軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

22話。反董卓連合①

初平元年(西暦190年)3月。洛陽。

月の初めになると新帝劉弁は先帝と何進の喪に服すために洛陽を離れ弘農へと移ることを宣言。それと共に、光禄勲である李儒や帝の親衛隊として組織された旧西園軍らは洛陽を離れていった。

そして元々袁紹の暴走とは無関係だった人間や恩赦を受けた名家の人間たちは丞相である劉協 (8歳児)の施政を支えるため洛陽に残ることになる。

これは新帝になった劉弁に対して含むところがある為……ではなく、喪に服す人間は政治的な業務を行わないと言う、儒教的価値観によるものだ。

このため現在の洛陽では司空の楊彪と司徒の王允によって政が回されており、董卓は軍を預かる大将軍として洛陽で名家を粛清したり、どこぞの腹黒に『宿題』として残されていた大将軍としての仕事の引継ぎ作業や、丁原が率いてきた并州勢と自身が率いてきた涼州勢・さらに官軍を加えた軍の再編成の業務に追われ、養子とした偉丈夫と共に書簡に押しつぶされる寸前であった。

そんな彼らを地獄から救ったのは、洛陽に残り大将軍府の実務を担当していた荀攸であったと言う。

―――

大将軍府・執務室

「大将軍殿。連中が動きましたぞ」

「……そうか。やっとか」

荀攸からの報告を受けて、怒りや焦りよりも安堵の息を吐くのはどうかと思うが、今の董卓にとっては書類以外の敵が出来たことは歓迎すべきことであるのも事実である。

「えぇ。しかし橋瑁殿が連中に呼びかけを行ったのは私も計算外でした」

「うっ……も、申し訳ない」

普段の名家を憎む姿から想像も出来ない低姿勢で荀攸に謝罪するのは、この度董卓の養子となった偉丈夫。そう、飛将軍こと呂布だ。

今の呂布は名家を憎む気持ちは依然持っているものの、己が失態を犯したせいで丁原が死んでしまったことや、今回の件の罰として董卓の書類仕事を手伝わされたことで、夢の中でも書類仕事をしているような状態となっており、色んな意味で心が折れかけている状態であった。

そんな呂布の精神状態はさておき、橋瑁が動いたのは間違いなく自身の失態のせいである。それを自覚している呂布は『これ以上罰として書類仕事が増やされては堪らん!』と言う感情もあり、名家であり文官である荀攸に対しても素直に頭を下げることが出来た。

荀攸としては『自分に頭を下げられてもなぁ』としか思っていないので、とりあえず今のところはこれ以上罰として書簡を追加する予定はない。

それに荀攸は『管理職と言うのは、部下を生かさず殺さずのギリギリのところを見定めて使うことが求められる』と言うことを腹黒外道から学んだのだ。そんな 管理職(外道の同僚) から見て、呂布はそろそろ暴発しそうだと判断したのもある。

それに張遼が言うには、呂布と言う男は并州でも並ぶ者が居ない程の武人である。彼が暴発した場合の被害を考えれば、適度に息抜きをさせる必要があると言うこともしっかり理解していた。

……社畜とは本人の資質だけでなるモノでは無い。彼らは会社や上司、果てには社会環境が生み出す悲しき時代の被害者なのだ。

そんな社畜事情は良いとして。

「橋瑁殿……もう大将軍府の人間では無いので呼び捨てで良いですね。現時点で橋瑁の呼びかけに応じたのは、孔伷・劉岱・張邈・張超・袁遺と言った面々です。それと元々地方に居た人間も彼らに加わる見込みです」

「ふむ。ほとんどが今回の人事で地方に回った者だな。それに元々名家や宦官の紐付きが加わるか。嫌われたものだな」

橋瑁が騒ぎ出したのはわかる。北軍による誤チェストによって自身が助ける予定だった者たちが殺されただけでなく、その後始末で主犯である呂布らを殺さずに丁原一人の処罰で許したことが不満なのだ。

