口を開いた。

穏やかな声。外向きの完璧な微笑。

「今日は、ブルクハルト男爵家のことについて確認させてください。

相手の実家のことを知らずに婚約などできませんからね」

「ええ、もちろん! なんでも聞いてくださいまし!」

婚約という二文字に興奮したのか、ロゼッタが前のめりに答える。

ユリウスは普段通りの好青年を装いつつ、テーブルの上に一枚の書類を置いた。

「ブルクハルト男爵家の、直近半年の出納記録です」

男爵の表情が凍りついた。

「商会の取引先を通じて入手しました。

男爵。あなたは闇賭博に通っておられますね」

ユリウスの声は穏やかなままだ。

笑顔のまま。

「家の財政は半年以上前から破綻寸前。

借金の総額は年収の四倍を超えている」

「で、でたらめだ!」

男爵が立ち上がった。

椅子が倒れ、大きな音が広間に響く。

「そのような書類をどこから持ち出した! でっちあげだ!」

「では、取引先三社が売掛金の回収不能を証言しているのも捏造だと?

証人の名前を読み上げましょうか」

男爵が口を閉じた。

額に脂汗が浮いている。

ロゼッタが男爵の袖を引いた。

「お父様、落ち着いて。お家の財政と神託は別のお話ですもの」

声は落ち着いているが、袖を握る指は白くなっていた。

「ユリウス様、確かに男爵家の財政は傾いておりますし、不安になるのも分かりますわ。

けれども、命の番として国王陛下と結婚なさった王妃様のことを思い出してくださいまし。最初こそ批判されていましたけれど、薬師としての能力で王都の人々を救いましたわ。

わたくしもそれと同じように、ユリウス様の商会をお手伝いして今よりも発展させてみせます。それこそ、男爵家の財政なんて気にならないくらいに」

ものすごい早口だった。

その場の思い付きで話しているのだろうけど、筋が通ってないわけじゃない。

……まあ、根本にある命の番という話が嘘だから台無しだけど。

ユリウスはロゼッタの言い分を無視して、次の書類を出した。

「次はハインツ殿について」

「何でしょうかな」

ハインツ神官は不遜に顎を上げた。

まだ余裕がある。

「あなたも同じ闇賭場に出入りしていますね」

「馬鹿な。私は神に仕える身ですぞ。そのような場所に足を踏み入れるはずが」

「賭場の帳簿に、あなたの名前があります」

三枚目の書類。

帳簿の写し。日付と名前の一覧。

「ブルクハルト男爵と同じ夜、同じ賭場。少なくとも七回」

ハインツ神官の顔から色が消えた。

「ありえん! 捏造だ! 神殿を敵に回すつもりか!」

「帳簿の管理者本人が証言に応じると言っています。直接お会いになりますか?」

ハインツ神官が黙った。

指輪をはめた手が小刻みに震えている。

「……確かにお父様やハインツ神官は裁かれるべき罪人かもしれません」

やけに静かな声でロゼッタが呟いた。

「ですが、神託は確かに下りました。

わたくしとユリウス様は命の番、それだけは確かですわ!」

どうやら彼女、自分の父親や神官を切り捨てるつもりらしい。

突然のことに、当事者であるブルクハルト男爵やハインツ神官は言葉を失っている。

「もし神託に従わずわたくしが死んでしまったら、ユリウス様の信用は地に落ちますわ! 商会だって大変なことになりますわよ!」

「……もはや脅迫ね」

私は口を開いた。

ずっと聞き役に回っていたが、そろそろ舞台に出てもいいだろう。

「その神託とやらが本当ならいいけど」

「神託を疑うなんて、そこまでユリウス様と結婚したいっていうの!?

