軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11話。袁紹の現状

初平2年(西暦191年)12月。冀州・魏郡・鄴県

「どういうことだっ?!」

遷都や反董卓連合の解散など、漢という国にとって激動の年となった今年も残り一月。

弘農において、少年たちと少女たちがコント染みた出会いをし、どこぞの腹黒が彼らの育成計画を立て始めると言うほのぼの空間を形成していた頃、少し離れた(中国的距離感)ここ、冀州鄴県の宮城は年末年始の支度とは別の喧騒に包まれていた。

とは言え 喧(やかま) しく 騒(さわ) ぐのは、本来冀州牧である韓馥が座るべき席に当然のように座っている袁家のお坊ちゃんとその一党だけだ。

ただ、彼らが騒ぐ声が異様に大きいので、結果的に宮城全体が喧騒に包まれているように見えるだけの話だったりする。

その証拠に、一段高い席に座って騒ぎ立てる袁紹や彼に迎合する連中とは正反対に、韓馥の幕僚たちは冷ややかな態度を取っていた。

「いや、どういうことも何も……どう思う沮授よ?」

その中でも皮肉屋として知られる文官である田豊が、自身の隣に立つ壮年の男性に声をかけると、その男性は、やれやれと言わんばかりの顔をして田豊からの問いかけに応える。

「名家に 媚(こ) び 諂(へつら) う策士気取りが中途半端な策を弄した結果、己の策に溺れただけの話でしかありませんな」

「じゃよなぁ」

二人は溜息を吐き、袁紹と共に騒いでいる逢紀や郭図に対して特に冷たい目を向けている。

現在、袁紹が荒れているのには理由があり、公孫瓚を利用して韓馥から冀州を奪おうと目論んでいた計画が事実上、破綻してしまったからに他ならない。

元々袁紹は冀州を奪う為に、韓馥に対して『長安からの命令で公孫瓚が冀州を狙っている』と言う虚報を流し、彼の不安を煽ると同時に公孫瓚や劉虞に対しては『逆賊である韓馥を打ち倒し、我々で冀州を分割しようではないか』と言う誘いをかけていたのだ。

これらの工作により、韓馥に言っていたように、公孫瓚が冀州を狙っていると言うことが事実となって彼を圧迫することとなった。そして公孫瓚や長安の兵力に襲われることを案じた韓馥は、対公孫瓚の為に袁紹の持つ兵力を頼らざるを得ない状況に陥ってしまう。

結果として韓馥は袁術ではなく袁紹を鄴に迎え入れざるを得ず、そのまま彼を奉じることになってしまった。

ここまでは袁紹一派の予定通りである。しかし問題はこの後に起きたのだ。

彼らの予定では、公孫瓚と劉虞が冀州を巡って争っている間に自分が冀州を抑える予定だったのだが、ここで誤算が生じてしまう。

まず最初の誤算は、劉虞が長安から韓馥に代わる冀州牧として任じられてしまったことである。

少し考えれば分かることなのだが、 長安の政権(皇帝) にとって反董卓連合に属した者達は全員が逆賊である。当然、そんな逆賊をいつまでも正式な州牧だの州刺史に 据(す) えたままにしておく理由は無い。

そして長安にいる司空の楊彪は、確かに袁家所縁の人間ではあるが袁術派の人間だ。と言うか、基本的に袁家に所縁のある者の大半は『宮中侵犯』と言う大罪を犯し、袁家を逆賊に貶め、袁隗や袁逢らを殺すことになった原因を作った袁紹を疎ましく思っていたのだ。

そのため彼らは『袁紹を殺せば逆賊認定を解く』と言う許可を袁術に対して出したし、連合解散後に袁紹が頼る可能性が極めて高かった韓馥に無警戒などと言うことは有り得ないと言っても良いだろう。

……そもそもこの人事は 袁(・) 家(・) の権威を高める為に画策されたことでもあるのだが、それはあくまで 袁(・) 家(・) の(・) 為(・) であって、断じて 袁(・) 紹(・) 個(・) 人(・) の(・) 為(・) ではないのだ。

このような事情なので、長安が韓馥に代わる州牧を任命して来ると言うのは予想出来ていたことである。

その州牧が長安から送られてくるのではなく、冀州と隣接している幽州に居る皇族の劉虞を任命するのも、皇族による逆賊の討伐と言う観点から見れば何も間違ったことではない。