劉弁らからすれば、袁紹の関係者と言うだけで処刑の許可を出すくらいであり、恩赦の予定にあるからと言って積極的にその命を救う気など無い。むしろ手が出せない相手を処分してくれたことに対して「よくやった!」と褒めてやりたいくらいだった。

しかし間違いで殺された方はそうはいかない。なまじ橋瑁が恩赦名簿を見ていたのも悪かった。

おかげで今の橋瑁は「董卓が名家を滅ぼすと同時に、丁原の兵を吸収する為にわざと無関係の名家を滅ぼすように裏で手を回した!」などと騒ぎ立てたし、さらに董卓が主犯である呂布を養子として配下に加えたことでブチ切れたのか「帝の勅命を好き勝手に弄る奸賊」として董卓を非難する始末である。

今まで名士として名高かった橋瑁がこのような声を上げたことで、彼と繋がりがあった地方の人間や、腹に一物ある者たちが蠢動することになってしまったのだろう。

ちなみに董卓には政治に携わる人間に心当たりなど無いので、そちらの方面は王允や楊彪に任せていたのだが……今回の件を見るにどうもその人事は裏目に出たようである。

「えぇ。大将軍への好き嫌いもあるでしょうが、彼らの本音としては『地方で燻ぶるよりも洛陽に戻りたい』と言ったところでしょう。なにせ今は今まで上に居た連中が軒並み死に、役職に空席が目立ちますからな」

荀攸は今回の連中の一斉蜂起に関しては『地方で鬱屈しているより空いたスペースに入りたい!』と言う感情が大きいと推察していたし、事実その予想は間違っていない。

これに「成り上がりの董卓が気に入らん!」とか「粛清された身内の仇!」と言った感情が加わって、一つの集団になろうとしているのが今の彼らである。

「これに袁紹と袁術が加わって、さらに勢力を増すのか……まったく度し難い連中だな」

「誠に」

ちなみに今回の彼らの動きに関してだが、荀攸も董卓も橋瑁が動く前から地方の連中が連合を組んで董卓を追い落とそうとするだろうと予測しており、既にその対策も練り終えていた。

と言うか、そもそも彼らがこの異常とも言っても良い速度で反董卓の連合を組めたのには明確な理由がある。なので、その理由を理解していれば今回の彼らの動きも十分に予測することは可能であった。

その理由とは、元々彼らは反何進の連合を組む予定があったと言うことである。

実は何進が在命の頃から袁紹らは地方の人間に対し『生まれの卑しい何進が外戚として政を壟断しようとしている!』とか『何進こそ梁冀の再来である!』と言って地方の名家の人間の危機感を煽っていたと言う事実がある。

袁紹の予定としては、自分たちが張譲ら宦官を殺した後、ありとあらゆる汚名を何進に被せて彼を討ち取り、そのまま名家による国家運営を目論んでいたのだろう。

袁家の力を後ろ盾にすると同時に、名家の連中の自尊心を 擽(くすぐ) ることで、反何進の気運は静かに、だが着実に高まっていた。

そのような下地があったので、この反何進勢力をそのまま反董卓へとシフトさせた結果、異常に早い連合の結成が可能になったと言うことだ。

しかし現状ではたとえ彼らが一斉に蜂起しても、その兵力は良くて数万に届くかどうかと言ったところでしかない。これではどうしても兵が足りないし、集めた兵を維持することが出来ない。

その為橋瑁らが本気で董卓の打倒を考えたなら、元々の計画である反何進連合の発起人である袁紹を、もっと言えば汝南袁家を巻き込むのは確実と言えた。

ある意味で全ての元凶である袁紹は、現在姉が嫁いだ兗州陳留郡の高家にて匿われていた。

しかし彼は自身の現在の境遇に納得してはいないし、何より叔父である袁隗を始めとした一族の仇として董卓を一方的に憎んでいるので、乱の首謀者として担ぎ上げるのに苦労は無いだろう。

