軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

158話 敗走

天気晴朗なれども波高し。

見通しが良く、それでいて小型艦艇が波で身動きのとり辛い気象条件。大型艦艇の多い神王国側有利。

聖国と神王国の戦いは、斯様な状況から始まった。

「敵前を抑えろ。 上(かみ) を取らせるな!!」

セルジャン達司令部の命令に、通信兵たちが慌ただしく旗を抱えて動く。

現状の風は微風。軽く撫でる程度で西から東に吹いている感じだが、こんな程度ならいつでも風向きが変わるだろう。

それでも風上には違いなく、聖国側の縦列陣は西に舵を切ろうとしていた。海戦で有利な位置に移動したがっているのは明らか。神王国側もあわせて動く。

ここで鼻面を抑えられるかどうか。まずは風上の取り合いが戦いの山場だ。

「右翼の先頭は、今誰だ?」

「ボンビーノ子爵家の船ですな。あそこの船員は腕がいいようで、後ろに置いておくと前との距離がしょっちゅう詰まるとの理由で先頭になったとか」

「よし、ならばそのまま風上を抑えるように伝えろ。我々中央の艦隊はこのまま直進だ」

「承知」

神王国側は、船数の多さを活かすために三列縦陣を取って、一列縦陣の聖国を抑えにかかっている。南に聖国、北に神王国のそれぞれの軍団が居並ぶ中、まずは手堅い布陣と言えよう。

神王国側からみて西側の右翼にはボンビーノ子爵を始めとする海軍の精鋭が揃う。自前で海兵を持っていた海辺の領主達が連合している一団で、右翼の先陣をきっているのは俊英の名も高きウランタの船だった。

そのウランタの乗る船。船名をバロン号と言い、かつての海賊討伐時にはモルテールン家が乗って操った船である。大型の帆船であり、船足の早さと重心の安定性にかけては家中でも一二を争う。

大功をたてた殊勲艦という栄誉と、縁起の良さと、そしてウランタが尊敬して見習うペイストリーにあやかって、今回のボンビーノ子爵家海軍の旗艦に選ばれていた。ちなみに、指揮官先頭も、誰ぞを見習った結果であったりする。

操船するは子爵家きっての武闘派集団。第六小隊を中心とした、第一臨時中隊だ。

中隊長は海蛇ニルダの異名を持つ操船の達人ニルディア女史。神王国南東部では名うての傭兵として知られ、特に帆船の扱いに関しては国内でも一と言って二と下らないと評判だった。水龍の牙と名乗る傭兵団を率いて海賊討伐に参陣。モルテールン家指揮の下で大活躍を見せたというのは、南部でも有名な話だ。

縁と運が重なったことでボンビーノ子爵家に好待遇で迎えられ、海賊討伐後の荒れた時期に一隊を率いて実力を示し、今回の子爵家主力と旗艦を預かるという大役に抜擢された。

今、ニルダはその実力を如何なく発揮している。

「張り過ぎだ。帆を緩めな!! 取り舵五歩。船足を落とすんじゃないよ!!」

「あい、姐御!!」

神王国のみならず、この世界の船は舵が人力で操作される。その上、操舵輪も無い状況では、細かな動きはし辛く、おまけに力仕事になるのだ。足の幅を基準に操舵量を指示するのは水龍の牙からの伝統だが、どの水軍も独自の操舵技術を持っており、どこまで細かく、また迅速で正確に舵を操れるかが、水兵の力量そのものとなる。

船の速度が上がるほど、単位時間あたりに舵に当たる水量も増えるわけで、舵に掛かる抵抗力は速度と舵角度の乗算。おまけに、一度舵を切ったならば、戻せと指示があるまでは角度を維持し続けなければならない。舵を戻そうとする水流の力を抑え続ける力仕事。

