軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13話。長安でのこと

初平2年(西暦191年)12月。長安。

年越しを控えたある日のこと、弘農の劉弁から王允の下に(正確には劉協の下に)一つの報が届けられた。

それはまだ年若い劉協にすれば特に気にするような話題では無かったし、劉弁の代理として劉協を支えている何太后からすれば、彼の正妻の立場が補強されると言うことは、自分の息子の立場も固まることを意味しているので、歓迎すべきこととして受け止められていた。

しかしその一方で、その報を聞いて怒りを露にした者もいる。

「奴の娘が陛下の側仕えになっただと?!」

「正確にはお 后(きさき) 様の側仕えですがね」

「どうでもよいわっ!」

「……そうですか。ま、こっちにとってもどうでも良いことですわ」

「くっ!」

その者とは、過去に話題となった女性の父親である蔡邕を投獄した人物で、今も監視をしながら半ば軟禁状態にするよう指示を出した張本人でもある王允だ。

弘農の腹黒から見た場合、蔡邕と言う人物は、客観的な意見をもって漢と言う国の史を編纂する頑固親父である。

頑固故に蔡邕は董卓だろうが王允だろうが誰だろうが、書き記す内容には一切の忖度をせず、起こったことは起こったこととして記録するのだろう。

そして、彼は自身が記したものに個人的な注釈を加えることはあっても、それは史とは別のものとしているので、弘農としては彼の仕事に文句を付ける気は無かった。

しかし、王允からすれば、その個人的な注釈が厄介なのだ。

そもそも王允から見た蔡邕と言う人物は、政のなんたるかも知らない癖に人のやることに対して無責任にケチを付け、人の失敗を嘲笑いながら偉そうに書き記し、それを後世に伝えようとしている俗物でしかない。

彼が書き記したものが正式な史記となった場合、彼を投獄し、今も冷遇している自分がどのような扱いを受けることになるのか、想像するだけで胸をかきむしりたくなるくらいの焦燥感を覚えると言うのに、よりにもよって娘が皇帝陛下の側に仕えることになってしまったのだ。

このままだと蔡邕は、娘の立場を利用して自分が書きたいものを書き記そうとするはずだ。

それは陛下の認可を得ていると言うことにもなる。そうなったら王允に彼を止めることは出来なくなってしまう。

その結果は、自分が後世の人間から愚物として扱われることになり…………

「~~~~っ!」

声にならない叫びを上げつつ睨む先に居たのは、目の前に座るむざむざと蔡邕の娘を逃がした男。

王允と并州勢との繋ぎ役として董卓から派遣されている男の名は李粛と言った。

「いや、俺を睨まれましてもね」

李粛にしてみれば、王允も并州勢もただの同郷に過ぎないのだから、自分を睨まれても困る。としか言いようが無い。

この李粛と言う人物は董卓が并州刺史であった頃から彼に仕えていた人物であり、その上で珍しく書類仕事も出来た為に、董卓配下の中でもそれなりに重用されていた。

そんな彼は当然丁原に仕えていた并州の人間とも付き合いがあったので、今回のドタバタの中で董卓が丁原の兵を吸収した際、配下の中に涼州閥や并州閥といった派閥が生まれないように、緩衝材としての役割を背負わされた人物でもある。

まぁ緩衝役とは言っても、元々董卓自身が并州刺史であったことも有るし、并州勢の中にはその時期に董卓の下で働いていた者たちもいたので、時間さえあれば并州だの涼州だのと言った括りは無くなって行くと思われていたのだ。

それに何より、彼らの目の前には反董卓連合と言う共通の敵も居たので、この時点では緩衝役と言っても、その仕事はお互いの細かいニュアンスの調整程度(これはこれで重要なこと)であり、李粛としてもそれほど難しい仕事をこなしていると言う認識は無かった。

しかし、ここ最近は違う。現在李粛は、書類仕事から解放されて 自由(武官としての) を満喫(仕事に専念) する董卓陣営の中に於いて、唯一政治の澱みに関わることを余儀なくされていた存在であった。

