軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

399話 蜜蝋は未来を照らす

ある、晴れた日のこと。

「ふんふん~るるる~♪」

「ご機嫌ですね、ペイスさん」

「そりゃもう」

陽気な鼻歌を厨房に響かせるのは、何処にでもいるごく普通のお菓子馬鹿。

いつもいつも、いつもいつもいつも、お菓子のことを考えているスイーツモンスターではあるが、今日もまた厨房でお菓子作りに勤しんでいた。

仕事はどうしたのかという疑問は湧こうが、今は労働時間外である。

どんな仕事であってもメリハリは大事であると、モルテールン家にはちゃんと労働基準というものが存在するのだ。

裁量労働の領主代行に、そんな基準が意味を持つのかは別にして。

「お菓子作りも久しぶりです。最近は忙しかったですからね」

「そのようですね。夜遅くまで起きてましたもの」

「リコは先に寝ていたでしょう?」

「途中までは起きてました」

夫に尽くすのが美徳、という神王国の良妻観。

リコリスも、ご多聞に漏れずその手の淑女教育を受けて来たからなのだろう。夜遅くまで頑張っている夫を、起きて出迎えるようにしていた。

ペイスはペイスで、自分に付き合って遅くまで夜更かしする必要も無いからと、常々自由にしていて良いと言っている。

神王国の淑女としての常識と、ペイスの現代的な常識。その二つの間を取って、リコリスは自分が眠くなるまでは起きて夫の帰りを待ち、眠くなったら眠るという生活に落ち着いている。

「忙しかったのは、また争いごとになるからでしょうか」

リコリスは、少々不安そうに尋ねる。

モルテールン家が色々とトラブルの渦中に巻き込まれやすいのは周知の事実であり、リコリスの夫も、義父も、戦場に何度となく立った人物。リコリスとて、結婚してからも何度か戦場へ行く夫を見送っている。

争いごとの嫌いなリコリスとしては、出来るだけそういった騒乱からは離れていて欲しいという思いを持つ。

「いえいえ。争いごとなど。最近は、魔の森関連と、ボンビーノ家の慶事で忙しかったのです」

「慶事?」

「ほら、ジョゼ姉様に子供が……って話です」

「ああ、それは確かに慶事ですね」

リコリスも親しく付き合っているジョゼが、懐妊したという報せ。

ペイスは勿論リコリスにも伝えている。

尚、モルテールンの領民にはまだ伝わっていない。無事に生まれてくるかどうかが分からないからだ。

ジョゼは、ペイスが【治癒】の魔法をパク……もとい、学習していることを知っている。いざとなれば、魔法の飴も有る。

つまり他の貴族に比べると遥かに優れた医療体制で出産を行える訳だが、それでもそもそも無事に生まれてくることが出来るかは分からない。最初から死産というのは、超音波診断も出来ずにお腹の中の様子が覗けない状態では、決して低くない確率で有り得る。

第一、ボンビーノ家の為に、ペイスの魔法を使うかどうかなどは不明瞭だ。幾ら身内と言えるほど親しいとしても、他家のこと。ちゃんと対価を貰わねば、魔法が使われることは無い。

実際に生まれて来たのなら盛大に祝う腹積もりであっても、ペイスとリコリスはまだ周りに内緒にしているのだ。

ヒソヒソと会話するのはその為。

夫婦の距離感は、内緒話の距離感。とても親密なゼロ距離である。

「昨日遅かったのも、その慶事の為ですか」

「そうですね。慶事そのものというより、今後の外交についての打ち合わせの為でしたが」

ペイスは、先ごろ行われた秘密会合の内容をリコリスに話して聞かせた。

こういった政務でも隠し事は極力しないのがモルテールン若夫婦の間のお約束事であり、信頼関係。

既に関係している各所から、かなり前向きな様子で話を進めるよう了承を取り付けてある。実務で汗をかくのはペイスとその部下となりそうだが、話がまとまれば神王国南部はまた一段と安定感を増すだろう。

「フバーレク家、レーテシュ家、ボンビーノ家、リハジック家、ハースキヴィ家。全ての家にとって、利益となる提案です。きっとうまくいきます」

「うちの利益はどうなるのですか?」

「勿論、うちの利益は最優先ですよ」

モルテールン家は、今後魔の森を開拓し、領地を広げることを考えている。

元々のモルテールン地域だって相当に広いのだが、それはそれ。今回バニラが見つかったように、もしかすると新しい発見があるかもしれない。

ペイスの真剣で強硬な主張により、モルテールン家の方針は決した。

何よりも、新規の発見でなくとも魔の森から得られるものは多い。

その一つが、蜂の巣から採れる蜂蜜。

そして、蜜蝋である。

「型に蜜蝋を塗って……」

「甘い香りがしますね」

ペイスは、ニコニコ顔でお菓子作りの手を動かす。

既に足が地に着かない勢いで、浮かれ気分のままのクッキング。

「出来ました。あとは焼くだけです」

「これは何でしょうか?」

「カヌレです」

「カヌレ?」

カヌレとは、フランスはボルドー地域の伝統的スイーツ。

カヌレ型と呼ばれる小ぶりな容器で焼き上げる、カステラやスフレの親戚である。

「どうせ振舞うのなら、今回の件にちなんだお菓子を振舞おうかと思いまして」

「それがこれだと?」

「ええ」

ペイスは、カヌレの焼きあがる様子を確認しながら、リコリスにカヌレの謂れを説明する。

「カヌレとは、元々『溝のある』とか『溝を作る』という意味が有るんです」

「へえ」

カヌレの歴史は古く、かつては修道院で作られていたとの話もある。

「溝を埋める。それぞれの家にあった溝を埋めることが出来たという意味も込めて。どうせなら、溝ごと全部食べてしまうのも縁起が良いと思いまして。さあ、出来ました」

焼き上げられたカヌレの香りは、実に食欲を刺激する。

香ばしさの中に、焼き菓子ならではの甘い香りがあるのだ。

「ほふほふ、美味しいです」

一口食べたリコリスは、相好を崩す。

ペイスの作る菓子はいつも美味しいが、このカヌレもまた最高に美味しい。

カリっとした外の食感と、ふわもちっとした中の食感。そのどちらもがとても幸せな気持ちになる優しい食感なのだ。

「うん、上出来ですね。上手に溝も作れました」

「溝を作るのが上手くても困りものですね」

「それは確かに」

ペイストリーとリコリスの二人。

夫婦の溝は、作らない方が良いと笑い合うのだった。