軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29話。洛陽の泥の中で⑤

中平6年(西暦189年)9月。洛陽。

何進と荀攸が対応を協議話した二日後、何進参内の報は洛陽の各勢力に布告された。

その内容は「大将軍としてではなく、外戚として何后に直接上奏することがある。宦官は信用出来ないので彼らを通す気は無い」と言うものであり、更に「弁太子と何后が直接朝議の場に出るならばその場で上奏するし、出てこなければ禁軍と共に後宮へ赴く」と言うものであった。

これに対する各勢力の反応は、一部の者達を除けば概ね好意的に受け止められていた。

当然一部の者の筆頭である宦官達は唾を跳ばして反論するが、元々彼らは後宮の管理人でしかない。その立場を利用し、帝を後宮に隔離して彼の意思を誘導したり、勅を偽造することで自分達の権力を増してきたのが彼らだ。

そんな彼らには朝議と言う公の場における発言権は無い。

まして今は皇帝がおらず、次代と目される劉弁にもその対抗馬に成りうる存在である劉協にも后は居ないと来ている。

つまり何進は今回の布告により「今の宦官は先帝の遺した女の管理人程度の存在でしかないのだから、無駄な抵抗はしないで大人しくしていろ」と宣言したと言っても良いだろう。

本来なら伝統や格式を重んずる名家も、宦官に対しては殺意しかないので特に反論は無かった。

また名家の中でも濁流派と呼ばれていた宦官閥と繋がりがある人間たちは文句を言うかと思われていたが、彼らは宦官の庇護者ではなく、利権をくれるものの味方である。今のところ何進と繋がりはないが、だからと言って落ち目の宦官に味方するような真似をするはずがない。

そして王允を筆頭とした帝派も、外戚である董重一派を殺した何進に対して含むところは有るが、それ以上に宦官に対しての憎しみが強いので、何進の行動を認めることは有っても阻害するようなことはしなかった。

そして今回の件で周囲からは「宦官の次に反発する」と思われていた何后であったが、彼女もまた何進が護衛の兵を連れて参内することに反対はしなかった。

これは抜き打ちで布告を受けた張譲らが、何后に有ること無いことを報告して何進の参内を食い止めようとする前に、曹操に誼を通じていた宦官から事情を聞かされていたからである。

何后にしてみても、張譲を生かして使うと言うのは何進の権勢があってのものだとは理解している上、劉弁が即位するまでは何進に死なれては困ると言うのが有った。

その為、彼女も「張譲たちからの暗殺を防ぐために参内のときには禁軍の兵を護衛に付ける」と言う何進の言葉に異を唱えることはなかったと言うことだ。それよりも、張譲らが自分が助かるために自身と次期皇帝である劉弁に対して嘘を並べ立てて来たことで張譲らに悪感情を抱いたくらいだ。

これは、あえて布告まで二日置いて根回しした荀攸の策戦勝ちと言えるだろう。

そんなわけで次期皇帝と皇太后のお墨付きをもらった何進が禁軍等を手配し、万全の態勢を整えて参内の準備を整えて参内する日が近付くにつれて、その参内が自分たちの粛清を含むものだと受け取った宦官たちは、宮城からの逃走を試みたり情緒不安定になったりと散々な醜態を見せ、宮中の人間から今まで以上の蔑みの目を向けられていたと言う。

―――

そんな洛陽の大多数の人間が認めている何進の参内 (からの宦官粛清)だが、それをされて困る人間が宦官以外にも存在していた。

具体的に言えば、今まで宦官とつるんでいた名家や商家の連中であり、彼らに引き立てられて地方で官吏をしている役人であり、何進の台頭を嫌う 名家の代表(袁紹) である。

「あの成り上がりめっ!私の策に気付いたか?!……いや、もしも気付いていたら私を捕らえるなりなんなりしているはず。つまりヤツの行動は偶然か」

「……おめでたい奴だ」

「ん?何か言ったか?」

「いや、向こうの狙いを考えていただけさ」

「そうか、しかしあれだぞ?向こうの狙いと言ってもあの成り上がりの狙いは私の策を…………」

分かりきったことをしたり顔で語り、酒を飲んでは不安を誤魔化すように声を荒げる袁紹を横目に、曹操は今回の何進の行動の裏を読み取ろうと必死で頭を回していた。

世間一般で言われるような、その場での宦官粛清は……恐らくない。上奏の内容は張譲らの身柄の拘束ではなく、連中が犯した罪の調査のはず。そこで張譲ら十常侍と強いつながりがある宦官と、ほとんど閉職に追いやられていた宦官を分け、それから董卓らを待って粛清する手はずだろう。

