軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

カルムの心配(後編)

Side カルム・ノーラッド

そして翌日。

「おはようございます!」

本日の店長は通常通りの時間に出勤。

張り詰めた、というよりも少し明るすぎるくらいなのが気になりますが、

「おはようございます、店長。昨日はちゃんと帰って休めましたか?」

「え? ええ、それなりに」

今、妙な間がありましたね。

「店長? ちゃんと休んでますか?」

「ちゃんと帰りましたし、寝ましたよ。ただ帰ったらまたスライムが進化したので、少々就寝時間が遅くなったというだけで」

「またですか。程々にしてくださいね」

「大丈夫です。仕事に支障が出るほどではありませんし、もうじきこの進化ラッシュも終わると思いますから。ファットマ領でお世話になった村の人から集めた大量のゴミ。それによってスライム達が急速に養分を蓄えて、進化の準備を整えているようなので。

あ、ちなみに昨夜進化したのは2種。どちらも向こうで食用とされる“ミズグモ”を食べるスティッキースライムからの進化で、片方は“営巣”や“捕縛”というスキルが特徴の“スパイダースライム”。この結果を考慮するとミズグモって本当に蜘蛛だったみたいですね。蟹だと思ってましたけど……まぁそれは些細なこと。もう片方は“甲殻成形”スキルを持つ“クラストスライム”になったんですよ。

どちらも基本的な能力や外見はスティッキーと変わらないのですが――」

「そうでした店長。例の洗濯屋からの返事が届いていますよ」

「――あっ、もうですか? 昨日の今日なのに早いですね。もっと時間がかかるかと思いましたが」

楽しそうに語っているところを遮るのは申し訳ないですが、スライムの話になると店長は何時間でも語り始めてしまうので、朝一で届いていた先方からの手紙を見せて注意を逸らします。これが昼休みや終業後なら別にいいのですが、開店中は控えていただかねば。店長と副店長が仕事を放り出していたら、周囲に示しがつきません。

尤も、店長もそこは理解していて、基本的に真面目な方なので大した問題ではないですが……おや?

「ん~……この手紙、店に来るのはいつでもいいと書いてありますね。額面通りに受け取って、今日とかでも大丈夫なんでしょうか?」

「私にも見せていただけますか?」

店長から手紙を受け取り、目を通す。……なるほど。

「実際に訪問はいつでもいいと書かれていますし、明らかに多忙そうな時でなければ大丈夫だと思いますよ」

「なるほど。じゃあお昼を過ぎた頃。昼食が終わってからお店を訪ねてみましょうか。服もしっかりした物にしたいですし、休憩時間にお邪魔するのはできるだけ避けたいですから」

「かしこまりました。私も準備をしておきます」

と、言ったところで、直前に服の話が出たからか、ここで店長の腕に目が留まった。

「珍しいですね。腕輪ですか?」

店長は基本的にアクセサリーの類を身に着けない。着けているところを見たことがない。

生まれ育った土地の風習によっては、年齢や性別に 拘(かかわ) らず、決まったものを身に着けることもあるけれど、そういう話も聞かない。

しかし、今日の店長の左腕には金属製の綱が巻きつき、その両端を繋ぐ留め金に飾り石があしらわれて一体化した、 腕輪のようなもの(・・・・・・・・) がはめられている。

と、思ったら、

「これですか? ふふふ、そう見えます?」

「違うのですか?」

「いえ、そう見えるようにしているので、間違いではないのですが。実はこれもスライムなんですよ。ファットマ領で進化したワイヤースライムといいまして、体を伸ばして糸状になれるんです。その応用として飾りになる石と組み合わせたらアクセサリーのようにも見えるのではないかと思って試していて」

「そうだったのですか……」

果たして、アクセサリーをわざわざスライムで代用することに意味があるのでしょうか?

