ただ、婚約破棄したいだけだった
作者: 心音瑠璃
本文
「エルヴェ・フォルタン殿下。貴方との婚約を破棄させてくださいませ」
今宵の夜会会場である王城の豪華絢爛な大広間に、私が努めて張った声が響き渡る。
それにより、賑やかだった会場は波打ったようにシンと静まり返った。
無理もない、この国の王太子殿下に公衆の面前で婚約破棄を突きつけるなど、正気の沙汰ではない。
だけど私には、どんな醜聞に塗れようともこの婚約を破棄したいという譲れない思いがあった。
だからこそ、この場には似つかわしくない、最低最悪の発言をすることを選んだ私はもう、後には引けないのだ。
そして、私の言葉に驚いたように薄い金色の瞳を見開きながら言葉を発したのは、紛れもない、婚約破棄を突きつけられた王太子殿下だった。
「ソフィア嬢、その理由を聞かせてもらっても良いだろうか?」
その質問は事前に想定していたものだったため、計画通りに隣にいた一人の男性の腕を取ると、予め用意していた“嘘”の言葉を静かに告げた。
「彼を……、アンリ・バルテル様を愛してしまったからです」
私の発言に、静まり返っていた会場が、再び時が動き出したようにどよめく。
困惑と驚きと、軽蔑が入り混じる視線を向けられ、逃げ出してしまいたくなるけれど、不意に肩に腕が回る。
驚き見上げれば、印象的な赤髪を持つアンリがサファイアの瞳を細め、微笑みを浮かべてくれたことで、幾分落ち着きを取り戻し、再度エルヴェ殿下に視線を向けた。
そもそも、どうしてアンリを巻き込み、嘘をついてまで愚かな行為を私がすることになったのか。
それには、こうすることでしか婚約を破棄できない理由があった。
私、ソフィア・レオタールは、レオタール辺境伯家の長女として生まれた。
すでに三歳上には兄がいたため、後継者にはならないものの、私は幼い頃から厳しい王妃教育を受けてきた。
全ては、辺境伯家当主であるお父様の悲願“王族との結婚”を叶える駒として。
レオタール家は代々、建国当初から王家に絶対の忠誠を誓う騎士の家系であるため、その王家との更に強い繋がりが欲しかったのだろうお父様は、私がまだ、今は亡きお母様のお腹にいる間に現国王陛下との間に約束を取り付けた。
それこそが、私と、同じ歳に生まれたフォルタン王国王太子であるエルヴェ殿下との婚姻だった。
エルヴェ殿下は、幼少期から次期国王に相応しい知性だけでなく、温かい人柄をお持ちの申し分のない素敵な婚約者だった。
だけど、エルヴェ殿下も私にも、双方に婚姻を結ぶほどの恋愛感情はなく、あくまで幼馴染という枠を越えたことはなかった。
そのため、互いに十歳を迎えたある日、エルヴェ殿下と私との間にも、ある約束を交わした。
『もし、僕達が結婚するまでの間に、どちらかに運命だと思う出会いが訪れたら。その時は、婚約を解消しよう』
エルヴェ殿下の方から持ちかけられたその提案に、私は頷き、互いの小指を絡めて約束を交わした。
そうして月日が流れ、私達との間に恋愛感情は微塵も芽生えず、信頼関係のみが築き上げられ続けていた、16歳になったばかりの時のこと。
(……あら?)
とある貴族の庭園のパーティーで目にしたのは、私の親友である伯爵令嬢・ジゼルとエルヴェ殿下が談笑している光景だった。
互いに距離を保っており、側から見ればただ会話をしているようにしか見えないだろう。
だけど、二人と長い付き合いのある私には、その二人の表情は今までに見たことのない柔らかなものに見えて……。
「……あいつ、浮気してないか?」
「!」
不意に降ってきた声は、どこにいても目を引く赤髪を持つ、私と同じ歳の上に辺境伯家出身であるがゆえに腐れ縁のアンリ・バルテルのものだった。
「浮気ではないわ。確かに私達は婚約者同士だけれど、互いに恋愛感情は持ち合わせていないもの」
「そういう問題か? 一発ぶん殴って目覚まさせてきてやろうか?」
「やめて。次期辺境伯として鍛錬を積んでる貴方から殴られたらひとたまりもないわ」
「じゃあどうするんだよ?」
アンリの言葉に、私はもう一度二人の様子を伺ってから踵を返す。
「……エルヴェの出方を待つわ。それが彼との約束だから」