さらに言えば今の時点の袁紹は、彼の起こした愚行を知る洛陽周辺の人間ならともかく、真実を知らされていない地方に於いては『漢の為に 十常侍と宦官の大多数(悪の中枢) を滅ぼした英雄』と持て囃されていた。

そんな風に周囲に持ち上げられているので、もしも橋瑁が旗頭として袁紹を利用しようとしたならば、袁紹は堂々と 袁(・) 家(・) を(・) 代(・) 表(・) す(・) る(・) 人(・) 間(・) と(・) し(・) て(・) 名乗りを上げると思われた。

そしてその場合問題になるのが、汝南袁家の正統継承者である袁術だ。

本来なら汝南袁家存続の為に袁紹を葬るべきなのだが、今回の乱では周囲全てが反董卓に傾きかねない。そんな中、袁術が袁紹憎しの感情で董卓の味方をすれば、袁紹は嬉々として後顧の憂いを断つために袁術を討ち取ろうとするだろう。

洛陽としてはそうなってくれれば一番ありがたいのだが、袁術も阿呆ではないのでそのくらいは読めている。そうなると彼も袁家の人間である。生まれも育ちも定かではない董卓に利用されるのは面白くはないと考えてもおかしくはない。

さらに反董卓連合軍が董卓を打倒し、中央政府に対して影響力を持つことが出来れば、洛陽でこれ以上の粛清を行うことも不可能になる。それは名家閥の旗頭を自認する袁家の存続にも役に立つことだ。

そこまで考えが至れば袁術も『袁紹一人に美味い汁を吸わせるわけには行かない』と判断して、反董卓の一員として動くことになる可能性は低くないと判断できる。

しかし袁紹と袁術を同じ陣営に加えてしまえば、この時点で彼らは軍事的に纏りを持たない烏合の衆と化すことが確定するのだが、今は兵や兵糧等をかき集めてる最中なので彼らもそこまでの考えには至らないのだろう。

「そんな阿呆どもが最終的に集める兵ですが、今のところ15万~20万と予測しております」

「20万?!」

「ほう。意外と少ないな」

20万と言う数字に驚く呂布だが、常日頃から涼州で万単位の羌族を相手にして来た董卓から見れば、先ごろの乱で急遽編成されたばかりの地方軍閥がかき集めた兵士など、20万人集まろうとも物の数では無いと言う確信があった。

実際、黄巾の乱の際に官軍を率いたことがある董卓からすれば、一応日々訓練をしていたであろう官軍ですら遅くて・脆くて・弱い存在でしかない。

精鋭と言われた官軍ですらその程度だったのに、今回自分に敵対するのは黄巾の乱の際に発足したばかりの中途半端な訓練と中途半端な経験を持った民兵が相手となれば、負ける方が難しいだろう。

そもそも董卓が率いる涼州や并州の兵士とは、漢が出来る以前から羌族や鮮卑らと戦ってきた者たちだ。それは中央の連中が腐敗していく中でも変わることはなく、まさしく漢の藩屏として数百年の間、異民族と戦い続けてきた精鋭中の精鋭と言うことでもある。

さらに指揮官の差も大きい。三将軍を経験した実績がある皇甫嵩や朱儁や張温などは袁紹の愚行を知っているし、董卓が帝の信任を受けて粛清を行っていることも理解しているので、今のところ向こうに協力する気配はない。

残った連中はどうだ?

