軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

396話 ペイス動く

晴天の一日。

風は穏やかで海も穏やか。絶好の航海日和の中、モルテールン家のペイストリーは、潮風の街ナイリエに来ていた。

ボンビーノ子爵領の領都であり、かつては六百人ほどまで減少していた人口もここ数年で万を窺う程に急増している。

子爵家の長い歴史を見て、かつての賑わいを取り戻すどころか、最盛期を迎えつつある昨今。ボンビーノ子爵領を訪れるものは多い。

本来であれば、子爵に面会を申し込んだとて、それが実現するまで何日も長逗留を余儀なくされるのが常なのだが、ことペイスに限っては別である。

ボンビーノ家にとって、そして子爵家当主ウランタにとって、誰よりも大きい恩があるのがペイスである。更に、ウランタの妻の実弟。最早、ウランタにとっては自分の兄弟にも等しい身内扱いなのがペイスである。

モルテールン家と親しくあることの実利もあり、ペイスからの面会申し込みは、最優先で処理される。

今日も今日とて、ペイスとウランタは笑顔で会合を持っていた。

「珍しいお茶ですね」

「舶来品です。最高級の品だということで手に入れたものですので、お口にあえば良いのですが」

「とても美味しいです。オレンジのような風味もありますね」

「言われてみると微かに。よくわかりますね」

「鼻と舌には、いささか自信があります」

ウランタは、応接室のソファーに腰掛けながらお茶を楽しむ。

ペイスが相手であれば、今更恰好を付けることも無いので、堅苦しさは無い。

「ジョゼ姉様の加減は如何ですか?」

「少し食欲が落ちているようではありますが、大事有りません。健康そのものと、医師からも報告を受けています」

せんだって知らされた重大事項。

ジョゼフィーネの懐妊。

あのお転婆娘が母親になるのかと、モルテールン家の家中では驚きをもって迎えられたニュースである。

医療技術の未熟な世界であれば、妊婦に降りかかる健康リスクは高い。産前産後の健康状態によっては、母親が命を落とす危険性だってあるのだ。

幸いにして、ジョゼは元々健康に関してはお墨付きの活発娘。ウランタが大丈夫と言っているように、さほど大きな問題も無く順調に推移しているとみていい。

「初産ですからね。気を使って頂ければ、弟として嬉しいです」

「勿論ですとも。何も憂うことなく過ごせるよう、手配しております」

「僕とこうして話しているのも、手配のうちですか?」

「そうですね。ペイストリー殿もよくご存じの、“モルテールン家の秘匿技術”について、いざという時はご提供を願うかもしれませんので。例の“特別な癒しの飴”とか、ね」

「……ウランタ殿には、油断もできない」

「他ならぬペイストリー殿に言っていただけるなら、誉め言葉として受け取っておきます」

ウランタが露骨に匂わせているのは、勿論魔法汎用化技術によって生まれる【治癒】の飴のこと。

元々モルテールン家には、癒しの飴と言われる商品が存在する。ハーブなどから薬用成分を抽出して飴に加えた、のど飴がそれだ。

皺枯れたガサガサの声も、のど飴を舐めると綺麗な声に戻る、という評判はかねてから存在している。

モルテールン家の主力商品の一つであり、ナータ商会が専売しているもの。

これにかこつけ、こっそり作ってテストしているのが、ペイスが聖国の魔法使いから【転写】した治癒の魔法の力が篭った飴。

対外的にはあくまで「効果の強めなのど飴」で押し通すつもりの、特別な飴である。

ジョゼが出産に際して重篤な状況に陥ったなら、ペイスであればジョゼを助けるためにこの“特別な飴”についても供与があるはず。

ウランタの要求は分かりやすいし、断言をせずにカマ掛けに近い揺さぶりを行うだけ、強かさに成長がみられる。ウランタの交渉能力と 情報(インテリジェンス) 能力は、出会った時と比べて格段に伸びていた。