私の言葉に、アンリは「あっそ」となぜか面白くなさそうに返事をした。
「それで? あいつは何か言ってきたのか?」
今日はレオタール領の闘技場で行われる、国一番の騎士を決定するという年に一度の決闘試合の日で、参加者であるアンリに庭で声をかけられた。
「貴方、こんなところにいて良いの? 試合は?」
「おかげさまで順調に勝ち進んで休憩中。お前も見てただろ?」
「見ていたけれど……、休憩するのなら闘技場に休憩室があるのに」
「なら、隣に座らせてくれ」
「良いけど……」
言葉遣いは相変わらず悪い割に律儀に許可を取ったアンリは隣に座ると、サファイアの瞳を私に向けて口を開いた。
「で、エルヴェとの婚約に何か進展はあったのか?」
「……進展なんて、何もないわよ」
「何もない? エルヴェと伯爵令嬢の仲はこの一年で縮まってるように見えるのに?」
「やめて。余計な口出しはしないで」
「余計な口出しじゃないだろ!」
「!」
アンリが声を荒げる。闘技場外でそんな姿を目にしたのは初めてで、目を瞠る私に、アンリはハッとしたように「ごめん」と謝ってから続けた。
「でも、放って置けるかよ。お前がそんな顔してるってのに」
「……私、そんなに酷い顔をしている?」
「腐れ縁の俺には分かる程度にはな」
アンリの言葉に、私は「他の皆には気が付かれていないということね」と小さく笑ってから、アンリになら良いかと口を開いた。
「私とエルヴェは、約束を交わしていた。『運命の出会いが訪れたら、婚約を解消しよう』。
エルヴェは何も言わなかったけれど、私自身もエルヴェとジゼルの運命を応援したかったから、エルヴェとの婚約を解消しようと思った。けれど……、上手くいかなかったの」
「……レオタール辺境伯か」
アンリの言葉に頷けば、アンリは自分のことのように顔を顰めた。
「ったく相変わらず頭が硬いな。どうせお前がエルヴェと結婚することこそが幸せになれるとか思ってんだろ」
「いいえ、違うわ。お父様は、私のためを思って言っているのではない。自己顕示欲のために私を利用したいだけよ」
そう言いながら、私がお父様と二人きりになった際に『婚約を解消したい』と申し出た時の、お父様の冷たい表情と言い放たれた言葉を思い出す。
―――『二度とそのようなことを申すな』
「……ソフィア」
普段はガサツなアンリの気遣わしげな言動に、堪えていたものが今になって込み上げそうになるのを誤魔化すように、私は努めて明るく笑った。
「もう良いの。これが、私達の運命なのよ」
「……そんな運命があってたまるか」
「え?」
アンリの言葉が上手く聞き取れなかった私が聞き返そうとするよりも先に、アンリは立ち上がると、私の前に立ち手を差し伸べた。
「俺に考えがある。その運命を覆す共犯者になろう。反旗を翻すのは、俺の得意分野だ」
そう言って笑ったアンリは、彼の背後で輝く太陽に負けないくらい、私の目に眩しく映った。
(そう言ったアンリの指していた“反旗を翻す”という言葉が、まさかの大胆且つ無礼という言葉では済まされない大問題行動に繋がるのだけれど……)
それでも彼が提案してくれた大問題行動を呑み込むことが出来たのは、他ならないアンリが宣言通り“共犯者”となってくれたのが大きい。
もしアンリがいなければ、この場に立つことも、こんなことを思いつくことすら出来なかっただろうから。
改めて隣で支えてくれている彼に感謝しつつ、エルヴェに向かって予め用意していた言葉を続けようとした、その時。
「ソフィア!!!」
突如として響き渡った怒号に、私は身体を強張らせる。
「お父様……」
それは紛れもない、私のお父様だった。
お父様の威勢に圧倒された観衆のような招待客の方々が道を作るようにして退いたため、お父様は私達に向かって迷うことなく突き進んできた。
(予想はしていたけれど、割り込んでくるのがこんなに早いとは思わなかったわ……!)
と震える私の肩に回ったアンリの腕に力が込められる。
それにより、この騒動を起こす前にアンリに言われた言葉が脳裏に蘇った。
―――『お前のことは、俺が必ず守る』
「ソフィア、公衆の面前で何をしている! 今すぐその言葉を撤回し、エルヴェ王太子殿下並びに国王陛下に誠心誠意謝罪をするんだ!!