重ねて言えば、劉虞が冀州に異動することで空いた幽州の地と幽州牧の地位を公孫瓚に与えると言うことは、長安が張純の乱から戦い続けて来た彼に対しての正式な褒賞を与えると言う意味合いも有する。

これを公孫瓚が受けることで、長安は公孫瓚に対して影響力があることを内外に示せるし、公孫瓚も長安に叛意が無いことを示すとともに、幽州内での影響力を増すことが出来るようになった。

この人事により新たな地位と領土を手に入れた公孫瓚は、袁紹が画策したように冀州を取る為に劉虞と争うよりも、幽州の統治を優先することを選ぶ。つまり劉虞と争うどころか『劉虞に戻って来られては困る』と言わんばかりに、劉虞の冀州平定に全力で力を貸すことを決意する。

これは言い方は悪いが、幽州から劉虞を追い出す為に動いたと言い変えても良い。

こうして劉虞と公孫瓚の棲み分けが出来てしまったのが、袁紹一派にとっての第二の誤算であった。

これに加え、策の一環として袁紹が劉虞に冀州の統治を呼びかけたことが、劉虞の動きを後押ししてしまう結果ともなってしまう。

つまるところ、 最初(はな) から逆賊である袁紹の為に動くつもりなど無かった劉虞は、袁紹が劉虞に対して出した『冀州の統治を認めるような内容の書状』を活用し、袁家の被官である韓馥の部下たちや冀州の乗っ取りの為に各地に散っていた袁紹派の人間たちの行動を封じたのだ。

こうして公孫瓚の武力に加え、長安からの正式な任命書、更に袁紹からの書状を手にした劉虞はそれらを最大限に利用し、袁紹が魏郡で足場を築いている間に 常山国(じょうざんこく) ・ 中山国(ちゅうざんこく) ・ 安平国(あんぺいこく) ・ 河間国(かかんこく) ・ 清河国(せいがこく) ・ 勃海郡(ぼっかいぐん) を制圧してしまう。

この劉虞の進軍の速さには、彼が皇族であると言うことも無関係ではない。なにせ劉虞の配下になると言うことは、自動的に逆賊認定を解除されるということでもあるからだ。

これらの要因が重なった結果、冀州の各地の豪族たちは劉虞に対し抵抗するどころか、進んで彼の下に集うという有様であった。

このような事情から、現在袁紹が居るここ魏郡や、隣接する鉅鹿郡・趙国はまだ完全に劉虞に靡いてはいないが、田豊や沮授は劉虞による冀州の平定は最早時間の問題でしかないと判断していた。

この判断の根拠としては、劉虞と韓馥の立場の違いが挙げられる。

何度も繰り返すが劉虞は皇族である。それも一時期は袁紹らが劉弁に代わる皇帝にしようとした程の人物だ。これに対して自分たちが仕える韓馥は、2年前に董卓が洛陽に居たときに州牧(当初は州刺史)に任じられただけの者でしかない。

元々州牧であることが冀州を治める大義名分となっていたと言うのに、こうして長安から逆賊認定された挙げ句に新たな州牧が任命された今、罷免された形となった韓馥には冀州を治める大義も名分も存在しないと言える。故に今の韓馥には冀州牧を名乗る権利は無いし、そんな韓馥から州牧と言う肩書を譲り受けたところで、袁紹が冀州を治める正統性がどこに有ると言うのか。

田豊や沮授と言った者達も含め、冀州の豪族は韓馥や袁家に従っているのではない。漢帝国の皇帝から任じられた冀州牧に従っているのだ。

もしもこの状況で袁紹が冀州牧を名乗ったとしても、それは『長安の決定に逆らう逆賊』としての悪名を更に広めるだけの行為でしかないと言うことになる。

それでも、袁紹が勝てるならまだ良い。勝って逆賊の名を雪げると言うのなら味方をする者もいるだろう。だが、こうして追い詰められた状況で、更に皇族である劉虞を打ち破る為に袁紹に従うと言う人間がどれだけ居る?