そんな素朴な疑問が頭に浮かびましたが、楽しそうに語る店長の姿を見てしまうと口にするのは憚られ、何も言うことなく適当な話の切れ目を見つけ、話を仕事に戻しました。

そして昼食後。

身支度を整えた私と店長に加え、

「よろしくお願いします。ユーダムさん」

「任せたまえ!」

なんと、同行者に護衛としてユーダムさんが加わりました。

聞けば店長自ら護衛をお願いしたとの事で、私は内心驚いています。

なぜかというと、店長は普段、全くと言っていいほど護衛を伴わないから。

今でこそ店長は冒険者であり、かなりの実力を持っていることを心から理解していますが、私が店長と出会ってすぐの頃は、大人びていてもまだ子供だという認識が強く、店が繁盛し些細なやっかみで妨害を受け始めた頃は、何度も専属の護衛を側に置くようにと進言しました。

そして店長は基本的に私や姉の言葉によく耳を傾け、意見を取り入れてくれるのですが……

“自分は冒険者だから”、“自分の身は自分で守れるから”、”大丈夫、大丈夫”

と、そのようにやんわりと、しかし断固として護衛をつけることだけは聞き入れなかったのです。唯一の例外として、公爵家を訪ねる際には形式的な意味でフェイさんに同行をお願いしましたが。本当にその1回きり。

フェイさん、リーリンさん、ドルチェ君にオックスさん……店や私達従業員には万が一もないように徹底的に。一商店の護衛として過剰なほどの戦力を集めているのにも関わらず、自分にはまるで無頓着なのです。

生半可な腕の護衛では逆に足手まといになるのかもしれませんが……

「カルムさん、どうかしましたか? なんか、さっきからじっと見られているような」

どうやら目で追っていたようです。

「店長が自ら護衛をお願いするなんて珍しいなと」

「え? ……そういえばカルムさんとカルラさんには何度も薦められていましたよね」

店長もかつて私と姉が進言していたこと、そして聞き入れなかったことを覚えているのでしょう。少々気まずそうに目を逸らします。

「別に怒っているわけではありませんよ。今では店長が強いというのも理解してますし。ただ、どうして今日はユーダムさんに声をかけたのかと純粋に疑問で」

「最近何かと物騒と聞きますから。今朝も何かあったみたいで、連行されていく人達を見かけましたし、あとはこの 服(スーツ) は激しく動くのに向きませんから。あ、でも今度魔獣の皮とか、運動性の高い素材で動けるスーツを作ってもらうのもいいかもしれませんね」

「動ける礼服かぁ。戦闘用にはどうかとおもうけど、礼服が動きやすくなるなら需要があるだろうね。普通の服でも動きやすいに越したことはないし」

そういえば店長がお住まいの北鉱山から街に来れば、通るのは北門。確かあの付近には警備兵の詰め所の他に留置場がありましたね。それでたまたま連行される人を見たと言うのは納得できますが、その程度なら前にも似たようなことはあったはず……服が動きづらい、だから念のため?

「たとえば関節部分だけでも――」

「僕が昔行った所では――」

「そんな皮や植物が!? 魔獣って本当に多種多様なんですね。だったら――」

……というか店長、動きやすい礼服についてユーダムさんと語り合わないでください。

「店長。こういう何気ない会話から思いだしたかのようにアイデアを出す。その発想力は素直に賞賛しますが、アイデアが全部口から出てます」

「あっ、すみません。ユーダムさん、この話はまた後で」

「了解!」

まったく、店長は職人気質というか、研究者気質というか……今はまだ思い付きとはいえ、もしかしたら将来大金を生むかもしれない情報。それを具体化する案を出しながら街を歩くのは私には、1人の商人として見過ごせませんでした。

セルジュ様やギルドマスターの対応を過保護ではないかと思ったことも何度かあるのですが、時々こういうことがあるので、見守っていると心配になるのでしょう……

そんなことを考えながら、私は周囲の店や街の建物について何気ない話をしている2人について歩きます。

そして――

「……あの、カルムさん?」

「はい」

「あそこが例のお店なんですよね」

「そのはずですが……」

件の洗濯屋がある通りに入って、自然と私達の足が止まりました。店まであと少し、あと数歩というところに、人の山があるのです。それも体格の良い若い男達が、角材や金槌などを持ち出して……とてもお客とは思えない剣呑な雰囲気を出しています。

「こりゃどう見ても穏やかじゃないね。どうする? 店長さん」

「どうすると言われましても……どうやらもうこちらに気づいている人もいるみたいですし、日を改めるにしても、話を聞いてみないことには都合の良し悪しも分かりません。もしもの場合はよろしくお願いしますね」