義弟として、ペイスは義兄の成長を喜ぶ。と同時に、交渉人として、手強い人間が増えていくことへの危機感で悲しむ。

「ひとまずジョゼ姉様の話は置いておくとして、問題はやはり?」

「はい。お察しの通り」

「わざわざお越しいただいた社交会で不手際があったとか。お恥ずかしい限りです」

ウランタは、ようやく本題について語りだす。

「我が家にも両家から連絡が来ており、どちらも地域閥のトップとしての勧誘です」

「つまり、東部閥と南部閥の、駆け引きですか」

「そうなります。地域的に見て、ボンビーノ領は東部と南部の境です。どちらも影響力を高めたいでしょう」

「厄介なことで」

ボンビーノ子爵ウランタは、少しばかり顔を顰めた。

そも、今回のペイス訪問の目的は情報交換にある。

モルテールン家の強みと言えば、創設以来【瞬間移動】の魔法にあり、今回もその強みを活かして王都での情報収集を行ってきた。

ウランタとしても独自に情報を集めており、特に船乗りのネットワークにはボンビーノ家の強みがある。

お互いがお互いに無い情報を持っているということで、こうして同年代同士で茶飲みがてら情報交換をしているのだ。

「本来ならば、慶事なのでしょうけどね」

「そうですね。ジョゼも初産ですから、当家にとってもこれ以上無い慶事です」

「当家としては、ただ純粋にお祝い事なのですが、ボンビーノ子爵家ではそうもいきませんか」

「正直なところ、ここまで大きな話になるとは思っておりませんでした」

「見込みが甘かったと?」

「はい。当家が大貴族に相手にされるようになったのは、ここ最近の話ですから。戸惑いも大きいというのは率直な感想です」

「なるほど」

元々、ボンビーノ子爵家はここ最近まで没落の憂き目に遭っていた。ものの例えではなく、本当に家が存続できなくなる瀬戸際だったのだ。

長い歴史を持つボンビーノ子爵家は、神王国内の立場としては伝統貴族とされる。先の大戦で神王国を裏切ったアーマイア公爵家は、伝統貴族とも強く結びついていた。むしろ、大戦が起きるまでは常に主流派であったからこそ、伝統派と呼ばれていたのだ。

大戦が終わった時、アーマイア家の取り潰しと共に粛清の嵐が吹き荒れた。若き国王カリソンとしては、自分たちを裏切り、国家を滅亡寸前まで追いやった者の責任を問うのは当然であったろう。

伝統派貴族は、お互いにお互いを尊重し合い、縁故を結び、利益関係を担保し合っていた。そこに、特大の大ナタが振るわれたわけだ。領地を取り上げられた者、爵位を下げられた者、代々確保してきた地位を失った者、膨大な支払いを背負わされた者、親戚が粛清されて縁故が切れた者など、無傷で済んだ伝統貴族は一人としていない。

ボンビーノ子爵家もまた、大戦後に多くの損失を被った。

親戚に貸し付けていた借財が返済不能となってしまったり、各所に持っていた利権が没収されてしまったり、親戚一同がごっそりいなくなってしまったり。

更に、隣領の貴族であるリハジック子爵がボンビーノ領に食指を伸ばし、じわじわと体力を奪われていった。

もしもウランタやペイスが盛り返さなければ、きっと今頃はボンビーノ家は跡形もなく消えていたことだろう。

ウランタが物心がついた頃には、既にボンビーノ家は凋落していた。

大貴族どころか中小の貴族でもボンビーノ子爵家をまともに相手にせず、鼻で笑われるような対応しかされてこなかった時代。

ウランタは、歯を食いしばって何とか家を盛り立てようと努力してきた。

結果として若き子爵閣下の交渉技術が磨かれた訳だが、幼き頃から刷り込まれてきた先入観というのは容易に拭い難い。

頭では、今のボンビーノ家が相当に実力が有ると分かっていても、やはり実感として大貴族がボンビーノ家を取り合うような状況にピンと来ていなかったのだ。

「正直、対応に苦慮していると言って良いでしょう。何もかも手さぐりに近い。今回の件だって、どうしたら良いのか」

「よく分からないと?」

「ええ。何せ僕にとっては初めてのことばかりですから。どっちに付くかで将来も決まる。簡単に決断できるものでは無さそうです」

ウランタの感情吐露に対し、じっと考え込むペイス。

そして、おもむろに一つの提案を思いつく。

「ならば、僕がひと肌脱ごうじゃありませんか」

ウランタは、ペイスの笑顔に不安を隠しきれない思いだった。