兵なら金や食糧をばら撒けば集めることは出来るだろうが、それを率いる将や軍勢を支える文官はそうはいかないだろう。彼らとて名家ほどでは無いが名に拘るし、わざわざ逆賊に従って先祖代々続く家の名を貶めたいわけでも無いのだ。

これらの状況を鑑みれば、劉虞によって冀州の大半を抑えられた今の袁紹は、完全に身動きを封じられた形となってしまったと言ってもよいだろう。この状況を第三者が見れば、今の袁紹は孤立無援の状態であり、魏郡と言う檻に自らから入った獲物と言うことも出来るかもしれない。

しかし不屈の男、袁紹は自身が追い詰められていることなど認めない。認めるはずが無い。

「おのれ劉虞っ!この私を 謀(たばか) りおって!」

「まったくです!このような無体を許すわけにはいきませんぞ!」

「左様、即座に抗議をするとともに、奪還の為の軍を興しましょうぞ!」

激昂する袁紹と、それを宥めるのではなく火に油を注ぐようなことを言う袁紹の幕僚たち。自分本位な袁紹はいつもの事なので良いとして、問題は幕僚たちだろう。

彼ら幕僚たちは袁紹とは違い、現在自分たちが置かれた窮状を正しく理解している。今更降伏しても袁術の側には自分たちの居場所は無いし、そもそもここで勇ましいことを言わなければ策の失敗の責を負わされてしまうのだから、何とかして話を逸らそうと必死なのだ。

その必死さが何かを生み出す原動力になれば良いのだが、世の中と言うのはそんなに甘くはない。それにそもそもの話、前提条件が間違っているではないか。

「……いや、謀るもなにも、自らが掘った墓穴に嵌っただけじゃろうに」

最初に相手を嵌めようとしたのは自分だと言うことを忘れたかのように騒ぎ立てる袁紹を見やり、思わず呆れ声が出てしまう田豊。彼は曹操のように袁紹と付き合いがある者達が陰で話している『袁紹の常識非常識』と言う言葉は知らずとも、彼らの非常識さをこれでもかと言うほど実感させられていた。

「まったくですな。長安からすれば、いつまでも逆賊を野放しにする理由など無いと言うのに。その上、何をもって劉虞様を自分の思い通りに動かせると思ったのやら。私には彼らの目には自分たちがどう映っているのか、皆目見当もつきませんな」

田豊の隣に立つ沮授も『そりゃこうなるだろ』としか言えない状況を自分から作り出した袁紹一派に対し、まさしく言葉も無い状況である。

「連中。鏡を見たことがないんじゃろぉなぁ」

「然り。万が一あったとしても、見えるのは夢の中の自分なのでしょう」

「「…………」」

あまりにもあまりな醜態を晒す彼らから目を逸らし、これからどうする?と目で語る二人を他所に、袁紹は画期的策を思い付いてしまった。

「そうだ!兗州にいる曹操や劉岱と連合を組み劉虞を討とう!公孫瓚には并州をくれてやるとでも言えば、私に従わずとも目の前の餌に飛びついて劉虞を見捨てるだろうからな。幽州勢の後ろ盾が無い劉虞など赤子の手を捻るようなものよ!」

「「はぁ?」」

なんでそうなる?!と言うか、曹操も劉岱も連合に参加したことで疲弊しているだろうから遠征軍など興す余力は無いし、そもそも自分たちの逆賊認定を取り消す為に袁術や劉虞に与することはあっても、袁紹に味方する理由など一つもないだろうが!更に公孫瓚が并州を欲しがると言うのは何か根拠があるのか?!

袁紹の事を良く理解していない二人から見れば、何がどうなればその結論が出るのかさっぱり分からないのだが、この場においてそのような疑問を持ったのはその二人だけしかいないようで、他の者達は、

「おぉ、それは名案ですな!」

「すぐに使者を立てましょう!」

などと、先を争うように袁紹の意見に賛同していく。そんな彼らの声を聴いた袁紹は、満足げに大きく頷いて、曹操らに宛てる為の書状の内容を協議し始めたではないか。

「田豊殿……」

「……頼むから儂に聞くで無いわ……」

沮授から縋るような目を向けられた田豊としても、今まで全く付き合いの無かった袁紹の思考回路や行動原理はさっぱり掴めないし、袁紹が曹操や劉岱と何かしらの繋がりがある可能性も否定仕切れないので、真っ向から意見を否定して諫めることも出来ず、目の前で『あーでもないこーでもない』と空論を交わす袁紹らを、ただただ茫然と眺めることしか出来なかったと言う。