作品タイトル不明
愚かな侯爵令嬢の過去
「……ルドルフ殿下、お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」
申し訳なさそうな表情で、深々と頭を下げるリズベット。
冷たさと凛々しさを 湛(たた) えたアクアマリンの瞳には、ヴィルヘルムへの怒りのその奥に、不安のようなものが 窺(うかが) えた。
「い、いえ……ですが、よろしいのですか……?」
「もちろんです。あのような 最低な男(・・・・) 、視界に入るだけで、あの声が耳に入るだけで、不快でしかありません」
僕はその不安の原因であるはずのヴィルヘルムの扱いについておずおずと尋ねたら、リズベットはむしろあの男が心底嫌いだということを必死に訴えてきた。
「「あの」」
顔を上げ、話しかけようとしたところでリズベットと被ってしまった。
「あ、リ、リズベット殿からどうぞ」
「いえ、ルドルフ殿下から……」
「い、いえいえ、僕は大した話ではありませんから、リズベット殿から……」
などと譲り合いを繰り返し、結局リズベット殿から先に話をすることになった。
「その……ルドルフ殿下は、先程の私とあの男との会話を聞いて、何か思うところはありませんでしたでしょうか……?」
いつも凛としているリズベットが初めて不安そうな表情を見せ、僕を見つめる。
この瞳の色、表情に、僕は見覚えがある。
これは、相手に嫌われたくない時に見せるものだ。
幼い頃、まだ家族……いや、誰でもいいから、僕を見てほしくて、嫌われたくなくて、一生懸命顔色を 窺(うかが) っていた時に鏡に映っていた、あの僕と同じもの。
だから。
「そうですね……正直、僕は彼の名前すら知りませんし、リズベット殿とお知り合いなのかな、と思った程度です。ただ、お二人のやり取りを見た限りでは、君に言い寄っている 虫(・) ……という印象でしょうか」
僕は精一杯おどけながら、そう答えてみせた。
ヴィルヘルムと何があったのかは知らないけど、リズベットがあの男を嫌っているのは事実だし、僕も婚約者となってしまった以上は、今後の関係を円滑にして暗殺を回避しないといけないからね。
……いや、違う。
僕はただ、彼女のこんな顔を見たくなかっただけだ。
はは……リズベットは僕を暗殺する女性のはずなのに、なんでそんなことを考えちゃったんだろうね。
自分でも、馬鹿だなって思うよ。
「ルドルフ殿下……あなた様は、 ずっと(・・・) 変わらない(・・・・・) のですね……っ」
「っ!? ちょ、ちょっと!?」
僕の手を握りしめ、 一滴(ひとしずく) の涙を 零(こぼ) すリズベット。
その姿に、僕はどうしていいか分からず焦ってしまう。
「グス……やはり、あなた様こそが私の運命の御方。あの男などでは、断じてありません」
「リズベット殿……」
リズベットが、涙で濡れたアクアマリンの瞳で見つめる。
だけど、僕は不思議でならない。
歴史では……『ヴィルヘルム戦記』では、ヴィルヘルムこそがリズベットの運命の相手だったはず。
僕は、そんな二人を引き裂こうとする、引き立て役のただの暴君でしかないんだ。
なのに彼女は僕こそが『運命の御方』だと言い、ヴィルヘルムに対して 辛辣(しんらつ) な態度で接した。
いや、それどころかヴィルヘルムへの憎悪の感情さえ 窺(うかが) える。
「……リズベット殿。あなたとあの男の間に、一体何があったのですか?」
僕は聞こうと思っていたことを、ハンカチで涙を 拭(ぬぐ) いながら彼女に尋ねた。
本当は もう一つ(・・・・) 尋ねたいことがあるが、まずはこちらからだ。そうじゃなきゃ、三か月の面会から今日までの歴史とは違う彼女の言動が、理解できないから。
「はい……お聞きくださいますか? ヴィルヘルム=フォン=スヴァリエという、口先だけの最低な男に騙され、何よりも大切な思い出を 穢(けが) された、愚かな女の話を」
そう言うと、リズベットは握る手を強め、 訥々(とつとつ) と話し始めた。
◇
あれは今から九年前……まだ私が五歳の頃でした。
お父様に連れられて皇宮へとやって来た私は、お父様が他の貴族の方とお話をされている間、退屈になって窓の外を眺めていました。
すると、とても綺麗な庭園が……私の大好きなジャスミンの花が咲き誇っていて、目を奪われてしまいました。
お父様を見てみると、まだお話は長引きそうな様子。
なので私は、こっそりとお父様の 傍(そば) を離れ、その庭園を目指しました。
ですが、皇宮は幼い私には広すぎて、すぐに迷ってしまったのです。
なら誰かに庭園まで案内をしてもらえばよかったのですが、もし他の大人に知られたら、勝手に皇宮の中を一人で歩いていることを 咎(とが) められ、叱られるのは目に見えています。
不安と寂しさで泣きそうになるのを必死に 堪(こら) え、同じような通路をぐるぐると歩き回っていた、その時。
「なんだオマエは! ここは皇宮なのだぞ!」
「っ!?」
見ると、大人の従者を二人連れた同い年くらいの金髪の男の子が、私を指差して叫びました。
「あ、あの……」
「オマエ! 勝手に皇宮に侵入した罪で、この僕が直々に斬り刻んでやる! お前達、あの女を捕らえよ!」
「「は、はあ……」」
男の子の指示に、大人の従者達は困惑します。
恐ろしくなった私は、その隙に全力でその場から逃げ出しました。
「っ! 待て! お前達がもたもたしているからだぞ!」
「「は、はっ!」」
男の子と従者達は、逃げる私を追いかけてきます。
このままでは、すぐに追いつかれてしまう。
でも、とにかく逃げるしかない私は、通路の角を曲がったところで。
「こっち」
「キャッ!?」
突然腕を引っ張られ、部屋の中に引き入れられてしまいました。
「しーっ。君、追いかけられてるんだよね?」
人差し指を唇に当て、ニコリ、と微笑む男の子。
輝く白銀の髪と、その対比のような 琥珀(こはく) 色の瞳。
私は……その男の子に、ただ目を奪われてしまいました。