この彼の受難は、董卓の武力が増すことを恐れた 王允(目の前の老害) による『長安の治安維持の為に并州勢を貸して貰えないだろうか?』と言う一言が発端となっている。

実のところ王允は、洛陽の名家と同じように武や商いを蔑むような価値観を持っており、心中では董卓を『辺境の蛮族の長』と見下していたところがあった。しかし、将としてもそこそこ優秀なのが災いしたのだろうか。

見下していた董卓が数に勝る反董卓連合を真っ向から跳ね返したことで、彼は董卓の持つ武力がどれほどのものなのかを、正しく知ることが出来てしまったのだ。

武を標榜する者たちを蔑んでいながら、武力が生み出すモノを軽んじてはいなかった王允は、董卓が野心を持った場合何進以上の権力を得てしまうのではないかと危惧し、彼の力を弱める為に涼州勢と并州勢の間に溝を作り出そうとしてしまう。

これは董卓が何進と違い国政に興味を抱かず、名家だのなんだのに関わろうとしなかったことで無視された形になった王允が『董卓はその気になれば名家だろうがなんだろうが皆殺しにできる人間だ』と改めて認識したことが大きいだろう。

実際に董卓は洛陽での粛清を行う際に、どんな宦官だろうが、どれだけ格式が高い名家だろうが構わず潰していると言う実績もあるので、この考えは一概に間違っているとも言えないのが判断の難しいところである。(……前提条件として、潰された家には潰されるような理由があるのだが、家柄を忖度しないと言うのは、彼らのような人間にとってそれだけで恐怖の対象になるようだ)

とにかく、董卓の権力の増大を恐れた王允は、董卓の武力の分散を狙い、彼に対して『自分と同郷の并州勢を長安で使いたい』と言って并州勢を借り受けることにした。

しかし王允は武一辺倒の彼ら并州勢(それどころか董卓の配下の大半)を、己の命令を聞いて動く暴力装置としか見ておらず(これはこれで正しい在り方では有るのだが)、普段の言葉遣いや態度の節々から彼が并州の将兵を見下している様が見えてしまっていたと言う。

そんな王允の態度を危ぶんだ董卓によって、并州勢と王允との間で無用の衝突が発生しないようにするため、緩衝役として派遣されたのが、この李粛だった。

彼は先述したように王允の同郷と言うこともあるが、并州勢には珍しく文官仕事が出来る人間であり、洛陽では董卓と共に書類地獄を戦い抜いた猛者でもある。

そんな実績が有ったので、王允も李粛を他の并州勢のように蛮族扱いをして邪険にすることは無く、それなりの態度で接していたし、并州勢も同じ并州出身の癖にお高く止まっている王允のことを内心で見下すことは有っても、李粛には一定の敬意を払っていたので、これまでは特に問題も無くそれなりにやれていた。

……本来ならば董卓と共に右扶風の郿に新設されている城に入り、洛陽で味わった地獄の数分の一程度の書類仕事をしながら、自由気ままに暮らす予定であった李粛にしてみれば、この扱いは名誉どころか、いい迷惑でしかない。しかし『これも仕事だしなぁ』と色々諦め、なんとか調整役として働いてきたのだ。

そんな李粛にしてみれば『自分の悪口を言った蔡邕の娘が逃げ出した!』などと唾を飛ばされて叱責されても『知るか』で終わる話でしかない。

「そもそもの話ですがね。その弘農に行った娘さんの親父である蔡邕ってのは、弘農に居る陛下から『無罪だから釈放しろ』って言われて釈放したんでしょう?でもって、その親父が陛下に謝礼を述べる為に、娘さんに財を持たせて弘農に送ったんですぜ?それに対して俺らにどうしろってんですかね?」

もしも蔡邕が罪人であると言うならば、それを釈放してもらうよう嘆願しようとしている娘を止めるのもわからないではない。しかしその蔡邕は、皇帝その人に『罪人ではない』と認められたのだ。ならばその娘の行動を掣肘することなど出来るはずが無いではないか。

しかもその行動が『帝への感謝の気持ちを伝えに行く』と言うなら尚更だ。……その行き先が弘農と言う時点で、并州勢も李粛も『俺らは何も見てねぇからさっさと行ってくれ』と言う感じだったのはともかくとして、李粛の言うことはまさしく正論であり、王允としても返す言葉はない。