曹操は何進の狙いをこのように推察するが、この流れで概ね間違ってはいない。そもそも何后や劉弁にその場で「張譲を殺させろ」と言ったところで、許可など下りるはずがない。なにせ現時点での張譲は何后にとって数少ない駒なのだ。

実際は本人と何苗だけがそう思っているのだが、それでも彼女らは本気でそう思っている。そんな状況で外戚とは言え大将軍が兵士を連れて参内し、力で皇后の意思を捻じ曲げたらどうなる?今後は力を持つ武官が政を壟断するようになってしまうではないか。

現状の政治体系で栄達を極めた何進が自らそれを破壊するような真似はしないと考えれば、自ずとこの答えに辿りつくことが出来るはずだ。しかし周囲の人間は何進が普段から十常侍の抹殺を唱えていることや、彼の出自が卑しいものだからその行動も卑しいに違いないと勘違いしている。

その結果、自分の目に映るのは何進に殺されると惨めなほどに狼狽する宦官連中と、自分の策が何進の思いつきで潰された!と憤慨する目の前の お坊ちゃん(袁紹) だ。

「えぇい!董卓は何をやっているのだ!」

李儒と合流だろ?

「あいつさえ来れば我々も何進と共に宮中に入って宦官どもを誅殺してやるものをっ!」

我々って。まさか俺も入ってるのか?いや張譲とか十常侍は確かに殺したいが、全滅させられたら困るぞ。

「いや、まて。そうか!」

「…………」

おいおいおい。何か考えついたみたいだが、俺は突っ込まんぞ。それに絶対碌なことにならんから止めろよ?いや、一人で勝手に自爆する分には構わんが俺を巻き込むな……と言うのは駄目だな。そんな受身では確実に巻き込まれる。もうこいつから吸い上げる情報も無いことだし、俺も一時避難するとしよう。

……それから数日の間、曹操は大将軍府に詰めることで袁紹との繋がりを絶ったと言う。

そして運命の参内の日が訪れる。

―――

時は少し遡り、8月。荊州長沙郡。長沙。

「殿、大将軍府から先帝の追悼の儀と新帝の即位式に参列するよう連絡が来ておりますぞ」

「そうか」

どこぞの娘婿とは違い、孫堅に仕える程普はしっかりと差出人や内容を伝えるようだ。この辺は教育と言うか、向き不向きが有るのかもしれない。もしもこれが韓当ならば普通に「洛陽からの書簡ですぜ」と言って終わっていただろう。

それはともかくとして。

「ふむ。今回は今まで袁術が袁家の権力を背景に呼び出してきていたのとは違うようだ。正式な上洛要請なら従わねばならんだろう。まったく面倒なことだ」

ゴキゴキと肩を回しながら机から立ち上がる孫堅。言葉は嫌々言っているようだが、表情は実に晴れやかであった。

まぁそれも仕方のないことかもしれない。なにせ今までは軍閥の長と言うことで、目の前の賊を殺すことだけに専念していればよかったのに、いきなり都市、しかも一郡の経営をしろと言われてどうにかなるものではない。

単純に戦のことに関しても、これまで普通に他の勢力から得ていた兵糧も自分たちの収入の中からやりくりしなければならなくなったし、兵士の給料も必要だ。そうした上で治安維持の為に賊の討伐を行いつつ開墾だの治水だのと言った内政まで行う必要もある。

これだけでも頭が痛いのに、現在の荊州はつい最近王叡に変わって荊州刺史として赴任した劉表が、着任早々に土着の豪族たちを騙し討ちで一網打尽にするという事態を引き起こしてしまったので、周辺の治安が乱れに乱れていると言う状況であった。

