軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

32:箱の秘密

帰りの行程は問題なく進み、小屋の近くまで戻ってきた。

食料は残り少なかったけど、食べられる草を摘みながら鍋にしたので何とかなった。

途中の道のりで作った霊珠は、『浄』にしてみた。

何と言っても頭からドラゴンの血やら内臓やらをかぶったので、グロテスク・スプラッタ少女になってしまったからである。

いつも通り『水』にしようかと思ったのだが、せっかくだから新しい字を試した。

「『浄』!」

霊珠が文字を刻んで光る。

すると私の体が光に包まれて、シュワアァ――と水分が蒸発するような音がした。

光が収まった後は、すっかりきれいなプリムローズ。

「わ、やった!」

水で洗い流すよりもよっぽどきれいになっている。

体だけでなく服にこびりついた汚れも落ちていて、実にスッキリ爽やかだ。

「そんなことまでできるのか……」

シルヴァは難しい顔になった。

「明らかに既存の魔法の範疇を超えている。浄化だと? そんなものは人の営みであって、神々の力を借りるものではないのに。だいたい、何をどうやって浄化した? 水で洗ったわけでもないのに」

「でも便利でしょ。これ、お風呂代わりの他にも水の浄化や毒の浄化にも使えるかもね。そういう漢字だから」

「めちゃくちゃだろ」

私にとっては清潔を保てるいい効果なのだが、シルヴァにすると信じられないらしい。

「霊珠の力はやはり神の力ではない」「では何だ? あまりに都合が良すぎる」

などとぶつぶつ呟いていた。

そうして小屋が近づいて来た頃、私は一つ思い出した。

「あ、そうだ。シルヴァ、そこの岩場の洞窟に貯めた霊珠を置いてあるの。取ってくるね」

「ほう。そんなストックがあったのか」

まだ霊珠の存在を内緒にしていた時、こっそりと貯めておいたものだ。

私は洞窟の中に入ると、いつぞや朽ちた馬車から回収した箱を取り出した。

かつては毎日使っていた箱だが、何だか久しぶりに感じる。

今は箱の中身は霊珠だけである。

二つのマグカップは取り出して、小屋に置いてある。シルヴァと一緒に使っていた。

錆びて古いマグカップだが、森の中ではちょっとした食器も貴重品なのだ。

「お待たせ」

戻ってきた私をシルヴァはちらりと見て、不意に眉を寄せた。

「おい、プリムローズ。その箱は何だ……?」

「何だって、森で拾った箱だけど」

「よく見せろ!」

シルヴァは箱を引ったくるようにして取り上げた。

箱の中で霊珠が転がり、カラコロと涼し気な音が鳴る。

彼は口は悪いが、乱暴なことは滅多にしない。驚いた。

(どうしたんだろう、急に)

「これは……間違いない……」

シルヴァは箱の蓋を手で撫でている。

例の不思議な文様が彫られた蓋だ。

「シルヴァ、どうしたの?」

「プリムローズ。これをどこで見つけた?」

シルヴァは私の問いに答えず、箱を見つめたまま言った。

「え? 見つけたのは、森の南の方。一ヶ月くらい旅してきたと前に言ったよね。旅に出る前に見つけたの」

「拾ったと言ったな。この箱の近くに誰かいなかったか?」

「誰も。崖から落ちた馬車が転がっているだけだった。その馬車も相当古くて、少なくとも何年か、下手したら何十年か経っている感じだったよ」

馬車の様子を思い出す。

土に半ばめり込み、草で覆われてしまっていた。幌布はボロボロで、手で簡単に千切れたっけ。

「…………」

シルヴァは目を閉じた。

コタローが心配そうに見上げている。

「この箱がどうかしたの?」

重ねて問うと、彼はやっと目を上げた。

長いまつ毛に縁取られた緑の瞳が揺れている。

「この箱は……」

何度かためらって、彼は続ける。

「この箱は、僕の父さんのものだ。蓋の文様は、父さんの家紋のようなもの。間違えるはずがない」

「え」

シルヴァの両親は四十年も前に旅立ったまま、戻らなかった人たちだ。

「馬車が崖から……。事故か、それとも魔族の研究がバレて追われたのか……」

彼は箱を両手で抱きしめた。

「父さん、母さん……!」

シルヴァの手が震えている。

私は何も言えなくて、立ち尽くすしかできなかった。

もう両親は無事ではない、少なくとも人間の母親は寿命の問題で死んでしまっていると覚悟していても、証拠の品を突きつけられればショックは大きいだろう。

まさか私が、その突きつける役をやってしまうなんて。

箱を抱きしめたまま俯くシルヴァに、どう言葉をかけていいか分からない。

と、コタローが彼の足元に頭をこすりつけた。

「フミャ……」

小さく鳴いてシルヴァを見上げている。

小さな魔獣の純粋な心配の気持ちが伝わったのだろう。

シルヴァは膝を折って、コタローの頭を撫でた。

「すまない。取り乱した」

金の髪に隠れて表情は見えないが、彼が落ち着こうと努力しているのは分かった。

「ううん、気にしないで。一度小屋に戻ろうか」

「ああ。……その前に」

シルヴァは箱の蓋を開けた。中にはいくつかの霊珠が入っている。

「この中に何か入っていなかったか?」

「マグカップが二つと、ボロボロになったハンカチみたいな布が一枚だけ。マグカップは小屋で使っているあれよ」

「あれか。まさか知らずに父さんと母さんのものを使っていたなんて」

彼は微かに苦笑したようだ。

「ハンカチはごめん、ボロボロだったから馬車の近くで捨ててしまった」

「そうか……。手紙などは入っていなかったか? ハンカチに書付けは?」

私は首を横に振った。

「そういうのは、なかった」

「…………」

シルヴァは黙って箱を揺すった。霊珠がカラコロと音を立てる。

そしてふと目を見開くと、霊珠を全部取り出して私に押し付けた。

「シルヴァ?」

彼は真剣な目で箱をためつすがめつしている。

やがて箱を逆さにすると、箱の底を手のひらで押した。カチリと小さな音がした。

「あっ」

思わず声が上がる。

箱の底は二重になっていて、その隙間に何かが入っていたのだ。

シルヴァが慎重に取り出したそれは、薄い金属の板だった。

マグカップは錆びついていたのに、それは全く錆びていない。不思議な光沢を放っている。

「これは……魔族の回路図だ。今まで見たことがない種類の。きっと父さんと母さんが発見したものだ……」

彼は金属板を何度も裏返しては、鋭い眼差しで見つめている。

「その馬車がある場所まで、プリムローズの……霊珠を併用した移動で一ヶ月。駄目だ、今から向かえば冬になってしまう」

シルヴァは悔しそうに下を向く。

言いにくいが、私も馬車の場所を正確に覚えているわけではない。

おおまかな場所しか分からない。あの時出会った猟師を見つけられれば、案内を頼めるかもしれないが。

何とか声をかけようとしたら、彼は顔を上げた。

緑の瞳には悲しみではなく、決意のようなものが宿っている。

「小屋に戻るぞ。お前の霊珠とこの新しい回路図を使って、研究を進めなければならない。これだけの成果があれば、僕の杖は必ず進化する。神々の魔法に負けないだけの力を得られるはずだ。いいや、得るんだ!」

強い口調で言って、シルヴァはさっさと歩き始めた。

私とコタローは慌てて追いかける。

足元で踏んだ水たまりは、薄い氷になっていた。

冬はもう間近に迫っていた。