店長は僅かに硬い声でそう告げると、堂々と集団へと近づいていきます。

私とユーダムさんは離れないように脇を固めます。

近づくにつれて集団からは見定めるような視線が多く向けられ、

「こんにちは。少々お尋ねしますが、何かあったんですか?」

馬一頭の距離まで近づいたところで、先に口を開いたのは店長。

そして集団が僅かにざわついて、口を開いたのは1人の男性。

「なんでもねぇよ」

……この状況でなんでもないとは到底思えませんが、そう言うのなら、

「そうですか。では通していただけますか? 我々はそのお店に用があるので」

と、店長がそう告げた途端。男の表情が、不機嫌なものから怒りへと変わる。

「おいこら、この店に用って言ったな。何の用だ」

「ええと、貴方はお店の関係者ですか?」

「んなことどうだっていいだろうが!」

「どうでもよくはありませんよ」

あまりの態度に、つい口が出てしまいました。

当然のようにこちらを睨んで来る男性。

ですが、

「我々はこのお店の責任者と商談に来ました。商談内容を店の関係者でもない人に教える義務はありませんし、商人としての信用にも関わります。関係者であるかどうかを確認するのは当然のこと。そもそも我々は事前に手紙で、そちらのお店の店長様にも連絡を取っています。関係者でないのならお引き取りください」

「……ッ!」

そう言うと反論もできないようで、数秒押し黙った後、

「ちっ! ごちゃごちゃと……だがやっぱりか! お前らが変な契約でこの店を奪い取ろうとしてる地上げ屋だな!」

『……は?』

突然、何を言い出すのでしょうか、この男は。

「まさか子供連れとは思わなかったが、地上げ屋ならそのガキの肝の据わり方も納得だ」

「いえ、それは単に店長が――」

「口先で丸め込もうったってそうはいくか! 俺らは聞いてんだよ、この店を買い取らせろって手紙が送りつけられたってな!」

「それは!」

確かに我々は昨日、買収の話をしたためた手紙を送りましたが、地上げだなんてとんでもない。手紙の要点を思い出してみても、

目的:お客様にとっての利便性を高めること。

複数の店舗にお客様を分散することで、1つの店舗あたりの負担を軽減すること。

条件:現在、相手方が所有している自宅兼工房の買取。工房のみでも可。応相談。

買収後、希望者はそのまま雇用を継続する。現住所からの退去は求めない。

基本的に買収前後の違いは仕事の内容。バンブーフォレストのやり方に統一。

ただし支店の従業員や命令系統の変化は最小に留めるように配慮する。

このような内容で送ったはず。親子を追い出そうなんて思ってもいません。むしろそのまま働いてくれた方が良いとさえ思っていたので、このような対応を受ける謂れはないと思うのですが……

「ちょっと待ってください。冷静に話を」

「ふざけんなっ! そうやって人を騙して金や家を巻き上げるのがテメェらの手口だろ!」

「そうだそうだ!!」

「お前らのせいで! 行くアテもないまま家を追い出された奴もいるんだぞ!」

「この店だって! 何度も売るように迫る人が来ていたじゃないか!」

最初の男の怒声を皮切りに、周囲にいた男達も声を上げ始めました。

既に家を追い出された? この店を売れと迫る人が来ていた?? それは、

「カルムさん」

「店長。おそらく同じことを考えているかと」

「っていうか、これ間違いなく他の誰かと間違われてるよね」

最近、街の色々な所で様々な問題が起きているとは耳にしていました。

それはここでも例外ではなかったようです。

きっと、彼らが仰るような行為をしている輩がいるのでしょう。

しかし、それは我々ではありませんし、一緒にされては困ります。

「皆さんの仰りたいことは概ね理解しました。ですが、その悪事を働いたのは我々ではありません。我々はギムルの東に店を構える洗濯屋、バンブーフォレストの者です」

「そちらのお店の店長様からも、“いつでも来ていい”との返事をいただいています」

先にかけられた容疑を明確に否定し、店の名を出した店長に続き、私も手紙に返事をいただいたことを説明。すると、

「バンブーフォレスト、って、あそこだよな」

「ああ、たしかうちの工房も世話になってる」

「奥さんから手紙に返事があったって?」

「そういやあの店は子供が店長やってるって噂が……え? マジか?」

どうやら当店のことをご存知の方もいたようです。

集団の中から声が上がり始め、だんだんと敵意が薄れた、その時、

「騙されるなッ!!」

またしてもあの男性が怒鳴ります。

「実際にある店の名前を騙って話を持ちかけてきた奴もいただろうが!」

「そ、そうか!」

「いや、でもあの店けっこう儲かってるみたいだし」

「だよな? 話くらいはさせてやっても」

「馬鹿野郎! 思い出せ! そうやってホイホイ話を聞いて、契約に持ち込まれた奴が何人いるか! ギルドだって“契約がある”の一点張りで何もしてくれなかっただろ! これで奥さんと子供が路頭に迷うことになってみろ! お前ら親父さんに顔向けできんのか!?」