この件で何が問題かと言えば、自分たちの主や幹部連中を殺された土豪たちの残党や、劉表の行いに賛同できない者たちが孫堅の旗下に入りたいと言ってきている事だ。

これは普通に考えれば国力の増強に繋がることだし、文官不足を嘆く孫堅陣営にしてみれば喉から手が出るほどに欲しい人材である。

しかし、しかしだ。劉表に反発すると言う彼らを引き入れると言うことは、劉表を荊州に派遣してきた洛陽の意思に反すると同義だ。いや、まぁ今更洛陽がどうこう言っても、肝心の洛陽は何進と十常侍の権力争いの真っ只中だし、事件は現場で起こっているのだから無視しても良いと言えば良いのだ。

だが、問題は決着が着いた時にある。劉表が劉氏であることを利用して自分を討伐対象にするように帝に働きかけたらどうなる?それを考えれば、孫堅とて易々と土豪たちを迎え入れるわけには行かない。

しかし、ここで彼らを放置すれば周辺域の治安の悪化に拍車をかけることになるのは予測できるし、文官たちからの評価も落ちるだろう。そんなこんなで板挟みとなり「俺にどうしろと?」と頭を抱えていた時に来たのが今回の『正式な』上洛命令だ。

今の孫堅の立場では勝手に上洛などできないし、袁術の言葉に従って上洛したところで何進から名家閥に鞍替えしたのか?と睨まれては堪ったものではない。それに自領の問題を片付けられずに泣きつくと言うのは決まりが悪い上に、自身の器量を疑われることにもなるだろう。

だが、今回の上洛命令により話は一変する。まず単純に書類仕事から開放されるのが良い。その上、問題の棚上げも出来る。さらに洛陽(大将軍もしくは李儒)に直接話を通すことで、人材の受け入れに対して言質を貰うことも出来る。

向こうから受け入れの許可が下りればそのまま登用するし、なんなら自陣に抱え込めなくても良い。

孫堅が推挙して洛陽に派遣すると言う形にすることもできる。その場合は洛陽に自身の影響力を残すことが出来るので、どちらに転んでも孫堅には損が無いと言う状況に持っていけるわけだ。

「よし程普、上洛の準備だ!」

「はっ!」

ここ最近の悩みを解消出来るとあって孫堅のテンションは高い。

「留守は策に任せる。武官は韓当。文官は鄧義と韓嵩に補佐をさせろ」

「はっ!」

現在14歳の息子に重責を背負わせることになるが、どこぞの腹黒は15で何進の元に出仕し、身ひとつで彼を大将軍にまで押し上げたのだ。補佐をつけて留守を守るくらいは期待してもよかろう。

ノリノリで息子に仕事をさせようとする孫堅とは裏腹に、程普は書類を纏めていく。

「……なぁそれはなんだ?」

「書類ですが?」

上洛の準備をしろと言ったはずなのに書類を整理する程普に嫌な予感を覚えた孫堅は確認を取るが、問われた程普は「何を言っているんだコイツは?」と言う目で見返してくる。

「いや、それは分かる。しかしなぜ今それを?」

「上洛の途上、殿に処理してもらうためですな。あと我々では判断が難しいものを向こうで相談する必要もあります」

「……そうか」

なんだかんだで基礎的な教育を受けた甲斐もあり、こうして長沙一郡を回せているが、所詮にわか文官でしかない彼らにはどうしても理解できないことがある。そして荊州で新たに募った人材を使おうにも、今の段階では彼らをどこまで信用して良いか分からない(能力的にも信用的にも)ので、程普は「いっそのこと李儒に相談してしまえ」と考えたらしい。

まぁ彼は性格はともかく能力的には文句なく信用出来る人間だし、もしも本人が多忙で誰かを紹介してきたとしても、彼ほどの人間が推す者なら最低限の信用は置けるだろう。少なくとも劉表の手が入っていると言うことはないはずだ。

そう考えれば程普の判断が間違っているようには思えない。しかし……

「なぁ。ちょっと多すぎないか?」

机の上に積み重ねられていた書簡のほとんどが行李の中に入れられていく。これはつまりほぼ全ての作業を孫堅に行なえと言うことだろう。

「それはそうでしょう!なにせこの書簡一つ一つに領民の命が懸かっているのですからな!いまだ未熟な策殿に任せるなど出来ませぬ!」

「あ、はい」

いきなり配下に切れられた江東の虎だが、その言葉があまりにも正論だったため、彼は一切反論出来なかったそうな。

時は中平6年(西暦189年)彼らが長沙の太守となってから二年目のこと。新米領主が上洛する前のある日の風景であった。