つまり、速度が上がれば上がるほど舵は操作し辛くなるのだ。船の速度を上げつつ、舵を正確にとるのは、操舵長が責任を持つ範囲。

ボンビーノ子爵家の旗艦操舵長は、水龍の牙でも最も長く船を操って来た熟練の職人。船の動きや揺れ方で波を読み、微妙に舵の動きを変える技は職人芸の域だ。

また、風が吹く中で帆船を動かし、かつ風上に向かって動こうとする場合。三角帆も無い世界では、かなり高度な技術を要することになる。帆船の場合、前方から風を受けると帆が裏返る。裏帆を打つと呼ばれる状況だが、これは船の動きにブレーキを掛けるような状況になるのだ。避けようと思うならば、風を読む技術に加えて、風の方向によって細かに、そして正確に素早く動かす操帆の力量が求められる。

しかし、操舵にしろ操帆にしろ、それだけで完結するものではない。船全体を見回し、船の目的をしっかり意識して動かせる統率者、すなわち操船の責任者が要る。この立場の人間は、自分の船が出来る動きと出来ない動きをしっかり把握したうえで、目的の行動に最適な操船を指示できる高い見識が求められるのだ。ニルダの海蛇の異名は、この操船がまるで海蛇のように自在かつしなやかであることから名付けられた。

勿論、当たり前の話だが指揮する人間の意思が円滑に伝わってこその操船。指揮する人間と、実際に舵を動かす者と、帆を操作する人間の息があって、初めて海蛇は海蛇たれる。

全軍の先鋒たらんと動く船の中、そこはまるで既に戦闘が始まっているが如き修羅場であった。

潮風で焼かれた喉から発せられる 濁声(だみごえ) と怒号がそこかしこで飛び交い、鉄火場もかくやと言う有様。

「頭ぁ、波が荒ぇ。舵が甘くなりますぜ」

「っち、ここらの海は気難しいったらないね」

斜め前方から風を受け始めたバロン。こうなると、船の動きは多少なりともジグザクと蛇行せざるを得ない。気を抜けば船を止めてしまいかねない、慎重な操船。

それでも熟練の第六小隊船員。もとい臨時第1中隊隊員は、海を行く大蛇のようにしなやかで滑らかな蛇行操船を繰り出す。

「姐さん!!」

「何だいっ」

「あちらさんの甲板が慌ただしい。矢で射かけてきそうな気配だ」

部下の焦ったような声に、ニルダは不敵な笑みを浮かべつつ、落ち着き払って応えた。

「若大将の予想通りじゃないか。盾持ってきな。ひょろ矢に当たって怪我したような奴は、あたしが傷口をマスト用の針で縫ってやるからそう思いなよ」

「それじゃ治るもんも治らんでしょう。あれは指より太い針っすよ?」

「煩いね。なんか文句でもあんのかい」

「いえ、有りません!!」

「だったらさっさと動きなっ」

聖国の船も一生懸命風上を取ろうと動いてはいるのだが、如何せん海蛇よりも早く風上に走れるほどの技量は無い様で、止む無く此方に突撃を試みているようだった。

「よし、取った!!」

誰の叫び声だったか。

船の操作上、そして戦術上極めて有利となる風上争いは、ボンビーノ子爵家率いる神王国右翼部隊が制した。それが明らかとなった瞬間に、それと分かる喜びの声が上がったのだ。

「気を抜くんじゃない。来るよ!!」

優勢が明らかになったという気の緩みを、ニルダの叱責が引き締めた。

それを見越していたかのようなタイミングで、敵艦から矢が飛んでくる。風上を取った艦への射撃だ。当然、風上に向かっての射撃となるわけで、威力は減衰する。

やり返す神王国側の方が、風に乗った威力の高い、かつ射程の長い射撃が可能。これもまた風上の優位性だ。

「離れてる上に 上(かみ) への撃ち込みだ? 年寄りの小便みたいな矢だ。当たる間抜けは海へ捨てっちまうよ。お前らもなにボサっとしてんだい、さっさと撃ち返しな」

幸いにして、物資は豊富に準備されている。矢玉もまだまだ大量に積んであり、ケチることも無く矢を撃ち返す水兵。空の色が変わるほどに、空中を矢が飛び交い始めた。矢戦である。ここでも、臨時中隊の面々は命中率の高さを見せつけた。