……と思われたが、一日千里を走ると言われた王允の思考は、一介の役人である李粛が及ぶべきところでは無かった。

「そんなことを言ってる場合か!奴の娘が幼い陛下に対して我らの誹謗中傷を訴えたらどうなると思っている?!」

「……どうもならんでしょ。せいぜいが向こうの作る資料に『蔡邕の娘がこう言っていた』って残るだけの話ですかね?」

「それが問題なのだと何故わからんのだっ!」

「いやぁ。それが問題と言われましてもねぇ(普段から散々 并州勢(俺たち) に汚れ仕事をさせておきながら、今更何を言ってやがる)」

後頭部をボリボリ掻きながら王允を見る李粛の目には、隠しきれないほどの呆れや侮蔑と言った負の感情が宿っていた。

それと言うのも李粛は、この王允や楊彪がこれまで名家の粛清を董卓の配下にさせておきながら、その裏では自分に 阿(おもね) る名家の連中を匿ってやると言う 自作自演(マッチポンプ) を行うことで、長安に残っている名家連中から信望を集めていることを知っているのだ。

今まで散々、 自分たち(董卓陣営) を悪者にして利益を貪っておきながら、いざ自分が悪し様に言われたら 癇癪を起こして(ヒステリックに) 騒ぎ出すのだから、李粛が『馬鹿か?』と言う目を向けるのも当然と言えば当然の話だろう。

「なんだその目は!」

しかしこんなんでも王允は司徒と言う三公の一つの官職を預かる身である。そんな彼から見れば李粛は多少は見るべきところがあると言っても所詮は蛮族の一味でしかない。そして 彼(蛮族の一味) から侮蔑の眼差しを受けて平静でいられるほど、王允と言う人間は大人ではない。

「なんだと言われましてもねぇ……」

対する李粛は李粛で王允が怒ったからと言って頭を下げる気はなかった。

一応言えば、これは無礼な態度ではある。もしも彼が単体で長安に居ると言うのなら、王允に頭を下げることもしたかも知れない。しかし今の李粛は 董卓(大将軍) の名代として長安に居るので、必要以上に 畏(かしこ) まる必要は無いと言う事情があるからだ。

いや、『畏まる必要は無い』と言うか、あまり畏まっては董卓の名に傷が付くので、多少は偉そうにする必要があると言っても良いだろう。

それに加えて今の制度上では、三公よりも大将軍の方が立場は上だし、何より丞相である劉協や皇帝である劉弁は 王允(司徒) や 楊彪(司空) の二人よりも 董卓(大将軍) を信用しているので、王允が何を言ったところで、いきなり李粛が罪に問われることは無いと言うのもある。

「くそっ!もういい。下がれ!」

「……了解」

これ以上ここで李粛と話しても何も解決しない。それどころか不愉快な目を向けられるだけだと判断した王允は李粛に退室を促し、退室を命じられた李粛も王允に対して何かを言ってやる気もなかったため、その言葉に従って退室していった。

「くそっ!」

一人になった王允は、部屋の中央に備えてある机に対し、両手を叩きつける。

「くそっ!くそっ!くそっ!どいつもこいつもっ!」

ドンッ。ドンッ。ドンッ。

意味を成さない言葉を吐き捨てながら真っ赤な顔をして何度も何度も机を叩きつけるその姿は、まさしく癇癪を起こした子供と一緒である。

名ばかりの人間が己の権威が通用しない存在を疎ましく思うのは、古今東西、どんな時代でもどこの国でも同じこと。

そして今日、董卓の配下に過ぎない李粛にすら侮蔑の目を向けられておきながら、一切反撃することが出来なかった王允は、己が『李粛の背後にいる董卓にすら嘲笑されているのでは無いか?』という思いに囚われてしまっていた。

「おのれ李粛!おのれ董卓っ!……そう、董卓だ!奴がいなければ李粛ごときが私にあのような態度を取ることは出来なかったのだ!」

己を一人の武官と定義し、政治に関わることなく大将軍としての職務に専念する董卓は、今の王允からすれば政治を、ひいては己を軽んずる慮外者である。

李粛の眼差しを思い出すたびに、その屈辱に身を震わせて机を叩き続ける王允の下に【とある人物】から使者が訪れるのは、この李粛との会談からわずか数日後のことであったと言う。