軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伯爵家の怒り(キール視点)

「こんの馬鹿もんがぁぁあ!」

バキッという大きな音とともに、キールの頬にレイタック伯爵の拳がめり込んだ。

キールは吹っ飛び、執務室の本棚に思いきり体をぶつけ床にへたり込む。その勢いで、上から本がバラバラと落ちてきた。

あの後キールは一晩牢で過ごした。

単純なアリーヤなら押せばすぐ了承すると思っていた。散々バカにしたことをすっかり忘れていたのだ。アリーヤから思わぬ反撃をくらい、ついカッとなってしまった。

不敬罪と聞いてびくついていたのだが、結局次の日には聖騎士の護送という物々しさではあるものの、すぐに解放された。

ーーフンッ!大袈裟に言いやがって!あの神官め!

悪態をつきながら伯爵家に戻ってみれば、執務室に呼びつけられてこのざまだ。

急に殴られたせいで口の中を切ってしまい、痛くて顔をしかめるが、伯爵が鬼の形相でキールを睨んでいる。

「私がせっかくアリーヤ様と男爵に許しをもらったというのに!台無しではないか!!」

「やめてお父様!急に暴力を振るうなんて酷いわ!」

突然の出来事にシルビアもついていけず、倒れ込んだキールのそばにしゃがみ込んだ。夫人はおろおろしている。

「シルビア!そんな奴にかまうんじゃない!こいつはな!お前という婚約者がいながら、神殿で騒ぎを起こした上にアリーヤ様に言い寄ったのだ!」

「まさか!」

「嘘でしょう?!」

「私は昨日、キールには仕事を頼んだと言ったが、あれはお前達を心配させないための嘘だ!こいつは一晩中牢に入れられていたのだ!」

目を見開く母娘に、少し落ち着きを取り戻した伯爵が説明を始めた。

キールが収監されたと一報が入り、学園で騒ぎを起こしたのかもしれないと思った。だが詳細を聞こうにも騎士団では知らぬ存ぜぬで話にならない。

それが朝、急ぎ登城しろとの手紙が届き、慌てて向かうとそこには国王ニコラス、王太子グレイン、宰相、そして第二王子アルカインまでが揃っていた。

そこで昨日のキールの所業を聞かされる。

「誤解です!俺はアリーヤに謝罪をしようと思っただけで!」

旗色が悪くなり、まずいと思ったキールが叫ぶが逆に怒鳴りつけられる。

「よくもそんなことが言えたな!私は音声保存器に録音されていたお前とアリーヤ様の会話を聞いたのだぞ!」

「お、音声保存器?!」

「そうだ!四聖となられたアリーヤ様に何かあっては困ると、アルカイン殿下が音声保存器を持っておられたそうだ!」

キールは愕然とした。まさかそんなものまで使われているとは思っていなかった。

「な、なぜアルカイン殿下が?!あの場には神官しか!」

「その神官がアルカイン殿下だ!」

「ま、まさか!!」

「本当だ!私は本人から直接伺ったのだ!もちろん最初は何かの間違いだと否定した!すると殿下が音声保存器を聞かせてくださったのだ!」

キールは言葉が出なかった。

あの突き刺すような鋭い視線を浴びせかけてきた美形の神官を思い出す。彼がまさか第二王子だなんて思いもよらなかった。

王子の存在に音声保存器。昨日のやりとりがすべて王家に伝わっている。言い逃れができるはずもない。体温が急激に下がったように手足が冷えてきた。

「どういうことなのお父様?!」

「こいつはな!婚約破棄はシルビアに言わされただけだと言ったんだ!伯爵令嬢だから言う通りにするしかなかったと!毎日振り回されてうんざりしていると!それでアリーヤ様に再度婚約を申し込んだのだ!俺にはお前しかいない、などと言ってな!!」

それを聞いたシルビアがショックを受けたように呆然とした。

「そんな、うそ……」

「本当だ!私はこの耳でしっかり聞いたのだ!」

その言葉にシルビアがわぁっと泣き出した。

自分という婚約者がいながら別の女性に言い寄るなんて、シルビアには許せることではなかった。

それがたとえ、自分がキールを奪い取った相手だったとしても。自分が過去、同じことをアリーヤにしてきたとしても。

「ひどいっ!ひどいわっ!!」

「なんて男なの!だから子爵家の三男なんてろくでもないのよ!」

わぁわぁ泣いているシルビアを抱き締め、夫人もキールを責め立てる。キールは黙るしかない。言い訳が思い付かないのだ。

下を向いて無言でいるキールに、再度夫人は叫んだ。

「何黙り込んでいるのよ!あなた、シルビアとキールの婚約を解消してください!こんな男にシルビアを任せられないわ!」

「そうよお父様!婚約を解消して!!」

目を吊り上げる夫人とぼろぼろ泣くシルビアに、伯爵は悔しげな顔をした。

「それはできない。陛下から先に釘を刺された。婚約解消は認めない、と」

「な、なぜ陛下が!」

「婚約者がいると知っていて横取りしたのだから、最後まで責任を持てと言われた」

母娘の悲鳴が上がる。

「本来ならキールはもっと重い罪になる。だがそれをしてしまうとアリーヤ様のご負担になると陛下は考えられたようだ。だから陛下は、伯爵家でキールを教育し直せとおっしゃった」

「それはソルディ子爵家の役割だわ!」

夫人が声高に叫ぶ。だが伯爵は首を横に振った。

「シルビアと婚約を結ぶ際、ソルディ子爵はキールに縁切りの書類を書かせていた。どうやらそれは本当に提出されていたようだ。だからキールは今、シルビアの婚約者という立場しかない」