陸(おか) での戦いと違い、海の上の遠距離戦は事前の準備が勝敗に大きく影響する。

例えば陸でならば投石というのも立派な攻撃手段だが、海の上ではそこらで石を拾って投げるような真似も出来ない。となれば弓矢の応酬となるわけだが、海に落ちた矢は拾う事も出来ず、ここでも現地調達が出来ない。陸で良く見られるような、敵の矢を拾って撃ち返す、という場面はかなり少ないわけだ。

そして、矢が尽きれば一方的に撃たれるだけになってしまう。一方的な攻撃にさらされて、被害も出さずに士気を保つなど至難のこと。必然、無駄玉を打つような余裕は双方とも無くなる。

如何に少ない消費で、戦果を挙げるか。陸上の戦いは数が勝敗の決め手となることが多いが、水上戦は質が決め手となることが多い。数うちゃ当たると素人に矢を撃たせるような真似が出来ないのが、海の戦い。

そして現状、位置取りの利から兵士の質まで、全てが神王国軍の優勢を示す。

流石に堪りかねたのだろう。聖国側は矢の的になる帆を下ろし、防戦主体で守りを固め始めた。

「姐さん、舵を切ってぶつけますかい?」

「このまま抜けるよ。相手の横っ腹まで回り込む」

相手の前進を緩めさせたことで、神王国側が大きく動く。

神王国右翼がそのまま敵の側面に回り込もうと旋回運動を採り、中央の主力がそのまま敵前の押さえを引き継ぐような形で動き出した。

このまま半包囲が完成すれば、ほぼ勝利が確定するだろう。そんな動きだった。

しかし、敵はこれに合わせて思わぬ動きを見せた。

「敵先頭、大きく西に舵とってます。ありゃ全力ですね。ここにきてうちらの頭を押さえる気ですかね?」

「……帆を下ろしな。様子を見るよ」

敵前で背中を見せる大回頭。聖国側もなりふり構っていない。

神王国側としてもこのまま突撃し、わき腹なり横っ腹なりに食いつく手もあったが、敵の力量がまだ未知数の緒戦。無理をすることは無いと、ニルダは一旦様子見を指示した。

その指揮は、確実な成果を産む。

「敵、風上をとろうとしてた先頭艦以外が、東に動いてます」

部下の報告は、ニルダの顔を顰めさせるのには十分だった。

「ってえことは、うちらに当てて来たのは囮ってことかい。舐められたもんだね」

通常、縦列陣形の場合は先頭の船に合わせて後ろの船も動く。しかし、戦い始めてこのかた、敵の中で大きく動いていたのは先頭の船のみ。二番艦はかじ取りが甘く、先頭艦の後ろを追いきれていないような動きだった。

これを、風上方向に動く難しさと、敵の練度の低さと見ていたわけだが、どうやら動きが怪しい。

先頭艦はニルダ達神王国右翼と矢戦をやらかし、その上で二番艦は神王国中央に船先を向けているではないか。敵の船の在り様を注意してみれば、三番艦以降は風下方向に舵を取ろうとしている。つまりは、神王国左翼側に、戦力の大部分を動かそうとしているということ。