フィーネ様は強欲すぎますわ!」

口調が崩れてるわよ。

あと、貴方に強欲とは言われたくないのだけど。

「じゃあ、神託が偽物であることを証明しましょうか。

――大神官長様、お待たせしました。お越しいただけますか」

私がそう告げると、大広間の扉が静かに開いた。

白い法衣。

銀の杖。

穏やかな微笑。

大神官長。

この国の神殿における最高位の人物だ。

ハインツ神官の顔が蒼白に変わった。

「だ……大神官長猊下……? なぜこのような場所に」

大神官長は穏やかに微笑んだまま、懐から羊皮紙を取り出した。

「先日『真実の儀』を行い、真実の神トルスに訊ねました。

ハインツの語る神託や真かと。

――否、虚偽である。

こちらが証明となる書面となります」

代々の大神官長にはさまざまな秘儀が伝わっている。

そのうちのひとつが『真実の儀』だ。

3日間、飲まず食わずで祈り続けることで真実の神トルスへの問い掛けが許される。

普通、いち貴族令嬢のために『真実の儀』なんてやってくれるはずがない。

けれど私は王家だけじゃなく代々の大神官長とも繋がりがあった。

なにせ聖女の末裔で、嘘を見抜く特殊な力を持っている。

大神官長に頼まれて能力を使ったことも一度や二度じゃない。

その関係もあり、今回、快く味方になってくれた。

ロゼッタの顔から血の気が引いた。

「嘘……なんで。

なんでこんな小さな話にわざわざ大神官長が」

「小さな話?」

別の声がした。

大神官長の後ろから、一人の青年が現れる。

金髪碧眼。

日焼けした肌。

アルヴィン殿下だ。

後ろに近衛兵を引き連れている。

「貴族と神官が手を組んで偽の神託をでっちあげた。

小さいわけがないだろう」

殿下が私を一瞥してフッと笑う。

「フィーネには少し特殊な才能があってな。

大神官長猊下も俺も、これまで何度も世話になっている。

よりによって彼女に手を出したのが間違いだったな」

ロゼッタが後ずさった。

「そんな……嘘よ……!」

ユリウスが一歩前に出た。

「ロゼッタ」

その声はひどく冷たい。

好青年の仮面を完全に脱ぎ捨てていた。

「おまえの嘘は、最初から見抜いていた。

財産目当てにしても、あまりに稚拙な芝居だ」

「ユリウス、さま……」

「もう一つ言っておく」

広間が静まった。

「仮に、あの神託が本物だったとしても僕はフィーネを選ぶ」

ロゼッタの目が見開かれた。

「神託を無視したと責められるだろう。

社交界から白い目で見られ、商会だって潰れるかもしれない。――だからどうした。

僕はおまえよりもフィーネを選ぶ」

沈黙が落ちた。

ロゼッタの顔が、ゆっくりと歪んだ。

儚げな令嬢の仮面が、音を立てて剥がれ落ちた。

近衛兵が三人を取り囲んだ。

「離して! 離しなさい!」

ロゼッタが暴れた。

爪を立て、甲高い声で喚き、床を蹴る。

近衛兵二人がかりで押さえつけられた。

「わたくしはユリウス様と……!」

「どこが今にも死にそうな令嬢だか」

ユリウスが嘆息した。

「アルヴィン殿下、証拠としてこの書類も持って行ってくださいよ。

闇賭博に出入りしていたのは男爵やハインツだけじゃない。ロゼッタもだ。

3人のなかで一番金遣いが荒かったみたいだよ」

「本当にたくましいお嬢さんだ。取り調べは大変そうだな」

視線の先ではまだロゼッタが暴れている。

一方、父親のブルクハルト男爵はその場に膝をついてガックリと 項垂(うなだ) れていた。

「そんな……。どうしてこんなことに……」

自業自得じゃないかしら。

可哀想だけど――いや、ぜんぜん可哀想じゃないわ。

闇賭博の時点で違法行為だし。

神託をでっちあげたことも、他人の婚約を壊そうとしたことも、ぜんぶクロ。

同情の余地なし。

ハインツ神官は呆然とその場に立ち尽くしていた。

顔は白く、指輪をはめた手だけが震えている。

「偽の神託は、神殿法における最上位の禁則です」

大神官長の声は穏やかなままだった。

穏やかなまま、氷よりも冷たい。

「その命を神に返すことで償っていただくことになります。覚悟はよろしいですね」

ハインツ神官は震え上がり――そのまま気を失った。

かなりの肥満体だったから、近衛兵5人でどうにか運び出していった。

やがて首謀者3人が揃っていなくなると扉が閉まった。

ユリウスがこちらを見て、ふっと笑った。

「終わったね」

「やっとスッキリしたわ」

私は少しだけ目を閉じた。

◇◇◇

その後――

ブルクハルト男爵家は爵位を剥奪された。

偽の神託の共謀。

闇賭博への関与。

詐術による婚姻工作。

罪状は複数にわたり、男爵の名は貴族名簿から完全に抹消された。

領地は没収。

屋敷は王家に返上。

そして獄中で「病死」した。

――実は今回の事件をきっかけに王都の闇賭博場が摘発されたのだけど、その報復だろうと言われている。

ロゼッタは辺境の修道院に送られた。

命の番で死ぬはずの身体は、修道院の粗末な食事でもぴんぴんしているらしい……というところまでは聞いているけれど、彼女も「失踪」した。

ハインツ神官は神官位を永久に剥奪された。

神殿法に基づく裁きを受け、命を神に返した。

要するに処刑だ。

神官にはさまざまな特権があるけど、その分、神を冒涜した人間には厳しい。

社交界でロゼッタを持ち上げていた令嬢たちは手のひらを返した。

「最初から怪しいと思っていましたの」

どの口が言うのか、とは思う。

でもそのくらい「軽い」ほうが商売では転がしやすいから好都合だ。

実際、罪滅ぼしのつもりでヴァイス伯爵家の商会を利用する貴族が増え、前よりもさらに黒字が伸びた。

この調子を維持していきたいところ。

そして――

全てが片付いた夜。

私はヴァイス伯爵邸の中庭で、ユリウスとお茶を飲んでいた。

「ユリウス。あの時の言葉、覚えてる?」

「何かな?」

「神託が本物でも私を選ぶ、って」

「あれは……ロゼッタを追い詰めるために言っただけだよ」

ふうん。

「私に嘘が通じると思っているの?」

「ここで能力を使うのは反則だろう」

「使ってないわ。――使ってなくても、貴方のことは分かる」

ユリウスが口を閉じた。

月明かりの下で、耳が赤くなっていくのが見える。

「正直に言うとね」

「……なんだ」

「嬉しかった」

短い沈黙。

「照れてる?」

「答えないとダメかな」

私は、くすりと笑った。

「別にいいわ。貴方のことは世界中の誰よりも分かっているから」