男の言葉で次々と、話を聞く気になりかけていた人々の表情が曇りました。

もしかすると、実際に騙された人もこの中にはいるのかもしれません。

ギルドが何もしなかった、というのは少々気になりますが、

「たとえ子供でも、この店に手を出すなら容赦はしねぇ! 二度とここに来る気が起きねぇように叩き出してやる!」

これはまずい、全く話が通じない。

「……だったのにな……」

「え? 店――!?」

呟かれた言葉が聞き取れず、ふと目を向けた瞬間。

目に飛び込んできたのは、これまでに見たことのない店長の瞳。

店長は前々からたまに、何かを思い出して落ち込むことはありましたが、今回はその比ではなく……暗く、重いものを感じました。

「店長? どうされました?」

「いや、なんとなく今の状況を見てると残念というか……もちろん、皆さんにも色々とあったせいなんでしょうけど……街の人もこれじゃ、ゴロツキと変わらないじゃないですか」

その声には深い落胆、失望のようなものが込められていたように思います。

そう言いたくなる気持ちも分からなくはありません。むしろ納得です……が、

「ああん!? 今なんて言いやがった!」

この場では、火に油を注ぐ最悪の一言。

咄嗟にユーダムさんが前へ――

「っ!? いいのかい?」

――出ようとして店長自身に止められました。

「自分で思ったことを自分で口にした結果です。それを受け止めるのも自分でしょう。ユーダムさんはカルムさんに万が一がないように」

「……了解」

「良い度胸してんじゃねぇか」

「別に間違ったことを言ったとは思っていませんからね。訂正する気もないですし。その必要もないでしょう」

その言葉で余計に雰囲気が悪くなっていきますが、店長はさらに、

「いい大人が集まって、そんな得物を見せびらかして、大声を上げて威圧しようとするばかりで、まともな会話もできない。するつもりもない。街中で騒動を起こしているゴロツキと何が違うのですか? と、私は思いましたし、言いました。間違っていますか?」

「こ、このクソガキが……」

店長……同意はしますが、わざわざ言い直さなくても。

口調は丁寧、そして淡々としていますが、言葉の端々に鋭い棘を感じます。

「ユーダムさん、私も分かりました。昨日話していた、ピリピリという感じ」

「そりゃ良かった。で、どう対応する?」

「……わかりませんね。普段は何を言われても、そうですね~、とか言って笑って流すような人ですから。こんな反応は初めてです」

ここは一度、強引にでもこの場を――

「ところで、そちらの扉の影にいらっしゃるのは、そちらのお店の店長様でしょうか?」

『!?』

「あ……!」

店長と男性に注目していて気づきませんでした。

男性達が集まっていた店の扉が少し開き、隙間から細身でまだ妙齢と言われる年頃の女性が様子を窺っていたようです。おそらくは、彼女がこの店の女店主。

「な、何やってんだ奥さん! 早く中へ!」

「その……私……」

「お話をさせていただけま――」

「他人の話に割って入ってくるんじゃねぇ!」

「――お話をさせていただけませんか?」

「大丈夫だ! あんたと子供は俺らが守ってやるから!」

「あ……」

女店主の視線が店長や我々、集まった男達の間を行ったり来たり。

その間も男は必死に、迷うそぶりを見せる女性に言葉を投げかけ、

「……すみません」

そして最終的に、女店主は店に戻ってしまいました。

すると店長は我々を見て、

「2人とも、帰りましょう」

先ほどまでのやりとりは何だったのか。

もう興味を失ったと言わんばかりに、来た道を戻ろうとしています。

その変わり身の早さには、先ほどまで絡んでいた男も戸惑った様子。

「え、あ? おい!」

「あ、お邪魔しました。奥様の意思は確認できたと判断し、我々は帰ります。もうここに来ることはないと思いますが、もし先ほどの件で文句などあれば、店の方でアポイントを取ってください」

