軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

03:最初の覚醒

この森は王都の近くにあるだけあって、浅い部分は人の手が入ってる。

細いながらも道があり、下草が払われ、木々の枝は落とされている。

それでもずっと歩いていけば、徐々に道は獣道のように頼りなくなり、木々も 鬱蒼(うっそう) としてきた。

足元は歩き慣れた石畳と違い、柔らかい土と張り出した木の根で歩きにくい。

一歩踏み出す度に、足が柔らかく土に沈む。それがひどく頼りなく思えた。

神殿に行ったのが午前中。鑑定を終えて森に着いたのが午後のこと。

それから何時間も歩きづめで、周囲はいつしか夕闇に包まれようとしている。

生い茂る木々の半ばは針葉樹で、濃く深い緑色をしていた。

時折交じる広葉樹は赤や黄色に色づいて、今が秋であると知らせている。

「……寒い」

秋はまだ深まっていないが、朝晩は冷える頃合いだ。

私の服装は貴族令嬢としては質素なドレスだった。

絹よりも丈夫な綿でできているのはいいが、それでも上着などはない。夕暮れの寒さが身にしみた。

ふと吹いた風が、伸び放題の私の銀の髪を散らしていった。

どうすればいいのか、ちっとも分からない。

分からないから、ただ歩いている。

力尽きるまで歩くのが父や継母にとっての正解なのだろうと、ぼんやりと考えていた。

森に人の気配は既にない。

夕暮れ時の薄暗い森は、不気味に見えた。

秋風が吹いて木々の梢を鳴らす。

鳥たちはもう巣に帰ったのか、あまり姿が見えない。

その代わりに小さな羽虫がたくさん飛んでいて、手で払ってもきりがない。

気持ち悪くて心細くて、私は涙が出るのを必死で堪えた。

それからどれほど歩いただろう。

やがて夕闇が本格的に宵闇へと変わり始めた頃、私はふと気づいた。

すぐ向こうの茂みがガサガサと音を立てている。

少し赤茶けた葉っぱの茂みだ。

その中に一筋、鮮やかな赤が見えた。

(……?)

私がそれが何かを確かめようとした瞬間。

茂みが大きく膨れ上がった。

いや違う。

茂みに潜んでいた巨大な熊が身を起こしたのだ。

背筋の毛が赤い熊の魔物、レッドベアだった。

森に住む魔物としては有名で、猟師が狩ってきた毛皮を見たことがある。

「グルルル……」

熊は私を見て唸り声を上げる。

湿った犬のような、土と油が入り混じったような獣臭い匂いが鼻をついた。

「あ……」

私は声を上げることもできず、辛うじて一歩だけ後ろに下がった。

下がって、落ちていた小石に足を取られて転んだ。

結果として、転んだおかげで私は命拾いをした。

つい先ほどまで私の頭があった空間を、熊の太い腕が薙ぎ払っていったからだ。

命拾いをしたけれど、それはせいぜい数秒の延命にすぎない。

間近に迫った熊の、生臭い息まで感じた時。

(嫌だ! 死にたくない!!)

私の中で誰かが叫んだ。

(死ぬのは『二度とごめんだ』!!)