その言葉に皆が唖然とする。もちろんキールもだ。当時、怒り嘆く両親が鬱陶しく、売り言葉に買い言葉のようなやり取りでサインをした覚えはある。

伯爵家との繋がりを子爵家自ら切るとは思えず、どうせ後から泣きついてくるだろうとキールも伯爵も笑っていたのだ。

「当時は四聖でなかったにしろ、候補者ではあった。日々修行に励んでいるアリーヤ様に対して、格下だからと横柄な態度で尊厳を踏みにじったのだから、キールを放り出して責任逃れするのは許さないとも言われた」

「そ、そんな……」

夫人が青い顔で呟き、シルビアが再度わぁっと泣き出した。

「嫌っ!嫌よっ!こんな人と結婚するなんてあんまりだわ!」

「私とてこんな男をシルビアの伴侶にするなど考えたくもない。だが陛下の厳命がある以上、それに従うしかない」

「嫌よっ!嫌っ!絶対いやっ!お父様!なんとかして!」

「なんともしようがないのだ、シルビア」

「なぜなの?!ひどい!ひどいわ!」

「こんなことがないように再教育を厳しく」

「嫌よ!」

取り乱し顔を覆って泣き叫んでいたシルビアがキールを睨み付けた。

「こんな男と結婚するぐらいなら!私は死を選ぶわ!!」

「シルビアっ!」

「なんてことをっ!」

「だからお父様どうにかして!お願い!!」

「シルビア……」

伯爵は無言で眉間に皺を寄せている。黙り込んだ伯爵に、シルビアは駆け寄ってすがり付いた。

「お父様っ!!」

悲鳴に似た叫びを聞いた伯爵はゆっくりとシルビアを見る。

苦痛に歪ませ、泣き濡れているその愛娘の顔を見た伯爵は、何かを決意したように扉の前にいた執事に指示を出す。

「こいつをペイル洞窟に放り込め」

キールは一気に血の気が引く。自分がどうなってしまうのか一瞬で理解した。恐ろしさのあまり震える唇をなんとか動かし必死に叫んだ。

「ま、待ってください!あそこは!」

「黙れ!三日もしたら助け出してやる。それまでそこで反省していろ!」

怖くなったキールはその場から逃げ出そうとした。だが頭にガツンと強い衝撃を受けてその場に倒れ込む。

意識がなくなる直前、伯爵の声が聞こえた気がした。

“お前が悪いのだ”

ゆっくり意識が浮上してキールは目が覚めた。

石がごろごろ転がった地面に寝かされており、土臭さが混ざるじめっとした空気が辺りに漂っている。虫の気配すらせず草一本生えている様子がない。

キールは自分が本当にペイル洞窟に放り込まれたことを察した。

ペイル洞窟は鉱山を掘り進めていく際にたまたまぶち当たった洞窟で、厳重に封鎖されているはずだった。

人体に有害なガスが発生しており、長く吸い続ければ死に至る、通称「死の洞窟」。

最初にまず体中に赤い斑点ができる。それから下痢、嘔吐、発熱と続き、最終的にはまともに呼吸ができず緩やかな窒息死を迎える。

こんなところに三日もいれば助け出されたとしても待っているのは死しかない。伯爵はキールを病死させることにしたのだ。

ーークソッ!クソッ!

怒りのあまり地面を蹴りつける。誰もいない洞窟の中にガツガツという音だけが響き渡った。

少し冷静さを取り戻し、こんなことをしている場合ではないと暗闇に慣れてきた目で辺りを見渡す。

ーー放り込まれてからどのぐらい経ったんだ?

どれだけ意識を失っていたのかわからない。目が覚めた以上こんなところにはいられない。だが左右どちらの道に進めば出口に近づくのかわからない。もし逆方向に向かってしまえば助かる見込みがなくなってしまう。

このまま助け出されるまでここで三日間過ごすべきか、それとも少しでも出口を求めて動くべきか。

焦りのあまり正しい判断ができない。

「くそっ!俺が何したっていうんだ!伯爵め!シルビアめ!」

怒りと恐怖に苛まれて声を張り上げる。妙に手が痒く、掻きながら目をやると既に赤い斑点ができている。

「うわああああああっ!!」

叫んだ瞬間吐き気がして胃の中のものをべしゃっと吐き出した。体が急激に重くなり、一気に恐怖感が増す。ゼイゼイと息を切らしながらその場にゆっくりしゃがみこんだ。

症状の進行が早すぎる。睡眠薬でも嗅がされて、思った以上に寝ていたのかもしれない。それともこの辺りの濃度が異常に高いのか。

死の恐怖に怯え、体を小さくして踞る。

“お前が悪いのだ”

伯爵の言葉が耳に残っている。

「俺のどこが悪いんだ。我儘なシルビアの相手だってしてやってただろうが」

一人ぶつぶつ呟く。

「そもそもアリーヤが、あいつが俺と婚約し直せば済む話だったんだ。それを四聖になったからって調子に乗りやがって。あいつが断るからこんなことになったんだ。あいつが、全部あいつが悪いんだ。アリーヤのせいだ」

こんなはずじゃなかったという思いとともに、アリーヤへの憎しみが増してくる。

「俺はこんなところで終わるような男じゃないんだ。本来の俺はもっと、そうだ、伯爵家なんかじゃ収まらない男なんだ。地位も名誉も手にできる男なんだ」

そのとき地面を踏みしめるようなじゃりっという音が聞こえた。幻聴かと思いながらも顔を上げると、そこには顔の大部分を布で覆い、暗い服に身を包んだ男がいた。

「動かないでいてくれたのですぐ見つかりました。さあ、早く出ましょう」

「あんた、は?」

「さあ、誰でしょうね?フフフフ」

その男のくぐもった不気味な笑い声が、洞窟内に響き渡った。