袁紹も袁術も孔伷も劉岱も張邈も張超も袁遺も橋瑁も、数万の大軍を率いた経験など無いし、その軍勢が連合軍となれば尚更統率が取れるとは思えない。

これでは自身の氏族だけを率いて来る羌族の大人の方が、機動力や個々の武力を活かす戦術を使ってくるだけまだマシだ。

ここまでくれば『各個撃破どころか、全軍を同じ戦場に立たせた方が互いに邪魔をさせることになるし、無駄が無くて良いのではないか?』と思える程、この反董卓連合は結成前からグダグダになることが予想されている。

去年、袁紹が洛陽で暗躍していた際に、反何進連合発足の動きを知りながら何進や腹黒外道がなんの手も打たなかったのは、袁紹が一人で「所詮は成り上がりよなぁ」とほくそ笑みながら思い込んでいたように、その暗躍に気付かなかったからではない。

反何進連合が発足してもこの状況になることを理解していたからだ。

この連合が発足した後に、彼らを賊として潰すなり滅ぼすなり転属させるなりして地方に存在する名家たちの牙を抜けば、新帝による漢の再興は成ったも同然と言えよう。

そして大将軍府は その(漢の再興の実現) 為に様々な準備をしてきたのだ。……まぁどこぞの腹黒外道が普段から「ああしろ」だの「こうしろ」と命令していた事がこの結果につながると理解したのは、荀攸をしてつい最近のことであるが。

「えぇ。今回は幽州と并州、それと孫堅が動けないと言うのが大きいですな。数についてはまだ未定ですが、大きく外れることはないでしょう」

并州は刺史である丁原が死んだと言うことも有るが、その配下も基本的には董卓に従うことに納得しているし、幽州の軍勢は張純の乱の平定や、この乱に関わった烏桓を牽制する必要があって動けない。

と言うか、彼らも心情的には自分達を下に見て色々してきた名家の連中より、涼州で羌族と戦っていた董卓に近いと言うこともあり、今回の乱には上記のように『烏桓を警戒する』と言う口実でもって参加しないと見ていい。

「そうか。しかしそれもこれも彼の狙い通りとは……」

「……えぇ。恐ろしいほどに予想通りですね」

「彼?」

呂布はまだ彼と言われても誰のことかは理解出来ていないが、董卓と荀攸の二人はこの場に居ない腹黒外道の姿を思い出し、それぞれ胃と頭を押さえていた。

―――

つまるところ前回の反何進連合も今回の反董卓連合も、厳密に言えば橋瑁や袁紹が画策した策では無いと言っても良いだろう。

これは『漢の再興に宦官と名家は不要』と判断していた腹黒外道が、地方に根を張る名家と言う存在を根こそぎ刈り取る為に、袁紹らが蒔いた種に無理やり栄養を注ぎ込んで不自然に開花させた策なのである。

この策を確実なモノとするために、その腹黒外道は数年前から準備を進めていた。

反何進連合が発足した際に敵に回ったら一番の脅威となるであろう董卓を早いうちから懐柔し、その董卓と戦える存在である孫堅にも長沙を与えることで政治で縛ることに成功している。

さらに并州刺史の丁原にも張遼を通じて便宜を図っていたし、当時は中郎将でしかなく地方軍閥の妾の子でしか無かった公孫瓚にだって、それなりの援助を行っていたのだ。

こうして、漢における最精鋭とも言える涼・并・幽の三州の兵を味方に付け、いつ反何進連合が興っても良いようにしていたのだと言うことを、董卓と荀攸は彼が洛陽を離れる前に聞かされていた。

同時に、今回董卓に求められているのはまさしく何進の後継者としての仕事ぶりであることも明かされている。

この話を聞かされたとき当の二人は、策の内容に関する事柄よりも

「(一体何年前からこの状況を想定していたのだ?)」と疑問を抱いたと言う。

そしてあの 何進(政治と謀略の化物) が、自身から見て若造に過ぎないはずの彼を『腹黒外道』と認定していた理由を再確認し、二人はその智謀と性格に恐れを抱いたのだが、実はそれ以上に怖かったのは

「ですので私は袁紹をただで殺すつもりはありません」

と言った時の腹黒外道の声と表情であったと言う。

……しばらくの間、彼らが睡眠を取るためには、ローマから齎された酒精の強い酒が必要だったと言う。