瞬間、脳裏に何かが流れ込んできた。

どこかの狭い家の中で、母親と二人の子供たちが食卓を囲んでいる。

プリムローズが見たこともない、不思議な内装の家だった。

『お母さん、今日ね、学校で生き物係になったの』

年上の女の子が言えば、母親が微笑んだ。

『へえ! 今の学校は何を飼うのかしら』

『亀。思ったより可愛かった』

『いいなー。ぼくも早く小学生になりたい』

年下の男の子が口を尖らせている。母親と女の子はおかしそうに笑った。

また画面が切り替わる。

人混みと通勤自動車のラッシュで沸く道を、母親がせっせと歩いていく。

向かう先は大きな工場だ。あそこが彼女の職場なのだ。

――彼女の。そう、かつての私の。

十歳のプリムローズの頭の中に、前世で母親だった大人の記憶が流れ込んでくる。

モラハラ気質の夫と離婚し、二人の子供たちをシングルマザーとして育てていたこと。

休日はバトルヒロインアニメのイベントに出かけて、子供たちとポーズを取ったこと。

そして上の子が大学生、下の子が中学生になった時――私は死んだこと。

死因は事故だ。

朝の通勤途中、ベビーカーを押している若い女性が横断歩道を渡っていたら、信号無視の車が突っ込んできた。

私は反射的に走って、彼女たちを突き飛ばし……車にはねられた。

痛いとかそういう感覚以前に、体中にすごい衝撃が走ったのを覚えている。逆に言えばそれ以外は覚えていない。

次の記憶は、物心ついたばかりの小さなプリムローズがお母様の膝の上にいる光景だった。

(私は死んだのか。あの子たちを残して)

無念だった。せっかく親子で貧しいながらも頑張って生きてきたのに。

上の子はやっと二十歳。まだ大学生で学費の支払いが終わっていない。

下の子に至っては中学生。これから大人になるための大事な時期だったのに。

ベビーカーを助けたのは後悔していない。でも私の死があの子たちにどれだけの負担をかけたかと思うと、悲しくて悔しくて仕方がなかった。

(そして、私はまた死ぬのか)

今度は親に捨てられて。

前世は生きたかったのに生きられず、今世は生きる意志を持つ前の子供の段階で死のうとしている。

そう思うと、猛烈に怒りが湧いてきた。

「ふざけんな!!」

大きく叫ぶと、間近に迫っていた熊が一瞬だけ足を止めた。

けれどそれ以上は気圧されることもなく、殺意と食欲に満ちた目を向けてくる。

今の私は無力な子供で、戦う術など持たない。

前世の大人だった頃だって、できるのはアニメのヒロインの真似だけだった。

(私にヒロインたちのような力があれば!)

娘が小さい頃、良く見ていたバトルヒロインのアニメ。可愛らしい服を着て肉弾戦で戦っていたっけ。

ああ、そういえば、私自身も昔は漫画が好きだったな。気功の力で空を飛んだり、気弾を撃ったりする有名なバトル漫画だ。

けれど現実の私はどうだろう。

せっかく魔法のある世界だというのに、私には何の力もない。

どうせ魔物相手に勝ち目はないのだ。

そう思えば怒りと悔しさと、同じくらいのヤケクソな気持ちが湧き上がってきた。

「殴ってやる」

ぎゅっと拳を握る。私に格闘技の心得なんてない。

ただ握り込んだ拳を振りかぶって、走ってくる熊に向かって真っ直ぐに振り抜こうとした。

当たるはずもない。子供の短く細い腕だ。リーチの問題など考えるまでもない。

でも。

(……え!?)

刹那、握った拳の中に熱が生まれた。

神殿で霊珠に手をかざした時と同じ熱が。

拳の中に何かの感触が生まれる。小さくて硬い何か。

握り込んだ拳の中、指の隙間から閃光がほとばしった。

異変に気づいても体勢は変えられない。

拳を振りかぶっていた私は、そのまま振り抜いて――。

ゴウッ!!

光をまとった拳は、光の軌跡を描いて熊を撃ち抜いた。

正確に言えば拳が当たったのではない。光そのものに巨大な質量が宿って、熊を叩きのめしたのだ。

彗星が駆け抜けたような一撃だった。

「ガアアアッ!?」

熊の巨体が吹き飛ぶ。

数百キログラムはあるはずの体なのに、まるで紙切れのように飛んでいった。熊がぶつかった木々がバキバキと音を立ててへし折れる。

やがて動きが止まったのだろう。森は急に静かになった。

光が収まった後は、夜の暗闇が降りてくる。

私は拳を開いた。

そこには、神殿で見たのと同じ小さな霊珠が握られていた。

違うのは一文字、霊珠に文字が刻まれていること。

「殴る……?」

私は呟いた。

そこにあったのはこの国の文字ではなく、前世日本の漢字。

『殴』の文字がくっきりと浮かび上がっている。

ピシリ。

私の手のひらの上で、霊珠にヒビが入る。

みるみるうちに広がって、やがて霊珠は砕けた。

砕けた後は砂のように変わり、さらさらと風に乗って消えてしまった。

私は呆然と、手のひらを見つめていた。