そんな恥晒し者に育てた覚えはないぞ!!」
「誰のせいでこんなことになっているとお思いですか」
「……何?」
お父様の言葉を遮るようにして、お父様に向かって問いかけたのはアンリだった。
アンリはお父様の威圧に怯むことなく、普段の粗野な言動とは打って変わり、紳士然として冷静に言葉を発する。
「ソフィア嬢が公衆の面前で婚約を破棄したいと申し出たのは、貴方がきちんと彼女と向き合い、まともに取り合わなかった何よりの証拠です。
ソフィア嬢のためなのか国王陛下との約束を守りたいためなのか知りませんが、彼女にとっても王太子殿下にとっても、双方の意志抜きで決められたこの婚約は、彼らにとってどのように考えられていたのか……、なんて知ったことではないのでしょうね。
エルヴェ・フォルタン王太子殿下はどう思われますか?」
アンリの言葉に、話を振られたエルヴェは息を吐き、口火を切った。
「そうだな。ソフィア嬢と過ごす時間は、確かに有意義でかけがえのない時間だった。
だが私とソフィア嬢は、互いに婚約、その後の結婚を意識したことはなかった。
だからこそ互いの間でとある“約束”を交わしていたというのに……、アンリがいなければそれを反故にするところだった。
その上、私が不甲斐ないばかりにこのような嫌な役回りを二人にさせてしまった。本当に申し訳なかった」
エルヴェが頭を下げる。王太子殿下のありえない行為にまたもやざわついたが、それは一瞬のことで、エルヴェはゆっくりと頭を上げ、近くにいた国王陛下と向き合うと口を開いた。
「二人がこのような行動に出たのは、私の責任です。
国王陛下に結んでいただいたソフィア嬢との縁はこれからも大切にしていきたい縁ですが、私が一生を添い遂げたい相手は別にいます。
どうか、私とソフィア嬢との婚約を解消させてください。よろしくお願いいたします」
エルヴェがもう一度頭を下げる。
私も、それからアンリも一緒に頭を下げてくれた。
それを受けた国王陛下は、ゆっくりと言葉を発した。
「なるほど、双方の合意があっての婚約解消というわけなのだな。
……しかし、良かれと思って約束を交わしてしまったが、互いに足枷になってしまっていたとは。
その上、このような場でしか話を設けられなかった我々にも責任がある。本当にすまなかった」
まさか国王陛下にまで謝罪を述べられるとは思わず、頭を横に振った私を見て国王陛下は目を細めると、言葉を続けた。
「そなたたちは、自分の足で立つことが出来る一人の大人に成長した。そんな二人の意志を尊重しよう」
その言葉にエルヴェと顔を見合わせ、礼を述べようとした、けれど。
「そんな…………」
そう言ってへなへなと力なくその場に座り込んだのは、私のお父様だった。
思わず駆け寄ろうとしたけれど、アンリにそれを止められる。
お父様は一人その場に座り込みながら、呟くように言った。
「どうすれば良かったんだ……。レリアとの約束が……、ソフィアを幸せにすると言った約束が、これでは果たせない……」
お父様の口から飛び出た“レリア”とは、私が生まれて間もない頃に亡くなったお母様の名前。
その名前が出たことで、いつかお父様がお母様の生前に約束を交わしたのだと言っていたことを思い出した。
(アンリも何度も言っていたわ。お父様がエルヴェとの婚約を結んだのは、私を幸せにするためなのではないかって。
あの言葉は、本当だったのね……)
いつも厳しかったけれど、力なく床に座り込んだお父様は、辺境伯とは思えない姿で。
なんと言葉をかけようか迷っていると。
「俺が幸せにする」
「……えっ?」
驚いて声が出たのは、お父様ではなく私の方だった。
反射的に見上げた私に、アンリは眩しいくらいの笑顔を浮かべて言った。
「これからは、俺が一番近くでソフィアを守る」
「……えええ!?」
淑女らしからぬ反応が私の口から飛び出たのを、アンリは吹き出して笑う。
その笑顔が、今まで見てきた彼の笑顔の中で一番輝いて見えて、頬がやけに熱くなっていくのを感じていると。
「認めん……、認めんぞ!!」
案の定お父様がわなわなと唇を震わせて猛抗議している。
ここまで来るとお父様の感情の起伏により乱高下しているであろう血圧が大丈夫なのかと心配になってしまうけれど、アンリはなおも挑発するように言う。
「辺境伯様に認めていただかなくても、以前レオタール領で行われた決闘試合で優勝したのは俺ですから、延期させてもらっている優勝者特権である『唯一の望み』を使って国王陛下に叶えていただくことも出来るんですよ」
「ッ……、許さん、許さんからな!!」
激昂するお父様を見て、アンリはお父様には聞こえない声で呟く。
「まあ、それだけは嫌だから使わないけどな」
「どうして?」
反射的に尋ねてしまった私に、アンリはニッと笑って言った。
「強制的に婚約を結ぶんじゃなくて、今度こそお前の意志で俺を選んで欲しいから」
「〜〜〜!?」
「おっと、そんな可愛い顔を公衆の面前で晒すのは禁止。というわけで」
「きゃっ!?」
不意に回った感じたことのない浮遊感に、初めて私が所謂お姫様抱っこされているのだと分かった時には、アンリは颯爽と会場を後にしていた。
喚いてはいるものの追いかけてはこないお父様にホッとし、アンリに横抱きにされながら、私はずっと思っていたことを口にした。
「……どこからどこまでが計画の内なの?」
「んー……内緒」
でも、とアンリは私に顔を近付けて囁く。
「こうしたいと思っていたのは多分、ずっと昔からだよ」
「〜〜〜ッ」
ただ、婚約破棄したいだけだった私は、その後、いつの間にか芽生えていたアンリに対しての特別な感情が、彼の猛アプローチのおかげであっという間に大きくなり、そして……、彼が『唯一の望み』として望んだ私との結婚式が、国中から祝福されるほど豪華に執り行われることになるのは、そう遠くない未来のお話。
Fin