ニルダ達は丸々無視されたに等しい。

「こりゃ一杯食わされましたかね?」

「捨て駒を当てておいて我々と中央を足止めし、左翼を叩くことで戦局の打開を図る。定石通り風上の争奪戦をするように見せていたのは演技と。ふむ、敵もやりますなあ」

「お前ら、何を呑気な事言ってんだい!!」

敵の狙いは、戦術の教科書通り。各個撃破戦法というわけだ。今から舵を切って追いつけるかどうか、微妙なところだ。

さりとて、明らかに囮と思しき相手でも、目の前にある船を放置は出来まい。矢戦の備えが有る事はまざまざと見せつけられたところ。帆を上げれば、これ以上ない格好の的にされる。下手な矢でも、でかでかと掲げた帆ならばそうそう外さない。それを恐れて帆を上げなければ、速度は出ない。

なるほど、きっちり足止めされてしまった。

唸るのは臨時中隊の面々。敵にも出来る奴が居るもんだと感心すらする。

しかし、神王国側も何もしないわけではない。

「姐さん、うちの若大将から命令でさあ」

「あん?」

苦々しい思いを噛みしめる中操船していたニルダに、ウランタからの命令が届いた。

「囮と思しき目の前の船に全速でぶつかり、速やかにこれを制圧せよ。しかる後、残敵を味方と合せて挟撃するとのことです」

「おうおう、いやに好戦的だねえ。だが、悪くない。よし、舵を切りな。狙いは相手のどてっ腹だ。デカイ的を外すんじゃないよ!!」

「あい姐さん!!」

敵が足止めを図ると言うのなら、それを蹴散らして敵の思惑を挫く。

積極的攻勢という戦術は、ニルダにしても最適にして最善の行動に思えた。それを指示したのが未だ幼さの残る少年子爵なのだから堪らない。

やってやるさと、女傑の意気が上がる。

「やっちまいな!!」

風上に位置取っていた船舶群。一番足の速い突撃専門の小型櫂船を先頭に、バロンを中心とした群れが動く。敵前で回頭しようとしていたようなノロマが、これを避けられるわけも無い。

ガツン、という衝撃が、何度か敵の船に起きる。体当たりの衝撃だ。

「乗り込むよっ!!」

「ぅおらぁ!!」

「らっしゃああ!!」

意味すら不明の雄たけびと共に、海賊と見まがうようなガラの悪い連中が聖国の船に飛び乗る。とても正規兵に見えない風体ではあっても、れっきとしたボンビーノ子爵家の海兵だ。

揺れる波の上だろうがお構いなし。鍵縄で相手の船に飛び移っている連中などは、サーカスでもやっているのかと言うほど身軽である。

敵の船の制圧は、瞬く間に終わった。

どうやら本当に囮だったようで、最低限の人員以外は戦闘員もあらかたが既に小舟で逃げていたらしい。

「意外と、あっけなかったですね」

ニルダに声を掛けたのは、完全武装の少年だった。

「若大将。あんたまで出てくること無かったんだよ? 荒事はあたいらの仕事だ」

「そうはいきません。攻める時は先頭で、退くときは最後で。それが戦場の心構えだと、私は学びました」

「学ぶ相手を間違えてる気がするけどねえ」

誰に学んだのか、ニルダは知っている。船の上で暴れたことのある貴族の指揮官など、存命者なら片手で足りるのだから。荒くれた連中の多い海兵相手に率先して突っ込んでおいて、飄々としていられる人間などは、お手本にしてはいけない例外の類だと思いつつ、口には出さない。下手に口を出すと、要らぬ厄介事が降りかかりかねないからだ。

「兎に角、この船が早めに片付いたのは僥倖でした。船舶の接収は後続艦に任せて、我々は左翼の救援に向かいましょう!!」

「了解!!」

中隊の唱和が戦場に響く。

てきぱきと敵艦からの撤収を終え、船そのものは右翼後続艦の管理に任せると通信を送る。帆船一艘を丸々抑えたのだ。手柄としてはそこそこデカイ。

幸先が良い。誰もがそう思った。

このまま勢いに乗って続けとばかりに、本命と思しき敵船団に進路を向けた神王国右翼船団。

彼らが味方と合流した時。

そこには、神王国軍敗走の状況があった。