「アポ、ってなんだよ……?」

「失礼、面会の約束のことです。私は逃げも隠れもしません。その手の物を持ってきても構いません。ただ、うちの店員やお客様を怖がらせたり、傷つけるようなことがあれば、 全力で対処(・・・・・) させていただきます」

その言葉に込められた、静かながら有無を言わせない圧力。

「ユーダムさん、我々も行きましょう」

「ああ!」

幸いにも店長はゆっくり歩いているだけだったので、追いつくのは簡単でした。

「店長。どうされたんですか? 突然」

「カルムさん。すみません。ですが、あのお店の買収は諦めたほうがいい……いえ、僕は魅力を感じなくなりました。残念ですが、別のお店と人を探すか、普通に支店を作りましょう」

「それについては私も異議ありません。焦る必要もないことですし、また1からゆっくり考えましょう」

「そうですね」

……それっきり、黙り込んでしまう店長。

変に考えすぎるところは店長の悪癖で、そこまで珍しいことではありませんが、先ほどの刺々しい対応を考えると、今回はいつもより重症なのでしょう。

店長が怒る理由は、常識的に考えればそれなりに思い浮かびます。

しかし思い浮かぶ範囲のことは、どれも普段の店長なら軽く流してしまいそうなもの。

普段は受け流せるようなことを受け流せない。

つまりそれだけの余裕がなくなっているのでは?

「店長。ずいぶんと気を張り詰めている感じがしますが、大丈夫ですか?」

そう問いかけてみると、店長は否定をしようとしたのでしょうが、言葉にせず。

少し自分の行動を省みた様子でため息をひとつ吐いた後、

「そうですね。少し、気を張りすぎていたみたいです」

と、私の言葉を認めました。

「気になることがあるのなら、聞かせていただけませんか?」

「今のままでも問題ないとは思います。だけど、念には念を入れて、という感じですね。

たとえば、お店のことならカルムさんがいる。ここで引き合いに出すと陰口にもなりそうですが、もしこれがカルムさんではなく、先ほどの女性だったら、きっと僕はお店を任せる気にはなりません」

「それについては、まったくの同意見です。控えめに言って、彼女のお店は前情報の通り、“周囲に支えられていたからこそ”今まで続けてこられたのでしょう」

店長は頷く。これについて、我々の意見は一致しているようです。

「彼らが話していた噂の通り、あまりお店にいない僕ですが、曲がりなりにも店長として、従業員の上に立つ者としては、経営を安定させてお店と従業員を守る責任があると考えています」

それが私には可能で、あの女性には不可能と店長は判断した。

これは“店を任せられる”と信頼している、という意味でしょう。

「だけど予想外の事態や理不尽というものは、得てして突然やってくるものです。どんなに警戒に警戒を重ねても、我々が人間である以上、絶対、というものはない……そして何かを失うのはほんの一瞬。一瞬の不注意。一瞬の油断。一瞬にして、大切なものが取り返しのつかないことになる、なんてことは珍しくない」

「……」

それは歳を重ねた老人のような、経験や重みを感じる言葉。

それをごく自然に口にした店長は、苦笑いになり、

「なるべく予想外がないように、念には念を入れて。そんなことを考えていたら、自然と力が入っていたようです」

「やはり、こう街が荒れていては落ち着きませんか?」

「それは否定しませんが、結局は僕の性格の問題ですよ。僕もカルムさんも、街の人だって、誰もが治安の悪化を感じていて、各自で必要な対策をしている。手を抜いてるんじゃないか? なんて疑ってるわけでもないです。けど、どこまで対策をしても“まだ足りない”と考える人もいるでしょう?」

「それは確かに」

「僕も気をつけたいとは思います。とはいえ、そういうことを考えてしまうのが僕の性格なので、これからもよろしくお願いしますね」

と、悪戯に成功したような笑顔で仰る店長ですが、そんなことは今更いわれるまでもありません。

「当然です。私はそのためにいるのですから」

そう言うと、店長はまた、そうでしたと笑いながら、店への道を戻っていく。

その背中には先ほどまでの重い空気は感じられず、僅かに足取りも軽かったように思います。